216.魔力酔い
開拓村の酒場の中は混雑していた。飲んでいるのはほとんどが鉱夫だったが、ちらほらと冒険者らしい人間の姿も混じっている。彼らに酌をする給仕女の数も多く、この村はやはり、かなり豊かなのだとアルフェは思った。
アルフェは、涸れ井戸の奥に住み着いたワームを退治した後も、その名前の無い開拓村に留まっていた。
地理的には、この村は帝都の南東方向にある。結界の外の銅鉱山に、へばりついた様に築かれた村だ。銅はもともと需要の大きい金属だし、たまに銅と一緒に、魔術の触媒となる魔石が採掘されるとかで、護衛を付けた交易馬車も頻繁に往復しているという。
結界外の鉱山となれば、坑道の中に魔物が侵入してくる事もあった。先日アルフェが倒したワームの様に、地中に穴を掘って暮らす魔物も多い。日雇いの鉱夫に混じっている冒険者たちは、そうした魔物を討伐して、報償金を稼ぐ事を目当てにしている。
「特に、腕の立ちそうな者は居ませんでした」
フロイドがアルフェに報告した通り、現在この村に留まっているのは、二流か三流の冒険者だけだった。三流の者たちに至っては、鉱夫としても働いていて、そちらの方が冒険者としての稼ぎよりも多いそうだ。
出入りが激しい場所だけに、今後もそうであるとは限らないが、今のところは、人間の中にはアルフェが手合わせを求めたい相手も、警戒すべき敵も居ないという事だった。
――新しい防具も大分馴染んで来たし、もう少し手強い魔物と戦えれば良いのですが……。
だから必然的に、ここでは魔物相手に鍛錬を積むという事になる。そのために、
アルフェは酒場の壁に張られた冒険者向けの依頼を見ていた。
港町のパッサウで休息した事で、肉体的にも精神的にも、アルフェの疲労は十分に取れた。今の彼女は、無闇に思い悩むような事は無く、戦える魔物を元気に探して、手当たり次第にぶちのめしている。
アルフェが手頃な依頼を物色している間、フロイドはアルフェの近くのテーブルに腰掛け、家畜の乳を蜂蜜で割った飲料を飲んでいる。
この村での二人の関係は、道楽で武者修行をしているお嬢様と、その護衛に付いて来たお供の騎士だという風に見なされていた。アルフェも十七を過ぎ、その体つきと顔つきは、半分以上は大人だった。一、二年前なら、アルフェが冒険者だと名乗ると、初対面の人間は異常なものを見る目を彼女に向けたが、今ならば「もしかしたら、そういう事もあるのかもしれないな」という顔をする。
ただもちろん、アルフェが素手で戦うなどとは、誰も考えていない。彼女が丸腰なのは、魔術を使いこなすからだと思われていた。
――光る幽霊……?
