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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第四章 第二節
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164.運動場の風景

「マキアス、紹介しておくよ。彼女の名前はメルヴィナだ」


 マキアスの横にひっそりと立っている黒髪の女性を指して、ヴォルクスはそう言った。


「は、はい……」

「本当はもう一人、お前に会わせておきたい男がいるんだが……、彼が帝都に着くまでは、もう少し時間がかかりそうでね。取りあえず、彼女の事だけは頭に入れておいてくれ」

「分かりました、ヴォルクス団長」


 神殿騎士マキアスは敬礼して答えた。

 マキアスが都市バルトムンクから帝都の騎士団本部に戻り、もう十日ほどが過ぎている。彼が、パラディン筆頭にして第一軍団長のヴォルクス・ヴァイスハイトに頼み込んだ特訓は、既に開始されていた。ヴォルクスが課す特訓は、一言で言うと悪夢のような厳しさだったが、バルトムンクで己の無力を痛感したマキアスにとっては、この苛烈さはむしろ望むところだった。

 自分の身体を痛めつけている間だけは、アルフェに再会したあの時の情けなさを、少しは忘れられる気がする。

 この日、彼がヴォルクスに呼び出された理由も、てっきりその特訓の話なのだと思っていた。しかしマキアスがヴォルクスの執務室に入ってみると、そこに居たのはヴォルクス一人だけではなかった。


「神殿騎士マキアス・サンドライトです。よ、よろしくお願いします」

「……」

「ヴォルクス団長の部下で、教会査察班に所属しています」


 マキアスの自己紹介に無言で頭を下げているのは、いつかマキアスが、この部屋の前ですれ違ったことのある娘だ。年齢はマキアスと同じくらい。教会関係者が着る、刺繍入りの白いローブをまとっている。

 神殿騎士団本部の要塞ワルボルクにおいて、このローブを着た人間を目にすることは珍しくない。それでもマキアスが、メルヴィナというこの娘の事をはっきりと憶えていたのは、一つは彼女がヴォルクスの関係者なのだろうと思ったからだ。

 そして、もう一つの理由は――


「……」


 さっきからこの娘は、一言も言葉を発しない。マキアスと視線を合わせないまま、うつむき加減に立っている。そんな彼女の頭には、一度見たら忘れようにも忘れられない、宵闇のような黒髪が生えていた。


「ご覧の通り、メルヴィナは教会の者だ。北方の教会から帝国流の魔術を学ぶために出向してきている。帝都に知り合いも居ないそうだから、お前が色々と気を回してやってくれ」

「は、はい」


 喋らないメルヴィナに代わって、ヴォルクスが彼女についての詳細をマキアスに教える。北から来たということは、彼女は別大陸の出身だ。帝都の北方には内海があり、そこを渡ると北の大陸が広がっている。


 ――北方出身にしては、色白だけど……。


 メルヴィナの顔を横目で見ながら、マキアスは思った。

 北はどちらかというと、乾燥した地域の多い、日差しの強い大陸だと聞いている。それしては、メルヴィナの肌は病的なまでに色白だ。しかし、世の中には色々な人種が居るというし、他大陸の出なら、帝国ではほとんど見かけない黒髪であることも納得できる。

 それに何より、他ならぬヴォルクスが身元を証明しているのだ。一々引っかかる必要など、どこにも無い。


「この髪色だから、何かと不便もあるだろうしね」


 ヴォルクスの言葉に、その通りだとマキアスは思った。根拠の無い迷信だが、黒目と黒髪は不幸を呼ぶと言われている。繰り返すが、教会の経典にも根拠の無い迷信だ。しかし帝国では、その迷信は未だに根強く信じられている。そんな事を理由に、この娘に妙な目を向ける者も多いだろう。

