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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第五章 第七節
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247.LYCANTHROPE

「ロバートさん、少しいいかい」


 そう言いながら扉を開けて入ってきたのは、息を切らせた農民の男だった。見た感じ、表にも何人か立って居るようだ。

 ロバートというのは誰の事だろうか。マキアスはそう思いかけて、さっきクレディが、この村ではロバートと名乗っていると言った事を思いだした。クレディは入り口際に移動し、男たちと会話を始めた。


「どうしたんだ?」

「また魔物除けの罠が壊されてたんだ」

「また? 一昨日直したばかりだろう」

「うん。それでやっぱり、何かいつもと違う奴がいるんじゃないかって、こいつらと話してたんだ」

「デボラの婆さんが見たって奴か」

「そうそう」

「ちょっと待っててくれ」


 男たちとの会話を中断すると、クレディはマキアスの方を振り向いた。


「すまないマキアス、少し用事ができた。話の続きは後でいいか?」

「……ああ」


 マキアスは頷いた。

 マキアスがクレディに聞きたいことは、もう全て聞いた。だからマキアスとしては、このタイミングで村から去るという選択肢も有ったのだが、クレディたちが話しているのが、どうやら魔物の事らしいので、そうしたのだ。


「すぐに戻る」


 クレディはそう言って、男たちとどこかに行った。

 二人きりになると、カタリナが不安そうに、マキアスに声をかけてきた。


「……隊長」

「ああ、そうだな。魔物が出たみたいだ」

「どうするつもりなんですか?」

「そうだな……」


 クレディたちが去った扉を見ながら、マキアスはつぶやいた。この村の魔物は、マキアスの任務とは直接関係が無い。だが、そもそもの神殿騎士の責務は、民の暮らしの安寧を守る事である。それにこんな時、あの娘ならこう言うに違いない。


「見過ごす事はできない」

「でも、あの人は、敵ですけれど」


 その意見が、いつも暢気な副官の言ったものとしては、少し意外な気がしたので、マキアスはカタリナを振り返った。


「そうかもしれないが、村の奴らは違うだろ。俺たちは神殿騎士だ。本来の仕事も、忘れちゃいけないさ。……どうだ?」


 マキアスの声は優しかった。なんだかんだ、自分はカタリナを、自分の都合で振り回している。マキアスには、そういう後ろめたさがあったからだ。

 この任務はヴォルクスから命じられたもので、カタリナがマキアスに同行しているのも、同じくヴォルクスの命令なのだが、マキアスにとっては、究極的には己のためにやっている意識が、頭のどこかにある。


「クレディたちで解決できるなら、それで問題無い。だけど、俺たちの手が必要そうなら、手を貸してやろう」

「…………はい」


 カタリナは、マキアスの言葉を真剣な表情で聞いていたが、最終的には、彼女はいつもの明るい笑顔を、マキアスに見せた。


 クレディと村人たちの様子を、マキアスたちも表に出て見てみる事にした。鶏を遊ばせている村の広場には、クレディを迎えに来た男たちを含めて、十四、五人の男たちが集まっていた。この村で動ける男は、これで全部のようだ。

 男たちは、魔物への対策について、ああでもないこうでもないと話し合っていた。


「罠を壊せるなんて、それなりに頭のいい魔物だ。ゴブリンでも出たかな?」

「違うと思う。罠は、爪か何かで滅茶苦茶に壊されてた」

「爪……? ロバートはどう思う?」


 男たちの注目が、クレディに集まった。クレディはさっき、自身の事を村人からよそ者扱いされていたと言ったが、彼は案外信用されているようだ。まあ、クレディよりもこの村で戦える人間など存在しないだろうから、話が魔物の事だけに、自然とそうなるのかもしれないが。


「実際見てみないと、ちょっと分からんな。一番近い罠の場所まで行ってみよう。……マキアス、お前も来てくれるか?」


 離れた場所からマキアスが眺めているのに気付いて、クレディは彼に声をかけた。

 マキアスは頷いた。


 魔物除けの罠は、魔物を仕留めて殺すというより、かかった魔物に、魔物が嫌う香草の汁などを浴びせかけて、二度とそこに近寄らせない事を目的としたものだった。そうした罠が村の周囲を取り囲むように設置されていて、弱い魔物相手なら、それでも十分に効果があるという話である。

 今回現れた魔物はゴブリンのような小物ではなく、かなり大きな種族のようだ。マキアスもクレディと一緒に確かめたが、爪痕から想像する魔物の手は、人間の頭くらいなら鷲掴みにできそうだった。

 破壊された罠の隣にしゃがみ込んで、クレディとマキアスは囁き合った。


「今は近くに居ないみたいだな」

「ああ」


 神殿騎士として、マキアスには邪悪な魔物を探知する技能がある。しかしその感覚に、今は何も引っかかっていない。クレディの方は昔取った杵柄で、爪痕や周囲の地面のへこみから分析して、相手がどこに去ったかを読み取っているようだ。

 そして二人とも、この罠を破壊した魔物の種類を、既に理解していた。


「人狼……」


 クレディは村人に聞こえない声でつぶやき、唇を噛んだ。

 彼の言う通り、この爪痕は間違い無く人狼のものである。人間のように直立する、巨大な狼。攻撃的で、人間を含めた他の生物を積極的に襲う。人狼に壊滅させられた開拓村の話は、毎年のように耳にする。

 実際に遭遇した事は無いが、高脅威度の魔物の一種として、マキアスも訓練所で特徴だけは教わった。


「人狼の鼻には、この臭いはきつかったはずだ」


 クレディは言った。罠が破壊された跡には、香草の汁がぶちまけられていた。マキアスたちの鼻にさえ、かなり匂う。人間よりもずっと優れた嗅覚を持つ人狼なら、なおさらである。


