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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第四章 第三節
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170.召還命令

「え?」


 砦に突然やってきた軍監が放った言葉に、ベレンは一瞬耳を疑った。


「もう一度言おう、将軍、ルゾルフ様がお呼びだ。至急、ブレッツェンにおもむき、御前に出頭せよとのお言葉である」

「な……」


 ノイマルク伯ルゾルフが呼んでいる。軍監がベレンに伝えたのは、伯の居城があるノイマルク首都ブレッツェンへの出頭命令だ。普通の状況ならば、二つ返事で了解しただろう。だが、戦況が予断を許さない今の状況下で、軍の最高指揮者たるベレンに前線を留守にせよというのは、あまりにも考え無しの命令に聞こえた。

 そうするしかない重要な用件があるならやむを得ないが、ベレンには経験上、そうではないと分かっている。

 ルゾルフは、気分に任せて軽率な振る舞いをする激情家だ。ベレンは忠義に篤い男だが、その彼でさえ、主君をそう評せざるを得ない。


「そんな――」


 そんな馬鹿なことができるか。そう実際に言葉にしかけて、ベレンは咄嗟に口を閉じた。

 軍監はじろりとベレンの顔をにらんでいる。伯はベレンに同意を求めていない。これは命令なのだ。


「……分かりました」

「よろしい」


 軍監は、満足げにふふんと鼻を鳴らした。

 この軍監は代々の貴族で、ベレンは平民からの成り上がりだ。だから、ノイマルク軍の第一人者であるはずのベレンが、横柄な態度をとる相手に向かって、丁重な言葉遣いをしている。


「確かに伝えたぞ、将軍。……それにしても、ひどい茶葉だ。もう少し、礼節というものを知りたまえ」


 ベレンがもてなしに出した茶に口を付け、露骨に顔をしかめてから、軍監は帰っていった。

 一人になり、しばらく考え込んでから、ベレンは砦の練兵場に降りた。そこにあった訓練用の人形を、無言のまま、渾身の力で一発殴りつけると、ベレンは自身の次に位の高い将校を見つけて、声をかけた。


「どうされました? 将軍。荒れてらっしゃるようですが」


 ベレンに殴られた人形は、砦の石壁まで吹き飛んで、文字通り粉々になっている。


「ルゾルフ様からの呼び出しを食らった。俺はブレッツェンに行ってくるぞ、ジェイムス」

「呼び出し……? ああ、それで……」


 将校はそれだけで、ベレンの不機嫌の理由を悟ったようだ。さりげなく人気の無い方に歩きながら、二人は声を落として会話をした。


「ルゾルフ様は、将軍に何を命じるつもりでしょうか」

「知らん」

「……エドガー・トーレスの件ですかね」

「……そうかもしれん」


 かもしれないというより、確実にそれに関する事だとベレンは思っていた。

 神殿騎士団のパラディン、エドガー・トーレスが敵方についた。それを耳にしたルゾルフが、怒り狂ってベレンにキルケル大聖堂への進撃を命じる。ベレンたち前線の責任者が一番恐れているのは、そのシナリオである。

 だから伯には、パラディンの件をあえて報告していなかったのだが、こんな大事を秘密にしておくのは、いくらなんでも無理があった。きっと、どこかから噂が漏れ出たのだろう。


「しかし、エドガー・トーレスは、交渉に応じてくれそうだったのでしょう?」

「ああ、それはすんなりいった。意外にな」


 ベレンたちは、神殿騎士団との全面抗争を避けるために、水面下でエドガーとの会談の機会を設けようと試みていた。エドガーがトリールに入った時から、そのための工作を開始し、既に密使がエドガーとの接触に成功していたのだ。

