26.お店を作ろう
夜空に星が見える。降っていた雪は、もうやんだのか。
闇に覆われた石造りの通路を抜けて、彼らがたどり着いたのは山腹の森の中だった。
――……ここまで来れば、ひとまず追って来ないか。
左手に抜き身の剣を持っていた青年は、周囲を見回してつぶやいた。剣を鞘に収めようとしたところで、彼は改めて、刀身に付いた血をじっと見つめた。
――……俺は、どうしてこんなことを。
柄を握る手に力を込めて、青年は唇を噛みしめる。
しかし、今は逡巡する時間すら惜しい。彼はここまで手を引いてきた同行者に向き直ると、その名を呼んだ。
――……様。…………ア様!
しかし彼女には、青年の声が耳に入っていないようだ。何度呼んでも、その少女はある一点を見つめたまま、動こうとしない。
一体何を見ているのか。彼がそう思った時、少女は一言つぶやいた。
――あれが、わたしのいた、お城ですか?
城という言葉を聞いて、青年は少女の見つめている方角に目を向けた。
山の木々の間から、あの城が見える。敵に攻められ燃える塔。あそこから、二人はここまで逃げてきたのだ。
――……はい。とにかく今は、私に付いてきて――。
そこまで言って、彼は目を見開き、言葉を詰まらせた。
笑っている。
娘が声を出して笑っている。
どうしてこの娘は、笑っているのだ。
それも、こんなにも嬉しそうに。
――……そうですか。
彼女は己の両手を月明かりに透かすようにかざすと、もう一度はるかにそびえる塔の火を見つめて、目を輝かせた。
◆
アルフェは困っていた。
彼女の生活自体には、特に問題は無い。冒険者として、依頼もかなり順調にこなせるようになってきたし、このベルダンで彼女が知り合った人たちは皆優しい。危険な目に遭うことはあっても、それを自分の力で乗り越える生活は充実していた。
アルフェが大公の娘であったことを知る者は、この町にはいない。今では、彼女がこの町に来る前のことが、全て夢だったのではないかと思うことさえある。
しかし、一ヶ月ほど前に奇妙な女性が訪ねて来て、それが夢ではないことを告げていった。
それは不思議な訪問だったが、その事はアルフェの困りごととは特に関係が無い。
アルフェが住んでいる家は二階建ての一軒家で、彼女をこの町まで連れてきた従者のクラウスが用意したものだ。
そこは正直言って、彼女が一人で使うには大きすぎる家だった。部屋がたくさん余っていて、彼女はそれを持て余していたのだ。リアナとリオンの姉弟を引き取った後、アルフェは二階の部屋の一つを、姉弟の寝室として割り当てた。
そこまでは良い。
そのことに対して、弟のリオンは無邪気にはしゃいだものの、姉のリアナの方がえらく恐縮してしまったのだ。
「あの、やっぱり、私も働きたいんです」
ある日リアナは、アルフェに向かってそう言った。アルフェが今困っている事とは、ずばりそれである。
元々近所でも出来た娘として評判だったリアナには、命の恩人のアルフェに、ただで養われている現在の状況が我慢できないようだ。だから自分も働いて金を稼ぎたい。リアナはそう主張するのだ。
命の恩人と言われるのは面はゆいが、アルフェにも、リアナのその気持ちは分からなくもなかった。
――でも、働きたいといっても……。
リアナは無職の父親と弟を養うために、様々なところで手伝いをしていた経験を持つ少女だ。とても利発で、率直に言って戦うことしか能の無いアルフェなどよりも、よほど仕事ができるだろう。
リアナはまだ十歳であるが、このくらいの年齢で働きに出ることは、特に平民にとってはそれほど珍しいことではなかった。冒険者になろう、などと考える者は別として、だが。
しかしだからと言って、リアナをどこかの店に奉公に出すのか。それでは彼女を引き取った意味が無い気がする。そこでアルフェはあるアイデアを思いついたのだ。
「それで私、思ったんです。お店を出そうって」
「また突然だな。いったい何を思ったって? ――あ、お代わり」
アルフェ宅のリビングで、テオドールとマキアスがお茶を飲んでいる。この二人は、最近たまにこうやって訪ねてきては、他愛もない話をして帰って行く。
マキアスのお代わりの催促に構わず、アルフェは続けた。
「この家を見て下さい」
言われて青年たちは、部屋の中を見回した。
「個性的な内装だね」
「混沌ってやつだな。うちの妹は虫嫌いだから、これを見たらひっくり返るぜ」
表現は多少違えど、二人の感想は一致していた。ジャイアントビートルの甲殻やソードスパイダーの前脚等々、彼らの目には、床に積み重ねられた謎の素材が映っている。アルフェは違うと言った。
「それのことを言っているのではありません」
「じゃあどれのことだよ」
「この家は、元々は何かのお店だったらしいのです」
「ああ、そう言えばカウンターなんかが有るね」
テオドールがうなずいた。
