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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第五章 第七節
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244.羨望

「クラウスさんって、一人でこんな所に来ていて良いんですか?」

「え?」


 急にステラにそんな事を言われて、クラウスは目を丸くした。一昨日彼がこの家を訪ねた時には、ステラは特に嫌がる様子もなく、雑談に応じていた。それが、今日のステラは非常に深刻な顔をして、責めるような口調でクラウスを問い詰めたのだから当然だろう。

 クラウスは、若干恐る恐るといった感じでステラに聞いた。


「俺に何か、不手際でも有ったでしょうか……?」

「そうじゃなくって」

「……?」


 ステラは苛立っているが、その苛立ちの理由がクラウスには分からないようだ。ステラ自身、内心ちょっと理不尽かなと思いつつ問い詰めているのだから、それは仕方がない事であったが。


「私は若い女の子ですよ?」


 自分を若い女の子と言うのはどうなのだろう。問い詰めるうち、ステラにも自分が何を言っているのか分からなくなってきたが、彼女は勢いに任せて喋った。


「そんな女の子が一人暮らししている家に一人で来て、クラウスさんは何も思わないのかって事ですよ」

「それは……、やはり不躾だったと思います。身をわきまえるべきでした」

「いや、そうじゃなくって」

「……?」

「いいから、ちょっと入って下さい!」


 娘の一人暮らしの家を訪ねるなと言ってみたり、逆に入れと言ってみたり、ステラの言い分は矛盾していたが、彼女の勢いに押され、クラウスはサンドライト家の扉をくぐった。

 クラウスを居間の椅子に座らせると、ステラは少し声を潜め、クラウスに顔を寄せて喋った。ここなら“彼女”は見ていないと思うが、念のためである。


「いいですかクラウスさん。つまり私が言いたいのは、あなたが一人でこんな場所に来てたら、誰か心配する人がいるんじゃないですかって事ですよ……!」

「誰か……? 何を……?」


 クラウスも、ステラに釣られて声を潜めている。しかし相変わらず、彼はステラの言いたい事を理解していなかった。業を煮やしたステラは、直接その女性の名前を出した。


「メルヴィナさんですよ……!」

「……は?」

「心当たりが有るんでしょう?」


 一昨日、即ち前回クラウスがこの家を見回りに来た時、ステラは彼と一緒になって、大聖堂まで歩いた。クラウスと別れてから、ステラは大聖堂の門前で、メルヴィナがステラの様子をうかがっている事に気が付いた。メルヴィナを捕まえたステラは、どうして彼女がステラの事を見ていたのかを話題にした。

 そこで、メルヴィナが言ったのだ。


 ――……あの、わた、私の知り合いが、貴女と歩いているのを、あの、見て。……ごめんなさい…………。


 しどろもどろになりながら、メルヴィナは白い顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。メルヴィナの言葉は断片的だったが、ステラにはぴんときた。


「あなた、メルヴィナさんのお供なんですよね?」

「……え? は、はい、そうです。 それを誰から聞きました……?」

「お兄ちゃんです」


 正確に言うと、マキアスはメルヴィナとクラウスの関係について、ステラには語らなかった。だがステラも、メルヴィナに大切な連れがいるらしい事までは、兄からほのめかされていた。それがクラウスの事だったのだと、メルヴィナの態度から、ステラは勝手に読み取ったのだ。

 だが、ステラは兄から聞いたという事にして、話を前に進めようとした。クラウスも、マキアスの名前を出した事で納得しているようだ。


「こんな場所に一人で来て、メルヴィナさんに誤解されたらどうするんですか」


 と言うよりも、メルヴィナは既に誤解しているに違いない。二人で歩くステラとクラウスの後をつけ、その後にステラの様子を物陰からうかがっていたという事は、つまりそういう事なのだろう。

 しかし、クラウスは苦笑すると、ステラのいう事をきっぱりと否定した。


「こんな場所とは……。それに、ステラさんこそ誤解しています」

「そうなんですか?」

「はい。メルヴィナ様……あの方と俺は、そういう関係ではありません」


 では、どういう関係なのだろう。ステラも他の年頃の娘並みに、こういう話題には関心があった。彼女は耳を大きくした。


「メルヴィナ様は、実を言うと北大陸の出身では無いんです。あの方は元々帝国の生まれで、さる帝国貴族のご養子です。縁あって、その貴族から俺は、あの方の護衛を仰せつかりました」

「養子?」

「はい。メルヴィナ様は、優れた魔術の才能をお持ちですから」


 何だか、結構立ち入った話のようだとステラは思った。貴族の養子になったという事は、メルヴィナは、元は平民だったという意味だろうか。魔術に限らず、優れた才能を持つ平民を養子にする貴族の話は、たまに耳にする。

 そう言えば、今まで特に意識していなかったが、メルヴィナとクラウスの家名を、ステラは聞いていない。本人たちがあえて口にしないのならば、立ち入ってはいけない話なのかもしれない。だが、ステラは好奇心を抑えられなかった。


