259.きれい事
任務先から帝都に帰還した、神殿騎士団パラディン第三席のランディ・バックレイは、本部要塞の通路で、思いもかけない人物から、思ってもみない声をかけられて面食らった。
「ごきげんよう、バックレイ卿」
「――え? あ、ああ、ごきげんよう。…………え?」
少女の騎士服には、確かにアイゼンシュタイン家の証である、桃百合の紋章が縫い付けられている。しかし一瞬、これは本当に「あの」ロザリンデ・アイゼンシュタインかと、ランディは目と耳を疑った。
本物のロザリンデならば、ランディとすれ違ったとしても、ゴミを見るような目を向けて、軽く舌打ちするくらいが関の山だからだ。
「最近は、とても良い陽気ですね。本当に、気持ちの良い季節――」
ついでに、ロザリンデの形をしたその少女は、そんな時候の挨拶までしてみせた。これはますます怪しいと、ランディは剣の柄に手をかけそうになった。世の中にはドッペルゲンガーのように、実在の人間に成り済ます魔物もいるからである。
しかし、あいにく剣は部屋に忘れて来たので、ランディは丸腰だった。ランディが呆気にとられている間に、微笑みを見せたロザリンデのようなものは、彼の横を軽やかな足取りで通り過ぎていった。
「何だったんだ……?」
ランディは額に浮かんだ冷や汗を拭うと、再び歩き出した。
「パラディン第三席、ランディ・バックレイ、本日帰還しました。任務の報告を――」
「…………」
「……何だよ」
「本当に、お前なのかと思ってな」
「ふん」
帰還報告をしたランディに失礼な事を言ったのは、神殿騎士団総長のカール・リンデンブルムである。しかし、いつものランディは任務から帰っても報告を怠る事が多かったから、カールの言い分も、もっともではあった。それにさっきはランディも、ロザリンデに対して似たような事を思ったのだから、人の事は言えない。
「余計な茶々を入れるなよ」
それより、報告を聞くのか聞かないのかと、むすっとした顔でランディが問うと、もちろん聞くと、カールは答えた。
ランディが珍しく、帰還した即日に総長の執務室を訪れたのは、今回の任務が総長と総主教からの直接指名であった事と、彼の中に、そこで見聞きしたものを誰かに話したいという意識が働いていた事による。
「レニ川から結界内に侵入した魔獣は、帝国都市ブラーチェで死んだ」
ランディが結論から告げると、既に知っていると言いたげに、カールは頷いた。
「お前が倒したのでは無いそうだな。何があった? 詳しい話を聞かせてもらおうか」
パラディン筆頭のヴォルクスもそうなのだが、カールもまた、年長者であるランディに対して、目上から口を聞く。彼らはランディよりも、地位も家柄も上だから、それはある程度しょうが無い。しかし、他のパラディンに対するよりも、カールの口調がどこか軽くぞんざいに聞こえるのは、騎士訓練所時代のカールに、元々ランディが指導をしていたからだ。
ヴォルクスもそうだった。現在の騎士団総長とパラディン筆頭は同年齢。訓練所でも同期で、どちらも先輩騎士であるランディに、散々叩きのめされた経験を持つ。まあ、それは本当に、カールとヴォルクスが少年と呼べる年頃の話なのだが。
特にヴォルクスは、一瞬でランディを上回る剣の腕を身に着けてしまった。ランディがパラディンに任命された直後くらいだったろうか、ヴォルクスはパラディンとなって筆頭まで駆け上がり、カールもさっさと出世して総長になった。
「俺が町に到着した時には、魔獣はもう死んでた。別の奴に倒されてな」
「そんな事は既に聞いた。誰が倒したのかと質問している」
「どうせそれも、耳に入ってるんだろ?」
ランディが自身の机に半分腰掛けるようにして、適当な喋り方をしても、カールは怒らない。カールはただ無表情に、ランディに問いかけた。
「……どんな娘だった?」
やはりである。カールは、レニ川の魔獣を倒したのが娘だったという事まで承知している。ならば改めて自分の口から聞く必要は無いだろうとランディは思ったが、彼自身も、その娘の話を誰かとしたかったのだ。
「……銀髪の娘だそうだ。年は十五から二十の間くらい。名前は分からない。魔獣と一人で戦って、ほとんど相打ちになって死んだ」
