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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第五章 第一節
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205.帝国元老院議会

 椅子に座った母親が、腕の中に乳飲み子を抱いている。

 母親の髪色は金で、赤子の髪色は銀だ。

 銀髪。とても艶のある、銀色の美しい髪。

 母親――ラトリア大公妃は、ふと思った。


 銀色の髪というのは、自分の親類にいただろうか。

 生まれたばかりの頃は判別しにくかったが、こうして抱きしめ眺めていると、この子の髪が銀色であるという事は、はっきりと分かった。

 自分の両親も祖父母も、多少の色の差はあっても皆金髪だ。では、自分でないなら父親の血だろうか。しかしこの子の父の大公も、赤みがかった金髪である。長女も金髪なのに、どうして次女だけが銀色の髪を持って生まれてきたのか、大公妃にはよく分からなかった。

 だが、自分の腕の中にいる次女が、むずがゆそうに身体を揺すったことで、大公妃の思考は中断された。


 ――あら? どうしたのアルフィミア。


 大公妃は、子の母になったことがある者にしか出せないような、優しい声を出した。アルフィミアと呼ばれた赤子は、母親の胸に顔を埋めると、満足げに寝息を立て始める。

 この愛くるしい寝顔を見ていると、髪の色の違いなど、些細なことだと思える。金髪も銀髪も、この国では特に珍しい髪色ではない。どこか遠い親戚に、こういう髪を持った人がいたのだろう。大公妃はそう考えた。


 ――アルフィミア! お母さま、アルフィミアは?


 ――しー。大きな声を出したらだめですよ。あなたの妹はおねむです。


 アルフィミアの姉である長女が、勢いよく部屋に入ってきて、大公妃は彼女を柔らかくたしなめた。

 この長女はまだ三歳だが、随分とお転婆な性格に育ってしまった。いつも野外で、虫を探したり木の棒を振り回したりしながら、泥だらけになって遊んでいる。

 だが、流石にこの部屋の中に入る前には、手も足も清潔にしてきたようだ。顔も、今洗ったばかりのようにぴかぴかと輝いている。侍女が仕事を頑張ったのか、それとも幼いながら、この子にも姉としての自覚が備わってきたのか。どちらにせよ、大公妃は微笑んだ。


 ――また眠っているの? 私、アルフィミアとお話したい。


 椅子の側に寄ってきた長女は、ふんふんと鼻息を荒くしながら、初めての妹を見つめている。こんな調子で、妹が生まれてから、長女はずっと興奮しっぱなしだ。


 ――あら、赤ちゃんは眠るのがお仕事です。それにアルフィミアは、まだ喋れませんよ。


 ――じゃあ、私が言葉を教えてあげる。私、おねえさんだから!


 大公妃は、次女を抱いたまま、長女の髪を愛おしそうに撫でた。長女の金の髪は、まるで太陽のような明るい光を放っている。


 ――ねぇお母さま、アルフィミアの髪は、お月さまみたいね。


 妹の髪の色については、長女も気になっていたようだ。「お母さまもお父さまも、私も金髪なのに」と呟くと、彼女はくるくると、少し癖の有る自分の髪をもてあそんだ。


 ――うらやましいなぁ……私も銀色がよかったなぁ……。


 ――あなたの髪も、綺麗ですよ。


 ――……ほんとう?


 ――ええ。まるでお日様のようです。お母様は、お日様もお月様も、同じくらい好きよ。


 ――……う~ん。


 ――それとも、お母様たちとお揃いは嫌?


 長女は首を勢いよく横に振り、それから弾けるような笑顔を見せた。釣られて、大公妃の笑顔も大きくなる。

 しかしその笑顔は、長女の次の言葉にかき消されてしまった。


 ――でも、お父様は。


 ――……え?


 ――お父さまは、アルフィミアが銀色なのは嫌なのかな……。


 そんな風に無邪気に放たれた長女の疑問が、大公妃の心に、少しの引っかかりを残した。



 この帝国には皇帝がいない。

 帝国のくせに皇帝がいないとはどういう事だと首をかしげたくなるが、無論、初めからいなかった訳ではない。

 最後の皇帝がいたのは、今から約百年前の事だ。その当時、帝国全土を巻き込んだ大きな戦争があって、戦士でもあったその皇帝は、前線に出て命を落とした。ただ流れ矢に当たっての、あっけない死だったらしい。

