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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第五節
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28.市場でお買い物

 アルフェたちが外で様子をうかがっていると、しばらくしてから二人が出てきた。コンラッドの両手には、ローラの戦利品と思しき荷物が乗っている。最初の店から出た後もローラは市場の出店を見て回り、たまに何かを購入してはコンラッドの両手に積み上げていった。


「楽しそうですね……」


 相変わらず仏頂面のコンラッドとは対照的に、ローラは常に明るい笑顔で、見るからにうきうきと市場を回っている。

 仏頂面と言ったが、コンラッドも本気では嫌がっていない。アルフェにはその事が分かった。


「どうしたんだい?」

「いえ……」


 二人を見ていると、アルフェは自分の知らないお師匠様の姿を見せつけられているようで、少し複雑な気持ちになった。

 先ほどマキアスがアルフェに指摘した通りだ。アルフェが今日ここに来たのは、商会とのコネを得るためというのは口実である。ただ純粋に、ローラとコンラッドが二人で何を見て、何を話すのか、それに興味があっただけだ。


「……」


 あそこにいる師は、道場で自分と向かい合っている時とは、また別の人の様に見えた。その事が、アルフェには何だか気に入らない。


「どうしたんだ? こいつ」

「さあ?」


 今まで、彼女にしてははしゃいでいたアルフェが、急に大人しくなったのを見て、テオドールとマキアスは顔を見合わせた。

 ローラたちは一通りの店を回った後、さらに市場の奥に向かって歩き出した。


「あっ」


 アルフェが声を上げる。このまま向こうに行けば、自分たちが今いる場所からは、二人の姿は見えなくなってしまう。


「追いましょう!」

「ああ」

「了解、了解」


 路地裏から出て、三人はローラたちの後を追った。

 ベルダンの市街でも、市場は最もにぎわっている所だ。彼ら以外にも、今日も沢山の人間であふれかえっていた。

 少女の後について、二人の騎士が並んで歩く。アルフェはただの町娘姿で、マキアスとテオドールも目立たない平服を着ていたが、それでもすれ違う人々は、たまに一行を振り返って見た。


「テオドールさん、目立たないでください」

「そ、そんなことを言われても……」


 特に、ほとんどの若い娘が頬を染めて振り返るのは、アルフェの後ろを歩く金髪碧眼の美青年が振りまく、やたらにきらきらとした雰囲気が原因だろう。

 アルフェに無理難題を言われたテオドールは、困り果てた表情をした。


「そうだぞテオドール。もうちょっと地味になれ。潜入任務の時、困るだろうが。……ああ、女の子を口説く任務の時は、役立つかもな」

「馬鹿を言うなよ、マキアス」


 そう言ってからかうマキアスも、険はあるが男らしい精悍な顔をしている。実際のところ、振り返る娘たちの何割かは、彼の方に興味を示していた。


「お師匠様は達人です。不用意に後をつければ、気付かれるかもしれません」

「しかし、私たちは尾行術など習得していないからなぁ」

「訓練所でも、そんなもんは習わなかったしな」

「簡単です。こうするんです」

「こう、とは?」


 テオドールが首をかしげた。そう言えばすれ違う人々は、アルフェには全く注意を向けていない。まるで二人の青年以外は、他に誰もいないかのように。この少女も客観的に言って、かなり目立つ存在のはずなのにだ。


「こうです」

「――ん? ――え?」


 立ち止まり振り返ったアルフェが、軽く両手を拡げる。するとテオドールは、アルフェの姿が急に希薄になったような錯覚を覚えた。目の前にいるはずなのに、視点が彼女に定まらない。下手をすると、見失ってしまいそうになる。


「な、なんだ!? どうなってんだ!?」


 マキアスが驚きの声を漏らす。周囲の人々は、そんな彼を不審な表情で見つめた。


「隠行です。体内の魔力の循環を抑え、体外に発散される魔力を限りなく無にすることで、気配を遮断することができるんです」

「え、どっから喋ってるんだ? お前」


 アルフェが技の精度を上げると、マキアスたちにも彼女の姿が認識できなくなった。まるで、何もない中空から少女の声が響いてくるように聞こえる。

 流石にこれでは不便なので、アルフェは技の精度を弱めた。


「あ、いる。……いや、いたな、ずっとそこに。見えなかっただけで。つーか怖ぇよ」

「さすがはアルフェさんだ」

「お前、真面目に言ってんのか? テオドール」

「さあ、お二人も」

「『さあ』って、そんな当たり前みたいに言うなよ。できないから。……お前、犯罪とかに使うなよ、それ」

「使いません。第一、素早く動こうとすると気配が発散されるので、技が無効になってしまうのです」

「本当に分かってんのか? とにかく、俺たちは人間だから、適当に離れて尾行するぞ」


 それからも三人は追跡を続けた。

 歩きながらも、ローラとコンラッドは様々な店の前でしきりに立ち止まっている。装飾品を扱う店などはともかく、食器を扱う店、野菜を扱う店の前でローラが足を止めるのは、本当にそれが欲しいからではなく、ただ色々なものを見て回るのが楽しいのだろう。


