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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第四章 第四節
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176.幻術使い

 今晩はとアルフェたちに向かって言ったきり、イエルク少年はドアの側で立ち尽くし、うつむいたままもじもじと両手の指を絡ませている。


「……どうしました?」

「あの――」


 助け船を出すようなアルフェの問いかけに対して、イエルクが意を決し放った声は上ずってしまい、そこで言葉はつっかえた。


「あの、ちち、父上は――」


 しかし彼は、もう一度勇気を振り絞った。この見るからに内気な少年が、わざわざ一人で客間を訪ねて来ているのは、父上、つまり、彼の父であるベレンの話を、直接二人の口から聞きたかったからなのだろう。

 アルフェはふと、昔の思い出と目の前の少年を重ねた。

 ベルダンでアルフェが引き取った姉弟のうち、弟のリオンが彼くらいの年齢だった。いや、アルフェがあの町から逃げ出して、もう二年以上が経過しているから、リオンはこの少年より、かなり成長しているはずだ。


「お父さんの事を、聞きたいのですか?」


 アルフェは優しく微笑んだ。一瞬前まで、野盗を皆殺すだの何だのという物騒な話をしていた娘と、同一人物とは思えない。少なくとも表面上、それは完璧な“優しい微笑み”だった。


「――! ……あの」


 だが、アルフェに笑顔を向けられたイエルクは、少しびくりと震えると、フロイドの方に顔を向けた。

 幼子の瞳に浮かんでいたのは、何だったのか。それは、年上の女性に対する照れとも、見知らぬ人に対する気恥ずかしさとも、また違った感情だった。そして、少年のその感情を受け取ったのはアルフェだけだ。フロイドには、それが見えていなかった。

 アルフェは口元に微笑みを浮かべたまま、静かに言った。


「フロイド」

「ん?」

「この子の、話し相手をしてあげてください」

「俺が……? あんたは?」

「明日に備えて休みます。寝室の用意も、できているでしょうから。くれぐれも、この子に変なことを教えないように」


 アルフェは軽口らしいものを叩き、立ち上がると、フロイドとイエルクを残して客間を出て行った。


 翌朝、ベレンの妻クラリッサに見送られて、アルフェたちはリーネルンを発った。もう起きているはずだが、イエルク少年は見送りに出てこなかった。

 フロイドがベレンへの手紙を受け取ると約束したので、帰り道にはまたこの町を通ることになる。クラリッサは、その事についてしきりに礼を言っていた。


「クラリッサさんが、何か?」


 馬車の中で、アルフェは疑問に思っていたことを尋ねた。フロイドは、ベレンの妻の前では、妙に礼儀正しく振る舞っていた。昨日も、今朝もそうだった。だが出発してから、彼の顔は妙に苦々しく不機嫌だ。


「……」

「答えたくなければ、別にいいです」


 フロイドが答えようとしないので、アルフェは目をつぶった。


「……少し」


 昔の知り合いに、似ていただけだ。口の中で消えたフロイドのつぶやきは、アルフェにはそう聞こえた。

 少しの寄り道のあと、アルフェたちは野盗が出没するという一帯に到着した。ここまで案内してきたノイマルク兵には、野盗の根城とおぼしき遺跡の場所だけ教えてもらって、近隣の村で待機するように指示を出した。足手まといがいても、邪魔なだけだ。


「敵の数は?」


 機嫌を直したらしいフロイドは、改めて剣を確認しながら、アルフェに聞いた。


「確認されているのは三、四十人の集団です。全滅させるのに、それ程手間はかからないでしょう」

「何だ、それっぽっちか。二人で来る必要はあったのか?」

「ベレン将軍の要請ですから」

「“取りこぼし”が無いように? あいつは本当に、野盗が敵の工作員だと考えているのか」


 アルフェはこくりと頷いた。

 二人は、街道とも獣道ともつかないような、冬枯れの下草に覆われた道を歩きながら、昨晩イエルクが入ってきた事で中断した話の続きをしている。


「念が入っているのかいないのか、よく分からんな。そんなに気になるなら、自分の麾下にやらせればいいだろうに」

「それができないから、私たちに頼んでいるのでしょう。……将軍も、色々と難しい立場のようですね」

「それはまあ、分かる。あいつも色々と大変だ」


 自分たちでは手の回らない諸問題を、ベレンはアルフェたちに丸投げしている。その中でもベレンは、ここに出る野盗が特に重要度が高い案件だと考えているようで、アルフェとフロイド、二人の出動を要請してきた。

 彼がそうする理由は、野盗たちを背後で扇動しているのが、トリールかもしれないという疑いだ。では、その野盗たちが、トリールに扇動されているという根拠は何か。アルフェたちの話題は、その事になった。


