243.軋む心
「お兄ちゃんは小さい頃は不良でしたから、それで今も友達が少ないんです。だから、クラウスさんがお友達だって聞いて、最初ちょっと驚きました」
「不良……ですか。あまり、そんな風には見えませんでしたが」
「近所の大きな子と喧嘩したりして。私も近所の人に謝ったり、大変だったんですよ」
ステラは、今日もクラウスと立ち話をしていた。
最初に訪ねて来てから、クラウスは定期的にサンドライト兄妹の家を訪れるようになった。クラウス曰く、それはステラの兄マキアスの上司である、パラディン筆頭のヴォルクスが、ステラの無事をしっかりと確認しろと命令したかららしい。
しかし恐らく、ヴォルクスはクラウスに、こんなに何回も様子を見に行けと言った訳ではないだろう。それなのに、クラウスは一日おきくらいにやってきて、ステラと短く話していく。
この安全な帝都で、早々何かの事件に巻き込まれたりするはずが無いのに、律儀な人だとステラは思った。
「では、失礼します」
玄関先で五分ほど話すと、クラウスは辞儀をした。兄の友達なのだから、もっと気安く接してくれて良いと言ったのに、最初会った時のまま、彼は丁重な物腰だった。
ステラが上がって茶を飲むように勧めても、最初の一回以外、クラウスは必ず固辞している。
「騎士団に戻るんですか?」
「いえ、まあ」
ステラが尋ねると、クラウスは曖昧な返事をした。
「私も今から出るところでしたから、そこまで一緒に行きましょう」
今日のステラは、所属している大聖堂付きの治癒院での夜勤当番だった。家を出るには少し早い時間だが、ついでだからとステラは考えた。と言っても、大聖堂は家からすぐそこで、騎士団本部の方がずっと離れた場所にある。二人が一緒に歩くのは、ごく短い時間だろう。
クラウスは特に断らず、無言で頷いた。
「隣町で、昨日も人殺しがあったんですって」
そう言えばと、ステラは、今朝方近所の主婦から聞いた話をクラウスに伝えた。
「最近、本当に多いけど、どうなってるんだろう……」
ステラは不安げにつぶやいた。殺人だけでは無い。最近の帝都は、強盗や喧嘩も頻発している。皇帝に代わって帝都を治める元老院議会も、その事は承知しているようだ。
しかし、町を歩く衛兵の数は増えたのに、事件は一向に収まる気配が無い。最初は他人事だと考えていた帝都民も、段々と重苦しい顔をする者が増えてきた。元老院に対して、何をしているのだと憤る声も大きくなっている。
ステラにとってちょっと不思議なのは、だからこそ皇帝が必要なのだと主張する人が、同じように増えている事だ。数日前まで皇帝不要論を唱えていた知り合いが、今日には皇帝選挙の開催を支持する側に回っていたりする。
「何か、変な感じ……」
ステラの言葉をどう聞いたか、クラウスは彼女を励ました。
「大丈夫ですよ」
「……そうなんでしょうか」
「ええ、ステラさんは心配要りません」
おかしな励まし方だとステラは思った。しかしステラには、不思議と彼のその言葉が信じられる気がした。
「そうですね。お兄ちゃんは居ないけど、クラウスさんも見回ってくれてるし」
さっきは、この安全な帝都で、クラウスの見回りは不要だと思っていたくせに、我ながら現金だと、ステラは苦笑した。
「じゃあ、また」
「ええ、また」
大聖堂の門外まで来て、そう言って彼らは別れた。歩き去るクラウスの背中を見送っていたステラに、後ろから飛びかかるように抱きついた者が居る。
「ステラ!」
「きゃあ! ――ゾフィ!?」
それは、ステラと一緒に大聖堂の治癒官をしている、友人のゾフィだった。
「え、何あの人! ステラの彼氏!? 何が『じゃあ、また』よ! どこで知り合ったの!? 教会の人? お兄さんと同じ神殿騎士団? ねえ!」
