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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第五章 第八節
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253.知識を求め、戦いを求める

「やはり、大型の水棲魔物がポロンの水門を抜けて、結界内に迷い込んだようです。今朝方ポロンからの早馬が到着し、この町の参事会が協議した上、船舶の出航停止を決定したという流れでした」


 その日の昼にならないうちに、ゲートルードはもう事のあらましを調べ上げて来た。情報屋組合の構成員は、この町にもしっかりと居るらしい。


「魔物の詳細は不明です。ポロンでは昨日の昼過ぎ、船よりも大きな影が、水門をこじ開けて水中を下っていったという話です」

「昼過ぎ? すると、俺たちがあの町を発ってからすぐって事か。タイミングが良いような、悪いような……」


 フロイドが首を傾げていると、アルフェが彼に尋ねた。


「フロイド、冒険者組合の方に動きは有りましたか?」

「いや、まだそれらしい依頼は張り出されていませんでした。職員は慌てている様子でしたが」

「そうですか……」


 ここは結界の内部であり、普段は魔物が出ない土地である。従って、このブラーチェの町の冒険者組合は、魔物への対応には慣れていないのだろう。素早く船舶の航行停止を宣言した参事会の方が、良い判断を下したと言えるかもしれない。

 魔物自体は、まだこの町には現れていない。しかし、ここまでに大きな支流が無い以上、魔物は上流のポロンに戻るか、下流のこの町にやって来るしか無いのだ。

 アルフェが考えていると、ゲートルードが参事会の動向について付け加えた。


「ここから下流の都市に向けて、更に早馬が出されたようです。帝都まで連絡が届けば、恐らく大型の軍船が派遣される事になるでしょう」

「帝都からここまで、川をさかのぼるとどのくらい時間がかかりますか?」

「さあ、そこまでは……。しかし、二、三日はかかるのでは? 選帝会議の準備に人手が割かれている今、もっとかかるのかもしれません」

「そもそも軍船で、水の中の魔物とどうやって戦うんだ?」

「据え付けてある巨大な弩で、縄付きの銛を発射したりするのだそうですよ」

「ふうん」


 三人が会話をしているのは、町の中のとある食堂だ。昼食がてら、町に散らばっていた彼らはここに集合した。

 ブラーチェの町の通りは、船から強制的に下ろされた人々で、にわかに密度を増すことになった。この食堂の他のテーブルでも、一体どうして船を下ろされたのか、いつになったらこの措置が解除されるのかについて話し合っている旅人や船員がいる。

 アルフェは頭の中で、今後とるべき方針について思い描いた。一つはこのまま、魔物が排除され、船舶の航行が自由になるのを待つ。これが一番無難な方向だ。もう一つは、船を諦めて陸路で目的地に向かう。別にそれでも、問題無く帝都にたどり着く事ができるだろう。

 フロイドとゲートルードは、いつの間にか会話を止めてアルフェを見ている。彼女がどういう決断を下すのか、待っているのだ。

 アルフェは言った。


「このまま、この町で様子を見ましょうか。その間、私は水棲の魔物について図鑑で調べてみます」

「なるほど、そしてこの町で、魔物を迎え撃つと?」


 そう言ったフロイドを、アルフェはじとりとにらんだ。


「様子を見ると言っただけです」

「そう言って、その魔物がどんなのか、見てみたいのでは?」

「……違います」


 別に自分は、あわよくば戦ってみたいなどとは考えていない。アルフェはむくれてしまった。

 むくれた主人を放って、フロイドはゲートルードと話を続けた。


「あんたはどうする? ゲートルード」

「私は情報の収集と、折角ですから、参事会堂でこの町の年代記でも読ませてもらいます」

「そうかい」


 アルフェは魔物に関心があり、ゲートルードは歴史に関心がある。自由な事だと、フロイドは肩をすくめた。


「そういうあなたはどうするのです、フロイド」

「俺?」

「人の事ばかり聞いていますが、あなたはどう過ごすつもりなのです」

「俺は貴女の護衛だ」

「別に四六時中、私に付いていなくても良いでしょう? たまには、自分の好きな事でもしてみては?」

「う~ん」


 フロイドは腕組みして唸った。自分の意志で護衛をやっているのだから、特に苦だと思った事は無い。だが、その通りにアルフェに伝えるのを、彼はためらった。


 ――もしかして、俺を気遣っているのか?