「将軍が受けた報告によると、野盗の中に、魔術士が混じっていたということです」

「魔術士……? ……ライムント・ディヒラー?」


 魔術士という単語からフロイドが連想した名前は、トリール伯の下にいる高名な幻術士だ。ノイマルクにベレン有りと言われるように、トリールにはディヒラーが居る。ベレンに対抗する戦力として呼び寄せられたパラディン、エドガー・トーレス以外に挙がるのが、その老魔術士である。

 フロイドのつぶやきを、アルフェは目で肯定したが、彼は腑に落ちない様子だった。


「ディヒラーか……。事実なら確かに問題だが、パラディンに匹敵するとかいう魔術士が、まさか盗賊の真似事じゃあるまい。ただの食い詰め魔術士じゃないのか?」


 いくら魔術士が希少とは言え、それだけで敵方の手が入っていると判断するのは、いささか早計ではないか。それがフロイドの意見だった。

 魔術士はある意味、世の中で最も明確な実力主義がまかり通る職業である。魔術士として身を立てようと志し、競争に負けて落ちこぼれる者も多い。

 そういった者は、どこかの領邦で魔術士としての地位が得られ無い場合にも、なまじ魔術が使えるという自負があるせいで、他の仕事が手に付かない。そういう半端な魔術士が、盗賊にまで身を持ち崩すという事例はあった。実際、アルフェがこれまで戦った魔術士は、大半がそんな輩だ。


「もちろん、ただの偶然ということもあり得ます。少なくとも、ディヒラー本人ではないでしょう」


 フロイドが言ったことは、アルフェとて承知している。出発前には、彼女もベレンに、似たような疑問をぶつけた。


「ですが、気になる点が一つあります。その野盗の中にいた魔術士は、高位魔術を使用したそうです」


 その時に、ベレンから返ってきた答えがこれだった。

 簡易な術式で即席に発動できる下位の魔術と異なり、何らかの手段で魔法陣を展開することで発動する、高位魔術。それを行使できる者が、理由なく野盗の一員に甘んじているということは、流石に考えにくい。世の中に、実践的な魔術を使用できる人間は百人に一人、その中で高位魔術を扱えるのは、さらに千人に一人。そう言われるくらいなのだから。


「高位魔術……。なるほどな、それはベレンにしたら見過ごせないか」

「はい。ライムント・ディヒラーの弟子か何かが、秘密裏に派遣されているというのが、将軍の推測です」

「ふん……、ディヒラーと言えば幻術だ。なら、その弟子も幻術士なんだろうな」

「可能性は高いでしょうね」 


 主要な魔術体系の一つ、幻術。そこに有るものを無いように見せたり、無いものを有るように見せたりする魔術である。

 姿を変えたり消したりする、離れた場所に虚像を創り出す等々、幻術を用いて可能なことは多岐にわたる。戦闘で普遍的に用いられる、眠りをもたらす魔術なども、幻術に属している。相手の記憶や感覚に働きかけ、過去や未来の心象を見せることができるなど、心術に近しい要素もある。

 幻術が見せるものは、実体の無い虚像と侮ってはならない。敵の立ち位置が数歩ずれた場所に見えるだけで、戦闘には大きな支障が出るし、極限まで高まった幻術は、視覚だけでなく、他の五感にも働きかける。

 ディヒラーほどの大魔術士となれば、創り出す幻影は現実と何ら変わりない。彼は最上位魔術を駆使し、その幻影を万人規模の軍全体にかけることも可能だ。


 アルフェは、頭の中で幻術士と遭遇した際の戦い方を思い描く。

 師のコンラッドも言っていた。幻術に限らず、視覚に干渉したりする敵に対抗する際には、見えるものに頼らないことが重要だ。そして、魔力の流れを注意深く読み取らなければならない。さらに大切なのが――


 ――勘だ!


 ――か、勘ですか? お師匠様、もっと具体的な方法は……。


 ――取りあえず、手当たり次第に片っ端から殴るという方法もおすすめだな!


「――幻術士が相手だとして」


 フロイドの声を聞いたアルフェは、知らぬ間に少し緩んでいた口元を引き締めた。


「あんたならどう戦う?」

「……そうですね。一番は、術を使われる前に潰すことです」


 機先を制する。それは幻術のみならず、魔術全般への基本的な対処法である。

 リスクを考えるなら、寝込みを襲うなどして不意を突き、魔術を行使される前に息の根を止めてしまえばいい。魔術士は、魔術がなければただの人だ。

 しかしあえて、アルフェは言った。


「ですが、正面から行きましょう。良い機会ですから」

「鍛錬の――か?」

「ええ」

「熱心なことだ」


 フロイドがやれやれと笑う。

 遠目に見える丘の上には、二人が目指す遺跡群の陰があった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最近読んで一気に惹き込まれて最新まで読みました。 ファンになりました! 更新頻度上がるっぽいので嬉しいです!
[一言] やっぱり野盗や盗賊は経験値にするのが王道だよなぁ 人間なんて包丁一本あれば簡単に殺せるんだから幻術って最強だと思うんだよね
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