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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第五章 第二節
231/289

220.霧の中の魔物

 アルフェは吟遊詩人デイルソンの依頼を引き受けた。

 デイルソンに頼まれなくとも、彼女は元々、防壁の外に報償金の出そうな魔物を狩りに行くつもりだったのだ。ならば、これはちょうど良い“ついで”と言える。依頼を引き受けた朝のうちに、アルフェはデイルソンを連れて開拓村を出た。

 標的の種類は特に定まっていない。詩を書くための話のネタになりそうな魔物ならば何でも良いと、デイルソンは言った。


「なら、ゴブリンでも良いですか」


 アルフェがそう聞くと、彼女の後ろについて歩くデイルソンは、散策にでも来たような気軽な調子で答えた。


「それは困るなぁ。言ったろ? 僕がインスピレーションを得られそうな魔物で頼むよ」

「では、その『インスピレーション』とかいうものの中身を、もう少し具体的に説明して頂けますか」

「そうだな、こう、僕の感情を揺さぶるような魔物っていうかさ」

「それはつまり……、精神を攻撃してくるような魔物という事ですか?」

「ちょっと違う気もするけど……まあ、そんなものさ」

「分かりました」


 心を直接蝕んでくるような魔物は、かなりの珍種だ。見つけようと思ってすぐに見つかるとは思えないが、依頼主の指示である。アルフェは了承した。

 そう言えば、レイスのような幽体系のアンデッドは、死者の叫びを繰り出して、それを聞いた者の正気を奪う。その辺りが適切だろうか。そう考えたアルフェは、先日ウィスプと戦った共同墓地へと足を向けた。


「趣が無い場所だな。詩作には向かなそうだ」


 墓地に着くと、デイルソンはそう言った。墓地周辺には大勢の鉱夫がいて、採掘と防壁の建設を同時並行で行っている。そう言えばここは、新しい魔石鉱脈の採掘現場になっていたのだ。

 墓は半分以上掘り返されているが、恨み言を述べに出て来たアンデッドも居ないようだ。離れた場所から鉱夫たちの作業を眺めつつ、アルフェは言った。


「レイスか何かが、居るかと思ったのですが」

「レイス? ああ、アンデッドの。でも、それだとオリジナリティに欠けるな」

「オリジナリティ……とは?」

「うん、君も知ってるだろ? エアハルトの劇場で上演されてる、新作の悲劇を」

「知りませんが」

「本当? まさか!」


 アルフェの無知が信じられないと、大げさに驚いて見せてから、デイルソンは解説を始めた。

 なんでも、エアハルト伯領の首都ウルムにある大劇場では、近頃ある演目が大層な評判を呼んでいるそうだ。


「劇場の幽霊っていうタイトルの悲劇だよ。恋と役の争いに負けた女優が、自殺して幽霊になった。それが劇場に現れて、人を襲うようになるのさ」


 そして幽霊はある日、観劇に訪れた若く美しい娘に嫉妬する。そしてその娘を餌食にしようとするのだが、娘に恋していた勇敢な青年が、命がけで娘を救うのだ。

 どこかで聞いたような気もするし、そうでも無いような気もする話だと、アルフェは思った。


「僕に言わせれば稚拙な筋書きだけど……、これが凄い客入りらしい。そろそろ帝都でも演るんじゃないかって、僕らの界隈じゃ噂になってる。で、実はこれも、実際にあった話を元にした劇らしいんだ」

「そうですか」

「あんまり関心なさそうだね……。レイスって、つまり幽霊だろ? 盗作とかって疑われるのはちょっとな。そうでなくても、二番煎じは御免だ」


 何でも良いと言ったくせに、注文の多い依頼主だ。アルフェはそう言いたげな視線を向けているが、デイルソンは意に介していない。


「それにさっきも言ったけど、こんな騒がしい場所じゃちょっとね。もうちょっと森の奥に行ってみようよ」

「……分かりました」


 二人は共同墓地を離れ、デイルソンの要望通り、人気の無い森の奥へと進んだ。


 森の奥――即ち結界から離れれば離れるほど、危険な魔物が出る確率は上がる。

 しかし、アルフェはいつもの通り、何一つ武器を携えていない。身に着けているのは、鍛治氏のヨハンに特注した防具のみだ。デイルソンはというと、何のつもりか、こんな所にまで自分のリュートを持ってきている。「楽器は吟遊詩人の命だから」と、この男は出発前に言っていた。

