223.五人で
現時点のクルツの傭兵団は、総勢で五人。クルツとウェッジ以外には、帝都で新しく加わった者たちが三人だった。
三人のうち二人は、どこにでも居そうな中年の傭兵だ。一人は帝都にある傭兵の広場で、クルツの募兵演説を聴いて団に加わった、レスリックという男。もう一人のカジミルという男は、レスリックに連れられてきた彼の知り合いである。
傭兵団に加わる際は、二人とも、クルツの配下として働くのは今回限りだと繰り返していた。見返りの期待できない仕事をするのは、一度限りの気まぐれだと。
「レスリック、カジミル、ちょっといいか」
声をかけられて、レスリックたちは無言でウェッジの側に寄った。喜んで命令に従う、という雰囲気では無いものの、逆らうつもりも無いという感じである。
立場上、クルツが団長、ウェッジは副長で、他の三人は平等に平団員だ。だからウェッジは自分よりも年上の二人に対して、意図して上手から口をきいている。上下関係をはっきりさせることは、団をまとめるために必須だ。
傭兵歴の長い二人は、ウェッジの言葉遣いの意味も、当然理解しているはずである。その二人は、己よりも若い副長の言葉を聞きながら、常にウェッジを測るような目を向けている。という事はつまり、自分がどういう態度を見せるかで、この仕事が終わった後、この二人が団に残るかどうかが決まるだろう。ウェッジはそう考えていた。
クルツではなく、自分がとウェッジが思うのは、別に彼がクルツの事を見下しているからではない。
クルツはきっと、これから成長していくはずだ。しかしそれでも、クルツはまだ、貴族のぼんぼんであった頃の自分を捨て切れていない。だから、クルツが一端の傭兵になるまでの期間をさりげなくフォローするのは、それこそ副長となった自分の役目だと、ウェッジは思っていた。
「これを見ろ」
レスリックとカジミルが側まで来ると、ウェッジはしゃがみ込んで地面を指した。そこには、草が不自然に倒れた跡が残っている。そして更に目をこらすと、草にくすんだ白い毛が付着しているのが見えた。
カジミルが口を開く。
「羊毛……?」
「そうだ」
ウェッジは確信を持って頷いた。これは自分たちが探しに来た、羊泥棒の痕跡だ。レスリックたちに見せたのは初めてだが、ここに来るまでに、ウェッジはこうした跡を幾つか発見していた。
「ここまで、羊を引きずって来たんでしょうか、副長」
「違う、カジミル。引きずったなら、ここまでずっと跡が続いていないとおかしい。だが、そうじゃなかった。羊泥棒は、羊を手に持って運んだんだ」
ウェッジは軽く、羊を抱えるような手振りをしてみた。
獣型の魔物が、口にくわえた羊を引きずったなら、草は線状に倒れていないとおかしい。鳥型の魔物が犯人なら、地面に痕跡が残っているのは妙だ。それに、開拓村の羊小屋の柵は、何者かによって意図的に破壊されていた。
「多分、ゴブリンだな」
柵を破壊する知能を持っていて、羊を完全には引きずらず、地面を歩いて持ち運んだ犯人。ウェッジはここまでの痕跡から、そう判断した。
レスリックとカジミルの表情が、露骨に険しくなった。彼らは、ウェッジの口から出た最下級の魔物の名を聞いて侮ったのではない。むしろその逆だ。
「罠だ」
レスリックが断言する。それは、ウェッジが言いたい事と一致していた。
羊の毛が地面に落ちているのは、ゴブリンたちが慌てて逃げたせいでも、彼らの背が低かったからでもない。家畜を盗まれて怒った人間が、追おうとすれば追ってこられるだけの痕跡を、ゴブリンたちは意図的に残したのだ。
そしてこの跡を追って、羊を取り返しに来た軽率な人間は、知らない間にゴブリンたちの狩り場に踏み込む事になる。個体としての力が弱いからこそ、ゴブリンはそういう巧妙な狩りを仕掛ける魔物だった。
