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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第五章 第八節
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252.潜行

 皇帝直轄領は大陸の北西、帝国でも最広域の結界の中に存在する。ここ以外にも直轄領扱いになっている土地はあるが、「皇帝直轄領」と言うと、基本的に帝都を中心に広がる領域の事を指していた。

 皇帝不在の今、直轄領の統治は帝国元老院が代行している。元老院議員は事実上、有力貴族による世襲体制が維持されており、そのために、直轄領とは名ばかりの、各議員の荘園のようになっている地域も多いという。

 アルフェは都市ポロンでも役人の不正を見たが、ゲートルードに言わせると、そんなものは序の口なのだそうだ。


 都市ポロンの水門を抜けると、アルフェたちが乗った船は、その直轄領に入った。川沿いに広がっているのは、見渡す限りの田園地帯である。レニ川から用水が引かれ、穀物畑の間を縦横に走っていた。

 役人の不正がまかり通っても、これだけ豊かな土地で、しかも魔物の心配が無いとなれば、他の中小の領邦よりは、民の暮らし向きはずっと楽なのかもしれない。


 船がポロンの次に寄ったのは、ブラーチェという都市だった。


「ここはハーネマンを始めとする、著名な音楽家を輩出した事で有名な町です。町の中央にある音楽堂は帝国中期に建造されたもので、当時の皇帝が設計に携わっています。また、ガラス製造が盛んで――」


 ゲートルードは相変わらず、新婚夫婦に向かって観光案内をしている。

 その夫婦は、ゼスラントの首都に店を構えている商人なのだそうだ。商売の規模は小さいが、帝都への新婚旅行が夢だったので、奮発したのだという話だ。アルフェが船上で見る時、夫婦はいつも腕を組んで、ぴったりとくっついていた。


「貴女は船を下りないのか?」


 ゲートルードと新婚夫婦を観察していたアルフェの側に、フロイドが寄ってきて尋ねた。船は、この町で一晩停泊する予定になっている。船室で休むのか、それとも一旦下船して、町の中に宿を取るのかという話だ。

 アルフェは首を横に振った。


「船で寝ます。少し節約を意識しましょう。この前も、バルトムンクの宿では贅沢をしましたし」

「まだ金は残っているのでは?」

「帝都での活動資金に残しておく必要もあるでしょう? 忘れては駄目ですよ、フロイド。私たちは所詮、しがない冒険者なのです」


 アルフェはフロイドに釘を刺した。最近、少々金遣いが荒すぎたと、彼女は内心で反省していたのだ。


「帝都は物価が高いとも聞きますし」

「ああ、それは確かに」


 フロイドには帝都滞在の経験がある。帝都は何かにつけて物の値段が高く、田舎暮らしとは比較にならない程に金がかかる。


「どちらにしても、全く仕事をしないという訳にはいきません。何か目立たない方法で、お金を稼ぐ事も考えておかなければ」

「ゲートルードに言えば、資金くらいは融通してくれそうな気もしますが」

「そういうのは嫌です。施しは受けたくありません」


 柔らかい声だが、アルフェはきっぱりと拒否した。

 アルフェは金にがめついようで、自分の生活は自分の稼ぎで維持したいという、こだわりのようなものがある。フロイドは特に逆らわず、彼女の意志を尊重する事にした。


「了解しました」

「うん。換金出来るような魔物を狩るのが、一番手っ取り早いのですが……」

「それこそ目立つ。それに、直轄領では魔物も出ない」

「冒険者としては、生活し辛そうですね……」


 実際、帝都は人口と比較すると、他の辺境近くの都市より冒険者の数が少ない。なんだかんだ言って、魔物が出現しない上に治安も良いので、冒険者を必要とする仕事は半減するのだ。


「食堂で皿洗いでもしてみますか?」


 フロイドは笑いながら、純粋に冗談のつもりでそう言った。しかしアルフェは、実はそれにも興味があるのだと言わんばかりに頷き、フロイドの笑いを引きつらせた。



「ん……?」


 船室のベッドで、アルフェは目を覚ました。

 まだ、夜は明けていない。眠りについてから、あまり時間も経っていないだろう。それでも彼女が目覚めたのは、何か嫌な気配を感じ取ったからだ。


 ――……魔物?


 まさかと思ったが、これは確かに魔物の気配である。アルフェはベッドを下りると、五感を研ぎ澄ませた。

 昨日の夜も、アルフェはこの気配を察知して、崖上に潜んでいた魔物を視線で追い払った。しかし、あれは結界の外だった。今はもう、アルフェたちは完全に結界の中にいるのだ。こんな場所に魔物が出る事などあり得ない。


 ――……一体どこに?


