247.LYCANTHROPE
「ロバートさん、少しいいかい」
そう言いながら扉を開けて入ってきたのは、息を切らせた農民の男だった。見た感じ、表にも何人か立って居るようだ。
ロバートというのは誰の事だろうか。マキアスはそう思いかけて、さっきクレディが、この村ではロバートと名乗っていると言った事を思いだした。クレディは入り口際に移動し、男たちと会話を始めた。
「どうしたんだ?」
「また魔物除けの罠が壊されてたんだ」
「また? 一昨日直したばかりだろう」
「うん。それでやっぱり、何かいつもと違う奴がいるんじゃないかって、こいつらと話してたんだ」
「デボラの婆さんが見たって奴か」
「そうそう」
「ちょっと待っててくれ」
男たちとの会話を中断すると、クレディはマキアスの方を振り向いた。
「すまないマキアス、少し用事ができた。話の続きは後でいいか?」
「……ああ」
マキアスは頷いた。
マキアスがクレディに聞きたいことは、もう全て聞いた。だからマキアスとしては、このタイミングで村から去るという選択肢も有ったのだが、クレディたちが話しているのが、どうやら魔物の事らしいので、そうしたのだ。
「すぐに戻る」
クレディはそう言って、男たちとどこかに行った。
二人きりになると、カタリナが不安そうに、マキアスに声をかけてきた。
「……隊長」
「ああ、そうだな。魔物が出たみたいだ」
「どうするつもりなんですか?」
「そうだな……」
クレディたちが去った扉を見ながら、マキアスはつぶやいた。この村の魔物は、マキアスの任務とは直接関係が無い。だが、そもそもの神殿騎士の責務は、民の暮らしの安寧を守る事である。それにこんな時、あの娘ならこう言うに違いない。
「見過ごす事はできない」
「でも、あの人は、敵ですけれど」
その意見が、いつも暢気な副官の言ったものとしては、少し意外な気がしたので、マキアスはカタリナを振り返った。
「そうかもしれないが、村の奴らは違うだろ。俺たちは神殿騎士だ。本来の仕事も、忘れちゃいけないさ。……どうだ?」
マキアスの声は優しかった。なんだかんだ、自分はカタリナを、自分の都合で振り回している。マキアスには、そういう後ろめたさがあったからだ。
この任務はヴォルクスから命じられたもので、カタリナがマキアスに同行しているのも、同じくヴォルクスの命令なのだが、マキアスにとっては、究極的には己のためにやっている意識が、頭のどこかにある。
「クレディたちで解決できるなら、それで問題無い。だけど、俺たちの手が必要そうなら、手を貸してやろう」
「…………はい」
カタリナは、マキアスの言葉を真剣な表情で聞いていたが、最終的には、彼女はいつもの明るい笑顔を、マキアスに見せた。
クレディと村人たちの様子を、マキアスたちも表に出て見てみる事にした。鶏を遊ばせている村の広場には、クレディを迎えに来た男たちを含めて、十四、五人の男たちが集まっていた。この村で動ける男は、これで全部のようだ。
男たちは、魔物への対策について、ああでもないこうでもないと話し合っていた。
「罠を壊せるなんて、それなりに頭のいい魔物だ。ゴブリンでも出たかな?」
「違うと思う。罠は、爪か何かで滅茶苦茶に壊されてた」
「爪……? ロバートはどう思う?」
男たちの注目が、クレディに集まった。クレディはさっき、自身の事を村人からよそ者扱いされていたと言ったが、彼は案外信用されているようだ。まあ、クレディよりもこの村で戦える人間など存在しないだろうから、話が魔物の事だけに、自然とそうなるのかもしれないが。
「実際見てみないと、ちょっと分からんな。一番近い罠の場所まで行ってみよう。……マキアス、お前も来てくれるか?」
離れた場所からマキアスが眺めているのに気付いて、クレディは彼に声をかけた。
マキアスは頷いた。
魔物除けの罠は、魔物を仕留めて殺すというより、かかった魔物に、魔物が嫌う香草の汁などを浴びせかけて、二度とそこに近寄らせない事を目的としたものだった。そうした罠が村の周囲を取り囲むように設置されていて、弱い魔物相手なら、それでも十分に効果があるという話である。
今回現れた魔物はゴブリンのような小物ではなく、かなり大きな種族のようだ。マキアスもクレディと一緒に確かめたが、爪痕から想像する魔物の手は、人間の頭くらいなら鷲掴みにできそうだった。
破壊された罠の隣にしゃがみ込んで、クレディとマキアスは囁き合った。
「今は近くに居ないみたいだな」
「ああ」
神殿騎士として、マキアスには邪悪な魔物を探知する技能がある。しかしその感覚に、今は何も引っかかっていない。クレディの方は昔取った杵柄で、爪痕や周囲の地面のへこみから分析して、相手がどこに去ったかを読み取っているようだ。
そして二人とも、この罠を破壊した魔物の種類を、既に理解していた。
「人狼……」
クレディは村人に聞こえない声でつぶやき、唇を噛んだ。
彼の言う通り、この爪痕は間違い無く人狼のものである。人間のように直立する、巨大な狼。攻撃的で、人間を含めた他の生物を積極的に襲う。人狼に壊滅させられた開拓村の話は、毎年のように耳にする。
実際に遭遇した事は無いが、高脅威度の魔物の一種として、マキアスも訓練所で特徴だけは教わった。
「人狼の鼻には、この臭いはきつかったはずだ」
クレディは言った。罠が破壊された跡には、香草の汁がぶちまけられていた。マキアスたちの鼻にさえ、かなり匂う。人間よりもずっと優れた嗅覚を持つ人狼なら、なおさらである。