 つまり、二人のどちらも、魔物に対向できる手段は持っていないように見えるのだ。


 もちろん、アルフェの武器は他ならぬ己の肉体だ。アルフェはそれを承知している。

 だが、デイルソンはどうだろうか。彼はアルフェの事を、昨日今日、村長から又聞きしたに過ぎないはずだ。腕の立つ剣士に守られた、どこかの貴族のお嬢様と。アルフェが魔術の使い手か何かだと思っているにしても、どうやってアルフェが魔物と戦うつもりなのか、確認しないという事があるだろうか。

 酒場で背後に近付かれた時から、今この瞬間まで、アルフェはそんな事を考えながら、デイルソンの言動を注視していた。


「ん? 霧が出て来たな……」


 歩きながら、アルフェがデイルソンに目を向けると、デイルソンはきょろきょろと周囲を見回しながらつぶやいた。


「……そうですね」


 それにはアルフェも同意した。今日は朝からもやがかかったような天気だったが、そのもやは急に濃さを増し、まとわりつくような霧に変わった。


「いいぞ、霧っていうのは中々雰囲気がある。霧の中には恐ろしい魔物が住むって、昔から言うからな」


 そう言ってぽろんとリュートを鳴らしたこの男は、単なる何も考えていないお気楽な男なのか。それとも――。


「どこまで行きますか」

「ん?」

「もう、この辺りで良いのでは?」

「何が」

「このまま、霧の中で魔物を探し続けても良いのですが――」


 周囲は十分に人気が無い。既にここは森の奥だ。まかり間違っても、開拓村の人間が通りかかるような事はあり得ないだろう。

 アルフェは振り返り、無表情に男を見た。


「その前に、面倒な事は済ませてしまいましょう」

「……」

「あなたは、誰です」


 問い詰めるような響きが、その声には込められていた。


「吟遊詩人のデイルソンさ」


 男は笑顔で答えたように見えたが、目だけが全く笑っていない。

 ドニエステが放ってきた刺客か、それとも、教会がキルケル大聖堂の件の報復を考えたのか。どちらかは分からないが、アルフェは既に、この人間を敵だと認識していた。

 さっきまで隙だらけに見えた男の気配は一変している。巧妙に隠してはいるものの、針のような殺気が、アルフェの肌を刺していた。


「誰に命じられて、ここに来ましたか」

「さあ、君が何を言ってるのか――」

「いい加減、茶番は止めろ」


 アルフェが強い言葉を投げかけると、誤魔化そうとしても無駄だと悟ったのか、男はぴたりと黙った。そして霧の中に、自分の気配を溶け込ませていく。楽器以外は何も持っていないように見えるが、どこかに武器を隠しているのも間違い無い。紛れもなくこの男は、“その道”の専門家だ。

 そして男は音も無く、霧の中に消えた。


「…………」


 アルフェはその場で棒立ちのまま、男が仕掛けてくるのを待った。男の気配は無になったように思えるが、この霧の中に確実に存在している。認識そのものを書き換えてきたライムント・ディヒラーの幻術に比べれば、男の穏形術は児戯に等しい。

