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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第四章 第七節
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199.Launch

 戦いが始まった瞬間に、ベレンとエドガー、二人の間にあった石造りの噴水は弾けて壊れた。前庭の緑は次々と切り刻まれ、地面にもえぐれた跡が付いていく。パラディンとそれに匹敵する者同士の戦いなど、そう頻繁に起こるものではない。ベレンとエドガーの戦いは、常人では目で捉える事すら困難な領域に達していた。

 ベレンは己の大剣を、まるで羽のように軽々と振るった。天から勢いよく振り下ろしたと思えば、地面すれすれでそれを止め、些かの停滞も無く次の攻撃に移る。細身の片手剣ですら難しい軌道を、彼は分厚い金属の塊である両手剣で行っているのだ。かと思えば、大剣の長さと重量を活かし、大理石の立像の後ろに隠れたエドガーを、その像ごと叩き潰そうとする。まさにこれが、ノイマルク最強の戦士の実力であった。


 対するエドガーも、それに全く引けを取っていなかった。純粋な戦士としての技量はベレンに一歩劣るかもしれないが、エドガーの動きは高度な神聖術で強化されている。元からの凄まじい身体能力もあって、迫り来る大剣を、彼は全て紙一重で避けていた。

 エドガーの持つスパイク付きのメイスと凧状の盾は、どちらも神殿騎士団が所蔵していた、名品と謳われる魔法の武具だ。その神盾はベレンの強撃を受け流してもかすり傷一つつかず、持ち主に伝わる衝撃を極限まで緩和している。メイスは何の効果を持つのか判然としないが、それがまとった魔力が光となって、エドガーが振るう度、薄赤い軌跡を描いていた。

 二人の攻撃の延長線上にいたものは、剣圧と衝撃で次々と斬り飛ばされ、吹き飛ばされていく。瞬き一つの不覚で決着が付きそうな、嵐のごとき応酬。だが、この戦いがどちらの有利に進行しているかを問われれば、それは、明確にエドガーであると答えざるを得なかった。


「ぬううううッ――!」


 今、ベレンがエドガーによる盾の一撃を喰らい、外門の側まで吹き飛ばされた。

 それでも体勢を保ち、隙を見せないのはさすがと言える。しかし、ベレン自身も、己が敵に押されているのを感じていた。

 家族が害される前に、敵を打ち倒さなければという焦りもあるだろう。鎧を身につけていない上、ここまで走ってきた疲労もある。しかしそれ以上に、エドガーの両翼に、弧を描くように広がった神殿騎士たちが問題だった。

 彼らは戦闘に参加してくる訳では無い。ただひたすらに盾を構えているだけだ。だが、その盾から発せられている光は、エドガーが用いているのと同じ、神聖術の光だった。


 ――エドガーに疲れが見えない……! あの術の効果か……?


 以前にエドガーと直接に面会した時、戦う者の常として、ベレンはエドガーの力を目で測った。その時ベレンは、いざ戦えば相手とは互角か、あるいは自分が有利だと踏んだ。

 それは本当に微妙な差だったが、ベレンほどの実力者の目には、己の実力も、相手の実力も良く見えていた。判断に誤りは無かったはずだ。

 しかし今、ベレンは明確にエドガーに押されている。二人の力は、既に完成された力だ。このわずかの期間にベレンが衰えるということも、エドガーが成長するということもあり得ない。

 即ち、この差を生み出しているからくりは、エドガーに付与された神聖術にあった。

 周囲の神殿騎士たちは、神聖術を媒介に、エドガーに向かって己の体力と気力を分け与えている。エドガーが力の配分を気にせず、常に全力で打ちかかることが出来る理由がそれだ。やり過ぎれば、与える側の心身に取り返しの付かない損傷を負わせる、相応のリスクを背負った魔術だったが、信仰という固い絆で結ばれた、ベレンとその麾下たちにとっては、その程度は些事だった。


 ベレンも早くからこの陣形の意味を見抜き、これを崩そうと試みている。しかしエドガーは、たやすくそれをさせるほどに、甘い相手ではない。麾下の一人一人も、パラディンの側近に選ばれるだけあって、神殿騎士の中でも格上に位置する。ついでのような一刀で討ち取れる雑魚ではなかった。

 そしてこのもどかしさが、更にベレンを焦らせ、剣先をぶれさせる。


 ――落ち着け、落ち着け……!


