224.対等
やはり、面白い傭兵たちだとネレイアは思った。
特に、眼帯の団長と禿げ頭の副長は、なぜかは分からないが、もう少し見ていたい気にさせられる。
そもそも、羊泥棒の退治と引き換えに、彼らが村から保証された報酬は、一人の冒険者を雇うのでも精一杯の金額だったはずだ。
ネレイアよりも若い団長のクルツは、金額など気にしないとばかりに、意気揚々と胸を叩いて依頼を受けた。そして副長のウェッジは、金額の交渉くらいしろと団長に苦言を呈しながらも、依頼そのものを断らせる気は無いようだった。
例え貧しさに喘ぐ事が有っても、非力な民のために戦う。帝都の広場でクルツが宣言した言葉は、ひょっとしたら本気なのかもしれない。それに気付いたネレイアは、改めて驚きに目を見張った。
十数年前に故郷が滅びて以来、ネレイアはずっと冒険者として生活してきた。ネレイアの故郷は水の魔術を受け継ぐ魔術士たちの村で、少女だった頃の彼女は、その村の中でも一、二を争う魔術の技能を持っていた。
だから冒険者として、ネレイアが仕事に困る事はほとんど無かった。それどころか、八大諸侯を始めとする貴族家から、彼女を召し抱えたいという誘いも再三あった。その誘いに乗ってどこかのお抱え魔術士になれば、冒険者として暮らす数倍の収入を得る事もできただろう。しかも、命の危険はほとんど冒さずに。
ネレイアがそうした勧誘を断ってきたのは、彼女が、故郷を滅ぼした魔物――水妖に成り果てた妹弟子を倒すという目的を抱えていたからだ。
今の彼女には、どうしてもという差し迫った目標は無い。ただ漠然と、故郷に帰り、そこで誰かの子どもを産んで、死んでしまった故郷の人々の形見である、魔術知識を自分の子どもに伝えたい。そんな風に思っているだけだ。
そんな彼女がこの男たちに付いて来たのは、単純に興味を惹かれたからだ。民のために戦うとうそぶく傭兵団が、一体どんなことをするつもりなのか、少しだけ関心があった。
「…………」
野営地のテントの中、ネレイアは独り、無言で水の羅針盤を見つめている。
追ってきた羊泥棒がゴブリンだと判明した後、男四人はさらなる魔物の痕跡を見つけるため、交代で周囲を探索しはじめた。ネレイアは野営地に居残っているが、彼女は彼女で魔術を使い、近くに脅威が潜んでいないかを確かめている。
ゴブリン。亜人種の中では最下級の魔物。
ゴブリンは、ネレイアにとっては何でもない魔物だ。例えば、同時に襲ってくる数が千を越えてきたら分からないが、数百程度ならば、彼女一人でも危うげ無く倒せるだろう。それどころか、かつて彼女が身に着けていた師の形見の魔術具があれば、千を越えても対処が可能だったはずだ。
しかしだからと言って、ネレイアが魔術で全てをなぎ払うのは、この新興の傭兵団のためにはならない。クルツとウェッジも、できればネレイアの力に頼らずに、初仕事を終えたいと考えているようだ。ネレイアとしても、彼らのその気持ちは尊重したかった。
「やっぱり、この近くに大きな集落があるな」
捜索をはじめて最初の夜を迎えた時、野営地に戻ってきたウェッジが言った。
彼の勘によると、ゴブリンの集落はここからより南方、草原の中にあるという。
「ただ、ちょっと気になる事がある。普通、ゴブリンは平地に集落を作らない」
その言葉に、どういう意味だとクルツが聞いた。ネレイアにも、ウェッジが言いたい事が分からなかった。
「ゴブリンは、知能はあるが弱い魔物だ。もしこんな見晴らしの良い平地にゴブリンが居たら、他の魔物にとっては良い餌にしかならない。だからゴブリンは、守りやすい森や洞窟の中に集落を作るはずなんだ」
「……つまり?」
カジミルが首を傾げる。
「考えられる事は二つ。一つは、草原の中に隠れた洞窟があるって事だ。どっちかと言えば、俺たちにとってマシなのはこっちの方か」
「じゃあ、もう一つは何だ。もったいぶるなウェッジ」
クルツがせかすと、ウェッジではなく、レスリックが答えを口にした。
「そのゴブリンたちは……、平地に居ても問題無いくらい強いか、とんでもなく数が多い。そういう事か?」
「多分、それが正解だ。痕跡からして、数の方だな。……少なくとも、千匹規模の集落がある」
途方もない数字を出されて、男たちは絶句した。いかにゴブリンが群れで生活する魔物とは言え、千匹もの集落は大きすぎる。それに、それだけの数が存在するにしては、ここはあまりにも結界に近かった。これは、ウェッジの勘の方が間違っているのではないかと考えるのが当然だ。
