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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第六章 第三節
287/289

275.縫いぐるみに見つめられて

ちょっと文字数少なめです。再び仕事が忙しくなるので、しばらく更新できないかもしれないですが、絶対に戻ってくる事だけはお約束します。

 騎士見習いは従騎士に昇格し、従騎士はやがて正騎士となる。身分によっては、従騎士より先は無いが、神殿騎士団において、正騎士になるまでの道のりは概ねこんなものだ。だが、神殿騎士団にも色々な役目があって、色々な人間がいる。特に、騎士団の構成員の全てが、騎士だというわけではないことには、注意しなければならない。補給や事務を担当する者の中には、騎士としての資格を持たない者は大勢いる。

 そして騎士であっても、必ずしも戦える人間であるとは限らない。特に家柄の良い者にありがちなのだが、騎士になるまでには厳しい訓練に耐えたものの、そこからは鍛錬を怠り、ぶくぶくと太ってしまったような手合いもいる。精鋭を自負している神殿騎士団でさえも、そういう人間が組織に混じることは避けられなかった。

 しかしディートリヒ・アイゼンシュタインは、その点においては騎士の名に恥じなかった。その体躯は、白髪の交じりはじめた中年にしては良く引き締まっており、騎士団の重鎮でありながら、自己研鑽も怠っていないという事が読み取れた。

 そのディートリヒが、娘であるロザリンデの部屋の中央に立って、帰ってきた彼女を迎えた。


「この重大な時期にどこへ行っていた。せめて行き先は、必ず報告しろと言ってあるだろう」

「申し訳ありません、お父様」


 ロザリンデは、頭を下げて父に詫びた。


「そんな事はいい。質問に答えなさい」

「トリール伯レティシア様の護衛で、伯の別荘地まで」


 ディートリヒ・アイゼンシュタインの語気は、決して強くない。声を荒げたりはしていないし、表情もどちらかと言えば穏やかだ。しかし彼の顔を見た瞬間、ロザリンデの声と顔からは、全く感情が失せてしまったようになった。


「総長殿の命令か」

「……レティシア様が帝都に滞在される間は、護衛として側を離れないようにと言いつかっています。ここに戻ってきたのも、荷物を取りに来ただけです」


 これには、若干の嘘があった。確かにロザリンデはレティシアの護衛を任じられているが、彼女自身が四六時中貼り付いていろと言われた訳ではない。そのためにロザリンデには麾下の女性騎士隊が用意されたのだし、今もレティシアの周りでは、その麾下たちが護衛に当たっている。

 ロザリンデは純粋に、休息のために部屋に戻ってきたのだ。


「任務に励むのは良い。総長殿から直々に伯の護衛を任されるのも、パラディンゆえの事だからな」


 それについては、ディートリヒも頷いた。

 ロザリンデがパラディンである事、それがディートリヒの最大の誇りであった。パラディンの称号は彼の夢だった。しかし彼にはその実力が足りなかった。だからディートリヒは、自分の娘であるロザリンデに、文字通り地獄のような特訓を課し、彼女をパラディンに仕立て上げたのだ。そのために、彼はどのような犠牲も厭わなかった。


「しかし、行き先は報告するようにしなさい」

「申し訳ありません」


 ロザリンデの顔に、やはり表情は見えない。人形か彫像になってしまったかのように、彼女は機械的な受け答えを繰り返している。そのロザリンデの肩に、ディートリヒの手が伸びた。


「――――っっっ!!」


 ロザリンデの全身が総毛立ち、一瞬だけ、顔に赤みが差した。しかし、それは本当に一瞬の事だ。元の彫像に戻ったロザリンデは、無言で正面の壁を見つめている。その横で、ロザリンデの肩に手を置いたまま、ディートリヒは喋った。


「お前はパラディンとして、良く任務をこなしている。私は誇らしい」


 あのヴォルクス・ヴァイスハイトよりも若く、歴史上最年少でパラディンに就任した天才。ロザリンデが成し遂げた事は、まさにディートリヒの描いた夢そのものであったはずだ。しかし、ロザリンデを見るディートリヒの瞳の奥には、一点だけ黒いものが宿っている。ロザリンデが女だった事が不満なのか、それともあるいは、自分自身がパラディンになれなかったことで、彼は娘に対しても嫉妬心を抱いているのか。