 まずはこいつらをどうにかしなければ、奥へは行けない。

 勝つためには、妻と子のことも意識から切り離し、戦いに全力を傾ける必要がある。しかし理屈では分かっていても、良き夫、良き父であるベレンに、そんな事ができただろうか。

 エドガーは、二人はもう死んでいると言った。ベレンはそんな戯言を信じない。二人が死んで良い道理など、この世には無いからだ。そんな理不尽がまかり通って良いはずが無いからだ。

 だが、早く行ってやらなければ、本当に二人は死ぬかもしれない。落ち着けと心の中で念じても、湧き上がってくる怒りと焦りの方がはるかに勝っていた。


「――ッ!」


 エドガーもベレンに対して怒りを感じているようだ。それに加えて、彼はベレンに侮蔑の眼差しを向けている。背教者の言葉など、聞く耳を持たぬという確信的な瞳。


「うおおおおおおおッ――!!」


 ベレンは吠え、柄を握る両手に、これまで以上の力を込めた。

 そしてまた応酬が始まった。ベレンの速度と剣の威力は、さっきよりも一段か二段上回っている。自慢の神盾ですら、その威力を殺しきれない。それを悟って、初めてエドガーの目に驚愕の色が映った。

 この壁を打ち破るため、ベレンはエドガーと同じように、力の配分というものを考えないことにしたのだ。

 いや、それだけではない。この戦いが終わった後のことなど、何も考えなくていい。例えエドガーと相打ちになろうと、クラリッサとイエルクの拘束を外し、この大聖堂の外にまで連れ出すことができれば、そこで斃れたとしても構わない。

 助けは誰も来ないだろう。今のベレンは、部下を捨て、国を捨て、主君を捨てた卑怯な愚か者だ。誰かが手を差し伸べに来るはずもない。

 だがしかし、己がただの無責任な不忠者なのだとしても、エドガーの言うような、神をも恐れぬ背教者なのだとしても、あの二人の夫であり父なのだという思いが、ベレンの中には残っている。それだけが、今のベレンを突き動かしていた。


 連撃に次ぐ連撃。さっきまでのベレンなら攻撃が途切れる場面でも、彼は止まらない。息継ぎすらせず、ベレンは剣を振るっている。速度は肉体を限界を超え、筋肉が音を立てて断裂していくような感覚がする。

 それに呼応するように、エドガーも反撃の回転速度を上げた。周囲の神殿騎士から彼に向かって流れ込む力が、目に見えて大きくなる。両者は至近距離で、ほとんどその位置を動かぬまま、最小の動きだけで相手の攻撃をかわし、反撃の手を繰り出していく。


「おおおおッ!!」


 鬼の形相になったベレンが、エドガーの脇腹めがけて、水平に横薙ぎを放った。避けることは難しい。されど受ければ、神盾すら砕け散るかもしれない。それだけの凄味が、この一閃には込められていた。

 その場で大地を踏みしめたエドガーが、目を見開き、呪文を唱える。何の呪文かは分からない。だがそんなものは関係なく、ベレンは大剣を振り抜いた。


「――ぐッ」


 ベレンは呻いた。

 ベレンの一刀は、エドガーの盾に止められた。代わりにベレンのこめかみから、一筋の血が流れている。エドガーはベレンの必殺の一撃を止めたどころか、反撃を繰り出す余裕すらあったのだ。

 しかしエドガーの方も、ただでそんな芸当が可能だった訳では無い。限界を超えようとすれば、それ相応の対価というものが必要になる。


 どしゃりと、周りで盾を構えていた神殿騎士の一人の身体が、糸が切れたように崩れ落ちた。


「――まさか」


 距離を取ったベレンは唸った。

 攻撃が命中する直前、エドガーの唱えた呪文により、あの盾が強く発光した。その瞬間、周囲の神殿騎士とエドガーを結ぶ魔力の綱が、一際太くなったように感じられた。

 そしてエドガーの盾は、まさに神盾と呼ぶに相応しい防御を発揮した。その結果として生じたのが、あの神殿騎士の突然の死だ。直感で何が起こったのかを悟ったベレンは、全身の産毛を逆立たせた。


「……お前は、自分の部下の命を、何だと思っている!」


 人の生命力を吸って、その引き換えに防御力を増す魔術。

 麾下の命を代償にそれを使って、エドガーは当然のような顔をしている。


「これが戦いだ。彼は神の敵と戦い、誇らしく死んだ。彼の魂は、迷い無く神の御許に行くだろう」


 全くよどみなく、エドガーは断定した。他の騎士たちにも、何ら怯んだ様子は見当たらない。彼らは無言で、盾を構え続けている。

 ベレンは、ぎりりと奥歯を噛みしめた。


「エドガー、一体お前は、何様のつもりで……!」

「背教者ベレン。貴様は戦場の部下を見捨てて、ここに来ているのだろう。そのお前が、どの口でそれを言うのか」

「貴様あああああ!!」


 エドガーの挑発を受け、ベレンは更なる怒りに吠えた。彼はがむしゃらに、パラディンに向かって突進していく。

 ベレンとエドガーの、どちらが人間として正しいのか。見る者により、その判断は異なるだろう。しかし、戦いではあくまで冷静な方が勝つ。それが戦場におけるただ一つの真実だとしたら、ベレンは敵の挑発に乗るべきではなかった。