実際、クルツ以外はそう思っている顔をしている。
「確かだな、ウェッジ」
そう、クルツだけは、ウェッジの言葉を無条件に信じたようだ。クルツに問われて、ウェッジは頷いた。それからクルツは眼帯に指を当ててうつむき、しばらく考え込んだ。
「――明日も偵察を続ける」
次に顔を上げた時、クルツの口からは迷いの無い指示が飛び出てきた。
「魔物の集落の位置だけは、確認しておく必要がある。……それから、一時撤退だ」
一時撤退。これは、傭兵団の初仕事は失敗したという事を意味するのだろうか。それとも、間近にある大きな脅威を人々に知らせる事ができるだけ、意味があると言えるのだろうか。いずれにしても、クルツは団長として、そういう判断を下した。
撤退して、魔物の集落の位置をトリール伯に伝えれば、流石に伯の軍が動くだろう。動くだろうと思いたい。
「分かりました、団長」
丁寧な言葉遣いで答えたのはウェッジだった。レスリックとカジミルも、次々と頷く。
仮に本当に千匹居ても、自分ならばとネレイアは思ったが、彼女は黙っていた。さっき考えていたように、若い団長の意志を尊重したいという思いもあるし、実際にそれをやろうとすれば、他の四人を危険に晒す事は自明だったからだ。
クルツは見るからに無念そうだ。それは仕方が無いだろう。あれだけ揚々と号令をかけたのに、敵を前にして撤退の決断を下さなければならないのだから。
「また、次がある。気落ちする事は無いとも」
団員を鼓舞しようとしたのか、それとも、自分自身を勇気づけたいと思ったのか、クルツはつぶやく。その夜の会話は、それで終わった。
そして、翌朝。
「ねえ、ウェッジ」
「……ああ、ネレイア」
ネレイアは、野営地で二人きりになったところで、ウェッジに声をかけた。クルツを始め他の三人は、朝の軽い見回りに出ている。ウェッジは朝食当番だ。
自分にだけ何も役が当たっていないのは、やはり自分だけが、この傭兵団にとっては「お客さん」という事なのだろうかと、ネレイアは思った。
「飯が済んだら、全員で南に移動する」
ウェッジは、焚き火にかけた鍋を見ながらそう言った。ウェッジの予想では、ゴブリンの集落はここから南方にある。その位置を確認して、傭兵団は撤退する手はずだ。
「私が、やりましょうか?」
しばらく沈黙してから、ネレイアは唐突にそう聞いた。ウェッジは焚き火にくべかけた薪を手に持ったまま、ネレイアに顔を向けた。
ネレイアの言葉の意味を、ウェッジは理解している。ネレイアは、自分の魔術でゴブリンの集落を蹴散らそうかと提案しているのだ。どんな大きな集落でも、ネレイアが遠距離から高位魔術の一つ二つでも撃ち込めば、案外簡単に崩壊するかもしれない。
しかし、ウェッジは薪を火に投げ込むと、首を横に振った。
「……駄目だ」
「どうして? 今回はそれで良いじゃない。初仕事を成功させないと報酬がもらえないし、この後に差し支えるでしょう? そうすればあなたたちも、こっそり晩ご飯を抜かなくても良くなるでしょうし」
「な――」
痛い所を突かれて、ウェッジはうろたえた。
「気付かれてないと思ったの? 意外にあなたもお茶目なのね。……きっと、レスリックたちも気付いてるわよ?」
「それは……、そんな事はどうでもいいだろ……!」
ウェッジの顔は、少しだけ赤くなっている。
「はいはい。……で、どう?」
「どうって」
「私が手を貸しましょうか、という話よ」
「駄目だ」
さっきよりも強い声で、ウェッジはネレイアの提案を断った。対照的に、ネレイアの方は落ち着いた瞳でウェッジを見ている。
「なぜ?」
「これは、『俺たちの』初仕事だからだ。だからこそ、あんたが全部やったんじゃ、何の意味も無い」
「…………」
「どうしてあんたみたいな力のある魔術士が、あいつに付いて来てくれたのかは知らない。だが、クルツは一人で歩き出したばかりだ。なのにそうやっておんぶに抱っこされちゃ、良い迷惑なんだよ」
「……そう」
ネレイアが素直に頷いたので、彼女に団の初仕事が失敗した苛立ちをぶつけたウェッジは、逆に戸惑ってしまった。
だがウェッジは、それでネレイアに謝るという事もできず、ただ舌打ちをした。
「……ちっ」
粥を炊いていた鍋が噴きこぼれ、湯のかかった焚き火が音を立てる。ウェッジはぶっきらぼうな仕草で、朝食の用意に戻った。
ネレイアはそれきり何も言わず、ウェッジが朝食を作る様子を、彼の背後に腰掛けて見ていた。クルツたちが戻ってきたのは、丁度粥が炊き上がった頃だった。
