表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第五節
26/289

26.お店を作ろう

 夜空に星が見える。降っていた雪は、もうやんだのか。

 闇に覆われた石造りの通路を抜けて、彼らがたどり着いたのは山腹の森の中だった。


 ――……ここまで来れば、ひとまず追って来ないか。


 左手に抜き身の剣を持っていた青年は、周囲を見回してつぶやいた。剣を鞘に収めようとしたところで、彼は改めて、刀身に付いた血をじっと見つめた。


 ――……俺は、どうしてこんなことを。


 柄を握る手に力を込めて、青年は唇を噛みしめる。

 しかし、今は逡巡する時間すら惜しい。彼はここまで手を引いてきた同行者に向き直ると、その名を呼んだ。


 ――……様。…………ア様!


 しかし彼女には、青年の声が耳に入っていないようだ。何度呼んでも、その少女はある一点を見つめたまま、動こうとしない。

 一体何を見ているのか。彼がそう思った時、少女は一言つぶやいた。


 ――あれが、わたしのいた、お城ですか?


 城という言葉を聞いて、青年は少女の見つめている方角に目を向けた。

 山の木々の間から、あの城が見える。敵に攻められ燃える塔。あそこから、二人はここまで逃げてきたのだ。


 ――……はい。とにかく今は、私に付いてきて――。


 そこまで言って、彼は目を見開き、言葉を詰まらせた。


 笑っている。

 娘が声を出して笑っている。

 どうしてこの娘は、笑っているのだ。

 それも、こんなにも嬉しそうに。


 ――……そうですか。


 彼女は己の両手を月明かりに透かすようにかざすと、もう一度はるかにそびえる塔の火を見つめて、目を輝かせた。





 アルフェは困っていた。


 彼女の生活自体には、特に問題は無い。冒険者として、依頼もかなり順調にこなせるようになってきたし、このベルダンで彼女が知り合った人たちは皆優しい。危険な目に遭うことはあっても、それを自分の力で乗り越える生活は充実していた。

 アルフェが大公の娘であったことを知る者は、この町にはいない。今では、彼女がこの町に来る前のことが、全て夢だったのではないかと思うことさえある。

 しかし、一ヶ月ほど前に奇妙な女性が訪ねて来て、それが夢ではないことを告げていった。

 それは不思議な訪問だったが、その事はアルフェの困りごととは特に関係が無い。


 アルフェが住んでいる家は二階建ての一軒家で、彼女をこの町まで連れてきた従者のクラウスが用意したものだ。

 そこは正直言って、彼女が一人で使うには大きすぎる家だった。部屋がたくさん余っていて、彼女はそれを持て余していたのだ。リアナとリオンの姉弟を引き取った後、アルフェは二階の部屋の一つを、姉弟の寝室として割り当てた。

 そこまでは良い。


 そのことに対して、弟のリオンは無邪気にはしゃいだものの、姉のリアナの方がえらく恐縮してしまったのだ。


「あの、やっぱり、私も働きたいんです」


 ある日リアナは、アルフェに向かってそう言った。アルフェが今困っている事とは、ずばりそれである。

 元々近所でも出来た娘として評判だったリアナには、命の恩人のアルフェに、ただで養われている現在の状況が我慢できないようだ。だから自分も働いて金を稼ぎたい。リアナはそう主張するのだ。

 命の恩人と言われるのは面はゆいが、アルフェにも、リアナのその気持ちは分からなくもなかった。


 ――でも、働きたいといっても……。


 リアナは無職の父親と弟を養うために、様々なところで手伝いをしていた経験を持つ少女だ。とても利発で、率直に言って戦うことしか能の無いアルフェなどよりも、よほど仕事ができるだろう。

 リアナはまだ十歳であるが、このくらいの年齢で働きに出ることは、特に平民にとってはそれほど珍しいことではなかった。冒険者になろう、などと考える者は別として、だが。

 しかしだからと言って、リアナをどこかの店に奉公に出すのか。それでは彼女を引き取った意味が無い気がする。そこでアルフェはあるアイデアを思いついたのだ。


「それで私、思ったんです。お店を出そうって」

「また突然だな。いったい何を思ったって? ――あ、お代わり」


 アルフェ宅のリビングで、テオドールとマキアスがお茶を飲んでいる。この二人は、最近たまにこうやって訪ねてきては、他愛もない話をして帰って行く。

 マキアスのお代わりの催促に構わず、アルフェは続けた。


「この家を見て下さい」


 言われて青年たちは、部屋の中を見回した。


「個性的な内装だね」

「混沌ってやつだな。うちの妹は虫嫌いだから、これを見たらひっくり返るぜ」


 表現は多少違えど、二人の感想は一致していた。ジャイアントビートルの甲殻やソードスパイダーの前脚等々、彼らの目には、床に積み重ねられた謎の素材が映っている。アルフェは違うと言った。