 確かに気配がするのだが、同時に、妙にぼんやりとしている。この感覚は初めてだった。いずれにしても、船室の中からは位置が読み取れない。アルフェは寝間着のまま、甲板に上がった。

 空気は暖かく、風は無い。夜とは言え、それ程深くない時刻だ。町にはまだ、灯りの付いた窓もある。川の水面にその光が映って、ゆらゆらと揺れている。

 アルフェは空を見上げたが、上空に怪しい気配は無い。町の中も同様だ。


「…………」


 という事は、残りは一つしか無い。アルフェは船縁に立って、水面を見下ろした。


「アルフェさん」

「……ゲートルード」


 アルフェが目を皿のようにして川面を観察していると、ゲートルードが起きてきた。ゲートルードは、既に何らかの魔術を発動しているようだ。魔力の光が、彼の周囲をぼんやりと照らしている。


「魔物です」

「はい」


 水中に何かが居る。交わした言葉は短かったが、二人は同じ事を考えていた。

 ゲートルードは更に新しい魔術を展開した。彼が得意とする占星術は、魔物の位置を探知する事に長けている。


「まだ遠いですが……、上流に何かが居るようです」

「上流?」


 そこには都市ポロンの水門がある。間違って魔物が結界内に侵入しようとしても、そこで魔物は止められるはずだ。

 アルフェは上流に顔を向け、つぶやいた。


「どうして結界の中に?」

「……結界が神の力では無く、単に巨大な生命体の縄張りなのだとしたら、それは絶対とは言えない、という事ではないでしょうか。散発的ですが、結界内に魔物が侵入して暴れた事例は、歴史上何例もあります」

「……」


 ゲートルードもまた、アルフェに見せられて結界の真実を知った。結界は人々が考えている程に絶対的なものではなく、揺らぎもすれば、七百年前のバルトムンクのように、消失する事もある。

 何かの拍子に結界内に魔物が入り込んだ場面を、アルフェも旅の中で何度か目にした。


「上流にいるとしたら、このまま下ってくるでしょうか」

「予測が付きません。……私の占星術で姿形を探知できる範囲には、まだ入っていない事は確かですが」


 それなのに、アルフェの肌をちくちくと刺すような、明らかな存在感を放っている。かなりの大物に違いない。

 しかし、今すぐここで出来る事は無さそうだった。そう判断すると、アルフェの身体は戦闘態勢から切り替わった。


「寝ましょうか。明日、日が昇ってから議論しましょう」

「……念のため、探知の術は厳重にしておきます」

「それでお願いします。――ふぁ」

「――何かあったのか?」


 アルフェは小さくあくびをしかけ、ちょうどそこでフロイドが起きてきた。

 アルフェはあくびを止めると咳払いし、じとりとした視線を彼に向けた。


「修行が足りませんよ?」


 そう言ってから、お休みなさいと改めて挨拶し、アルフェは船内に下りていった。


「……どういう意味だ?」


 フロイドは、困惑した表情でゲートルードに顔を向けた。



「客人の皆様に申し上げます。本船はこの町に、数日の間、停泊する事になりました」


 翌朝、船長が全ての乗員を甲板に集め、急にそんな事を言い出した。


「そんなぁ、聞いている予定と違うじゃないか」


 文句を言ったのは、新婚夫婦の夫の方だ。他には乗り合わせた商人も、彼に同調する声を出した。

 船長は悪しからずと言い、それから事情を説明した。


「参事会から指示があったんです。この船だけじゃなく、全部の船が、許可が下りるまで港を出るなと」


 そう言った船長の顔にも苛立ちが見える。参事会は、都市の行政を司る機関だ。それが命令した以上、船長は従うしかなかっただろう。しかし、昨日まで何事も無かったのに、朝になって急にそういう命令が下るのは不自然だ。


「何だそれ。何があったんだ?」

「詳しい事は、私もまだ聞かされておりません。とにかく、長くとも二、三日以内には解除されるという話ですから、ご辛抱ください」

「勝手な事を言ってくれるなぁ」

「でもあなた、折角だからこの町も見て回りましょうよ。私、音楽堂に行ってみたいわ」

「そうかい? 君がそう言うなら……」


 アルフェたち三人は、船長と他の乗員がそんなやり取りしているのを、船尾の方から眺めていた。既にフロイドにも、アルフェとゲートルードが察知した魔物の話は伝えてある。


「もし、魔物がポロンの水門を抜けたのなら、ポロンから早馬があったのかもしれません」


 ゲートルードの推測は正しそうだ。このタイミングでの都市による港の封鎖措置は、どう考えても、アルフェたちが察知した魔物と関係がある。

 アルフェは、沈思してからつぶやいた。


「この町にも、冒険者組合はあるでしょうね」

「俺が見てきましょう。何か関連した依頼が出ているかもしれない」

「頼みます、フロイド。ゲートルードは……」

「私は、都市参事会の様子を」

「はい」


 アルフェの意志を汲み取って、フロイドとゲートルードはそれぞれの行動を示した。

 レニ川の水の流れは今日も穏やかだが、アルフェが感じている気配は、昨夜よりも強くなっている。船長に説得された乗客が、ぞろぞろと船を下り始めた。他の船も同様に、全ての乗員を下船させているようだ。

 全員が下りると、アルフェは川面から目を切って、彼らの後に続いた。

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― 新着の感想 ―
お小遣いがやってきましたね だけど知られて目立つのは困ると
[一言] きっと正体はカワエビですね
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