「何というお名前のお家ですか?」

「申し訳ありませんが、それは言えません。一応、お忍びという事になっているので」


 クラウスがそう答えて、ステラは顔を赤くした。今のは少し、はしたない質問だったかもしれない。


「ああ、でも、変な家ではありませんよ?」

「それはそうでしょうけど……」


 クラウスが初めて冗談らしいものを口にしたので、ステラはちょっと笑った。するとクラウスは、急に表情を暗くし、ここだけの話ですがと言った。


「メルヴィナ様は、あの通りの髪をお持ちですから、幼いころから、色々と苦労をなさっているのです。そのせいか、少しだけ、引っ込み思案な所も有りますが……」


 己の心に、メルヴィナに対する同情が湧くのを、ステラは感じた。

 光の当たり方で黒っぽく見える髪や瞳を持つ人間というのは、帝国人にもそれなりに居る。だが、あそこまではっきりと黒い人間を、ステラはメルヴィナ以外に知らない。クラウスの言う通り、黒髪を不吉なものと捉える帝国において、彼女は想像できない辛い思いをしてきたのだろうか。

 そんな風にステラが考えていると、クラウスが彼女を見ていた。


「従者の分際で、出過ぎた事を言います。ですがステラさん、メルヴィナ様と、仲良くしていただけると幸いです」

「あ――」


 真剣な顔で頼むクラウスに、ステラも真面目な表情で頷かざるを得なかった。

 最初ステラが聞いた事から、何となく話題は逸れてしまった。クラウスはその後も、メルヴィナについてステラに語った。勉強の関係で、メルヴィナは大聖堂にも顔を出す事が多いだろうが、その時に見かけたら、是非声をかけて欲しいという事だ。

 話が終わり、クラウスはステラの家を辞去しようとした。ステラは立って、玄関先まで彼を見送りに出た。


「……」

「クラウスさん?」


 と、そこでクラウスは、突然目を鋭くした。さっきまで柔らかい表情をしていたのに、その変わりように、ステラは思わず身体を竦ませた。

 クラウスが見ているのは、通りのずっと先だ。ステラもそちらに顔を向けて、目を細める。顔の判別もできないくらいの距離にある家の影に、誰かがいるのが見えた。


「あれ、メルヴィナさんじゃないですか?」


 ステラはそう言った。まさに、あそこに居るのはメルヴィナだ。隠れているようでも半身が見えており、彼女の黒い髪は遠くからでも目立った。


「きっと、クラウスさんが心配だったんですよ。やっぱり――」


 やっぱり、彼女を誤解させるような事をしてはいけないと思う。クラウスにそう言おうと、ステラは彼に顔を向けたのだが――


「――――っ?」


 メルヴィナの方を見るクラウスが、あからさまな怒りの籠った表情をしていたので、ステラの言葉はそこで途切れた。

 しかし、それは本当に一瞬の表情だった。次にクラウスが口を開いた時には、彼の顔から、ステラを怯えさせたものは完全に消えていた。


「仕方ありません。ステラさん、私はメルヴィナ様をお連れして、騎士団本部に戻ります」

「え……、あ……、はい、そうですね。それがいいと思います」

「どうしました?」

「いえ、何でも。気を付けて」


 あの表情は、自分が見た幻だったのだろうか。あれはとても、大切な主に向ける表情ではなかった。クラウスはその後、身を隠していたメルヴィナに声をかけ、二、三言葉を交わしてから、彼女の後ろについて歩き始めた。そこに、特に変わった様子は無い。


 しかしその時の事は、ステラの胸にほんの一抹の不安を残した。



「ここに居たか。探したぞケルドーン」

「総長」


 神殿騎士団総長のカール・リンデンブルムは、帝都の大聖堂にいたパラディン第六席のケルドーン・グレイラントに声をかけた。

 ケルドーンのパラディンとしての役目は、基本的に総主教と聖女の護衛だ。カールは、ケルドーンが守護するように立っている扉を一瞥し、それから言った。


「……聖女様か?」

「はい」


 ケルドーンの返事は短い。この扉の向こうには、天井が開け放たれた狭い中庭がある。神聖教会の聖女エウラリアは、時たまそこで一人きりになり、心を休めている事があった。カールも、その事を良く知っている。

 聖女の護衛を務める短髪壮年のパラディンは、まるで中に居る人物の心を、少しでも騒がせたくないという風に、無言でカールに瞳を向けた。


「……分かっている。夜、私の部屋に来い」


 どのみち、ここで話をする事はできないと思ったカールは、ケルドーンにそう告げた。

 そして夜、ケルドーンは大聖堂内にある、カールの私室の扉を叩いた。神殿騎士団総長ともなれば、騎士団本部要塞の他に、帝都の大聖堂にも個別の部屋を持っている。

 ケルドーンがここに居るという事は、今現在の総主教と聖女の護衛は、彼の麾下が務めているという意味だ。総主教は、それ以上に聖女は、教会にとっての最重要人物である。夜だからと言って、二人の周囲から騎士の姿が無くなる事はあり得ない。