「それのことを言っているのではありません」

「じゃあどれのことだよ」

「この家は、元々は何かのお店だったらしいのです」

「ああ、そう言えばカウンターなんかが有るね」


 テオドールがうなずいた。

 アルフェが言った通り、この家の一階部分は、かつては何かの店舗として使われていたようだ。販売用のカウンターなど、通常の民家には不要な設備が残っている。そこに今はテーブルを一つ置いて、無理矢理リビングとして使用している状態だ。


「リアナちゃんは、どこかのお店で働くつもりのようですが、私はあまり、外に出て欲しくはないんです。あんな思いをしたばかりですし……。リオン君だっていますし」

「まあ、その考えは分からなくもないな」

「ならいっそ、ここをお店にしてしまおうって思ったんです」

「それでそうなるのは、ちょっと分からないけどな」


 打てば響くようにマキアスが茶化すが、アルフェは真剣に、これを良いアイデアだと思っているのだ。この家が店になり、そこでリアナを雇う事ができれば、リアナの願いを叶えることも、アルフェの心配を解消することもできると。

 この間の遺跡調査の報奨金や、クラウスから送られてきた資金もある。今ならば、この一階に設備を入れて、店に改装するぐらいのことはできるだろう。


「本当に突拍子もないことを考えるよな、お前は。別にからかうつもりじゃないが、何の店をやるのか教えてくれよ。八百屋か?」

「からかってるじゃないですか……。お店の種類は検討中です」


 アルフェの言葉に、頬杖を突いていたマキアスが、大げさにがくりと頭を落とした。


「まだその段階かよ……。そんなんで上手くやれるわけがないだろうが。テオドールも何か言ってやれ」

「いや、私はそれほど悪くない考えだと思うよ」


 テオドールはアルフェの味方をした。こんなみすぼらしい民家に居るのに、彼がお茶を飲む仕草からは、やたらに気品が漂ってくる。


「さすがはテオドールさん。お代わりは要りますか?」

「俺のお代わりは無視したくせに……」


 アルフェはテオドールのカップに茶を注いだ後、一応マキアスの前にポットを置いた。ありがとうと微笑んでから、テオドールが言葉を続ける。


「アルフェさんは別に、大儲けしたいとか言ってるんじゃないだろう?」

「大儲けしたくないわけではないです」


 真顔でアルフェが答えた。


「……ま、まあ、それは置いておいてだ。ここは冒険者組合にも近い。人通りも少なくないし、雑貨屋か何かを開けば、十分やっていけるんじゃないか?」

「確かに、立地は悪くないけどさ。何を売りたいかすら分からないんじゃ、店になんないだろ。世の中そんなに甘くないと思うぜ?」


 続いてマキアスは、アルフェにとって痛いところを突いた。


「大体お前、客商売なんてしたことないだろ」

「む……、まあ、そうですが」

「無計画に店なんか持ったって、絶対失敗する。――どうしてもって言うならさ、ちゃんと色々勉強してからにしろよ」

「そうだね、それは私も同感だ。焦ることはないだろう? アルフェさん」

「……分かりました」


 二人の意見はもっともである。いい思いつきだと思って、浮かれ過ぎていたのかもしれない。少し冷静さを取り戻したアルフェだった。



「で? 俺の所に聴きに来たってのか」


 冒険者組合のカウンターで、書類を見ながらアルフェの話を聞いているのは、組合の受付のタルボットだ。


「そういうのは、俺の仕事じゃねぇと思うんだがなぁ……」

「そう仰らずに、何か良いアイデアはないでしょうか」

「う~ん、あえて意見を出せっつうんなら、一つしか思い浮かばねぇな」

「何ですか?」

「簡単だよ、お前が採ってきたものを売ればいいじゃねえか」


 そう言いながら、タルボットはアルフェを指さした。


「お前は最近、あっちこっちでいろんなものを採ってきてる。こういう言い方はあれだが、あれだけ安定して供給できるなら、組合に買い取ってもらうよりも、直接客に売りつけた方が儲けになると思うぜ。薬草とかなら冒険者にだって売れるだろ」


 タルボットの意見はこうだった。なるほど、それはいい考えかも知れない。


「確かにそうですね……。私が商品を仕入れて、リアナちゃんにお店番をしてもらえば……」

「俺も少しくらいは宣伝してやってもいい。お前には世話になってるからな」


 その形ならば、上手くいくのではないだろうか。アルフェがそう考えたところに、タルボットの後ろにいた組合職員が声を出した。


「タルボットさん、ダメっすよ」

「ん? 何がダメだって?」

「この町で店出すなら、商会に認可状もらわないと」

「あ、あ~、そうだな。そうだった」


 忘れていたという風に、タルボットが自分の禿げた頭をぴしゃりと叩く。


「認可状、ですか?」

「そうなんだな……、この町で新しく店を出す時は、担当のギルドの許可が要る。お前の店は素材屋……、いや、雑貨屋か? まあどっちにしても、商会所の管轄だ」

「ギルド……」


 アルフェが今いる冒険者組合も、ギルドと呼ばれる同職組合の一つだ。当然、都市に存在するギルドは冒険者組合だけではない。鍛冶屋のギルド、錬金術士のギルド、パン屋のギルド、何なら乞食のギルドまで、都市にはあらゆるギルドが存在していた。