 フロイドはアルフェの言葉を、そんな風に解釈したからだ。

 アルフェはアルフェなりに、臣下に対する労りというものを見せようとしているのかもしれない。ならば、それを言下に否定するのもどうかと思う。


「じゃあ、ちょっと歩き回ってみますか」

「そうしなさい」


 アルフェが満足そうに頷いたので、今の回答は正解だったようだとフロイドは思った。

 しかし、だからと言ってどこに行くのか。かつての自分ならば、酒屋で飲んだくれたり、娼館に繰り出したりするのだろうが、それは違うという気がする。考えてから、フロイドはゲートルードが船上で新婚夫婦に語っていた事を思いだした。


「この町には、音楽堂って奴が有るんだったな。そこにでも行ってみるか」

「音楽堂……? 音楽……? あなたが?」


 フロイドの独り言に反応してアルフェがつぶやくと、フロイドはしまったと思った。

 どうせ似合わないと言いたかったのだろう。いつだかのように大笑いはしなかったが、それから食事をしている間、アルフェはずっとにまにまと笑っていた。



 ――クラーケン。海に棲む魔物。巨大なタコのような姿。八本の足を絡みつかせて船を沈める。海ではなく川ですし、これはきっと違いますね……。


 宿の部屋に据え付けられた書斎机で、絵入りの図鑑をめくりながら、アルフェは今回の魔物の姿を想像していた。

 しかし、アルフェが所持している図鑑には、水辺の魔物は余り描かれていなかった。今見ていたクラーケンの他、割かれているページは十ページほどに過ぎない。全てを参照しても、川を潜行する巨大な影という、今回の魔物の特徴に当てはまるものは無かった。


「どこかで発生した固有種でしょうか?」


 アルフェはあごに指を当て、つぶやいた。

 この大陸において、魔物は常にどこかで新しく誕生している。その中には、既存の魔物が突然変異した変異種や、同一の個体がほぼ存在しない固有種などというものも含まれていた。アルフェもこれまでの旅の中で、百を下らない種類の魔物と戦ってきたが、そんな数は、広い世界に生息する魔物のごく一部に過ぎない。

 従って、彼女が今手にしているような図鑑ごときでは、網羅できないのも当然の事であった。


 ――……ふむ。


 この町の冒険者組合に行けば、アルフェの手元にあるものよりは、詳しい資料が保管されているかもしれない。金さえ払えば、それらの情報は参照する事ができる。

 だが今のアルフェは、冒険者とは無縁の、商家の令嬢に変装している。魔物の資料を見せろと言って組合に赴くのは、いくら何でも不自然だ。


「よし」


 そう言うと、アルフェは自分の手を叩くと立ち上がった。



「ようこそいらっしゃいませ」


 眼鏡をかけた女性店員が、入ってきたアルフェに声をかけた。

 宿から出かけてアルフェが向かったのは、冒険者組合ではなく、ブラーチェの町にある書肆――いわゆる“本屋”だった。

 五十年程前に印刷術が発明されたとは言え、この国においては、本は未だ富裕層向けの高級な嗜好品である。書肆というのも、それなり以上の規模の都市に行かなければ見つからなかった。

 “冒険者のアルフェ”なら、ここは相当違和感のある場所だが、令嬢の仮装をしているアルフェは、書肆の落ち着いた、どことなく豊かな空気にも溶け込んでいる。

 昨日は節約について話していたのに、アルフェはこうして本を探しにここに来ている。それはどうなのだろうという思いと、必要経費だから問題無いのだという思いが、アルフェの中でちょっとした喧嘩を繰り広げていた。


「お嬢様、何かお探しですか?」


 アルフェが棚を見ていると、眼鏡の店員が彼女に尋ねた。


「魔物の図鑑は有りますか?」


 アルフェはすまし顔で答えた。

 当然、店員は一瞬固まった。

 アルフェ自身は、上手く令嬢の演技をしていると考えているようだが、普通の令嬢は魔物の図鑑を書肆で求めたりはしない。このあたりに、アルフェがフロイドから“詰めが甘い”と言われるゆえんがあるのだが、今回は店員の職業意識が勝った。


「ございます。ただいまお持ちいたしますので、少々お待ち下さい」


 硬直から回復した店員は笑顔で答え、はしごを使い、棚に並べられた本を抜き出していった。


「こちらが当店にある魔物図鑑です」


 店員は、テーブルの上に数冊の分厚い書物を並べた。どれも重厚な装丁で、アルフェが所有している図鑑よりも幾らか大きい。全部購入しても良さそうだが、アルフェは中を一通り見て、最も水棲の魔物の解説が充実している本を選んだ。


 ――さあ、これで十分に予習する事が出来ますね。


 書肆を出て、宿に戻る道をいそいそと歩きながら、アルフェはそんな事を考えていたが、それは完全に、件の魔物と戦う事を前提とした者の思考であると、彼女は気付いていなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] やはり脳筋 いや 強い奴がいた場合に自分ならどう戦うかを想定するのは普通のはずだ うん普通
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