 特に、信心深い者が多い教会ならば尚更だ。


 ――第一印象で判断したらダメだって、アルフェで勉強したしな。


 マキアスは最初、アルフェの事をアンデッドと勘違いしてひどい態度をとった。その時の反省もある。マキアスは、彼なりに溌剌とした顔で笑い、明るい声で言った。


「はい、任せてください団長。メルヴィナさんに分からない事があれば、俺が教えます」

「ああ、頼む。どうせ歳も同じくらいなんだ。友人だと思って接してくれればいい。――じゃあメルヴィナ、あとは任せた」

「……はい」


 そこで初めて、メルヴィナは声を発した。蚊の鳴くような、か細い声だった。


「それとマキアス、今日はお前の特訓に付き合えない。日課は一人でこなしておくように」

「は、はい!」


 ヴォルクスの言う日課というのが、またきつい。半日かけて終わらせて、残りの半日は痛みと疲労で動けなくなる。しかしこれを続ければ、絶対に強くなれるとマキアスは信じていた。

 今日のヴォルクスは多忙なようで、マキアスはメルヴィナと共に彼の執務室を出た。


「メルヴィナさん。メルヴィナさんはこれからどうしますか? 俺は、訓練があるんですが……」


 日課はこなさなければならないが、彼女にこの要塞の案内をする時間くらいは作れる。そう思ってマキアスはメルヴィナの予定を尋ねた。


「……特に、用はありません。……私は、人を待っている、だけですから」


 相変わらず、メルヴィナはマキアスと眼を合わせない。彼女の言う「待っている人間」とは、ヴォルクスがさっき言った、マキアスに紹介したいもう一人の男だろうか。そんな事をぼんやり思いながら、深く考えずに、マキアスは提案した。


「なら、俺と訓練所まで一緒に行きますか。訓練でも見学して――」


 ――と、違うな。


 騎士団のむさ苦しい男共がもみ合っているのを見学しても、年頃の女性には面白くも何ともないだろう。マキアスの妹のステラなら、間違い無く文句を言う。アルフェなら……、アルフェなら喜ぶか。いっそ訓練に参加させろと言い出すかもしれない。いや、あの娘は例外だ。じゃあ妹なら、どこに連れて行けば喜ぶだろう。