「じゃあ、これで村には近寄らないか?」
「そうあって欲しいが……。だが、どうしてこんな場所に人狼が? 辺境と言ったって、ここは帝都の大結界のすぐ近くなのに。俺があの村に来てから今まで、こんな強力な魔物が出たことは無い」
クレディは自問している。しかし今は、人狼がここまで流れてきた経緯を探るよりも、優先して考えるべき事がある。マキアスは、彼の思考を遮った。
「最悪、この人狼と戦闘になったとしたら、村の戦力で足りるか?」
「……足りないな。足りなすぎる」
「クレディ、あんたは勝てるか?」
「実際に、どれほどの個体かによるが……」
クレディの顔は、分からないという表情だ。
「このまま去ってくれるなら、それに越したことは無い」
クレディは、破壊された罠からたどるように、一定方向に向かって地面を眺めている。かつて裏の仕事に携わってきた彼には、きっと人狼の足跡が見えているのだろう。
マキアスは、クレディのつぶやきが単なる彼の希望でしかない事を知っていた。
魔物の行動を人間に推し量る事はできないが、嵐が過ぎ去るのを待つように、この災厄が通り過ぎるのをじっと待ったところで、本当に居なくなるとは限らないのだ。
結局、クレディは村人たちに、村の周りをうろついているのが人狼であるとは明かさなかった。それだけでなく、魔物除けの罠にかかった事で、魔物は遠くへ逃げたはずだと彼は言った。
そんなものは、その場しのぎの嘘に過ぎないのに。マキアスは、クレディがそう言った理由を考えていた。
村に戻ると、既に日は傾いていた。
「遅くなったな。マキアス、今日は泊まっていくか? もしそうするなら、村の外れに、倉庫に使ってる空き家がある。ちょっと片付ければ、一泊くらいはできるだろ」
「そうだな……じゃあ、そうさせてもらうよ」
今から馬を走らせるのは、できれば避けたい。テントでもなく、クレディの家に泊まるというのでもなければ、カタリナも文句は言わないだろう。マキアスはそう考えた。
「結構綺麗じゃないか」
マキアスはその感想を、カタリナにも同意を求めるようにつぶやいた。
彼らにあてがわれた空き家には、別に蜘蛛の巣なども張っていなかった。予備の農具や種籾が積まれているが、それらを少しどかせば、寝るだけの空間はすぐに確保できそうだ。
「あの人は、どうするつもりなんでしょうか、隊長」
寝床を用意し、簡素な夕食を済ませた後、カタリナがマキアスに問いかけてきた。あの人――つまりクレディは、村人に人狼の事を伝えず、何をするつもりなのかということだ。
マキアスは、逆にカタリナに聞いた。
「どうするつもりだと思う?」
「う~ん……。多分ですけど……」
「ああ」
「一人で、戦うつもりなんじゃないかと」
「だろうな」
マキアスもそれを思っていた。
破壊された罠の痕跡を見ていたクレディの目は、人狼の行き先を追っていた。そしてあの男は、自分がもはや騎士ではないとうそぶいていたが、それでも未だに、騎士の誇りを捨てていない。ならば、導き出される結論は一つしか無い。
「じゃあ、寝るか。お前もちゃんと寝とけよ?」
「へ?」
話の流れを無視して、マキアスが寝袋に潜り込もうとすると、カタリナが素っ頓狂な声を出した。
「隊長?」
「お休み」
そう言うと、マキアスはカタリナに背を向けた。
◇
まだ日の昇りきらない翌早朝、村の中を一つの人影が動き出していた。ある家から出てきたその人影は、腰に長剣の鞘を帯びている。旅支度のような服装で、足元も革のブーツでしっかりと固めてあった。
その人影の正体はクレディである。クレディは村の外れまで来ると、一度立ち止まって村全体を見渡してから、再び振り返って歩き出した。
クレディは、一人で人狼の始末を付けるつもりだった。
弱い魔物なら、村人だけでなんとかなっても、人狼となると話が違う。何の戦闘訓練も受けていない人間が束になってかかったところで、いたずらに犠牲を増やすだけだ。ならばこうするのが、最も騎士の誓いに適っている。
よそ者を受け入れて、五年も暮らさせてもらった恩を返す、良い機会だ。負けるかもしれないが、それこそちょうど村を訪れた若い騎士が、彼の骨を拾ってくれるだろう。
しかし、畑を横切り、クレディが森の中に入ろうとすると、その前に誰かが待っていた。
「……! マキアス……」
「一緒に行っていいか?」
クレディは目を見張ったが、どこかでこうなるという気もしていた。
マキアスに声をかけなかったのは、クレディ自身のもう一つの事情もあったからだ。しかし心のどこかで、マキアスはきっと、自分の行動を察して助太刀してくれるだろうとも思っていた。
ありがとうと言うのも妙な気がしたので、クレディはマキアスの周囲を見た。
「……あのお姉ちゃんは?」
「まだ寝てる…………と思ったが、あそこに居るな……」
マキアスが顔を向けた先には、カタリナが木の陰に隠れていた。
マキアスも、カタリナを眠らせたまま置いて行くつもりだったが、クレディと同じで、どうにも格好を付けきれない。
「クレディ、案内を頼む」
マキアスは少し笑顔を見せてから、森の方を向いた。彼はカタリナには声をかけず、そのまま付いて来させる気のようだ。
そして、ここまで来た以上、クレディもマキアスに帰れとは言わなかった。二人は、そして遅れてカタリナは、鬱蒼とした森の中に足を踏み入れた。