都市ブラーチェで見聞きしてきた事を、ランディはカールに語った。
「その娘の死体は?」
「最期は魔獣に呑み込まれたらしい。腹の中で、溶けて無くなったんじゃないか?」
「…………」
ランディは肩をすくめた。カールは立ち上がり、窓の側まで行くと、黙り込んでしまった。
「ブラーチェの町の奴らは」
次に声を出したのはランディだった。彼の声は、少し沈んでいるようだ。
「全員が、その銀髪の娘の話をしていた。町を救ってくれた、英雄だと」
信じられない話だが、ランディは実際にそれを聞いた。パラディンでも無ければ単独で立ち向かえないような、巨大な魔獣が都市を襲い、それを一人の少女が屠った。その光景を目の当たりにした市民たちは、熱に浮かされたように、その少女について語っていた。
都市の住民は、誰も少女の素性を知らなかった。名前も何も分からない。彼女に着いて分かるのは、銀髪だったという事だけだ。だとすれば、たまたま都市に居合わせたその娘は、自らの命の危険も省みず、無関係の人々のために戦ったのだ。
「だが、死んだ」
そう言ったのはカールだった。その言葉に、ランディは、己が頭に思い描いていた少女の像をかき消された。
そうだ。どんな英雄でも勇者でも、死ねば無意味だ。ランディもそれには同意する。しかしカールにそれを指摘されて、ランディは少し不機嫌になった。
「ああ、死んだ。そういう奴は――、いや、そういう奴から死んじまうのが、この世の中だ」
苦い顔をして吐き捨てたランディに、カールは念を押すように問いかけた。
「死んだんだな、本当に。その銀髪の娘は」
「……? ああ、そうさ」
カールは妙に、その娘の生死にこだわっている。それは一体何故だろうか。ランディは訝しんだが、下手をすればパラディンに伍するかもしれない存在が、唐突に出現し、唐突に消えたのだ。神殿騎士団総長という責任ある立場として、そうなるのは仕方ないのかもしれない。
それで一応、ランディの報告は済んだ。元々、選帝会議に備えて、パラディン全員が帝都に呼び集められている。ランディはこのまま帝都で、会議の開催を待つ事になる。
帝都にはランディの家もあるが、それは誰も住んでいない空き家だ。そこに戻っても暇なだけである。ついでのように、ランディは別の話をした。
「さっき、アイゼンシュタインを見たんだが、やけに機嫌が良かった」
「彼女には今、トリール伯レティシア殿の警護に当たってもらっている」
「レティシア? ……ああ、あの」
数ヶ月揉めていたトリール伯の跡継ぎがようやく決まり、それが十三の小娘だという事は、ランディもぼんやりと耳にしている。ロザリンデの上機嫌の理由も、それで理解できた。麗しい少女の護衛という仕事は、確かにロザリンデの望むところだろう。
だが、ランディの顔は曇った。新しいトリール女伯は十三歳。死んだ先代の遠縁か何からしいが、その歳で伯も何もあるまい。つまり、その娘は大人たちの都合の良い傀儡だ。どうせ教会が後押ししたのだろう。そう言えばノイマルク伯の方も、レティシアと同じ年齢の小僧が継いだ。不仲な二つの領邦が、仲良く伯を暗殺されて、次は仲良く傀儡の伯を立てる。何とも皮肉な感じがする。
「選帝会議に、子供が二人も出るのか」
「適切な資格を持つのは彼らだけだ。そうなる。年配の諸侯には不満だろうが、それは呑み込んでもらう」
「俺は、そういう事を言いたいんじゃない」
「では、どういう事を言っている」
「俺は――」
ランディが覚えている違和感を、カールは理解しないだろう。むしろ、ここで戸惑うランディの方が、もしかしたら間違っているのかもしれない。しばらく無言の時が続いたが、やがてカールは唐突に、ランディに頼み事を切り出した。
「場合によっては、お前にもノイマルク伯の警護をしてもらいたい」
「……? 別に俺がやらなくたって……」
やりたい奴はいくらでも居るはずだ。その言葉を、ランディは最後まで言わなかった。
新しいノイマルク伯オットーには、エアハルト伯ユリアンの息がかかっていると聞いた。ノイマルク伯の警備には、ユリアンがいくらでも腕利きを寄越すだろうと思ったが、それをカールは望まないのだろう。レティシアにロザリンデを付けたように、オットーにはランディを付けて、カールは彼らを、教会の言う事を聞く「良い子」に育て上げたいのだ。