 決して満たされぬものを抱えた表情で、ディートリヒは娘に言い聞かせるように、ゆっくりと話した。


「お前は、私の愛しい娘だ。ロザリンデ」

「ありがとうございます、お父様」


 何の愛情も感謝も伴っていないそのやり取りも、この二人にとっては日常のことだ。


 ――お前は、私の愛しい娘だ。


 幼いロザリンデを、魔物がひしめく洞窟の奥に置き去りにした時も、泣き叫んで命乞いをする死刑囚の前で、震えるロザリンデに斧を握らせた時も、ディートリヒはこの言葉を口にした。


「私も、お父様を愛しています」


 ロザリンデがそう言うと、ディートリヒは微笑み、彼女の肩から手を離した。

 ディートリヒはロザリンデに背を向け、娘のベッドに近付いた。そのベッドの上には、銀色の毛糸を髪の毛のようにした、手製の縫いぐるみが置いてある。ディートリヒが、その人形の頭を無造作に掴んだ。


「あっ……」

「こんなものを持っているのか?」


 パラディンとして相応しくない。そして、パラディンとして相応しくないものを、お前が持つ必要は無い。今までのディートリヒならばそう言って、娘にその縫いぐるみを手放させただろう。あるいはその場で、力任せに首を引きちぎったか。いや、もしかしたら、ロザリンデに自ら、その縫いぐるみに火を付けさせるくらいはしたかもしれない。


「や……」


 止めろ。咄嗟に、ロザリンデはそう言いかけた。しかし彼女の身体は震え、舌は喉に貼り付いたまま、声は声にならない。


「……まあ、良いだろう。これからは、こういうものも必要になるかもしれん」


 だが、ディートリヒは縫いぐるみをベッドに戻した。今までにないことだ。そしてその縫いぐるみを見下ろしたまま、ディートリヒは背中越しに、ロザリンデに話しかけた。


「ロザリンデ、お前は私の愛しい娘だ。これまでも、お前は本当に良くやってくれた。……この上に、私がお前に望むのは、あと一つだけだ」

「え?」


 あと一つだけ。それは、ロザリンデが父に初めてかけられた言葉だった。だがその言葉の意味が、ロザリンデには咄嗟に理解できなかった。

 あと一つだけ。それで、父が自分に望むことは終わる。父の夢に従うこの人生に終わりがあるとは、ロザリンデは今まで、考えた事すらなかった。

 あと一つ。その望みに従えば、父は満足するのだろうか。それで、自分は本当に、自分が生きたいように生きる事ができるのだろうか。


「なん、でしょうか、お父様」

「お前は女だ。ロザリンデ」


 そうだ、女だ。だが、女に産まれた事を忘れろと、かつてロザリンデに言ったのは誰だったろうか。


「……はい」


 しかしロザリンデは、内側にある父への想いを、決して表に出す事はない。それができれば、とっくにそうしている。

 結局、些末な事なら逆らえても、ディートリヒが本当にロザリンデを従わせたいと思った時、ロザリンデは父に対し、ただ頷く以外の選択肢を忘れてしまうのだ。例え今はロザリンデのほうが、ディートリヒよりも圧倒的に強いとしても、その関係は変わらなかった。


「女には、女の役目がある。それは古より続く、神聖なものだ。それを果たせる事を喜びに思え」

「…………はい」


 あと一つの望みだと、ディートリヒは言った。しかしそれを叶える事は、ロザリンデが永遠に、父から逃れられないという事を示す。ディートリヒは宣告した。


「アイゼンシュタインの跡継ぎを産め、ロザリンデ」


 相手はこちらで決めておいた。

 いつかはそう言われると、奔放に振る舞っているかに見えたロザリンデの心の奥にも、諦めのようなものがあったのだろうか。ディートリヒにその言葉を告げられても、ロザリンデの顔からは、表情は失われたままだった。


「……はい」

「男を産め。“それ”も、パラディンにする」


 ディートリヒの口調は穏やかだったが、内容には狂気が含まれていた。そしてその狂気こそが、ロザリンデが世の男性全てを嫌悪する原因であり、今もロザリンデの表情を奪っているのだ。


「……はい、お父様」


 自分の夫になる人が誰かとも聞かず、頷いたロザリンデの目から零れた一粒の涙を、銀色の髪の人形だけが、瞬かないボタンの瞳でじっと見つめていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ここまで読んでみましたが、本当に面白いです ロザンリンデ男性嫌いをずっと我慢する事になるけどどっかでとんでもない爆発を起こしそう
[良い点] 一気読みしたけどめっちゃ面白いです [一言] 物語の佳境のところで更新止まっていて残念です
[良い点] ここまで一気に読んでしまいました。 やっと追い付けた! 敵味方かかわらずすべての登場人物に物語があってとても面白いです! 応援してます! [一言] ロザリンデも主人公に救われてほしい…!…
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