「じゃあ、これで村には近寄らないか?」

「そうあって欲しいが……。だが、どうしてこんな場所に人狼が? 辺境と言ったって、ここは帝都の大結界のすぐ近くなのに。俺があの村に来てから今まで、こんな強力な魔物が出たことは無い」


 クレディは自問している。しかし今は、人狼がここまで流れてきた経緯を探るよりも、優先して考えるべき事がある。マキアスは、彼の思考を遮った。


「最悪、この人狼と戦闘になったとしたら、村の戦力で足りるか?」

「……足りないな。足りなすぎる」

「クレディ、あんたは勝てるか?」

「実際に、どれほどの個体かによるが……」


 クレディの顔は、分からないという表情だ。


「このまま去ってくれるなら、それに越したことは無い」


 クレディは、破壊された罠からたどるように、一定方向に向かって地面を眺めている。かつて裏の仕事に携わってきた彼には、きっと人狼の足跡が見えているのだろう。

 マキアスは、クレディのつぶやきが単なる彼の希望でしかない事を知っていた。

 魔物の行動を人間に推し量る事はできないが、嵐が過ぎ去るのを待つように、この災厄が通り過ぎるのをじっと待ったところで、本当に居なくなるとは限らないのだ。


 結局、クレディは村人たちに、村の周りをうろついているのが人狼であるとは明かさなかった。それだけでなく、魔物除けの罠にかかった事で、魔物は遠くへ逃げたはずだと彼は言った。

 そんなものは、その場しのぎの嘘に過ぎないのに。マキアスは、クレディがそう言った理由を考えていた。

 村に戻ると、既に日は傾いていた。


「遅くなったな。マキアス、今日は泊まっていくか? もしそうするなら、村の外れに、倉庫に使ってる空き家がある。ちょっと片付ければ、一泊くらいはできるだろ」

「そうだな……じゃあ、そうさせてもらうよ」


 今から馬を走らせるのは、できれば避けたい。テントでもなく、クレディの家に泊まるというのでもなければ、カタリナも文句は言わないだろう。マキアスはそう考えた。



「結構綺麗じゃないか」


 マキアスはその感想を、カタリナにも同意を求めるようにつぶやいた。

 彼らにあてがわれた空き家には、別に蜘蛛の巣なども張っていなかった。予備の農具や種籾が積まれているが、それらを少しどかせば、寝るだけの空間はすぐに確保できそうだ。


「あの人は、どうするつもりなんでしょうか、隊長」


 寝床を用意し、簡素な夕食を済ませた後、カタリナがマキアスに問いかけてきた。あの人――つまりクレディは、村人に人狼の事を伝えず、何をするつもりなのかということだ。

 マキアスは、逆にカタリナに聞いた。


「どうするつもりだと思う?」

「う~ん……。多分ですけど……」

「ああ」

「一人で、戦うつもりなんじゃないかと」

「だろうな」


 マキアスもそれを思っていた。

 破壊された罠の痕跡を見ていたクレディの目は、人狼の行き先を追っていた。そしてあの男は、自分がもはや騎士ではないとうそぶいていたが、それでも未だに、騎士の誇りを捨てていない。ならば、導き出される結論は一つしか無い。


「じゃあ、寝るか。お前もちゃんと寝とけよ?」

「へ?」


 話の流れを無視して、マキアスが寝袋に潜り込もうとすると、カタリナが素っ頓狂な声を出した。


「隊長?」

「お休み」


 そう言うと、マキアスはカタリナに背を向けた。



 まだ日の昇りきらない翌早朝、村の中を一つの人影が動き出していた。ある家から出てきたその人影は、腰に長剣の鞘を帯びている。旅支度のような服装で、足元も革のブーツでしっかりと固めてあった。

 その人影の正体はクレディである。クレディは村の外れまで来ると、一度立ち止まって村全体を見渡してから、再び振り返って歩き出した。

 

 クレディは、一人で人狼の始末を付けるつもりだった。

 弱い魔物なら、村人だけでなんとかなっても、人狼となると話が違う。何の戦闘訓練も受けていない人間が束になってかかったところで、いたずらに犠牲を増やすだけだ。ならばこうするのが、最も騎士の誓いに適っている。

 よそ者を受け入れて、五年も暮らさせてもらった恩を返す、良い機会だ。負けるかもしれないが、それこそちょうど村を訪れた若い騎士が、彼の骨を拾ってくれるだろう。


 しかし、畑を横切り、クレディが森の中に入ろうとすると、その前に誰かが待っていた。


「……! マキアス……」

「一緒に行っていいか?」


 クレディは目を見張ったが、どこかでこうなるという気もしていた。

 マキアスに声をかけなかったのは、クレディ自身のもう一つの事情もあったからだ。しかし心のどこかで、マキアスはきっと、自分の行動を察して助太刀してくれるだろうとも思っていた。

 ありがとうと言うのも妙な気がしたので、クレディはマキアスの周囲を見た。


「……あのお姉ちゃんは?」

「まだ寝てる…………と思ったが、あそこに居るな……」


 マキアスが顔を向けた先には、カタリナが木の陰に隠れていた。

 マキアスも、カタリナを眠らせたまま置いて行くつもりだったが、クレディと同じで、どうにも格好を付けきれない。


「クレディ、案内を頼む」


 マキアスは少し笑顔を見せてから、森の方を向いた。彼はカタリナには声をかけず、そのまま付いて来させる気のようだ。

 そして、ここまで来た以上、クレディもマキアスに帰れとは言わなかった。二人は、そして遅れてカタリナは、鬱蒼とした森の中に足を踏み入れた。

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