24.墓荒らし
ミイラのような腕が、ずらされた石棺の蓋の隙間からのぞいている。
「――っ戦闘! 戦闘準備だ!」
ウィルヘルムが長剣を抜き、ジェフリーがメイスを構える。マーガレットも自身の短弓に矢をつがえた。
「マーガレット! 俺の後ろに! ジェフ! こっちに来い!」
「ひ、ひぃ!」
ジェフリーが壁を伝って、ウィルヘルムたちの元に合流する。その間に石棺の蓋を押しのけて、アンデッドが立ち上がった。
「ちょ、ちょっと強そうじゃない!?」
マーガレットの感想通り、石棺から出現したアンデッドは、地上のスケルトンとはかなり雰囲気が異なっていた。
その身体は完全に白骨化してはおらず、表面にはうっすらと、乾いた皮膚が張り付いている。ボロボロになった祭司服らしきものをまとい、手には小さな宝玉付きの杖を携えている。
「――――! ――!?」
「何? なんて言ってんの、あれ!」
アンデッドが口を開き、手を広げて何事かをのたまう。朽ちた声帯からは、ウィルヘルムたちに判別可能な音は発せられなかった。しかしたとえ聞こえたとしても、恐らくは彼らに理解できない古代語で喋っているのだろう。
「分かんねぇ……。――少なくとも、友好的じゃなさそうだ!」
アンデッドの手ぶり、声色は、明らかにウィルヘルムたちに対する憤りを示している。彼にとっては侵入者により安らかな永遠の眠りを妨げられたのだから、無理からぬことだろうか。
「――! ――! ――!」
「これ、もしかして」
不死者の手が刻む一定のリズムを見て、ジェフリーが何かに気付いた。
「詠唱……? ――魔術だ!」
「…………――【火球】」
アンデッドが杖をウィルヘルムたちの方に差し向ける。魔力が杖の先端に集束し、次の瞬間、小さな火の玉となって放たれた。
「うわ!」
「――え?」
「危ねぇ!」
ウィルヘルムは咄嗟に、反応の遅れたマーガレットの肩を抱き、横に倒れこんだ。火の玉がさっきまでウィルヘルムたちの立っていた地点に飛んできて、小規模な爆発を起こす。
「大丈夫か!? マーガレット!」
「あ、ありがとうウィル。――ジェフは!?」
ジェフリーはどうなったのか。魔術に気付いた彼も、火球には反応できずに立ちつくしていたように見えたが、もしや爆発に巻き込まれて――いない。
「――砂! 砂がっ! また口に入った! ぺっ!」
「なんでそんなとこにいんのよ!」
ジェフリーはなぜか、部屋の隅に積もっていた砂の山に上半身を突っ込んでいた。
「わ、分かんない、襟をつかまれたと思ったら、ここに……!」
「喋ってる暇ないぞ! 構えろ!」
慌ただしく態勢を立て直す三人。
その時、ジェフリーを投げ飛ばした張本人――アルフェは、アンデッドを眺めながら、別のことを考えていた。
――自壊している……。
火球の魔術を放った瞬間、アンデッドの左腕の先が崩れて落ちた。他の部位もギリギリのところで繋がっているようで、少し押しただけでも崩壊しそうに見える。あるいは、攻撃を避け続けるだけでも、勝手に自滅するかもしれない。
それにあの魔物には、以前彼女が闘ったレイスのように、何としても現世にしがみつこうとする執念が見えなかった。見た目は仰々しいが、それほど力のあるアンデッドではない。
「また来るぞ」
「きゃあ!」
さすがに、初めて目にした攻撃魔術は脅威だったが、あれだけ予備動作が大きければ、もう一度放たれる前に十回は攻撃できる。
加えて、相手には前衛となる味方もいない。敵が次の魔術を用意し始める前に、畳みかけるのが正しいだろう。
「うわああ! どうする!? ウィルどうする!?」
――でも。