仕事の中に、アルフェの目を引くものがあった。
村の外に作られた墓地に、発光する霊魂が出没するという内容だ。霊魂――即ちアンデッド。アンデッドには慣れたアルフェだが、その霊魂が、魔術を使用して村人に危害を加えたという情報が気になった。
「うん」
これに決めたと、アルフェは依頼の紙を掲示板から引き剥がした。そしてフロイドの居るテーブルの前を通り過ぎ、酒場のカウンターに向かう。
「これはお嬢様。また何か、依頼を引き受けて頂けるのでしょうか」
宿屋の主人を兼ねた村長は、媚びるような笑みを浮かべ、揉み手をしながらそう言った。
腕の立つ忠実な剣士を護衛に連れ、滅多に見ない程の特注の防具を身に着けた娘。村長の中では、アルフェの正体は大貴族か大富豪のお姫様という事になっていた。――まあ、あながち外れでも無いのだが。
とにかく村長にとって、アルフェは厄介な仕事を片付けてくれるありがたい存在でもある。媚を売って損は無い相手という事だ。
「これを」
「これは……。はい、ありがとうございます。これも丁度、引き受け手がおらずに難儀していたんですよ」
「この共同墓地というのは、どこにあるのですか?」
「防壁の北側です。村の中に作るのは、疫病が恐ろしく……、さりとて、焼く訳にはいきませんから」
この国の風習では、人間は死ぬと土葬される。焼いて身体を失うと、死後に天界に行く事ができなくなるという、教会の教えと土着の慣習の入り交じった思想が根付いているためだ。
しかし、焼かずに埋めた死体は、時に疫病を運ぶ。大きいと言っても、ここは防壁の中に身を寄せ合うような形で建設された開拓村だ。村の中に墓穴を掘る余地は無い。だから村長が言うように、少々危険でも、防壁の外に墓地を作ったのだろう。
「死者がアンデッドになるような心当たりは?」
「例え身寄りの無い者が死んでも、きちんと手順を踏んで埋葬しております」
死体がグールになったり、霊魂がゴーストやレイスになったりする事が無いよう、最低限の心配りはしているという事だ。だがそれでも、結界の外に死体がある以上、アンデッドになってしまう時はなってしまう。
「分かりました。数日中に片を付けます。――フロイド!」
取りあえず、場所さえ分かれば実際に行ってみるのが一番だ。
アルフェが声をかけると、ジョッキの中身を飲み干して、フロイドが立ち上がった。
◇
アルフェたち二人は、依頼を引き受けてすぐに、開拓村の共同墓地に赴いた。墓地は森の中にあったが、昼日中で、辺りはまだまだ明るい時間帯だ。
「魔力の流れが、他の場所とは違います」
アルフェがつぶやくと、フロイドが、分かるのかと聞きたげな視線を向けてきた。
アルフェは頷き、指で指し示しながら説明を始めた。
「あの岩肌が露出した地面の辺りから、この一帯に向けて魔力が流出しています。丁度、この墓地の上に溜まるように」
「俺には……良く、分かりませんが」
フロイドは眉間にしわを寄せ、目を細めてアルフェの見ている方を見ているが、アルフェが感じている程には、魔力の流れを追えていない様子だ。
アルフェは少し考えてから、この機会に一つ質問をした。
「あなたは今まで、魔術を使った事は有りますか?」
「有りません。正確に言えば、近衛だった頃に基礎理論は教わりました。しかし、自分で使おうとした事は無い」
「それでも、誰にでも魔力は有るのです。しかもそれだけの腕を持っていて、人より魔力が劣るという事は無いはずです。例えばフロイド、以前あなたは、魔力の籠らない剣で、実体の無い幽鬼を斬っていました。その時には、どうやっていますか?」
「……? 剣を、腕の延長だと考える様にして。そこにまあ、気合いを乗せて、後は勘で。……あの技は独学だから、抽象的になるが」
「その気合いを、魔力だと考えましょう。それを眼にまとわせます」
アルフェがこんな風に他人にものを教えてみようと思ったのは、ただの気まぐれだった。ただの気まぐれだが、それも良いかもしれないと思ったのだ。
フロイドは、アルフェの指示に諾々と従っている
「見えますか?」
「薄ぼんやりと、見えなくも、無いような、そうでも無いような」
「それは魔力が――いえ、気合いが足りないからです」