「おいウェッジ、これを見ろ」
しかし、クルツは粥には目もくれず、ウェッジの側に歩み寄ると、手に持った何かを見せた。
「カジミルが見つけた」
それは一切れの、粗末な布だ。紛れもなく、人間の服の切れ端である。その意味を瞬時に悟り、ウェッジも、近くで見ていたネレイアも顔色を変えた。
「これは――」
「布は二種類ありました。ゴブリンの集落の位置も掴めた。しかしこれも……きっと、罠です」
カジミルが言った通り、これは前に見つけた羊の毛と同じく、新しい餌を誘うため、魔物が意図的に残した罠だ。
ただ前と違うのは、この布の持ち主は、間違い無く人間だという事である。
「どうしますか、団長」
レスリックに問われて、ウェッジの胸に手に持っていた布を突きつけていたクルツは、はっとした顔で振り向いた。
これはゴブリンの罠である。恐らくは、クルツたちが依頼を受けたのではない。どこか別の村から攫った人を、ゴブリンは餌として集落に運んだ。ついでに、幾つか手がかりを残していけば、それを追って新しい餌がやって来るかもしれない。
十中八九、攫われた人間は既に死んでいる。しかし、という事は、もしかしたら生きている可能性もある。それは限りなく低いが、ゼロではない。
どうするのかと、団員の目がクルツに問うていた。
「そ、それは……」
クルツは迷っている。
団員の命を優先して、撤退すると昨夜決めたばかりだ。「もしかしたら」の生存者のために、舌の根も乾かぬうちにその方針を変更するのか。それは、団員の命を預かる団長としてどうなのか。
しかしこの傭兵団は、民を守るという理想のために立ち上がったはずだ。仮にここで背を向け撤退したとして、次も胸を張って、その理想を掲げられるのか。
「お、俺は……」
どう判断するべきか、クルツは迷っていた。
「……ネレイア、あんたの力を貸してくれ」
そこでそう言ったのは、ウェッジだった。
「……あんたの魔術を使えば、集落を混乱させた隙に、攫われた人間を助ける事もできるはずだ。そうするしかない。だから、頼む」
前言を撤回して、ウェッジはネレイアに懇願しはじめた。
しかしクルツもまた、先ほどのウェッジと同じように、ネレイアの力に頼るという事に対して、否定的な思いを抱いているようだ。
「ネレイアさんの……? しかし、それは」
「クルツ、気持ちは分かる。だが――」
「分かっているなら、なぜお前がネレイアさんに頼む」
「う……」
「俺はもう、女性を盾にしてふんぞり返るような、思い上がったマネは嫌だ! お前もそれを、分かっているだろう!」
突然、クルツは激昂した。ウェッジの声も、それに負けじと大きくなる。
「落ち着け、クルツ!」
「落ち着いている!」
「俺たちの団はまだ小さい! お前が守りたいものは何だ!? 今は不本意でも――」
「言われなくれても分かってる! この団の団長は俺だ! だから、彼女に頭を下げるのもお前じゃない! ――ネレイアさん!」
「――え?」
クルツが大きな声のまま、いきなり自分の方に振り向いたので、ネレイアはびくりと震えた。
クルツは勢いよく、身体を二つに折り曲げる。
「すまないが、人の命がかかっている! 今回は、あなたの力に頼らせてくれ!」
「え、ええ。いいわよ」
「ウェッジ!」
ネレイアの同意を取り付けると、クルツはウェッジに向き直り、胸ぐらを掴んだ。
「俺は別に、お前にお守りされたいわけじゃない!」
「――っ」
それだけ言って、クルツはウェッジのシャツを放した。
「裏で余計な気を回すな。何か有るなら、まずは直接、俺に言ってくれ。俺たちは……」
そこでちょっと言い淀んでから、クルツは続けた。
「形としては、団長と副長でも、俺たちは……、ううむ」
クルツは再度、言葉に詰まる。鼻の頭を掻いたり、そわそわと挙動不審になったりしてから、意を決したように、彼は言った。
「形はどうあれ、今の俺たちは、対等だ。……俺は、そうなりたいと思っている」
その言葉を聞いて、ウェッジはぐっと、何かを堪えるような表情をした。
この一幕を、クルツとウェッジ以外の三人は、呆気にとられた表情で眺めていた。
しかしクルツは、まるで何も無かったかのように、三人に向かって言った。
「皆、聞いてくれ! 生存者が居るかもしれない以上、それを見捨てる事はできない。ネレイアさんの魔術に頼り切るのも避けたかったが、方法を選り好みする余地は無い。俺たちは即座に南下し、ネレイアさんの魔術援護の下、生存者の救出を試みる!」