あまり自分がしゃしゃり出るのは良くない。賑やかに戦闘する三人の様子を、アルフェは目だけで追っている。
この遺跡に来てから、アルフェの行動は一貫していた。タルボットは新人の研修と言ったのだ。ということは、彼らの冒険に自分が手を出しすぎては、研修にならない。
困難には、でき得る限り自力で対処するのが冒険者だ。彼らがどうしようもなくなった時だけ、助ければいい。それが先輩冒険者としての務めであると、アルフェは妙な方向にではあるが、彼女なりに張り切っていた。
静観を決めたアルフェは、体内の魔力の流れを操作して、自分の気配を薄くする。これで二人きりにでもならない限り、魔物は彼女に注意を向けることは無い。
「ジェフ! そっから魔術で援護してくれ!」
「りょ、了解!」
剣を正面に構えたウィルヘルムが、じりじりとアンデッドに近づく。彼は敵の魔術を警戒して、大胆に踏み込めないでいるようだ。
しかし彼には援護してくれる仲間がいる。マーガレットが弓を引き絞り、ジェフリーが魔術の詠唱を始めた。
「――! ――!」
――くっ、またあれが来るのか!?
アンデッドが再び、古代語で何かの呪文を唱える。ウィルヘルムの脳裏に、先ほどの火の玉が思い出された。
詠唱が終わる前に切りかかるべきだとは思うが、もし踏み込んだ瞬間に、敵の魔術が放たれたらどうするか。あるいはさっきのようには避けられないかもしれない。そう思うと、情けないことになかなか足が前に出なかった。
「食らいなさい!」
マーガレットの放った矢が、アンデッドの胸の中心に突き刺さる。人間ならば致命的な位置だが、臓器の機能が停止している不死者にとっては小さな穴が開いたに過ぎない。詠唱を阻むには至らなかった。
「――! ……――【沈黙】」
「……え!?」
敵の標的はウィルヘルムでも、マーガレットでもなかった。ジェフリーが呪文を唱え終わる前に、アンデッドが放った沈黙の魔術が彼に命中した。
「むぁ……、ぐが!」
発話を阻害されて、ジェフリーの集めていた魔力が空中に霧散する。敵集団と闘う際には、可能な限り魔術士を最初に封じる。敵の行動は戦術の基本にのっとったものだ。
「ぐっ! でりゃあああ!」
後手を踏んだが、それでもウィルヘルムが果敢にアンデッドに接近し、袈裟斬りを見舞う。
剣先がかすり、敵の法衣を裂いた。わずかに本体にも届いたが、骨の上をすべる感覚がして有効なダメージを与えられない。剣の腹で叩くか、鞘ごと攻撃するか、あるいはジェフリーの様に、打撃性の武器を用意すれば良かったのかもしれないが。
「ぐっ……! がっ!」
ジェフリーは魔術を阻害されただけでなく、驚きで混乱状態になっている。マーガレットはというと――。背後から、ウィルヘルムに当てずに相手を射抜けと言っても、そんなことがこの状況で、できるはずがない。
「――クソっ!」
ウィルヘルムはもう一度切りかかることをせず、勢いのまま、肩からアンデッドにぶち当たった。後ろに倒れこむアンデッド。そこに馬乗りになって、グローブをはめた拳で、青年は敵の頭を繰り返し殴りつけた。
「――――! ――!」
効いている。効いているが、頭蓋骨は意外と硬い。アンデッドが、ウィルヘルムの下から魔術の詠唱を始める。
「止めろ! このッ!」
杖の先に赤い光が集まる。この至近距離でさっきの火球を食らえば、致命傷は免れない。
「このッ! この野郎ッ! 止まれぇぇぇ!」
渾身の力を込めて、敵を殴り続けるウィルヘルム。自分の拳の下で、朽ち果てたアンデッドの顔が、不気味に笑ったような気がした。
魔術が発射される。
「ウィル!」
部屋中に、ずどんと大きな爆発音が響いた。その音に隠れて、自分を呼ぶマーガレットの声。