 ふいに、厚い霧を裂いて何かが飛んだ。アルフェの背後から彼女の首筋めがけ、指の大きさほどの先の尖った金属の棒が、一直線に向かって行く。

 アルフェは振り返ることもせず、首を横に倒し、その棒を事も無げに避けた。コン、という小さな音がしたのは、アルフェの前方にある木に、それが刺さったためだろう。

 そうやって三度、アルフェは霧の中から飛んでくる棒をかわした。


 最後に飛んできた凶器を、アルフェは右手の人差し指と中指の間に挟んで止めた。そして興味深そうに、その黒い金属の棒をしげしげと観察する。


「……これは」


 先端に何かが塗られている。そして、かすかに匂う刺激臭。これは、毒だ。

 アルフェはそれに見覚えがあった。


「ああ、あの時の……」


 アルフェは少し眉をひそめた。

 懐かしいと言えばいいのか。アルフェは一度、これに傷つけられてひどい目に遭った事がある。エアハルトで、雇い主のクルツを狙った暗殺者を追って、屋根の上を走った時だ。その暗殺者が、これと同じようなものを投げてきた。

 その時の暗殺者は、他でもないフロイドと組んでいたはずだ。フロイドならば、これについて何か知っているだろうか。


「――?」


 アルフェはその凶器に気を取られていた。しかし当然、敵はまだ去っていない。遠距離からの投擲でアルフェを倒す事を諦めた敵は、接近戦に切り替えてきた。霧の中から男の腕だけが見え、その手が握ったナイフが、アルフェの急所を狙う。

 フロイドに言われたように、自分は戦闘中に油断するのが癖になっているのかもしれない。アルフェは苦々しい顔で反省しながら、そのナイフをかわし、男の手首を掴んだ。


「――ぐっ」


 手首の骨が粉々に砕けたはずなのに、男はそれだけしかうめき声を漏らさなかった。アルフェは力任せに、男の身体を自分の方へと引き寄せた。


「ごほっ!」


 男の手首を掴んだのとは逆の手で、アルフェは敵のみぞおちに魔力を乗せた掌打を打ち込んだ。と言っても、死なない程度に加減はしてある。息の根を止める前に、この男には確認したい事があったからだ。

 全身の魔力の流れをガタガタに乱されて、男は為す術無く地面に這いつくばっている。それを見下ろしたアルフェは、抑揚の無い声で尋ねた。


「誰に命じられたのか、答えなさい」

「……」

「ドニエステの者ですか、……それとも、神殿騎士団?」

「……」


 痛みに脂汗を浮かべながらも、男の表情は貼り付いたように変わらない。アルフェの問いかけに対しても、何一つ言葉を発しようとはしない。


「あなたも仕事なのでしょうから、お気の毒ですが。……答えないと、死にますよ?」


 アルフェは念を押したが、そんな事は男も理解しているはずだ。それでも何も言わないのは、死ぬ覚悟はできているという事なのだろう。


「…………ふぅ」


 彼女はしばらく男を見下ろしてから、一つため息を吐いた。


「さようなら」


 男は一瞬、目をつぶった。アルフェに止めを刺されると思ったのだろう。

 だが、アルフェは男を放置して、その場を歩き去ろうとした。

 どうしようか迷ったが、同じように自分を殺しに来たフロイドが、今は自分の臣下に収まっている。気まぐれに、一度だけなら機会を与えても良いのかもしれないと考えたのだ。

 アルフェはそのまま振り向かず、霧の中を開拓村の方向へと歩いて行く。


「…………チッ」


 しかし、アルフェの足は止まった。彼女の背後で、男が立ち上がっている。しかも、アルフェに対する殺意を維持したまま。


「分かりました」


 アルフェは吐き捨てるように、一言だけ発した。

 デイルソンというのは、果たしてその男の本名だったのだろうか。詩について饒舌に語っていた言葉も、酒場で彼が演奏していた曲も、全てはアルフェに近づき、彼女を油断させるための擬態だったのだろうか。

 どちらにせよ、銀髪の少女が去った後、森の中に残された男の死体が、その答えを語る事はもう無い。

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― 新着の感想 ―
[一言] 依頼そのものは致命的に聞く相手を間違えてると思ったけどまさか御指名だとはね 捕捉されたか〜 色々と目立つからなー
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