 言葉を止めてしばらく考えたが、交流したことのある女子のサンプルが少なすぎて、マキアスには他に良い案が思い浮かばなかった。


 ――畜生、こういう時にテオドールが居ればなぁ……。


 マキアスは親友の顔を思い出した。女性第一主義を奉じるあの男ならば、きっと気の利いた場所の一つや二つは知っていたはずだ。

 いや待て、女は女同士、という考えも有りだ。ステラか、あるいは副官のカタリナにでもこの娘を紹介すれば……。


「……分かりました。……ご一緒させていただきます」

「え?」

「……」

「その……、良いんですか?」

「……はい」


 しかし意外にも、メルヴィナはマキアスの提案をそのまま受け入れた。軽くうつむいたままの彼女だが、言葉通りマキアスに同行しようと考えているのが、気配で分かった。


「そうですか……、じゃあ」


 ひょっとしたら、自分は逆に彼女に気を遣われているのかもしれない。アルフェの時といい、全くどうにも情けない。


「こっちです。ちょっと歩きますが」


 剣技以外にも、自分にはまだまだ学習するべき事が多い。マキアスは、せめてメルヴィナに歩調を合わせるつもりで、ゆっくりと歩いた。



「大きいところ……ですね」


 ずっとうつむいていたメルヴィナが、顔を上げて周囲を見回している。少し色が白すぎるものの、そうしていると、彼女は普通の年頃の娘に見える。

 マキアスは指で指しながら、この場所の説明をした。


「ここが神殿騎士団の訓練所です。あっちが剣術場で、そっちを行くと馬場と射場があります。魔術の試射場もあって……、まあ、ここでなんでも訓練できるんです」

「……子どもたちも、いるんですね」

「ん? ああ、あのちびたちは――」


 広い運動場を、十歳前後の少年たちが、整列したままかけ声を出して走っている。あれは騎士の雛たちで、ここでの数年の訓練を経て、彼らも立派な騎士に育成される。

 マキアスがそう言うと、メルヴィナはぽつりとつぶやいた。


「……まるで、学園みたい」

「ええ、そうですね。騎士の礼法や筆記なんかも教えてますから。あ、座学はあの建物で――」

「……」

「えっと、俺が行くのは剣術場なんですが……、メルヴィナさんも行きますか?」

「……はい。お邪魔で無ければ」


 こんな案内でいいのだろうか。確認のつもりでマキアスは聞いたのだが、メルヴィナは特に気にしていないようだ。

 一、二、一、二とかけ声を出して走っている少年たちは、まるで何年か前のマキアスとテオドールのようだ。自分たちもあんな風に散々走らされたと、マキアスは歩きながら、懐かしいものを見る目でその光景を眺めた。


「わあっ!」


 運動場を横切って、二人が剣術場の方に向かおうとすると、少し離れたところを走っていた少年たちの一人が、大きな声を上げて派手に転倒した。倒れた少年を中心に砂埃が舞う。

 他の少年たちは、転んだ彼のことを無視して先に行く。これはこういう訓練だ。転んだ者は、自力で立ち上がって追いつかなければならない。

 集団に遅れた者は、あとで雑用なりの罰を科せられる。だから転んだ少年は、すぐに手を突いて立ち上がろうとした。


「あ……!」


 手を貸すのは、かえってあの少年に悪い。視線を外したマキアスが、そのまま剣術場に向かおうとしたところ、背後からメルヴィナの声がした。

 振り返ったマキアスがメルヴィナを見ると、彼女の視線の先で、倒れた少年が辛そうに足を押さえている。


 ――ひねったのか……?


 どうやらそのようだ。少年は立ち上がれない。いや、立ちはしたのだが、明らかに右脚に力が入らず、すぐにまた転んだ。

 先を走っている彼の同輩たちが、ちらちら様子をうかがう気配を見せた。


「あの子……」


 メルヴィナは足を止めている。ずっと陰鬱な表情をしていた彼女の目に、初めて感情が動いた気がした。


「……」


 だが、部外者である彼女が、勝手に少年に手を貸すことはできなかっただろう。メルヴィナはまた黙ってしまった。しかし、その視線は変わらず少年の方に注がれている。


 ――……やれやれ。


 女性のあの目なら、マキアスはよく見た事がある。あれはけが人や病人を見た時の、妹のステラと同じ目だ。ステラなら次に、「助けないと」と必ず言う。


「ちょっと、待っててください」


 メルヴィナにそう声をかけると、マキアスは剣術場の方向から逸れて、倒れた少年に向かって歩いた。

 彼らの教官の姿は見当たらない。もし見られたら、あとで叱責されるのはこの少年の方だが、席を外しているのなら都合がいい。


「じっとしてろ」


 しかし、どこに人の目があるかは分からない。素早く少年に寄ったマキアスは、短く呪文を唱えると、拳から注ぐ光の雫を少年の足に振りまいた。

 少年が何も言わないうちに、マキアスはメルヴィナのもとに引き返した。簡単な治癒術だが、軽い捻挫くらいには効果がある。立ち上がった少年はマキアスの背中に礼をして、よたつきつつも走り始めた。


「行きましょう」


 マキアスは、黒い瞳で自分を見ているメルヴィナにそう言った。と同時に、ちょっと気障だったかなと恥ずかしくなる思いがし、照れ隠しに彼女から視線を逸らして、首の後ろに手をやった。

 転んだ少年が先を行っていた仲間に追いつく。彼らもさりげなく、歩調を落として走っていたようだ。


「……はい、マキアスさん」


 それを見てから、メルヴィナは、その青白い顔に慈しむような微笑みを浮かべた。

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