「――…………あれ?」
頭を吹き飛ばされたかと思って、ウィルヘルムは両腕で顔を覆い、目をつぶった。しかし、特になんともないようだ。なぜか、自分の下にいるアンデッドの動きは止まっている。
恐る恐る目を開くと、己の股の下には、細い腕に頭蓋を貫かれたアンデッドが、力なく横たわっていた。
「アンデッドを殴る時は――」
アンデッドの顔面から、ごぼりと腕が引き抜かれる。驚くほど白く、滑らかな肌。よく見ると、腕はアンデッドの下の石畳まで貫通していた。
「もっと、一撃一撃に、気合を込めないといけませんよ」
顔を上げると、目の前に大きな青い瞳が輝いている。
「次は頑張りましょう」
そう言って、瞳の持ち主は、天使のような顔で微笑んだ。
◇
「あー、あー。おはようございます。こんにちは。……うん、普通に喋れる。良かった~」
「もういい? ジェフ」
「あ、うん。大丈夫」
「ウィル! いつまでもボーっとしてない!」
ジェフリーが沈黙の魔術から立ち直るまで、一行はアンデッドと戦った部屋で休息をとっていた。
アルフェは倒れたアンデッドや室内の宝箱から、使えそうな品々を集めている。死にそうな思いをしたからか、あれからウィルヘルムは、ずっと神妙な面持ちで黙っていた。彼は部屋の隅で、自分の両膝を抱きながらうなだれている。
「墓荒らしの足跡は、こっちに続いてる……」
ウィルヘルムがやけに静かになったので、マーガレットがパーティーの指揮を執る形になった。彼女は狩人としての技能を利用し、見失ったインプの足取りを確かめていた。
「追いましょう。……ウィル、大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫、大丈夫だ。――行こう!」
ぴしゃぴしゃと顔を叩いて、どうにかウィルヘルムが立ち上がる。それを見て、マーガレットがほっと息を漏らした。
「思うんだけどさ。この通路……、ちょっと坂になってきてない?」
部屋から抜けた後も、ひたすら代わり映えのしない通路が続いていたが、その変化に気づいたマーガレットが言った。
「……そうですね。私もそう感じます。少しずつですけれど、上に向かっているようですね」
「地上に近づいてるってことかな?」
「だといいんだけどね」
さらに進むと、傾斜が段々ときつくなって来た。それでも、ようやく坂の終わりが見えて来たかと思った時、一行は坂の上に影を見つけた。
「ん? あれ、さっきの墓荒らしじゃない? あんなところで何してるのかな」
インプはちらりとこちらを見た後、壁や床をつるはしで叩きはじめた。すると、再び遠くで地鳴りがして、開いた天井から巨大な丸石が転がり落ちてきた。
「……アルフェさん、あれはどうにかできる?」
「あれはちょっと無理ですね」
「ですよねぇええ!」
その答えを聞いてすぐ、四人は転がり来る丸石から逃れるために坂を走り下った。長い一本道なだけに、加速してくる丸石と一行の距離は、ぐんぐんと縮まってくる。
「あそこだ! 貼り付け!」
おあつらえ向きにあった壁のくぼみに、四人が身を寄せる。丸石はすさまじい速度で脇を通過していった。
「――ふう。助かったね。墓荒らしにああいう知恵があるなんて、聞いてないよ」
ジェフリーが壁に手をついて安堵の息を漏らした。その手がまたも、何かの装置に触れたようだ。壁石の一つがカタリと沈み込む。
「――これが、本命の罠なのかもしれませんね」
すぐ傍の壁の穴から射出された矢を、アルフェの手が掴み止めている。その矢先はジェフリーの目の前で、まぶた一枚の間を置いて静止していた。




