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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第四章 第一節
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163.不確定要素

「キルケル大聖堂に、エドガー・トーレスとその手勢が入りました!」

「……来たか…………」


 会議室に飛び込んできた文官の報告に、ベレン・ガリオは重苦しいうなり声を発した。来るべき者がついに来たという感じだ。

 十日前には、トリールへのパラディン派遣が何かの間違いであれば良いとも願っていたが、そんな虫のいい話は無かった。エドガー・トーレスはムルフスブルクで、トリール女伯ヨハンナ自らの歓待を受けた。そして当然のように手勢を率いて南下し、ノイマルク領に近いキルケル大聖堂に到着した。

 キルケル大聖堂は宗教施設だが、見ようによっては非常に厄介な位置にある堅固な城だとも言える。ベレンの前に拡げられている大地図には、将校の手によって、キルケルの位置に二重の赤い丸が描かれた。


「パラディンが敵に回ったことで、北部の諸都市に動揺が走っています。いくつかの都市では、既に反乱の噂まで」

「そうか……。まあ、当然だな」


 ベレンの顔は苦々しい。

 信仰に対し、あまり熱心ではないベレンでさえ、パラディンの到着には衝撃を受けるのだ。敬虔な一般信徒にとってはもっとだろう。最悪、北部の都市でノイマルクから離反するものが出る事も、ベレンたちは想定しておかなければならない。


「将軍たちには、担当地域の押さえをしっかりするように伝達しろ」


 ここに至るまで、ベレンたちはエドガーの動きを、ほとんど手をこまねいて見ている事しかできなかった。今も、せいぜいそんな指示を出すくらいしか思い浮かばない。

 動揺した声で、文官がベレンに話しかけた。


「ど、どうしましょうか将軍」

「何をだ」

「ルゾルフ様にこのことが知れたら……」

「分かっている」


 都市や農民の反乱よりも、ベレンにとって、一番の懸念事項はその事であった。

 ルゾルフ・ノイマルク。現在のノイマルク伯にして、ベレンの主君。もしもこの話が耳に入れば、ルゾルフは恐らく烈火のごとく怒り狂うに違いない。


「ルゾルフ様の事だ。俺に大聖堂を攻めろと命令されてもおかしくないな」


 ベレンは冗談のように言って見せたが、会議室内にいた将校と文官は、全員がごくりとつばを飲み込んだ。

 キルケル大聖堂は、ノイマルク=トリール間の積年の争いの原因の一つだった。大聖堂そのものは教会領だが、その周辺の領有権を巡り、両伯は帝国創始以来幾度となく、大小の争いを繰り広げてきたのだ。

 ベレンはため息をつき、一同に詫びた。


「……失言だ。すまない」


 確かに失言だ。だが、ノイマルク伯の言動を予測すると、これが最もあり得るというのも確かだった。仮に伯のそのような命令が下り、ベレンが大聖堂を攻めるという事になればどうなるか。


 ――いや、できるものか、そんな事が……!


 己の想像を、ベレンは自ら否定した。

 大聖堂に直接攻撃など仕掛けようものなら、それこそ神殿騎士団と教会を敵に回すことになる。その先には、ノイマルク全体の破滅しか待っていない。


「……エドガー・トーレスはどんな男だ? どんな……、そう、どんな性格だとか」


 何か執れる手段は無いのか。そう考えたあげく、ベレンはそのように口にした。

 パラディンの強さは大陸に鳴り響いているが、個人としてのエドガーを、ベレンは知らない。文官は一瞬怪訝な表情をしたが、彼もすぐにベレンの意図に思い当たったようだ。


「信仰に厚い、穏和で実直な男として知られています」

「好戦的な人間ではない、という事でいいな?」

「むしろ、争いとは遠いところにいる人間だと。エドガー・トーレスが任務外で人を傷つけるような事は、間違っても無いそうです」


 この文官は、細かいところまでよく調べている。彼はそれ以外にも、騎士団におけるエドガーの噂を色々と聞かせてくれたが、それらは共通して、争いの嫌いな穏やかな中年の姿をあらわしていた。

 俗界諸侯の争いに対して、神殿騎士団は中立を貫くべし。騎士団本来の姿を考えれば、あるいはベレンたちには、その温厚なパラディンと交渉する余地があるのではないか。


「……大聖堂に、使者を立てることはできるか?」

「トリールの妨害を受けるでしょうが……、やってみます」


 追い詰められた者の、藁にもすがるような策なのかもしれない。しかし、打てる手は打つべきだ。ベレンと文官は見つめ合うと、お互いに頷き合った。



「これは将軍、お疲れ様です!」

「ご苦労、異常無いか?」

「異常有りません!」


 様々な報告に対応しているうちに、今日もあっという間に夜になった。

 会議室を出たベレンは、砦内の様子を見回っている。ベレンが通ると警備の兵は敬礼し、ベレンも彼ら一人一人に気さくに声をかける。兵たちに緩みは無い。武具も馬もよく手入れされている。外まで見回ったが、どこにも異常は無かった。

 戦争の方針がどうこうなどと小難しいことを考えるより、こうして兵の中にいる方が自分の性に合っている。もとは農民出身の兵卒だったベレンはそう思った。


 見回りが済むと、ベレンは愛用の大剣を手に砦内の広場に向かった。

 ここの所、座り仕事ばかりだった。身体を動かしておかないと、いざという時の役に立てない。

 上着を脱ぎ捨て構えをとり、剣に意識を集中する。

 ベレンが兵卒から出世し、将軍の地位と領地まで与えられたのは、言わずもがな、単純に彼が他の人間よりも圧倒的に強かったからだ。

 彼の剣は、将軍になった時に伯から下賜された魔法の道具だ。それは持つ者に、勇気と真実を看破する能力を与えると言われる。この大剣の存在も、ベレンがトリールの幻術士ディヒラーと相性が良いとされる要因だった。