 ケルドーンはカールの執務机の前まで来ると、直立不動の姿勢で言った。


「何か、私に御用でしょうか」

「例の件だ」


 それだけで、ケルドーンはカールの意図を理解した。

 最近何者かが、各地に居る騎士団員を闇討ちしている。それが誰の手によるものなのか、カールはそれを聞いている。

 闇討ちされた騎士団員は、全て裏の任務を持っていた。騎士団に不都合な人間を消し去る暗殺部隊。その部隊の指揮を兼ねているのは他ならぬ、ここに居るケルドーンだ。


「判明していませんが、帝都と地方、それぞれに我々の敵が居るようです」

「そんな事は分かっている」


 カールの言葉に、少しの苛立ちが見えた。

 地方の都市でも部隊員は死んでいるが、同時に帝都でも死んでいるのだ。一人の人間にできる仕事ではない。そしてどちらかと言えば、カールにとっては帝都の方が気がかりだった。ここは彼らの本拠地だ。配置されている人員も、地方に居る者たちより練度が高い。

 更に言えば、実行者はともかくとして、これを誰が命じているのか、カールには既に見当がついていた。


「ユリアン・エアハルトか、そうでなければヴォルクスの命令に違いない」


 本当は、ヴォルクス・ヴァイスハイトの仕業だと、カールは声を大にして叫びたかった。しかしヴォルクスは、今の所は動きを見せていない。それよりは、エアハルト伯ユリアンの命令である可能性の方が高かった。

 それについて、ケルドーンが一つ新しい報告をもたらした。


「やはり暗殺ギルドは、エアハルト伯の軍門に降ったようです。前ギルド長は何者かに消され、新しい指揮者が生まれました」


 流石に手が早い。エアハルト伯領周辺を瞬く間に勢力下に収めた手腕は、こんな場所でも発揮されているようだ。カールは唸った。

 昨日はケルドーンの部隊の構成員が闇討ちされ、今日は皇帝候補の一人が不審死を遂げた。まだ選帝会議の開催も正式に発表されていないのに、この帝都は既に、様々な勢力が暗躍する坩堝となっていた。

 カールもそれらとせめぎ合ってはいる。エアハルト伯の影響下にあった若きノイマルク伯オットーは、順調に教会への恭順を示し始めていたし、ケルドーンの部隊は、暗殺ギルドの構成員を何人か返り討ちにした。

 しかし、ヴォルクスの動きが静かだった。ヴォルクスは帝都において、特に目立った行動はしていない。ヴォルクスに心酔しているシモン・フィールリンゲルなどのパラディンも、帝都からずっと離れた場所での任務に当たっている。

 ヴォルクスはただ、麾下やその他の騎士に訓練を付けるなど、第一軍団長としての通常の役目に精練しているように見えた。

 だが、だからと言ってヴォルクスから目を離す事はできない。カールには、考えるべき事が多かった。以前にキルケル大聖堂を襲撃し、パラディンのエドガー・トーレスを殺害したと思われる銀髪の娘の捜索も、何者かに妨害されているせいで、上手く行っていない。


 言う事を聞くパラディンの誰かを動かすべきだろうか。

 しかし、明確にヴォルクスの影響下にないパラディンというと、選択肢は限られた。ケルドーンを大聖堂から離す事はできないし、第二席のアレクサンドル・ゴットバルトは、国外での重要な折衝を行っている。他の者にもそれぞれの任務があった。そう考えると、十一席のイジウス、九席のエドガーを立て続けに失ったのは、騎士団内の派閥のバランスという意味でも痛かった。


 ――しかし、会議は近い。


 選帝会議の開催は、間もなく正式に布告される。そうなれば、後はもう止まれない。帝国の有力者が一堂に参集し、会議が終わるころには、この国の形は変わっている。皇帝が教会を敬い、民が信仰に励む、本来の国の形に戻ると言っても良い。

 自分の中にあるのはそれだけだ。それだけのために、自分は身を削っている。あの男に対する羨望も嫉妬も、自分の中には無い。決して無い。

 そう、決して。


「引き続き、任務に当たれ」


 自分の中の暗い情念を押さえ込むと、カールはそう言って、ケルドーンに部屋を引き下がらせた。

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― 新着の感想 ―
[一言] よし パラディンを殺害したらしき銀髪の少女の追手にロザリンデを起用しようか きっと楽しくなるぞ
[一言] あれ? カール総長は暗殺目標に大公家の娘が含まれてることに気づいてない? 領地を失陥したとはいえ帝国貴族ランキングでトップ30くらいには入りそうな人物を暗殺したのが露見したら教会の評判はナイ…
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