「なあ、俺たちも何か食べないか?」


 ローラが揚げたパンのような菓子を買うのを見て、マキアスがそう言った。確かにずっと後をつけてばかりで、アルフェも空腹だった。


「そうだな、それもいいな。アルフェさん。何か食べたいものはありますか?」

「いえ、そうしている間に見失っては困ります」

「御馳走しますよ。奢らせてもらいます」

「そうですね。では、何か甘いものを食べましょう」


 ローラが買った揚げパンは、蜜がたっぷりかかっていて美味しそうだ。あれを見ていると、自分も甘いものが食べたくなった。


「あれ食おう、あれ。美味いんだ、あれが」

「マキアスさん、この市場に詳しいんですか?」


 マキアスが指したのは、何かの果実を加工した焼き菓子だった。彼によると、これはこの地方の郷土料理らしい。


「ああ、この辺りの屋台は大体見て回ったね」

「お前、任務中にそんなことを……」

「固いことを言うなよ、これも任務のうちさ。――あ、オバちゃん、これ三つ下さい」


 屋台の主人は笑顔で応じ、食べやすいように木の串に刺した菓子を三本、マキアスに差し出した。マキアスはそれを片手で器用に受け取り、もう片方の手で代金を支払った。


「ほら」

「ありがとうございます。……本当です。甘酸っぱくて、すごく美味しいですね」

「うん、美味い。いい店を知ってるじゃないか」

「だろ?」


 得意げな顔をするマキアス。ちょうど尾行対象は、通りに設置されたベンチで休憩することにしたようだ。アルフェたちも適当な目立たない場所で、立ち止まって焼き菓子を頬張った。


「……そう言えば、先ほど任務と仰いましたが、お二人はこの町で何をなさっているんですか?」


 ローラとコンラッドは、会話に花を咲かせている。もっとも、一方的にローラが話しかけて、コンラッドは相槌を打っているだけのようだが。

 尾行対象に動きが無いので、アルフェはそんなことを聞いてみた。そう言えば、彼女から彼らについて、何かを聞くのは初めてだ。


「――あ、秘密の任務なのでしたね。すみません、変なことをお聞きしました」


 だが、いつかテオドールがそう言っていたのを思い出したアルフェは、即座に質問を撤回した。


「ん? ああ……、いいさ。大した秘密じゃない。俺たちはただ、この町について調査してるだけさ」

「おい、マキアス……」

「別にいいじゃないか。こいつになら、話しても妙な事にはならんだろ」


 それはそうだが、と言いいつつも渋い顔をするテオドールをよそに、マキアスが説明を続ける。


「一年くらい前、南のラトリア大公領が、ドニエステ王国に侵攻されただろ」


 ――それは。


 突然、懐かしい名前を耳にして、アルフェの全身が硬直した。だがそれは一瞬の事で、彼女はすぐにいつもの表情に戻った。


「……ああ、そんなことがありましたね」

「でかい事件だったからな。当然お前も知ってるか。でな、このベルダンは、帝国直属都市の中でも、大公領にかなり近い。侵攻の影響がないかどうか、調べて回ってるんだ」

「ここは帝都と大公領を繋ぐ交易路の上にあるからね。経済的にも重要な場所だ」


 一応はマキアスを諫めたが、テオドールも話して差し支えないと判断したのだろう。説明を補足した。

 隣国――ドニエステ王国による突然の侵攻は、ラトリア大公領を占領したことで止まったが、再び進軍を開始する危険がないか、帝国内の各領が注視している。

 テオドールたちと同じように、様々な思惑の元、各領からこの地域に人が送り込まれているという。


「……帝国に、大公領を奪還するつもりは……」

「それは分からないな。まあ、しばらくは静観ってところじゃないか? 色々、ごたごたがあるんだろ、上の方で。な?」

「……難しい国、だからね。ここは」

「お前が言うと重みがあるな。テオドール」


 意味深な言葉を交わす騎士二人の前で、アルフェは沈鬱な表情で何かを考えている。


「……」

「アルフェさん?」

「……いえ、何も。行きましょう。二人が動き始めました」


 ローラとコンラッドが立ち上がり、移動を始めた。三人はまた、それを追って人混みの中を歩きだした。

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