アルフェが言った通り、この家の一階部分は、かつては何かの店舗として使われていたようだ。販売用のカウンターなど、通常の民家には不要な設備が残っている。そこに今はテーブルを一つ置いて、無理矢理リビングとして使用している状態だ。
「リアナちゃんは、どこかのお店で働くつもりのようですが、私はあまり、外に出て欲しくはないんです。あんな思いをしたばかりですし……。リオン君だっていますし」
「まあ、その考えは分からなくもないな」
「ならいっそ、ここをお店にしてしまおうって思ったんです」
「それでそうなるのは、ちょっと分からないけどな」
打てば響くようにマキアスが茶化すが、アルフェは真剣に、これを良いアイデアだと思っているのだ。この家が店になり、そこでリアナを雇う事ができれば、リアナの願いを叶えることも、アルフェの心配を解消することもできると。
この間の遺跡調査の報奨金や、クラウスから送られてきた資金もある。今ならば、この一階に設備を入れて、店に改装するぐらいのことはできるだろう。
「本当に突拍子もないことを考えるよな、お前は。別にからかうつもりじゃないが、何の店をやるのか教えてくれよ。八百屋か?」
「からかってるじゃないですか……。お店の種類は検討中です」
アルフェの言葉に、頬杖を突いていたマキアスが、大げさにがくりと頭を落とした。
「まだその段階かよ……。そんなんで上手くやれるわけがないだろうが。テオドールも何か言ってやれ」
「いや、私はそれほど悪くない考えだと思うよ」
テオドールはアルフェの味方をした。こんなみすぼらしい民家に居るのに、彼がお茶を飲む仕草からは、やたらに気品が漂ってくる。
「さすがはテオドールさん。お代わりは要りますか?」
「俺のお代わりは無視したくせに……」
アルフェはテオドールのカップに茶を注いだ後、一応マキアスの前にポットを置いた。ありがとうと微笑んでから、テオドールが言葉を続ける。
「アルフェさんは別に、大儲けしたいとか言ってるんじゃないだろう?」
「大儲けしたくないわけではないです」
真顔でアルフェが答えた。
「……ま、まあ、それは置いておいてだ。ここは冒険者組合にも近い。人通りも少なくないし、雑貨屋か何かを開けば、十分やっていけるんじゃないか?」
「確かに、立地は悪くないけどさ。何を売りたいかすら分からないんじゃ、店になんないだろ。世の中そんなに甘くないと思うぜ?」
続いてマキアスは、アルフェにとって痛いところを突いた。
「大体お前、客商売なんてしたことないだろ」
「む……、まあ、そうですが」
「無計画に店なんか持ったって、絶対失敗する。――どうしてもって言うならさ、ちゃんと色々勉強してからにしろよ」
「そうだね、それは私も同感だ。焦ることはないだろう? アルフェさん」
「……分かりました」
二人の意見はもっともである。いい思いつきだと思って、浮かれ過ぎていたのかもしれない。少し冷静さを取り戻したアルフェだった。
「で? 俺の所に聴きに来たってのか」
冒険者組合のカウンターで、書類を見ながらアルフェの話を聞いているのは、組合の受付のタルボットだ。
「そういうのは、俺の仕事じゃねぇと思うんだがなぁ……」
「そう仰らずに、何か良いアイデアはないでしょうか」
「う~ん、あえて意見を出せっつうんなら、一つしか思い浮かばねぇな」
「何ですか?」
「簡単だよ、お前が採ってきたものを売ればいいじゃねえか」
そう言いながら、タルボットはアルフェを指さした。
「お前は最近、あっちこっちでいろんなものを採ってきてる。こういう言い方はあれだが、あれだけ安定して供給できるなら、組合に買い取ってもらうよりも、直接客に売りつけた方が儲けになると思うぜ。薬草とかなら冒険者にだって売れるだろ」
タルボットの意見はこうだった。なるほど、それはいい考えかも知れない。
「確かにそうですね……。私が商品を仕入れて、リアナちゃんにお店番をしてもらえば……」
「俺も少しくらいは宣伝してやってもいい。お前には世話になってるからな」
その形ならば、上手くいくのではないだろうか。アルフェがそう考えたところに、タルボットの後ろにいた組合職員が声を出した。
「タルボットさん、ダメっすよ」
「ん? 何がダメだって?」
「この町で店出すなら、商会に認可状もらわないと」
「あ、あ~、そうだな。そうだった」
忘れていたという風に、タルボットが自分の禿げた頭をぴしゃりと叩く。
「認可状、ですか?」
「そうなんだな……、この町で新しく店を出す時は、担当のギルドの許可が要る。お前の店は素材屋……、いや、雑貨屋か? まあどっちにしても、商会所の管轄だ」
「ギルド……」
アルフェが今いる冒険者組合も、ギルドと呼ばれる同職組合の一つだ。当然、都市に存在するギルドは冒険者組合だけではない。鍛冶屋のギルド、錬金術士のギルド、パン屋のギルド、何なら乞食のギルドまで、都市にはあらゆるギルドが存在していた。