「ははッ」
ランディは急に馬鹿馬鹿しくなり、声を出して笑った。そこには皮肉と、半分程度、自嘲が混じっている。
通りすがりの都市のために、命を賭して魔獣を倒した無名の娘がいる一方、帝国に知らぬ者が居ない神殿騎士団総長とパラディンは、子供を権力闘争の道具にする相談をしている。その事が無性に笑えたのだ。
ランディは半笑いのまま、おどけた調子で言った。
「そんな七面倒な事、俺は嫌だね。シモンかモナシュあたりに頼んだらどうだ?」
パラディン第七席のシモンと、第五席のモナシュには、カールは頼まないだろう。その二人は、いわゆる騎士団の「総長派」では無いからだ。どちらもパラディン筆頭のヴォルクスに、深く心酔している。故にカールは、その二人には決して頼まない。
それを分かっていながらのランディの言葉に、カールは一瞬だけ苦い表情をした。その顔を見て、ランディはまた皮肉に笑い、総長の執務机から離れた。
「馬鹿馬鹿しい……。何が神殿騎士団だ」
ランディがつぶやいた言葉は、カールの耳には届いたのだろうか。
そして、ランディは執務室を出ようと、ドアノブに手をかけた。だが、そこで彼はちょっと立ち止まって、カールの方を振り向いた。その顔は、幾らか真面目な表情になっている。
「しかし……、どうしてあれだけの魔獣が、結界の中に入り込んだんだろうな」
それは、レニ川に現れた魔獣について、ランディが抱いた疑問だった。
結界は、人間の領域に魔物の侵入を防ぐためにある。稀にその中に魔物が迷い込んでくる事はあっても、あれほど巨大な魔獣が結界内に侵入したのは、多分これがはじめてではないだろうか。
「……もしかして、結界に何か有ったのか?」
ランディがそう思うのには理由があった。実はランディは、帝都に帰ってくる前の任地だった高地諸領邦でも、幾つか似たような話を耳にしていた。
いつもなら出ないはず結界の中に、魔物やアンデッドが出現した。出現した魔物たちは、ブラーチェのものとは比較にならない小物ばかりだったが、そんな事例が立て続けに起こる事は、これまでなら有り得ない。
結界を維持するための儀式は、大聖堂の奥にある秘蹟の間で、毎日欠かさず行われているはずだ。それには、高位の聖職者や神殿騎士でも無ければ、同席する事すら許されない。儀式がつつがなく行われているのに、結界が揺らぐという事があるのだろうか。
「ランディ」
ランディの思考は、カールの呼びかけによって中断された。
「……ん?」
「お前は、神を疑うのか?」
「…………いや」
神を疑ってはならない。神の恩寵の現れである、結界の力を疑ってはならない。カールの言葉は、聖典にある根本的な教義だ。ランディも、魔物の侵入について、そこまで深刻に考えていた訳ではない。ではやはり、ただの偶然が重なったか。
ランディはカールに背を向け、総長の執務室を出た。
「やあ、バックレイ卿。任務お疲れ様」
「……ヴォルクス」
要塞の外に出ようと歩いていたところで、ランディはパラディン筆頭のヴォルクスとすれ違った。ロザリンデと総長に続き、今日は色んな奴に出会う日だと、ランディは思った。しかし、全員同じ騎士団員なのだ。たまにはそういう日もあるだろう。
ヴォルクスは、ランディには特に用件が無い様子だ。第一軍団長として、この男にはパラディンの任務の他に、やらなければならない事が山と有る。帰還を労う挨拶をすると、彼はそのまま、ランディの脇を通り過ぎようとした。
「なあヴォルクス」
「ん……?」
「お前、何のためにパラディンになった?」
ランディは、ヴォルクスに対して唐突な質問を投げかけた。
ヴォルクスは、この男にしては珍しく意表を突かれた表情をして、それからにこやかに笑った。
「ヴァイスハイトが騎士の家系だから。……それ以上に、民の信仰と、暮らしの安寧を守るため。それだけですよ、ランディ『先輩』」
ヴォルクスは、わざわざ昔の口調に戻してそう答えた。
民の信仰と安寧を。神殿騎士の叙任式で唱和させられる、長い誓いの一節である。
それを純粋に信じている若い騎士も、沢山居る。それは事実だ。
「きれい事だな」
しかし、ランディは吐き捨てると、そのままヴォルクスを置いて歩き去った。