「じゃあ、この辺に奴らの巣があるのか……?」
カジミルが周囲を見渡すが、近辺には特に何も見当たらない。そこは一面に黄緑の草が茂る、ただの広々とした草原に見えた。しかし一見真っ平らの草原も、実際には大小の起伏に富んでおり、草に覆われた穴などもある。どこかにゴブリンの集落が隠れているとしても、驚くには当たらない。
レスリックとカジミルが、ウェッジに問いかける目をしている。相手がゴブリンだとして、副長はどういう判断を下すのか、指示を待っている目だ。
「規模にもよるが、巣があるなら潰す。ここは村に近すぎる」
クルツの傭兵団に仕事を依頼した村は、ここから徒歩で一日足らずの距離にある。その他にも、もっと近くに別の開拓村があるはずだ。
「団長はそう言うはずだ。俺たちは、村を守るために雇われた」
クルツはこの傭兵団を、民を守るという大義の下に結成したのだ。ならば他の傭兵のように、羊を取り返し、はいさようならという訳にはいかないだろう。彼らは村人の命を脅かす要因を、僅かでも取り除かなければならないのだ。
これは報酬の内ではない。ひょっとしたら、レスリックたちはそう言うかとウェッジは思った。しかし二人の男は頷くと、ゴブリンの奇襲に備えるために、自分たちは何をするべきかとウェッジに聞いた。
「進む速度を緩めて、警戒を強めるぞ。お前たちは――」
クルツの居ない場所で、ウェッジが二人にゴブリンの話をしたのは、この話を聞いた時に、二人がどういう反応をするか読めないからだった。というより、割に合わない仕事は嫌だからと、途中で団を抜けると言い出すのではと思っていたからだ。
真っ当な傭兵だからこそ、二人がそう言うのは仕方の無い事だ。しかしその時に、クルツは一体何を思うだろう。民を救いたいと青臭い事を言っても、所詮誰も付いてこない。その現実を突きつけられて、クルツは落胆するのではないか。落胆して、あっさり理想を捨てると言い出すのではないか。それが心配だったのだ。
「――悪い」
指示を出してから、ウェッジはぼそりと口にした。そのつぶやきを聞き取って、足を止めて振り返ったのはレスリックだけだ。カジミルは荷物の方に向かった。
「いや、何でもない」
ウェッジがそう言うと、レスリックもカジミルの方に行った。
――侮って悪かった。
ウェッジが二人に言いたかったのは、つまりそういう事だった。
◇
「魔物の巣穴があるのなら、当然、潰さなければならない」
偵察から戻った野営地において、団の五人全員を交えて、ウェッジがゴブリンの痕跡の話をすると、クルツは躊躇せず、ウェッジが予想した通りの言葉を吐いた。
クルツの背後では、銀の狼を刺繍した団旗が、草原の風に揺れている。
団の旗印を作るとき、そこに銀色の狼を入れようと主張したのはクルツだった。ウェッジもクルツの提案に乗り気になったのは、彼らの頭の中に、同じものが浮かんでいたからだ。
気高く、強く、あくまでも己の意志を貫くもの。
自分たちの目指す傭兵団の理想を、彼らはきっと、あの銀髪の娘の横顔に重ねていたに違いない。
「俺たちの傭兵団は、民を守るために行動するんだ。だから、例え報酬外の仕事でも――おい、ウェッジ」
クルツにたしなめられて、ウェッジは表情を引き締めた。あまりにも予想通りの言葉をクルツが言うので、少し口元が緩んでしまったのだ。ウェッジが真顔になると、クルツは団員に向けた演説を再開する。相変わらず、演説が好きな男だった。
この戦いには報酬以上の意味があると、クルツは演説の中で再三繰り返した。それにウェッジたちが飽き始めた頃に、クルツは言った。
「もちろん、無闇に団員の命を犠牲にしようとは思わない。偵察して、無理だと感じたらためらわずに引き返す。俺は、俺に付いて来てくれたお前たちの誰にも、死んで欲しいとは思わない」