「そういう、問題なのか……?」
「あなたはさっき良い事を言いました。大体は気合いで何とかなるものです」
「違うと思うが……」
口答えをしながらも、フロイドは更に視線に力を込めて、眉間のしわを深くしている。
「見える。と言うより、感じるな……。妙な膜が漂っているような。奇妙だ」
「そうです。それが魔力の流れです」
アルフェは満足そうに頷いた。
フロイドは集中を解き、目を閉じて、親指で鼻の付け根を押さえている。
「何だ、これは。くらくらする……。まぶたの裏が、虹色で」
「普段と違う魔力の使い方をすると、そうなります」
「魔術士の言う魔力酔いって奴か……。……大丈夫なんですか? これは」
「もちろん。やり過ぎれば死にますが、やり過ぎなければ死にませんから」
「全然大丈夫じゃ無い……」
「とにかく、これを繰り返せば、魔力の動きがより良く分かるようになります。相手の魔術の予兆も明確になるので、対処もしやすくなるのです」
「吐きそうだ……」
フロイドは真っ青な顔をしていたが、アルフェは少々興奮気味だった。
アルフェは、自分がかつてコンラッドから教わったように、体内魔力の操作法をフロイドにも教えてみた。この男に素質が有ったという事かもしれないが、僅かな指導で確実な手応えを感じる事ができたのだ。
即ち、コンラッドが武神流と名付けた技術は、その気になれば、アルフェでも他人に教えられるという事だ。この技がコンラッドの生きた証なら、アルフェが死ねば、それも絶えてしまう。だが、人に伝える事ができるなら、彼の生きた証を絶やさないための方法が有るという事だ。
フロイドが魔力酔いから立ち直るまで、二人はその場に立ち止まっていたが、今にも吐きそうな顔をしているフロイドとは対称的に、アルフェはかなり、明るい表情をしていた。
◇
「さて、余計な事で時間を食いましたが」
「主君は臣下を労るべきだと思うぞ」
「やはり、霊魂と言うからには夜に出るのでしょうか」
「やれやれ……」
この墓地に留まっている魔力の源が何であるかは不明だ。魔力が流出している地面を掘ってみれば、ひょっとしたら何かが出てくるのかもしれない。だが、それは村に戻ってから報告する事だ。
アルフェは冒険者として、出現した魔物の対処を先に行わなければならない。
墓地にこれだけの魔力が集まっているとなると、強力なアンデッドが発生する条件は満たしているように思える。しかし、魔力の気配に暗い感じは無かった。アンデッドの発する淀んだ空気とは、また少し別の感じだ。
アルフェは言った。
「この一帯の魔力からは……、神聖術と同じような気配がしますね」
「神聖術と言うと、神殿騎士団が使うような?」
彼らが以前に戦った、パラディンのエドガー・トーレスが、非常に高度な神聖術の遣い手だった。
「はい。アンデッドを喚ぶ黒いマナとは、対極の気配です」
「ふむ……。どうしますか?」
「夜まで待って魔物が出ないようなら、一旦引き上げて対処を考えましょう」
だが、結局は出直すまでも無かった。二人がその場で二、三時間待機していると、暗くなる前に目的の魔物が現れたのだ。
「何でしょう、あれは」
アルフェは首を傾げた。
蒼白い球状の光が三つ、どこからかふよふよと漂ってきて、墓地の周囲を泳ぐように移動している。悪霊と対峙した時に感じるような悪寒は、その光の球体からは感じない。
アルフェの疑問には、フロイドが答えた。
「ウィスプですね。……なるほど、神聖術と似ているというのは、こういう訳か」
「ウィスプ?」
「ウィル・オ・ウィスプ。低地ではあまり見ないそうですが、俺の故郷の山では、たまに中腹の方で発生します。光の妖精とも呼ばれていますが」
「私が読んだ図鑑には、載っていませんでした……」
「それは、そういう事も有るでしょう。ウィスプは白い光のマナの塊だと言います。神聖術に似た気配がするのも頷ける」
二人が話している間も、ウィスプは相変わらず空中を漂っていた。その動きは不規則で、意思が宿っているようには見えない。
「こちらに敵意を向けてくる様子は有りませんね」
「ウィスプは魔物ではなく、雷などと同じく、魔力が引き起こす現象だそうです。近寄らなければ害は無い……らしい。どうします。放っておきますか?」
