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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第六章 第二節
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266.呪い

 ――これが「遺物」だ。


 男が、黒髪の女に何かを手渡した。

 それは、一つの小さな小瓶だった。


 ――神聖教会はこれを、結界を維持するための儀式に用いている、と言っている。……だが、これが本当は何で、何のために存在するのかを知っている者は、教会でもごく一握りだ。


 男の説明を聞く女の手は、小刻みに震えている。万一にでも落として、この小瓶を割ってはいけない。しかし、こんなおぞましいものに、いつまでも触れていたくない。その背反する思いに縛られて、小瓶を乗せた手のひらを、握り締めることすらできない。


 ――……怖いのか。


 怖いに決まっている。女は、これが何なのかを知っていた。これはきっと、あの生き物の死骸の一部なのだ。かつて、あの地下で見たものと同じ。


 ――心配する必要は無い。これには既に、何の力も残っていない。これで成功させられる秘蹟など、何も無い。


 それは違う。死してから数百年、あるいは数千年経ってもなお、この「遺物」は、強力な存在感を放ち続けている。死霊を見る力を持つ彼女だからこそ、生々しいほどにそれが分かる。


 ――助祭長のシンゼイにこれを渡せ。そうすれば……。


 そうしたらきっと、また人が死ぬ。何人も死ぬ。

 それを知っているはずなのに、男は女に命令する。


 ――必ず渡せ。


 そして、女はこの男に逆らえない。女がかろうじて頷くと、男は彼女に背を向け、彼女が引き留める間もなく、姿を消した。



「…………う」


 メルヴィナが、悪夢にもだえながら目を覚ました時、彼女はすぐに、自分が知らない部屋の、知らないベッドの上に居ることに気付いた。


 ――ここは。


 しかし、メルヴィナに特に動揺した気配は無い。正確に言うと、動揺は有っても、それを押し殺すことが出来るくらいには、彼女はこういう事態に慣れていた。

 彼女は目を動かして、室内の様子を探った。

 少し裕福な民家の一室と言ったところだろうか。ベッドは清潔で、壁にも天井にも蜘蛛の巣は張っていない。ここは、汚物の臭いに満ちたゴミ溜めでも無ければ、冷たい鉄格子のはまった石牢でも無い。彼女自身の手足にも、鎖などは取り付けられていなかった。


「……!」


 メルヴィナが上体を起こして、さらに部屋の中を見回すと、ベッドの横に銀髪の少女がいることに気付いた。その少女は両膝を抱えてうずくまっていたため、眠った姿勢では、メルヴィナの目に入らなかった。

 そしてメルヴィナは、この銀髪の少女の名前を知っている。


「……ア、アルフィミア、様」

「…………」


 返事が無い。メルヴィナは、もう一度呼びかけようとした。


「……アルフィミ――」

「その名前で呼ばないで下さい」


 少女は顔を膝に埋めたまま、くぐもった声でそう言った。


「そんな名前の人は、もうどこにも居ません」

「…………アルフェ、様」


 アルフェはメルヴィナを治癒院から攫い、それから彼女が目覚めるまでの数時間、ずっとそこに座っていた。顔を上げようとしないため、アルフェの表情はメルヴィナにはうかがえない。ただ、その滑らかな銀髪が、自らかき乱したように、ぐしゃぐしゃに乱れているのだけは見えた。


「久しぶりですね。メルヴィナ…………さん。エアハルト以来でしょうか」


 アルフェとメルヴィナが正面から顔を合わせるのは、エアハルトの建設中の聖堂で、アルフェがメルヴィナを取り逃がして以来だ。あの時は、メルヴィナが呼び寄せた死者の群れによって、おびただしい兵が死んだ。それに何より、その時に、メルヴィナはアルフェの師の仇と一緒だったのだ。