ウェッジはふと、その言葉の中に、前の団長――リグスの面影を見た気がした。
「レスリック、カジミル、ウェッジ」
クルツは団員のそれぞれに顔を向けて、一人一人の名前を呼んでいく。
「――ネレイアさんも、それで良いですね」
最後にクルツが名前を呼んだのは、傭兵団の五人目の団員、魔術士を名乗るネレイアという女だった。紫がかった長い髪の、真っ黒なドレスを着た妖艶な女だ。他はむさい男ばかりの面子の中で、彼女の姿は明らかに浮いている。
「ええ、クルツ団長。大丈夫」
ネレイアは、まさに微笑ましいものを見るように、クルツに対して笑顔を向けた。
クルツにも一応言ってあるが、“水の魔女”と呼ばれた高名な冒険者がいて、それがネレイアと同じ名前だったという事を、ウェッジは知識として持っていた。だがまさか、この女がそれであるはずが無いという思いはある。この女はクルツたちが四人で帝都を出発する間際、ふらりと彼らの前に現れた酔っ払いだ。
人を見た目で判断してはいけない。特に女を外見で判断すると馬鹿を見る。その事はクルツもウェッジも、よくよく承知していた。
しかし、仮にこの女が高名な冒険者だったとしても、始めからその力に頼っているようでは駄目だ。魔術士が付いて来てくれるのは幸運だった。だが、この仕事で重要なのは、他ならぬクルツ自身が、傭兵団長としてやっていけるというだけの器量と能力を示す事だ。ウェッジはそう言ってクルツに釘を刺し、クルツも素直に頷いた。
「ネレイアさんには後詰めをお願いする」
クルツがネレイアに話している様子を、ウェッジは眺めた。鼻の下は伸ばしていない。自分たちにそんな余裕は無い事を、クルツもしっかりとわきまえている。
「俺が指示を出すまで、魔術の行使は控え、様子を見ていただきたい」
ネレイアに対し、クルツは一歩引いた口調で、暗に出しゃばるなと言った。ネレイアが微笑んだまま頷いたのは、この女も若い傭兵団長の立場を立ててやろうと考えているのか。
「――では」
クルツは一通り喋ると、すらりと長剣を抜いた。そして、身体の正面に高く掲げる。
「…………?」
レスリックとカジミルが、腕を組んだまま怪訝な顔をした。
「……どうしたの?」
剣を掲げたまま無言のクルツに、小首を傾げたネレイアが聞いた。
五人の間に、微妙な空気が流れている。
「………………おい、ウェッジ。おい」
「え?」
クルツが隣に居るウェッジに小声で囁き、ぱちぱちと目配せをしてくる。
「……ああ」
何だ、そういう事をやりたいのかと、ウェッジはクルツの意図に気が付いた。そして気が付いたなら早くしろと、クルツが彼をせかしてくる。
「マジかよ……?」
ウェッジが聞くと、クルツはこくこくと頷いた。
「やれやれ……」
ウェッジはどうしようもない気恥ずかしさに包まれたが、やはりここも副長として、クルツの顔を立ててやらなければならないだろう。ウェッジは短剣を抜いて掲げ、クルツの長剣に刀身を合わせた。
クルツは満足そうに微笑んでいる。そしてそこまでやって見せて、ようやく残りの三人も、団長がやりたい事を理解したようだ。ネレイアが木の杖を、レスリックとカジミルが短槍を、円を描くように立った五人は、中央でそれぞれの武器を重ね合わせた。
ネレイアはやけに楽しそうな表情だ。レスリックとカジミルは、妙に真剣な顔をしている。
それを見届けてから、クルツが大きく目と口を開く。
「これが俺たちの傭兵団『白銀の狼』の、記念すべき初仕事だ! 俺たちは、全土で苦しむ民のために、俺たちの旗の下で、誇り高く戦う! これからもその誓いを果たし続けるために、全員、無事に生きて帰るぞ!」
五人は草原の中で、声を合わせ、えいえいおうと鬨の声を上げた。




