268.恩義
「……私は、ラトリア大公領の、東の辺境で生まれた……死霊術士です」
椅子に腰掛けたメルヴィナと同じテーブルを囲み、アルフェとゲートルードは彼女の告白を聞いている。何はともあれ、メルヴィナは彼女自身の事情を話す気になった。「クラウスを助けて欲しい」という、メルヴィナの言葉の真意を確かめる前に、まずは前提となる事情を聞いておこうと、場を仕切り直した格好だ。
「その術の研究のため、私はかつて、ラトリアの“学園”に在籍させていただいておりました」
「学園……。魔術学園? 死霊術の研究……? ラトリアが……?」
メルヴィナの告白に、戸惑ったのはアルフェである。その横から、ゲートルードが興奮した面持ちで補足した。
「それは、恐らく真実でしょう。あの学園は、積極的に公言してはいませんが、稀少魔術の保護や復元も行っています。死霊術に対する一般の人々の印象はともかくとして、死霊術という魔術体系が、絶滅寸前であるのは事実ですから」
どうしてそんな事情を知っているのかという目をゲートルードに向けた後、メルヴィナは、弱々しく頷いて肯定した。
「…………そうです。……私は物心ついた頃から、祖母と二人きりで暮らしていました。そして祖母から、この業を教わったのです。……祖母は、この世でこの業を正しく伝えているのは、我々が最後なのだと、よく申しておりました」
彼女たちが辺境の森の中で二人きり、滅多に人里と交わることなく、ほとんど自給自足で生きていたのは、魔物よりも、人間による迫害を恐れたためだ。そしてその祖母が死に、少女のメルヴィナは辺境の小屋で、独りで暮らす事になった。学園の人間が彼女を迎えに来たのは、祖母が死んでから二年経ち、彼女が十四歳になった時だ。
「学園の人間とは、誰の事です……?」
「…………」
アルフェが質問すると、メルヴィナは口をつぐんだ。これも、例の「呪い」のせいで喋る事が出来ないという事だろうか。それとも単に、話したくないという事なのだろうか。結局、メルヴィナは質問に答えないままに、続きを話し始めた。
「……私は学園で、死霊術の研究だけをしていたのではありません。……幸運にも、大公妃様の庇護の元、私は死霊術以外の教養についても、学ぶ機会を得ました。……私にとっては、初めての経験でした。……そんな風に、祖母以外の人間に、何かを与えてもらうのは。……私に対して、蔑み以外の目を向けるのは、大公妃様が、初めてでした。……だから」
そこでメルヴィナは、アルフェと目線を合わせた。
「……だから私は今も、大公妃様に対し、返しきれない御恩を感じております」
「だから、貴女を信用しろと?」
メルヴィナの話に聞き入っていたアルフェは、思い出したように険悪な表情になると、刺々しい声を出した。
「残念ながら、大公妃と貴女がどういう関係であろうと、私が貴女に対する態度を変える理由にはなりません」
アルフェは冷笑を浮かべた。
姉との思い出については、少しずつ思い出し始めたアルフェだが、母である大公妃の記憶は、まだほとんど取り戻せていない。
「ですから、貴女が、大公妃に何を与えられたからといって――」
そこで、アルフェはぐっと言葉を詰まらせた。
メルヴィナに、アルフェの母がどんな恩を与えたのかなど知らない。アルフェには、母の事が良く思い出せないのだから関係ない。
「……アルフィミア様?」
「私を、その名前で呼ばないでください」
でもどうして、母は自分をあんな場所に閉じ込めたのか。そんなに忌み嫌われるようなことを、幼い自分はしたのだろうか。この女には優しくできたのに、どうして自分は駄目だったのだろうか。どうして母は、私を愛してくれなかったのだろうか。
どうして。
「――ッ。それで、今の話が、クラウスとどう繋がるのです」
「…………あの人とレーア様に、私は、学園で出会いました」