 しかし、そんな女を前にしたアルフェの声音は、表面的には落ち着いて聞こえる。それがより一層不気味だった。

 メルヴィナの手が、無意識に己の杖を探して動いた。


「抵抗したり、魔力を収束したりする気配が見えたら、貴女を殺します」


 やはり顔を上げずに、アルフェが言った。


「話も聞きません。すぐに殺します」


 その警告を受けて、メルヴィナの身体が硬直した。

 アルフェは膝を抱えて、板張りの床に座ったままだ。その華奢な手には、何も握られていない。だが、その手がどんな凶器にも勝ることを、メルヴィナは知っているはずだ。


「貴女はただ、私の質問に答えなさい」


 アルフェの言葉に対し、メルヴィナは頷くでも拒否するでもなく、ベッドの上で、ただ固まっていた。そんなメルヴィナに向けて、アルフェはゆっくりと質問をはじめる。


「貴女は、どうしてあの治癒院に居たのですか?」

「……私は今、教会に籍を置いているからです」

「そうですね。そのローブも、教会のものですから。エアハルトの時と同じで……。あの時は、大聖堂の主教や助祭長に取り入っていたようですが」

「…………」

「……今度は、ステラさんを騙して、何かをしようとしているのですか?」

「……ステラさん? もしかしてアルフェ様は、ステラさんのお知り合いで――」

「私の質問に答えなさい」


 メルヴィナがステラの名前を呼ぶと、アルフェの手指に力が入り、彼女自身の腕に食い込んだ。その声は、さっきよりも明らかに苛立っている。

 防御魔術も何も無い状況でのこの間合いは、魔術士であるメルヴィナの圧倒的な不利であった。アルフェがその気になれば、一呼吸する間もなく、メルヴィナの首は落ちるだろう。そして、今のアルフェの精神状態なら、尋問を途中で打ち切って、本当にそうしてしまうという可能性も、十分に有り得た。


「違い、ます」


 そこでようやく、アルフェは顔を上げた。睡眠不足と感情の混乱によって、彼女の目は充血している。その視線がより一層、メルヴィナの身を竦ませた。


「何が違うのです。どうせステラさんに取り入って、貴女はまた、帝都で何かをしようとしているのでしょう」

「違い……ます」

「信じられる訳がありません。貴女たちの言うことは、嘘ばかりです」


 貴女「たち」というアルフェの表現に含まれていたのは、メルヴィナと、彼女と繋がりのあるクラウスの事だろうか。

 アルフェは立ち上がると、メルヴィナが座っているベッドの前まで歩いた。


「ステラさんを騙して、彼女の友達になったのでしょう? 彼女を不幸にするために」


 こんな事を聞くつもりは、はじめはアルフェの考えに無かったはずだ。メルヴィナが帝都で何をしているのか。誰の命令を受けているのか。コンラッドを殺した魔術士は、今どうしているのか。優先して尋ねるべき事は、他にも山ほどあった。

 時間が経って落ち着いたはずでも、アルフェの感情は未だに混乱していた。これは恐らく、彼女にかけられた心術が弱まっている事の、一つの証拠でもあるのだろう。以前のアルフェならば機械的、合理的に受け止められる事でも、今の彼女にとってもそうだとは、必ずしも言えなかった。


「違います」


 一方のメルヴィナも、さっきからその言葉しか言おうとしない。

 しかし、最後の「違います」は、それまでのものとはどこか違って、意志のようなものが籠められていた。ステラの友人である事自体を、メルヴィナは否定しようとしない。それどころか、そうなった事に打算は無いとでも言いたげだ。

 自分をにらみつけているアルフェと、メルヴィナは目を合わせようとしない。そんなところにも苛立って、アルフェの頭に血が上りかけた。


「…………ふぅ」


 だが、アルフェは己の激情を押し殺した。魔術による枷によって、強制的に押さえ込まれたのではなく、純粋に自分の意思で。

 アルフェはちらりと部屋の入り口のドアに目を向けた。ドアの向こうには、内部の様子をうかがっているらしい人間の気配がする。


「その辺りの事情は、後でもう一度聞きます。別の質問をしましょう」


 冷静さを取り戻したアルフェがそう言うと、ドアの向こうの気配が、露骨にほっと息をついたのが伝わってきた。


「貴女は教会に属していると言いましたが、それは表向きですね。貴女に命令を出している、貴女の本当の主は?」

「…………それは」

「答えなさい」

「…………ディナレウス・レヴィアス」


 ディナレウス。それは、帝国の南東に位置する国、ドニエステを治める王の名だ。かつてクラウスが、「今の自分はドニエステ王に仕えている」と発言したことと、メルヴィナの答えは矛盾していない。だからアルフェは、その事については特に驚かなかった。


「貴女の目的は? ドニエステ王の臣下である貴女が、ここで何をしているのです」


 メルヴィナは、更にうつむいた。


「……ドニエステの結界と、何か関係があるのですか?」


 アルフェがしているのは、ここまで彼女自身が見てきたものや、ゲートルードやクラウスから聞いた事の答え合わせだ。結界の地下にいる巨獣、封印の鍵としての人間、消失した旧バルトムンクの結界、ラトリアに侵攻したドニエステ。そういったものをつなぎ合わせると、ドニエステ王のおよその目的が見えてくる。

 意表を突かれた様子のメルヴィナが顔を上げ、アルフェと目線を合わせた。どうしてそれを知っているのか。メルヴィナはそう問いたげな目をしている。


「クラウスは言っていました。近年、ドニエステの結界の力が弱まっていると」

「……クラウス? ……あの人とお会いになったのですか? いったい、何処で。あの人は、どこまでアルフェ様にお話しになったのですか」


 少し勢い込んで、メルヴィナがアルフェに尋ねた。

 アルフェはちょっと意外な気がした。アルフェは廃都市の大聖堂でクラウスと遭遇して、それからも数回手紙のやり取りをしている。しかしこの口ぶりだと、クラウスはメルヴィナに対し、アルフェと会った事を秘密にしていたようだ。メルヴィナが帝都に居た事で、同じく帝都に居るはずのクラウスも、彼女と一緒に行動していると思い込んでいたのだが、そうではないのかもしれない。