「うーん」
アルフェはあごに人差し指を当てて考えた。どうやら依頼に有った幽霊というのは、このウィスプの事だったようだ。これがフロイドの言う通り無害なら、敢えて散らす必要は無いように思う。だが依頼書には、これに追われて怪我をしたという村人の報告が有った。
「――まあ、依頼は依頼ですからね」
そう言いながら、アルフェはウィスプの方に向かい、一歩足を踏み出した。
同時に、パンッと白い光が弾けて、アルフェの足元の地面が焼けた。草が炭化し、石が赤く溶けている。確実に、中位の電撃魔術くらいの威力があった。しかも魔力を収束する時間も、予備動作も全く無い。アルフェは歩き出そうとした姿勢のまま固まって、フロイドに聞いた。
「……害は無いのでは?」
「……近寄らなければ、と。それに、俺も間近で見るのは初めてですから」
「まったく……。――フロイド、一匹は任せます」
「承知しました」
気を入れ直したアルフェは、トントンとつま先で地面を叩き、フロイドはすらりと剣を抜いた。
◇
「光の妖精? 幽霊では無く?」
「はい」
三匹のウィスプを退治して、アルフェたちは開拓村に戻ってきた。ウィスプは攻撃を受けると霧散してしまったので、退治したという証拠は何も残っていない。だからせめて、アルフェは墓地の周囲の状況を説明した。
「お墓の近くに、強い魔力の発生源が有るようでした。ウィスプたちは、それを餌にしようと集まっていたのではないかと」
「魔力の発生源……」
「何か、埋まっているのでしょうか」
「さあ……、私にはとんと」
村長はとぼけたが、その顔は何か心当たりが有るようだった。人をやって調べさせると言った時の彼の表情は、妙にいそいそとして見えた。
だが、詮索する必要は感じなかったので、アルフェは特に問い詰めなかった。報酬も満額支払われたので、彼女が不満に思う所は無い。一日かからずに一つの依頼をこなし、しかも魔術に対処する訓練にもなったので、アルフェは満足だった。
主人のおごりだという晩餐を食べ、アルフェは部屋で眠った。
「ふ……」
朝起きると、アルフェは桶に汲んであった水で顔を洗った。そして身支度を調えて扉の鍵を開け、階段を降りる。
フロイドは当然、アルフェとは別の部屋に泊まっている。そのフロイドは、既に起きていて一階の酒場に居た。
「何か有りましたか?」
「さあ。俺が来た時には、既にこうでした」
酒場は朝っぱらから騒然としている。鉱夫たちが集まって村長を取り囲み、彼を褒めそやしているようだ。
フロイドが鉱夫たちに事情を聞いて回ると、内容はこうだった。
「村長が村の外で、新しい魔石の鉱脈を見つけたそうです。しかも、かなり大規模な」
「魔石……。それはつまり」
「ええ、昨日俺たちがウィスプを倒した墓地ですね」
それで大体、アルフェにも事情が飲み込めた。
ウィスプを呼び寄せた魔力の発生源になっていたのは、墓地の地下に埋まっていた魔石の鉱脈だったのだろう。アルフェの話からそれを察した村長は、夜の間にその鉱脈に手を付けた。村長が挙動不審だったのはそういう訳だ。
「ですが、墓地があるのに? それも掘り返す気でしょうか」
多分そうなのだろうと思いつつ、アルフェはつぶやいた。給仕に朝食を注文したフロイドは、座ると言った。
「そうなるでしょうね。全く、たくましいものだ」
「こういうのは、がめついと言うのです」
「貴女にそう言われては、あの村長も世話はない」
「黙りなさい」
アルフェたちは朝食に取りかかった。村長たちが死人の墓を掘り返した所で、アルフェたちには関係ない。それよりは、目の前の食事の方が重要だ。
アルフェもフロイドも、この世界で生きる事の辛さを知っている。だから彼らは、村長がする事が多少死者を冒涜していたとしても、批難するつもりは無いし、止めるつもりもさらさら無かった。
「……でも、今度は本当に、アンデッドが出る事になるかもしれませんね」
焼いたパンを口に運びながら、アルフェは言った。
もしそうなって、自分に依頼が飛んできたら、精々報酬を吹っ掛ける事にしよう。アルフェは冷ややかな眼で、騒ぎの中心で笑っている村長を眺めた。