レーア様。メルヴィナはまた、アルフェの姉のことを愛称で呼んだ。メルヴィナは帝都でステラと親しくなり、アルフェの母に優しくされただけでなく、かつては姉とも親しかったのだろうか。メルヴィナは自分自身のことを、迫害された、何も持たざる者であるかのように語ったが、今までの話を聞くだけでも、アルフェには彼女が、アルフェの持っていないものを、全て持っていたかのように感じられる。
メルヴィナは、思い出話を続けている。
ラトリアの魔術学園に引き取られたメルヴィナは、そこでアルフェの姉と、その従者だったクラウスと知り合った。その事実以上のことをメルヴィナは語らなかったが、やはりメルヴィナは、アルフェの姉レーアの友人でもあったのだ。そして彼女は、クラウスの友人でもあった。主従である姉とクラウスは、友人にはなれないけれど、メルヴィナは二人の友人だった。そして学園での生活の中で、メルヴィナは二人をはじめとする色々な人間と交流しながら、死霊術以外のことについて学んだ。
メルヴィナの語り口調から、アルフェは彼女が、学園でのことを本当に懐かしく思っているのを読み取った。だからだろうか。
「……ア、アルフェ様?」
「アルフェさん?」
メルヴィナとゲートルードが、ほぼ同時にアルフェの方に顔を向け、その名前を呼んだ。
一々話の腰を折るな。そう言おうとしたアルフェだったが。
「……え?」
メルヴィナたちが当惑したのは無理も無い。
アルフェの両の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれているのだから。
「あ……」
アルフェ自身もまた、己がとんでもない醜態を晒していることに気付いたようだ。
アルフェは手で顔を覆い、脱兎のように部屋から出ると、真っ直ぐに階段を下り、厨房に置いてある水瓶から乱暴に水を汲んだ。そしてそれを、ほとんど己の顔面にぶちまけるようにした。
「――――」
瓶の縁に手を突いて、アルフェは息を吐いた。その銀髪の端から、ぽたりぽたりと水が滴り落ちている。
二階に戻ろうとした時、アルフェは客間の扉の前を通った。ここには例の怪我人の女が寝ていて、フロイドが見張りをしているはずだ。髪と顔は拭いた。涙も止まっている。しかし、万一その扉が開いた時のことを思い、アルフェは扉から顔を背けつつ、二階に戻った。
「今のは、気にしないで下さい」
再び姿を見せると、呆気にとられるメルヴィナとゲートルードを前に、アルフェはそう言った。
「で、ですが……」
「気にしないで下さい。メルヴィナさん、私には、貴女の無用な思い出話に付き合っている時間はありません。ですから、要点だけ話して下さい」
「は、はい……」
誤魔化しかたが強引だということくらい、アルフェにだって分かっているはずだ。しかしこれも、心術の枷が弱まり、取り戻しかけた感情と日々向き合っている、彼女なりの精一杯なのかもしれない。
◇
「終わったのか? ずいぶん長い間、話し込んでいましたが……」
一階に姿を見せたアルフェに、フロイドが声をかけた。彼は一階の客間で、ずっと一人で怪我人の女を見張っていた。そこに顔を出したアルフェの容貌は、はっきり言って酷いものだった。髪は乱れ、寝不足によるクマで、目の下が黒い。そして、白目が少し充血していた。
「はい」
「それは良かった」
しかしそれらについて、アルフェは何も言わなかったし、フロイドも特に指摘しなかった。寝息を立てている怪我人の女にあごをしゃくって、フロイドはことさら事務的な口調で話した。
「この女の素性は、俺が聞き出しました。やはり、帝都の地下にいる暗殺者ギルドの一員だそうです」
「…………」
「最近、暗殺者ギルドの頭がすげ変わって、内部抗争が起きているそうだ。それに、他の組織との対立やら何やら色々とあって……、とにかく、嫌気が差して、この女はギルドから抜け出そうとした」
そして当然、その手のギルドから、何の代償も無しに抜けられるはずはない。
「ギルドから追っ手をかけられてて、路地裏で始末されかかった……そこに通りかかったのが、我々だそうだ」
「……はい」
「命を救われた礼を言っていた。貴女に」