 感触は悪くなかった。事前に得ていた情報通り、エドガー個人は、話の通じる穏当な人物のようだった。


「トーレス卿……神殿騎士団の要求は、ノイマルク領内での“例の事件”の調査権だ」


 例の事件という言葉を聞いた瞬間、将校は不安そうに周囲を見渡した。誰も聞き耳を立てていない事を確認して、次に口を開いた時、将校はさらに小声になっていた。


「例の……、あれは終わった話では?」

「俺たちにとってそうでも、騎士団にとっては終わっていないということだろう。実際、まだ犯人は見つかっていない」


 先年、ノイマルク領内で何者かに殺害されたパラディン。彼らが話しているのは、その極秘事項だ。


「しかし、ノイマルク人の仕業で無いという事は、納得してくれたのでは」

「あちらさんにも、色々と事情があるんじゃないか」

「勝手に領内で死んでおいて、迷惑な話です」

「全くだ。しかし、調べたいなら調べてくれればいい。こちらに痛い腹は無い。調査権さえ寄越せば、敵対する理由は無いと言っているんだ。それで済むなら安い話さ」


 そんな風に、エドガーとの交渉は、既にある程度上手く進んでいたのだ。重大な懸念事項が一つ減りそうで、成り行きを知る者たちはほっと胸をなで下ろしていた。

 だがそれだけに、このタイミングで、ベレンに対しルゾルフからの呼び出しがかかったのは不穏だった。


「いつもの、下らない用件であって欲しいですね」


 将校の言葉は主君に対する暴言に近かったが、ベレンは否定しなかった。

 実際、「顔を見たかったから呼んだ」くらいのことは、ルゾルフなら言いかねない。この状況なら、むしろそうあって欲しいと思う。


「俺はすぐに発つ。可能な限り早く戻るから、俺が留守にしているということは、兵にも知らせるな」


 将校が真剣な顔で頷く。言葉通り、ベレンはその日の夜中、供も連れずに一人で馬を走らせた。



 冬の太陽が傾き、荒野に林立する鉄柱が、幾本もの長い陰を伸ばしている。

 その中に点々と倒れているのは、どれもこれも金属のエレメンタルだ。ほとんどは赤黒い鉄で、時たまそれ以外の種類が混じっている。これらは、全てアルフェが一人で倒した。

 動かなくなったエレメンタルの身体は、純粋な鉱物の塊である。持って帰ることができれば、鍛冶屋などで、それなりの値で引き取ってくれるだろう。

 一日でアルフェが倒した敵の数は、かなりに上る。鉱石の量に換算すると、百人の鉱夫が、数日かけて切り出しても足りないくらいだろうか。

 冒険者的な論理からすれば、倒した魔物の身体は、倒した人間のものになる。しかしノイマルクでは、アルフェは小石一つ拾うことも許されていない。鉱業を主産業とする領邦だけあって、特に鉱物の売り買いや領外持ち出しに関しては、ノイマルクでは非常に厳しい制限がかけられている。

 それを少し残念だと思う気持ちは片隅にあったが、アルフェは基本、己の鍛錬のことだけを考えて魔物を掃討していた。

 そして一日目の日が暮れようとしている今、彼女が取り組んでいるのは――


「――ぐっ!」


 アルフェの胸に、一風変わったエレメンタルの拳が直撃した。吹き飛ばされたアルフェの身体は、近場の鉄柱にぶつかって止まる。ごきんと、大きな音が一帯に響いた。

 このエレメンタルの薄紫の全身は、紫陽石という金属の一種で構成されている。この金属は鉄よりも稀少で、魔力との親和性が高い。したがって、これまで相手にしてきた鉄のエレメンタルよりも、丈夫で動きが鋭かった。


「かはっ――!」


 今度は腹を打たれて、アルフェの身体がくの字に折れた。

 さっきから続けて、彼女は敵の攻撃をまともに食らっている。


「く――!」


 避けられないのではない。


「ぶふっ!」


 避けていないのだ。

 繰り返し繰り返し、彼女はかわさずに敵の攻撃を受け止めて、自分の耐久力の限界を測っていた。

 この魔物の攻撃では、己が死なないと分かっているからやっている。

 アルフェに聞けば、彼女はそのように答えるはずだ。だがもし、この光景を他人がみれば、その者は彼女を何と評価するだろうか。


「ごほっ!」


 一際強い打撃を食らって、アルフェは地面に四つん這いになった。そんな彼女の後頭部を、エレメンタルの足が踏み割ろうとする。しかしその攻撃は、目標に届く前に停止した。


「ふぅ……」


 エレメンタルの足裏を、アルフェの細腕が支えている。小休止とばかりに息をついた彼女は、声に出さずに思考した。


 ――硬体術の精度は上がっている。防御は、かなり上手くなった。


 生身で魔物の攻撃を受け止めることを、防御と表現して良いものだろうか。それはともかくとして、アルフェはそう思った。

 今のアルフェが硬体術を全開にすれば、鋼以上の硬度を出す事ができる。実際に、彼女が吹き飛ばされてぶち当たった鉄の柱は、アルフェの身体の堅さに負けて、へこんだり折れ曲がったりしていた。

 ただし、鋼を斬る程度ならフロイドにすら可能だ。パラディンのロザリンデ・アイゼンシュタインに至っては、巨大な闘技場の建物を、一刀で真っ二つにして見せた。まだまだ技の精度を高める余地はあっても、他の部分で成長が無ければ、そういう強敵には勝てないだろう。


 ――でも、これを応用させれば、まだ何かできる気がする。


 それでもアルフェがこんな無謀をしているのは、硬体術を応用して、何かを閃けないかと思ったからだ。


 ――硬くなったり、速くなったりするだけじゃない。魔力の流れを操作すれば、もっと色々なことができるはず。


 エレメンタルが、更に足に力を込める。しかしその下にいる少女は、びくとも動かず考え込んでいた。


 ――何か、できること……。


 エレメンタルが全体重をかけると、大地にびしりとひび割れが走った。アルフェの両膝と片手が、陥没した地面に深くめり込む。


 ――あ。


 それを見て、そうかとアルフェは閃いた。

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