 エドガーは、大剣の突きを盾でいなし、ベレンの左の二の腕めがけ、メイスを振るった。


「ぐうう!」


 吹き飛ばされたベレンが、痛みにもだえる。今の突きを受けたことにより、更に二人の神殿騎士が斃れた。しかし、ベレンの支払った代償は、それよりもはるかに大きい。

 命中と同時に横に跳んだお陰で、骨は折れていない。だが――


「苦しいか」


 エドガーのメイスから滴り落ちるのは、ベレンの血ではなく、薄赤い魔力の光だ。

 このメイスに付与された特別な力は一つだけである。それは、この武器で傷つけた相手に、通常の何倍もの痛みを感じさせるという、嗜虐の魔術である。エドガーはこれを、神と教会の敵に見合った痛苦を与えるための、最も適切な道具と考えていた。

 戦傷に慣れているベレンが、この程度の傷で、動きに支障が出るほどに苦しんでいるのは、その力のせいだった。


「しかし、お前は苦しむべきなのだ」


 そう言うエドガーは、追い打ちを仕掛けようとしない。もだえながらも剣を構えようとするベレンを、ただ見ている。


「お前が苦しみ悔やむことで、初めて神は癒されるだろう」


 言葉通り、ベレンが苦しむ様を見届けるために。

 ベレンは立ち上がった。ほとんど右手だけで剣を構え、自由のきかなくなった左手を柄に添える。そのほんの少しの動作だけでも、左腕に針を無数に刺されたような痛みが走る。


「……なぜ笑う」


 不愉快な表情で、エドガーが問いかけた。ベレンの顔に、笑みが浮かんでいる。

 ベレンは答えなかった。だが彼の頭にあるのは、己の左腕を切り落として、片腕だけでエドガーに立ち向かうという発想だった。己の左腕が、この戦いの最中に回復することはない。ならばこんなものは、二人を助ける邪魔になるだけだ。

 相当の出血になるだろう。数分で動けなくなるに違いない。今のベレンは、腕を切り落とし、エドガーに渾身の一撃を振るうタイミングを見計らっているだけの状態だった。


「――――?」


 しかしそこで、ベレンは怪訝な顔をした。

 エドガーの視線が、ベレンの背後に向けられたからだ。


「……何だ?」


 つぶやいたのはエドガーだった。それに合わせて、周囲の神殿騎士たちも少し顔を動かし、門の外に目を向けた。

 この突然の変化に、ベレンは戸惑った。だが、流石に彼はエドガーたちの視線に釣られて、振り向くようなことはしなかった。


 ただ、背中から何か音が聞こえる。


 ベレンには見えていなかったが、神殿騎士たちの視界には、遠方の空にもうもうと立つ、一筋の煙が映っていた。始め火事かと見えたそれは、やがて砂煙だということが分かった。

 それは彼らの方に近づいているので、何もしなくても容易に判別が付いた。


 砂煙の発生源が大聖堂に向かってくる速度は、恐ろしく速い。


 発生源――砂煙の先頭に、何かがいるのだ。


 その何かは、銀色の光を発している。


 それは凄まじい速度で、街道を爆進している。


 ――…………娘?


 エドガーがその「何か」の正体を認識しかけた瞬間、それは跳んだ。


 その場にいた全員にとって、それは完全に意表を突いた出来事だった。砂煙の先頭にいた「何か」は、エドガーめがけ、脚をそろえて跳び蹴りを放ってきたのだ。

 ベレンの頭を飛び越えて、矢よりも速い速度で、鋼のグリーブのつま先が、一瞬でエドガーの視界いっぱいに拡大する。


「ぬうッ!?」


 エドガーは神盾を振り上げて、飛来した物体をはじいた。その衝撃でグリーブの金具が弾け、ばらばらに弾け飛ぶ。そして物体は、エドガーの顔面を目指していた当初の軌道を逸れ、彼の後方にある大聖堂の門扉まで飛んでいき、ぶち当たって轟音を立て、瓦礫を派手にまき散らした。


「何だ――ッ!?」


 飛散する細かい瓦礫が身体を打つ中で、エドガーは、その謎の飛来物の正体を確認しようと振り向いた。


 そう、一瞬だが、振り向いてしまった。


 パラディンとそれに匹敵する者の戦いは、瞬き一つが勝敗を分ける。

 エドガーの行動は、あまりにも軽率だった。


「しま――ッ」


 エドガーが慌てて向き直った時、既に大剣を振り上げたベレンの姿が、彼の目前にあった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ダイナミックぅ・エントリぃー ww
[一言] 俗物の総主教が神の代行者とか笑わせてくれるわって感じですわ。 ただの狂信者だったのか·····パラディンにまともな奴はいない事が証明されましたね。
[気になる点] アルフェって多分お城にいた時もその後も宗教と一切か変わった事無いよね? 冒険者しながら培った一般常識だけだから神殿側への共感は薄いのかな [一言] ついにやっちまったけどこのままエドガ…
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