184.奇抜な作戦
「動いている兵の数は一万、そのうち六千が北から、四千はブレッツェンの方角から進軍中です」
「六千も……。それだけ抜いたら、北の守りには大きな穴が空く。前線も混乱しているだろうな。第一、その六千を誰が指揮しているんだ。ロズウェンハイムか?」
「ボルマン将軍であると」
「ボルマンか……。命令に忠実な男だ。ルゾルフ様の直命に、逆らえなかったか」
「聞き流すということも、あの方の性格では出来なかったでしょう。その代わり、将軍も悩み抜いておられます。ボルマン将軍は、自ら私に書簡で知らせてこられたのです」
「分かっている」
数十分前、文官がノイマルク軍の移動を知らせに駆け込んできてから、ベレンの居るテントの中は、にわかに軍議の様相を呈していた。アルフェ以外の侍女はテントから追い出され、ベレン麾下の主立った者やフロイドが、軍営内から呼び集められてきた。
文官が持ち込んだ報告の概要はこうだ。最高指揮官のベレン不在のノイマルク軍が、突如移動を開始した。移動している兵の数は、ノイマルク全軍の十分の一にあたる一万。内訳は、北の領境を守っていた軍の中から六千と、南の首都ブレッツェンの守備にあたっていた四千。移動目標は、現在ベレンたちの居るこの村。二つの軍は南北の街道から、この村を挟み込むように進軍している。
出動を命じたのは言わずもがな、ノイマルク伯ルゾルフである。
進軍の目的は、パラディン、エドガー・トーレスがノイマルク領内にいる間に彼を討ち取り、闇に葬ること。
「早晩、ベレン将軍のもとにも、ルゾルフ様からの使者が来るでしょう……。指揮下に入り、パラディンを討ち取るようにと」
「参ったな。お怒りを鎮められたように見えたのは、表向きだけだったというわけか。俺もまだまだ、あの方のことを理解していない」
文官の知らせに対して一通り驚いたあと、ベレンの頭は逆に冷めたようだ。受け答えをしている彼は、冷静に見えた。
対照的に、これまでエドガーとの折衝のために走り回り、ベレンの苦闘も知っている文官は、地面を見て、こらえきれない涙を流している。
「ルゾルフ様は、どうしてこんな、教会との関係を台無しにするような真似を。将軍の苦労を無にするような真似を。まさか、こんな。こんな、愚かな」
「言うな」
ベレンは文官を慰めるように微笑んだ。他の麾下たちは、一様に沈鬱な表情でうつむいている。
「で、だからどうするんだ? 話を前に進めよう」
乱暴な言葉を発したのはフロイドである。刺すような視線が、彼に集まった。だが、確かにそうだ。この状況にどう対処するのかを考える方が、自らの主人の愚かさを嘆くよりもはるかに重要だ。文官をはじめ、テント内の人間はうつむいていた顔を上げた。
ベレンは頷いて、明瞭な声で喋った。
「ルゾルフ様がどうお考えでも、トーレス卿とここで争うわけにはいかない。彼を討ち取れるか取れないかは別問題だ。戦った時点で、帝国内におけるノイマルクの立場は、限り無く不利になる」
不審死を遂げたイジウスというパラディンの件もある。ノイマルク領内で死んだパラディンが二人目となれば、騎士団は今度こそ問答無用で怒り狂う。彼らの面子にかけてノイマルクを潰しに来るだろう。他の領邦からの支持も完全に失い、ノイマルクは孤立する。
「だからルゾルフ様には、兵を退いてもらわなければならん」
ルゾルフがこのような暴挙に出た背景には、彼自身の直情的な性格に加えて、トリール女伯ヨハンナによる何らかの工作があったのかもしれない。それを防ぐことが出来なかったは己の不明だ。しかし、それを恥じるのも後にしようと、ベレンは思っていた。
だが、自分たちの主君が、こうと決めたら退かない人間であるということを、ベレン以外の家臣たちも等しく知っていた。ルゾルフに思い直してもらうために、一体どういう手段を取れば良いのか、具体的な方法を挙げられる者はいない。
「私に、一つ案がある」
それでも、ベレンの言葉には力強い響きがあった。
彼は文官に尋ねた。
「ブレッツェンからの兵は、近衛の連中が中心だな。率いているのは誰だ?」
「まだ、そこまでは……。しかし、順当に考えれば近衛兵長です」