「ふっ!」


 薄碧の刀身が、闇の中に光の軌跡を残す。

 身長と同じくらいの長さの大剣を、まるで短剣を振り回すかのように扱う。見る者が見れば、素振り一つでベレンの卓越した技量が理解できただろう。派手な動作は要らない。筋肉と関節の動きを一つ一つ確かめるかのように、ベレンは日課の鍛錬を終えていった。


「それこそ、幻術にかかってたんじゃないのか?」

「いや、違う。あれは本当にあったんだったって。俺以外の皆も見たんだ」


 自室に引き上げようとしていたベレンは、兵のそんな雑談を耳にして足を止めた。


 ――幻術だと?


 夜警の担当でない兵が、部屋で雑談するのを咎める軍規は無い。それでもベレンは、“幻術”という、敵方の幻術士ライムント・ディヒラーを連想させる不穏な単語が引っかかった。


「何の話だ?」


 だから彼は、その会話が聞こえてきた部屋の入り口から、中に居た兵にそう尋ねた。


「ベ、ベレン将軍! ――痛っ!」


 ベッドに腰掛けたり横になったりしながら、だらけた調子で話していた四人の兵は、はじかれたように直立すると敬礼した。その内の一人は、勢い余って二段ベッドの天井に頭をぶつけている。

 敬礼を解いて休むように言ってから、ベレンは四人に驚かせたことを詫びた。


「すまないな、休息中に」

「い、いえ、とんでもありません。……あの、我々が何か?」


 それでも兵たちは、自分たちに何か落ち度があったのかとびくびくしている。一番年かさの兵が、代表してベレンに尋ねた。


「いや、たまたま通りかかって、お前たちの会話が気になった」

「え?」

「幻術と言っていたろう? 何かそれらしいことでもあったのか?」

「あ、ああ、その話ですか。いえ、申し訳ありません、紛らわしい発言をして。幻術と言ったのは、ただの言葉の綾で、こいつが――」


 年かさの兵は、二十手前と見える年少の兵を指した。


「妙なものを見たと言うものですから」

「妙?」

「大した話じゃないんです」

「いいから聞かせてくれ」


 大した話で無くとも、思わぬ欠損を見逃して、そういう所からほころびが出ることもあり得る。気になることは確認しておこうと、ベレンは室内に入り、空いている椅子に腰掛けた。


「りょ、了解しました」


 そこでベレンが兵たちから聞かされた話は、先日の軍議で起こった一幕を思い出させるものだった。


「銀色の、魔物?」


 兵が噂していたのは、トリール軍との小競り合いに乱入したという、例の魔物のことだった。パラディンの登場という一大事にかき消されて、先日の軍議ではいつの間にか流されてしまった話題だ。

 その軍議以来、すっかりそのことを忘れていたのはベレンの失態だが、その若い兵はもう一つ、ベレンにとって気になる事を言った。


「魔物じゃないです。人間です」

「人間だって?」

「はい」


 若い兵は頷いた。

 最初はベレンの前で縮こまっていた兵たちも、彼が威張らない将軍だという事が分かり、遠慮無く話すようになっている。彼らの話をまとめると、その時の戦闘に乱入し、対軍級の魔獣を簡単に屠ったのは、魔物ではなく人間だったというのだ。


「それも、ただの人間じゃないんです。めっちゃくちゃ美人の娘でした。そりゃもう、滅茶苦茶な」


 若い兵は、その部分を特に強調した。武器一つ、鎧一つ身につけていない絶世の美少女が、魔獣を一方的に追い詰めたのだと。


「だから俺は、こいつに幻術だって言ったんです。あり得ないでしょう、そんな事」

「マジですって!」

「まあまあ、落ち着け」


 たしなめながら、そう言えばとベレンは思い出した。先日の軍議で報告してきた将校は、魔物かどうか分からないというような、煮え切らないことを言っていた。


「で? どんな美人だったんだ? 欲求不満の若い奴らには、オークも美女に見えるって言うからな」


 兵たちが喋りやすくなるように、ベレンもわざと軽い言葉を使っている。

 年上の兵たちは笑い、若い兵は憤慨した。


「マジで可愛い娘なんですよ! 俺は近くで見たんです。長い銀髪の、えーっと、滅茶苦茶な美人でした!」

「それしか言えないのかよ、お前は」

「童貞をこじらせ過ぎたんじゃないのか?」

「違いますって!」


 ――……銀髪。


 なるほど、だから銀色の魔物かとベレンは思った。


「その娘は、何か喋ったのか?」

「え? あ、そうです。喋ってました。だからやっぱり人間なんです。あとから現れた男に、なんか命令してました」

「男……。そうか……」


 どんどん登場人物が増えていく。


「俺も、あんな可愛い娘に命令されたいって思いましたよ」


 若い兵の最後の感想を無視して、ベレンは考え込んだ。

 ただの魔獣の縄張り争いと判断して、この件を軽く見ていた。この兵が言うように、魔獣を倒したのが人間ならば、対軍級の魔獣と戦える実力者が、戦場周辺に潜んでいるということだ。それが戦いにどんな影響を及ぼすのか、予測が付かない。


「確か、バーヌ山、だったな……」


 仮にこれがディヒラー老の幻術の仕業であった場合にも、その意図を確認しなければならないだろう。ベレンは報告に出てきた地名を思い出して、小さくつぶやいた。

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