あの時に、この女を襲っていた男たちをたたき伏せたのはフロイドだ。命じたのはアルフェでも、そんな事情を知らないこの女が、アルフェに礼を言うはずがない。という事は、礼を言われたのは、恐らくフロイド自身だろう。それでも、アルフェはこくりと頷いた。
「……あの死霊術士は?」
ちょっと迷う仕草を見せてから、結局フロイドは、アルフェにそれを尋ねた。
「……お姉様の学友だそうです」
「貴女の姉君のか……。なるほど、そっちのほうが、事情が複雑そうだな」
フロイドは大げさな仕草で頷くと、笑い顔を見せた。それに釣られたように、アルフェも少しだけ笑い、言葉を続けた。
「クラウスを覚えていますか?」
「バルトムンクの廃都市で会った、あの男ですか」
なかなか腕が立ちそうだったと、フロイドは付け加えた。
「はい。あれはお姉様の従者だった者です。私をラトリアの城から連れ出したのも、彼でした。メルヴィナ……あの死霊術士とクラウスは、今はドニエステ王に仕えることになっていますが、それは本意ではないそうです。何か、やむを得ない理由が有るのだと」
「…………」
「本当でしょうか?」
長い話をしたあげく、その理由の肝心な部分については、結局のところメルヴィナは何も語らなかった。――語ることができなかった。メルヴィナにかけられた「呪い」が、彼女の言動を縛り付けているとゲートルードは説明していたが、それを信じて良いのだろうか。
ともあれ――
「彼女は、私の力を借りたいのだそうです。ドニエステ王と、あの男から解放されるために」
あの男とは、アルフェの師の仇のことだ。
「馬鹿げた話です。彼女の言っている事を、信じる根拠など何処にも無い。それ以前に、私が彼女を信じて、得るものも無いですし」
なのに、アルフェは迷っている。ゲートルードにメルヴィナの見張りを任せ、一階に降りて来ているのが良い証拠だ。あるいは、「馬鹿げている」と、アルフェは臣下にそう言って諫めてもらい、メルヴィナの頼みを一蹴する理由にしたいのかもしれない。
だがフロイドは、アルフェの期待とは真逆のことを言った。
「好きなようすればいいんじゃないか? なんだかんだ言って、あの女の事情を聞いたら、殺せなくなった。結局そういうことだろう。」
「……っ」
「考えてみると、貴女はいつもそうだ」
その言葉に、アルフェはうつむいた。
全くの図星である。そしてフロイドは、考え無しの主に愛想を尽かし、放り投げるようなことを言ったのか。アルフェは一瞬そう感じたのだが、それとは違うようだ。
「ネレイアの時を覚えているか?」
「え……?」
「ルサールカ退治の時、ネレイアは一度裏切ったが、貴女は結局殺さなかった。グラムの時もそうだ。せっかく賞金首のオークを追い詰めたというのに、貴女はそのまま見逃した」
「それは……」
彼らに利用価値があると思ったから、そうしたのだ。そう言い訳しようとしたアルフェの前で、フロイドは首を横に振った。
「俺も正直、その時はどうかと思ったさ。でもまあ、実際に付き合ってみれば、あいつらもそう悪い奴らじゃなかった。だから……」
「…………」
「今回も、絶対にそうだとは言えないが……」
それでも、貴女がもしもあの女を信じてみたいと思うのなら、俺はそれに従うまでだ。例えこれが何かの罠だったとしても、戦うだけだ。そこまで言うと、フロイドは黙った。他ならぬフロイド自身が、初めはアルフェの敵であり、彼女が止めを刺さなかったからこそ、こうして今ここにいる。だからこその言葉だろうか。
すみませんと、アルフェはフロイドに対して詫びを言いかけて、止めた。そして代わりに、はにかんだように笑うと、こう言った。
「ありがとうございます。フロイド」
更新間隔が開いて申し訳ありません。そして、読んでいただいてありがとうございます。
【言い訳と今後の更新について】
こんなに遅くなったのは、緊急事態宣言明けから今まで、ノンストップで連勤・残業してたからです。正直、盆開けからもまだしばらくは激務が続くと思います。更新間隔は開くと思いますが、絶対に続きは書いていくので、「さてはこいつエタりやがったな」と見捨てないでいただけると有り難いです。