 そしてそれにより、戦争の目的は、あっという間に後継者争いに切り替わった。死んだ皇帝に、血を分けた実子がいなかったからという事もあるが、そもそも、この国の皇帝位は世襲ではない。次代の皇帝の座を巡り、宮廷の内外で、複雑な権力闘争が発生した。群雄割拠のような状態になって、帝国領内は荒れに荒れた。それで新たに勃興したり、没落したりする領邦も多かったらしい。

 その戦争で、人々は、戦い疲れるほどに戦った。おびただしい死者が山野を埋め、川の流れをせき止めた。だが、そんな争いの果てにも、次の皇帝は決まらなかった。

 戦争の終わりごろから、帝都を中心とする皇帝直轄地を、当時から存在する帝国元老院が、皇帝の代理としてなし崩し的に収めるようになり、それが何となく上手くいった。皆争いに疲れていたので、何となく上手くいったものを、敢えて壊そうとする者も現れなかった。これが現在の元老院統治の始まりだ。

 それ以来、皇帝の椅子は空席のままで、なあなあの状態が続いている。皇帝がいないのだから、自然と、諸侯たちの帝国に対する忠誠は衰えた。彼らは前にも増して、自らの領邦の事しか考えなくなり、互いに争い領地を奪い合ったり、あるいは独自の発展を目指そうとしたりした。

 ここ百年の帝国の歴史を、大雑把に語れば、そんなものだ。

 現代の帝国民は、己の住む領邦や都市に対しては強い帰属意識を有しているし、信仰のよりどころである教会に対しても思い入れを持つ。しかし帝都の人間以外は、帝国や皇帝というものに対する意識が、呆れるほどに薄く軽い。そんな風にも評される。

 つまりこの帝国の臣民にとっては、「帝国」も「皇帝」も、案外どうでも良い存在で、ほとんどの民にしてみれば、自分と家族の今日の暮らしの方が、はるかに重要な話題だった。

 そのはずだったのだが――


「! 先のトリール伯とノイマルク伯の争いを見よ! 今、帝国は荒廃しつつある! 帝国法に従わない不届きな領邦も多くなった! このままでは帝国全体の瓦解を招くぞ! 議員諸君! 次の皇帝を選出する時が来ているのではないか!」

「そうだ!」

「その通りだ!」


 ここは帝都の中心街区にある、元老院の議会堂だ。方々の席から熱の籠った意見が飛び、議会堂の中に、割れんばかりの拍手が巻き起こる。


「私はこの場において、皇帝選挙を執り行うことを提案する!」

「異議なし!」

「馬鹿な、時期尚早だ!」

「黙れ! 今を置いて、他に時は無い!」


 議員たちは白熱した面持ちで議論し、興奮のあまりほとんど全員が起立している。ここ数か月、元老院は毎日がこんな感じだ。「半分は欠席で、四分の一は居眠り」と帝都の民に揶揄されてきた元老院議会の風景とは、とても思えない。

 次の皇帝を選出すべく、皇帝選挙を行うべきではないかというのが、今日の議論の中身だった。今日の、と言うよりも、ここ最近の議題はずっとそれだ。

 ――しかし、皇帝などいなくとも、この国は何となく回ってきたはずでは無いか。宮殿にある皇帝の玉座には、とっくに蜘蛛の巣が張っている。そんな百年間も放っておいた皇帝について、なぜ今さら――そんな風に腑に落ちない顔をしているのは数人だけで、残りは皇帝選挙を行うべきか否かについて、反対派の者に殴りかかる勢いで意見を述べていた。


「休憩! 一時間の休憩とする!」


 意見の収拾が付かなくなってきて、議長がそう宣言した。議長は大きなベルをカランカランと振り鳴らし、議員たちに速やかに退出するように求めている。

 議員たちは興奮冷めやらぬ様子だったが、やがて派閥ごとに固まって、議会堂を出ていった。


「ふ~、ようやく一息つけるな。しかし……お偉方は一体どうしたって言うんだ? 何をあんなに興奮してるんだ」


 ある書記官は、議会堂内の事務室に戻ると同僚に愚痴を言った。

 お偉方と彼が言うのは、元老院議員を務める貴族たちの事である。普段は帝都の屋敷で贅沢な暮らしをする事しか頭に無い連中が、ここの所はあの通り、ほぼ皆出席でやたら熱心に議論をしていた。その熱心のお陰で、彼を初めとする帝国書記官の仕事は倍増している。清書しなければならない議事録の量も、これまでとは比較にならない。