「うおおおお?」
ゾフィに後ろから両肩を掴まれ、滅茶苦茶に揺すられたステラの口から、良く分からない音が漏れる。ゾフィが冷静になり、そんな相手じゃないと、ステラが友人の思い違いを正すまで、しばらく時間がかかった。
「何よ、気取っちゃって。男と二人で通勤しといて、『そんな相手じゃない』って。魔性の女にでもなったの?」
「魔性? 何それ」
「あ~あ、私も出会いが欲しい! お父さんが選んだ相手と結婚なんて嫌!」
ゾフィはステラから手を放し、大げさに嘆き悲しんでいる。父親が結婚相手を探してくれるだけ、それはそれで幸せなのだと、両親の居ないステラは少し思ったが、ゾフィの気持ちも理解できる。
治癒院はどうしてか女性の割合が高く、数少ない男性も、どちらかというと大人しい、枯れてしまった感じの性格の人が多いのだ。ゾフィは溌剌とした、自分を引っ張ってくれるような男性に憧れていた。
「聞いてステラ、お父さんったらこの間、私にお見合いを持ってきたの。それが議事堂で働いてるエリートで、私もちょっと良いなって思ったんだけど、良く聞いたらその人もう子供がいるんだって! いくら何でも、連れ子がいる相手を娘に紹介するってどう思う!?」
怒濤のようにゾフィは喋っている。どうやら丁度、結婚に関する父親とのいざこざが会ったらしい。
「別に私、まだ行き遅れじゃ無いし! 『お前も、もう十八なんだから……』とか偉そうに言っちゃってさ。だからって子供連れは無くない!?」
「お、お父さんもゾフィが心配だったんだよ」
「分かってるの。あれって私を焦らせるために、絶対わざとやったのよ。だから私も、その人と本当にお見合いしてやる事にした」
「ちょっとちょっと……」
「お父さん、めっちゃ驚いてたから」
「そりゃそうよ……。あれ?」
ゾフィはまだ喋り続けていたが、ステラは自分の視界の端に、気になるものが映ったのに気が付いた。
教会の祭司服を着た人影だ。
――あれって……。
祭司服のフードを深く被ったその人物は、塀の影に隠れて、ステラとゾフィの様子をうかがっているように見えた。ステラに気付かれていないと思っているようだが、彼女はそれなりに目立つ。
あれは、マキアスも話していた黒髪の魔術士、メルヴィナだ。
「何よ、聞いてるのステラ」
「うん……。ねえ、あの人」
「あの人?」
ステラが見ている方向に、ゾフィも顔を向けた。メルヴィナは、そこでようやく気付かれた事を悟ったようだ。離れた位置からも分かるほど、明らかにびくりと身体を震わせた。
「あの人って、例の……」
ゾフィが少し顔を曇らせたのは、治癒院の中で、メルヴィナについて良くない噂をする者がいるからだ。
不吉な黒髪が居ると患者が不安がる。陰気で薄気味悪い、得体の知れない娘。たまに大聖堂を歩いている黒髪の娘の事を、噂をする者たちはそう言っていた。
ゾフィはそういう噂に加担していないが、彼女も内心は、メルヴィナの事を良く思ってはいないようだ。表情から、ありありとそれが読み取れた。そして、そういう顔をされてしまうと、ステラのお節介な心が芽を出すのだ。
「メルヴィナさん!」
ステラははっきりと聞こえる声で、メルヴィナに呼びかけた。
兄も言っていた。メルヴィナはあの黒髪のせいで、少し内気なところが有るけれど、悪い人間では無いのだと。
声をかけられるとは思っていなかったのだろう。メルヴィナは一瞬硬直し、それからあたふたと、塀の影に完全に身を隠した。ステラは彼女の元に近寄り、もう一度声をかけた。
「こんにちは、メルヴィナさん。メルヴィナさんですよね?」
メルヴィナは、ステラに背を向け縮こまっている。しかし、彼女も流石に、ここから誤魔化せるとは思っていなかったようだ。ゆっくりと振り向くと、少しだけ背を伸ばして、ステラに挨拶をした。