「……ですが、近衛兵長は気骨のある男です。私は同年ですから、よく知っています。あいつなら、そんな命令に従うよりも、投獄を選ぶかもしれない」
そう言ったのはベレンの副官だ。ベレンは頷いた。
「そうだとすると、宮宰殿が指揮を執るか……。あるいはルゾルフ様が、直接兵を率いるか」
言いながら、ベレンはブレッツェンの城で見た、ルゾルフの肖像画を思い出した。戦場を背景にした、伯を英雄のように描いた油絵。そんなものを描かせていたルゾルフのことだから、自分で軍を率いて来る可能性の方が高いように思われた。
よし、とベレンは言った。
「北のボルマンの軍の方には、俺が単騎で向かう。あの男なら、腹を割って話せば、きっと分かってくれる」
「そんな、危険です。ならば、俺に行かせて下さい」
「お前たちは、このままトーレス卿と調査を進めてくれ。くれぐれも、何が起こっているのか、彼らには感づかれないように」
己を止めた副官の目を、ベレンはじっと見た。
北方の軍を指揮する将軍のボルマンは、伯の命令と、それが引き起こすと思われる結果の間で、板挟みになっているはずだ。そこから解放してやるには、彼よりも高位の将軍であるベレンが行ってやらなければならない。副官は、ぐっと堪えた表情をして頷いた。
「それで、南の方だが――。兵を率いているのがルゾルフ様にしろ宮宰にしろ、つまりは自ら引き返して下されば良いのだ。そうすれば、何も問題は起こらない」
「引き返してもらう……。どうやって、ですか?」
「少し前に、領境で起こったことを覚えているか?」
ベレンの話は、突拍子も無い方向に飛んだ。副官たちは、意味が分からず首を傾げた。
先ほど発言してからずっと沈黙していたフロイドだけが、テントの隅に立って瞑目しているアルフェにちらりと目を向けた。
「我が軍とトリールの小競り合いが、魔獣の乱入で停止し、両軍共に撤退した。訓練された部隊とは言え、想定から大きく外れた――何が何だか分からない混乱が起きれば、そうせざるを得なくなるということだ。まして、戦場慣れしていないルゾルフ様や宮宰なら」
「それは、そうかもしれません。しかし……、すみません、私には意味が分かりません。実際に、どんな手を打つと仰るのですか?」
副官の言葉に、文官も同意する目をした。
「例えば……」
フロイドが、久しぶりに口を出した。彼の顔はベレンたちに向いているが、視線は相変わらずアルフェの方に向けられている。
「例えば、進軍する軍勢の前に、いきなり年端もいかない娘が一人、現れたとする」
副官と文官が、同時に「は?」と声を出す。ベレンだけが、我が意を得たりと頷いた。
「そうだ。そしてその娘は、あるいは侍女の格好をしているかもしれない」
「何でそんな場所に侍女がいるのか? ……道に迷ったか、何かだと思うだろうな」
「思うだろう」
「ところがだ」
「そうだ。ところが、その娘が突然、もの凄い勢いで暴れ出すんだ。結界の中だ。なんだかんだ兵たちは、目的地までは魔物も出ないと思っている。油断している彼らにとって、驚きは倍増だろう」
「どっちみち、その娘が暴れれば、普通の兵じゃ手が付けられないだろうしな。混乱すること請け合いだ。で、混乱した軍は、何が何だか分からないまま撤退を選ぶ……、と。ノイマルク軍を使わなくて済むというのも、この作戦の利点か。仮に乱入してきた娘の正体がバレたとしても、ある程度は言い訳がきく」
「都合良く使うようで、心苦しいが……」
「いや、そのための冒険者だと、“その娘”なら言うだろう」
「できれば、兵たちは傷つけないで欲しいというのが本音だ。だがこの際だ。できるだけ殺さないでくれれば、文句は言わない。あとは、ルゾルフ様がいらっしゃったら、ついでに多少、恐ろしい目を見せてやってくれ」
あの方は、戦場を体験したがっておられたからな、良い機会だとベレンは言った。
「しかし、そんなにうまく行くか?」
「私は行くと思っている」
「保証できないぞ」
「もちろんだ」
「なら……」
「あとは……」
そこまで言って、二人で息の合ったやり取りをしていたフロイドとベレンが、同時にアルフェの方を向いた。
アルフェは、私を何だと思っているのかと言いたげに、頬を膨らませて鼻息を漏らした。