 アルフェがやろうとしていることを考えると、それは商会所――すなわち商人ギルドの管理下にある。出店には、彼らの許可が必要だというのだ。タルボットは腕を組み、首をひねった。


「そうかぁ、それ考えると、ちょっと難しいなぁ……」

「なぜですか?」


 許可が要るなら、許可を取ればいいだけではなかろうか。アルフェはそう考えた。


「あそこは、身元の怪しいやつに厳しいから……」

「う」

「そもそも、後見人もいない若い娘が、名前書いたくらいで登録できるギルドは、うちぐらいしかないんだよなぁ」

「うう」


 アルフェがうめき声を上げる。確かに彼女の素性は怪しい。それを言われると、否定できない。


「もちろん、コネでもありゃあ別だぜ」

「……コネ? 何ですか? それは」

「この町に、有力者の知り合いでもいないかって――、すまん、悪かった。いるわけないな」


 失礼な物言いだが、事実だ。カウンターに突っ伏してむくれたアルフェに、さっきから面白そうに話を聞いていた職員が声をかけた。


「またまた。『有力者』なら、ここにいるじゃないっすか、タルボットさん」

「え? どなたですか?」


 アルフェががばっと身を起こす。


「アルフェちゃんの目の前だよ。ね、冒険者ギルドのギルドマスター」

「うるせぇ」


 そう言って、タルボットが職員を小突いた。


「ギルドマスター? タルボットさんが?」

「そうさ、何とこの人は冒険者ギルドのマスターにして、『市議会議員』様なんだ。ただの禿げたオッサンじゃないんだぜ。……あ、すんません。調子乗ってました……」


 さすがに言い過ぎたと悟ったのか、それともタルボットの鬼の形相に恐れをなしたのか、職員はすごすごと奥の部屋に引っ込んでいった。

 それにしても、市議会議員とは。

 この都市ベルダンの市議会は、慣習的にそれぞれのギルド長が議員を務める。タルボットが冒険者ギルドのマスターだというならば、確かに彼は市議会議員である。もちろんアルフェは、そこまでの事情は知らなかったが、それでも彼がこの町の有力者の一人だということは、彼女にも理解できた。


「確かにそうなんだが……、俺に期待するなよ? うちは商会と……、何だ、伝統的にそりが合わなくってな」


 期待を込めたアルフェの視線を受けて、煮え切らない表情でタルボットが言い訳をする。奥に引っ込んだ職員が顔だけ出して、うちが商会に頭が上がらないだけっすよ、と言い、再びタルボットに追い返された。

 しばらくの沈黙の後、タルボットはばつが悪そうに、というわけでと切り出した。


「協力してやりたいのはやまやまだけどな、商会の件は、俺をあてにしないでくれ」

「……分かりました」


 もし店を出せた時は、その時こそ手伝うとタルボットは約束した。ではあるものの、落胆の色を隠せず、アルフェは冒険者組合を出た。

 自分の店を出す。せっかく良いアイデアだと思ったのに、なかなかうまくいかないものだ。

 アルフェは残念な気分になりながら、久々に市場まで足を延ばしていた。ああは言われたが、店を持つという考えが彼女の頭から離れない。せめて、町にどんな店があるかを参考にしたかったのだ。

 ベルダンの市場は、今日も変わらぬ賑わいを見せている。この通りの周辺には、居抜きの店舗以外にも、たくさんの屋台が出ていた。

 肉屋、服屋、花屋に薬屋。こうして改めて見ると、実に様々な種類の店があるものだ。その全てが、何かのギルドの許可をもらって営業しているのだろう。


 ――やっぱり今までの様に、リアナちゃんにはお留守番をしてもらった方が……。


 リアナは悲しむかもしれないが、彼女の安全を考えれば、その方がいい。そんなことを考えていると、アルフェはとても珍しいものを見た。


「あれは……」


 思わず口から声が出たほどだ。何と市場の一角から、彼女のお師匠様――コンラッドが女性連れで出てきたのだ。

 いや、女性を連れてとは語弊があった。コンラッドは大量の荷物を抱えて、女性の後に付いている。どう見ても荷物持ちをさせられている格好だ。それよりも、アルフェにはあの、つり目がちの美女の顔に見覚えがあった。


 ――大家さん?


 コンラッドと一緒にいるのは、いつか道場で見かけたあの女性だ。

 荷物を抱えるコンラッドは、いつもどおりの眉間に皺が寄った表情をしているが、大家の方はとても楽しそうである。彼女は溢れんばかりの笑顔を見せて、コンラッドを連れまわしていた。

 先日道場で、家賃をためたコンラッドを叱責していた時の彼女とは、まるで別人のようだ。


「……む」


 その様子に、何となくアルフェは声を掛けるのをためらった。


「お師匠様にも、懇意にしてもらえる女性がいたのですね……」


 人は見かけによらないものだ。コンラッドたちが去った後も、アルフェは唖然として見送っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