アルフェがやろうとしていることを考えると、それは商会所――すなわち商人ギルドの管理下にある。出店には、彼らの許可が必要だというのだ。タルボットは腕を組み、首をひねった。
「そうかぁ、それ考えると、ちょっと難しいなぁ……」
「なぜですか?」
許可が要るなら、許可を取ればいいだけではなかろうか。アルフェはそう考えた。
「あそこは、身元の怪しいやつに厳しいから……」
「う」
「そもそも、後見人もいない若い娘が、名前書いたくらいで登録できるギルドは、うちぐらいしかないんだよなぁ」
「うう」
アルフェがうめき声を上げる。確かに彼女の素性は怪しい。それを言われると、否定できない。
「もちろん、コネでもありゃあ別だぜ」
「……コネ? 何ですか? それは」
「この町に、有力者の知り合いでもいないかって――、すまん、悪かった。いるわけないな」
失礼な物言いだが、事実だ。カウンターに突っ伏してむくれたアルフェに、さっきから面白そうに話を聞いていた職員が声をかけた。
「またまた。『有力者』なら、ここにいるじゃないっすか、タルボットさん」
「え? どなたですか?」
アルフェががばっと身を起こす。
「アルフェちゃんの目の前だよ。ね、冒険者ギルドのギルドマスター」
「うるせぇ」
そう言って、タルボットが職員を小突いた。
「ギルドマスター? タルボットさんが?」
「そうさ、何とこの人は冒険者ギルドのマスターにして、『市議会議員』様なんだ。ただの禿げたオッサンじゃないんだぜ。……あ、すんません。調子乗ってました……」
さすがに言い過ぎたと悟ったのか、それともタルボットの鬼の形相に恐れをなしたのか、職員はすごすごと奥の部屋に引っ込んでいった。
それにしても、市議会議員とは。
この都市ベルダンの市議会は、慣習的にそれぞれのギルド長が議員を務める。タルボットが冒険者ギルドのマスターだというならば、確かに彼は市議会議員である。もちろんアルフェは、そこまでの事情は知らなかったが、それでも彼がこの町の有力者の一人だということは、彼女にも理解できた。
「確かにそうなんだが……、俺に期待するなよ? うちは商会と……、何だ、伝統的にそりが合わなくってな」
期待を込めたアルフェの視線を受けて、煮え切らない表情でタルボットが言い訳をする。奥に引っ込んだ職員が顔だけ出して、うちが商会に頭が上がらないだけっすよ、と言い、再びタルボットに追い返された。
しばらくの沈黙の後、タルボットはばつが悪そうに、というわけでと切り出した。
「協力してやりたいのはやまやまだけどな、商会の件は、俺をあてにしないでくれ」
「……分かりました」
もし店を出せた時は、その時こそ手伝うとタルボットは約束した。ではあるものの、落胆の色を隠せず、アルフェは冒険者組合を出た。
自分の店を出す。せっかく良いアイデアだと思ったのに、なかなかうまくいかないものだ。
アルフェは残念な気分になりながら、久々に市場まで足を延ばしていた。ああは言われたが、店を持つという考えが彼女の頭から離れない。せめて、町にどんな店があるかを参考にしたかったのだ。
ベルダンの市場は、今日も変わらぬ賑わいを見せている。この通りの周辺には、居抜きの店舗以外にも、たくさんの屋台が出ていた。
肉屋、服屋、花屋に薬屋。こうして改めて見ると、実に様々な種類の店があるものだ。その全てが、何かのギルドの許可をもらって営業しているのだろう。
――やっぱり今までの様に、リアナちゃんにはお留守番をしてもらった方が……。
リアナは悲しむかもしれないが、彼女の安全を考えれば、その方がいい。そんなことを考えていると、アルフェはとても珍しいものを見た。
「あれは……」
思わず口から声が出たほどだ。何と市場の一角から、彼女のお師匠様――コンラッドが女性連れで出てきたのだ。
いや、女性を連れてとは語弊があった。コンラッドは大量の荷物を抱えて、女性の後に付いている。どう見ても荷物持ちをさせられている格好だ。それよりも、アルフェにはあの、つり目がちの美女の顔に見覚えがあった。
――大家さん?
コンラッドと一緒にいるのは、いつか道場で見かけたあの女性だ。
荷物を抱えるコンラッドは、いつもどおりの眉間に皺が寄った表情をしているが、大家の方はとても楽しそうである。彼女は溢れんばかりの笑顔を見せて、コンラッドを連れまわしていた。
先日道場で、家賃をためたコンラッドを叱責していた時の彼女とは、まるで別人のようだ。
「……む」
その様子に、何となくアルフェは声を掛けるのをためらった。
「お師匠様にも、懇意にしてもらえる女性がいたのですね……」
人は見かけによらないものだ。コンラッドたちが去った後も、アルフェは唖然として見送っていた。