「……こ、こんにちは。……あの、どうして、私の名前を」
「兄から聞いています。マキアスが、いつもお世話になっています。私、マキアスの妹のステラです」
「……あ、いえ。……あの。……こちらこそ、お世話になっています」
メルヴィナは、ステラがマキアスの妹である事を知っていたようだ。しどろもどろになりながらも、彼女はステラに向かって辞儀をした。
◇
「はっ、はっ、はっ――ふぅ。終わったか……」
地面に突き刺した剣を支えに立っていたマキアスは、荒くなっていた息を落ち着け、つぶやいた。
――アンデッドにならないように、処理だけはしないと……。
彼の目の前には、今しがた彼が斬り倒した騎士の死骸が転がっている。離れたところにはもう一つ、一見するとただの職人に見える男が、背中から剣を浴びせられて死んでいた。
「――ちっ」
逃げる者を背中から斬る。これはマキアスが訓練所で叩き込まれた、騎士の剣術には無い作法だ。忌ま忌ましさを堪えかねて、彼は大きな舌打ちをした。
だが、こんな事は実戦では当たり前だ。特に、今のマキアスが帯びているような任務の場合には。正々堂々などという事を考える前に、まずは生き残って任務をやり遂げる事を優先するべきだった。
――騎士団会計のカンタルと……、この男は?
マキアスが斬った神殿騎士は、これで三人目だった。
死骸になった中年騎士の名前はカンタル。実戦機会の乏しい裏方の会計係のはずなのに、いざ戦闘になると、その剣筋は以前に倒した二人よりも、はるかに鋭かった。二人がかりだったこともあり、一歩間違えればマキアスが死んでいたかもしれない。
カンタルと一緒にマキアスと戦ったのは、騎士団員ではない男だった。マキアスが居るのは帝都から見て東にある自由都市だが、ここの住人とは思えない、遍歴職人風の男だ。
マキアスは乱暴な気分で、うつ伏せになっている男の死体を、蹴って仰向けにした。
「……ふん」
起き上がってくるかと思い、首元に剣先を突きつけていたが、間違い無く死んでいる。マキアスが一々こんな風に確認するのは、前の戦闘で学んだからだ。二人目に戦った神殿騎士は、死んだと思ったのに、マキアスが油断した所で立ち上がり、彼を羽交い締めにしてきた。
次に、マキアスは二つの死骸の懐を探った。こんな夜に、こんな人気の無い場所で、この二人は何の密談をしていたのだろうか。
「……何も無い、か」
しかしこの男たちには、そもそも何かに書かれた記録を残すという習慣が無いようだ。彼らが裏で働く暗殺部隊なら、それは頷ける。
それでも、騎士団員でない構成員と遭遇したのは、これが始めてだった。ヴォルクスからもらったリストにも、この職人風の男は載っていない。
――カタリナが来る前に、片付けるか。
副官と二手に分かれて捜索し、実際に遭遇したのはマキアスだった。だが、彼女もこの近くに居るはずだ。物音を聞きつければ、すぐにやって来るだろう。
二人目の騎士との戦いの時、羽交い締めにされたマキアスを助けたのはカタリナだった。彼女は後ろから、自らの剣で騎士の胸を貫いた。もしかすると、人を手にかけたのは初めてだったのか、その後、カタリナはずっと塞いでいた。だから、立て続けにきつい仕事はさせない方が良い。マキアスはそう判断した。
「――これで良し」
マキアスは祈りを唱え、死体に負のマナが取り付かないように処置を施した。殺した相手に祈りを唱えるのは、酷く矛盾しているようにも思えたが、その気持ちには蓋をした。
「隊長、どこですか」
少し声を落とした、カタリナの呼びかけが聞こえた。
「ここだ、今行く」
次の相手を探そう。この男たちの手が、彼女の身体に届く前に。
マキアスは、もう気持ちを切り替えていた。