 だが――


「質問に答えるのは、貴女のほうです」


 アルフェがそう言うと、メルヴィナは再びうつむいた。


「……事実です。……ドニエステ王国にある結界の力は、ここ数年で、急速に弱まっています。……ディナレウス王は、それに対処する方法を探していました」


 メルヴィナは認めた。つまり、旧バルトムンクと同じような事が、今のドニエステに起こっている。死んでしまったのか、それともそれ以外の理由があるのか、結界の地下にいる太古の巨獣の力が、衰えはじめたのだ。そうすればいずれ、魔物の侵入を防ぐ力はドニエステから失われ、国は崩壊する。


「貴女は、ドニエステ人ですか?」


 アルフェの問いを、メルヴィナは弱々しく首を振って否定した。

 メルヴィナは言った。ドニエステ王ディナレウスは、弱まる結界の力を押しとどめる方法を探していた。そのために、古式の魔術に通じた者が王の側に集められ、研究を行った。自国を維持するためであれば、手段は問わないと王は命じた。その一環として起こったのが、先般のドニエステによるラトリア侵攻である。

 ここまでを、たまに言葉をつかえさせながらも、メルヴィナは素直に打ち明けた。


「古式の魔術に通じた者……?」


 その言葉を繰り返して、アルフェの肌は粟立った。ドニエステの事情は、彼らにとっては大問題かもしれないが、アルフェにとっての本題は別だ。


「その魔術士は、ハインツという……?」


 ベッドに身を乗り出して、アルフェはクラウスから教えられた、コンラッドの仇の魔術士の名を挙げた。

 しかし、ここまで素直に語ってきたメルヴィナが、ハインツという名前を聞くと、急にびくりと身体を震わせた。彼女は硬く目をつぶり、唇を噛んでいる。鬼気迫る様子のアルフェに気圧されて、背中を壁にへばりつけながらも、メルヴィナは明確に、喋ることを拒否する姿勢を示していた。


「どうしたんですか? メルヴィナさん」


 アルフェの声は、奇妙な猫なで声になっている。顔にも薄い笑みが浮かんでいるが、目だけが笑っていない。


「お願いですから、教えて下さい」


 アルフェはベッドに膝を突いて、メルヴィナににじり寄った。

 アルフェから顔を背けて、メルヴィナの身体は、哀れなほどに震えている。それでも彼女は、何も話そうとしない。


「…………そうですか。……でも、痛かったり、苦しいのは嫌でしょう?」


 メルヴィナの白い首筋に、ついと手を這わせて、アルフェは彼女を脅した。

 まるで過呼吸でも起こしたように、メルヴィナの息が荒くなる。

 喋らないのなら仕方無い。お望み通り、指の一本か二本、切り落としてみよう。そう思ったアルフェが目を細めたところで、背後から声がした。


「お待ち下さい、アルフェさん」


 彼女に声をかけたのはゲートルードだ。

 暴力的な衝動に我を忘れかけていたアルフェは、そこでどうにか平静な己を取り戻した。


「彼女も、何かの魔術の影響下にあります」


 早口気味に、ゲートルードはそう言った。彼の後ろにある、部屋のドアは開きっぱなしだ。きっと室内の異変を察して、アルフェのお節介な臣下が、ゲートルードを呼びに行ったのだろう。

 アルフェは、メルヴィナの首にかけていた手を下ろした。アルフェの中には、メルヴィナを苦しめる事ができなかった事を残念に思う気持ちと、衝動に任せて行動せずに済んだ事に安堵する気持ちが同居していた。


「これは、何でしょうか……」


 まじまじとメルヴィナを観察して、ゲートルードは首を傾げた。彼はさっき、メルヴィナが何かの魔術の影響下にあると言った。アルフェが何者かに心術をかけられている事を、初めて見破ったのもこの男だ。彼には、メルヴィナの中にも何かがあるのが見えるのだろうか。


「非常に珍しい……、いえ、古い術式ですね」


 メルヴィナに向かって占星術の陣を展開したゲートルードは、独り言のように言った。彼は半ば、己の世界に入り込んでしまっている。それを見ていると、熱くなっていたアルフェも、ようやく自分を客観視できるようになってきた。


「これはもしや…………、呪い……?」


 ひょっとしたら、彼女は喋らないのではなく、喋る事ができないのかもしれない。

 しばらくの間、メルヴィナの頭をのぞき込んでから、ゲートルードは呟いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アルフェの暴走寸前の心の描写。 [気になる点] まさかのヒロインポジにステラが入り込むとは・・・ [一言] 更新ありがとうございます。
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