 彼に愚痴を聞かされた同僚は、ペンを動かしながら、諦めたように言った。


「分からん。私たちみたいな下っ端役人が考えたって、分かる訳ないだろ」


 実のところ、彼らが務める帝国書記官は、役人の中では上位の権限を持つ位だったが、貴族議員の気まぐれに付き合わなければならないという点で、使い走りと大差ない。少なくとも、彼ら自身はそう思っていた。


「それにしても、なぜいきなりあんな議論を?」

「“皇帝選挙”か」

「ああ」


 次の皇帝を選ぼうという議題が、初めて元老院に提出されたのは、去年の今頃だった。完全に寝耳に水の話だったが、その時は大した議論にもならず、すぐに忘れられた。だが、二か月くらい前に皇帝選出の話は再び持ち上がり、そこから論調は徐々に加熱し、現在に至る。


「皇帝なんかいなくたって、この国はずっと平和だったじゃないか」


 平和――書記官のその発言は、つい先日まで話題に上がっていた、トリールとノイマルクの戦争などは念頭に置かれていない。役人に蔓延する腐敗のことも、各地の領邦で起きる都市や農民反乱も、重税に喘いでいる荘園の小作人の事も、ましてや魔物の害に怯える辺境の開拓村などは、視界にすら入っていない。

 皇帝など居なくても、「帝都は」ずっと平和だった。彼の発言は、そう置き換えた方が適切だろう。同僚も、同感だという顔をしている。役人の彼らですらそうなのだから、大半の一般帝都民の感覚がどうであるかは、言うまでも無い。


「本当に皇帝を選ぶってなったら、しばらく家に帰れないぞ」


 元老院は盛り上がっているが、彼らが行うのは、選帝会議を開催するか否かの判断までだ。実際の選出は、 「皇帝選挙」とも呼ばれる、八大諸侯による選帝会議によって行われる。

 つまり、広大な大陸全土から、八大諸侯全員を呼び集め、一ヶ月以上に渡る諸々の典礼をこなさなければならないのだ。八大諸侯だけでなく、付随して呼ばねばならない中小の諸侯も多い。

 議員たちの思惑はともかくとして、書記官である彼らにとっては、目の前に横たわる実務の方がはるかに重大であった。最後に行われたのが百年以上前だという儀礼を再現し、つつがなく執り行うために、どれほどの打ち合わせと準備が必要になるのか。そんな事は想像したくも無い。


「史官の連中とも話をしないとな」

「それに、教会とも。皇帝に冠をかぶせるのは、総主教様のお役目だろう? 儀礼には大聖堂も使わなければならんだろうし。近隣諸国にも、早めに書簡を出さないと」

「ああ、そうか。商人連中にだって、黙っておく訳にはいかんだろうな」


 その調子で根回しをしておくべき部署や組織の数を挙げていくと、二人の両手の指を合わせたくらいでは足りなくなった。

 準備にかかる手間と時間を考えると、本当にやるかやらないかはともかく、出来るように事務方の用意は整えておくべきだろうと、二人の判断は一致した。


「だが、八大諸侯を集めると言ってもなぁ……。トリール伯の跡継ぎはまだ決まっていないし、ラトリア大公もあの調子だ」


 選帝会議に出席する権利を持つ八名の内、今のところ二人が存在しないということになってしまう。差し当たって、最も大きな障害はそれだと思われた。

 トリール伯を継ぐ者はいずれ決まるにしても、ラトリアは隣国ドニエステに支配されたままだ。普通なら大公妃が出席したのだろうが、今の状況でお出ましを願うのは無理である。


「それは……、まあ、それこそお偉方が考えるんじゃないか?」

「どっちにしても、しばらくは慌ただしいな」

「はた迷惑な話だよ」

「まったくだ」


 そろそろ休憩が終わる時間だと、廊下で衛兵が告げ回っている。

 その声を聞いて、書記官二人はやれやれと腰を上げた。


「この困難な時代だからこそ、今こそ皇帝の元で、帝国は一つにまとまるべきなのだ!」

「そうだ! 民衆は強力な指導者を求めている! 我々は民の要請に従って――」


 休憩前の熱気はそのままで、議員たちが議会堂に戻ってきた。

 第六次トリール=ノイマルク戦争が終息してから約半月。帝都は春を迎えていた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 当時の皇帝には世継ぎは居らんかったのか? 八大諸侯から選出するって事は皇族の血筋は夫々に受け継がれてる? そもそも血統は重視されてない? 100年放置されてきて忠誠心の欠片もなくした…
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