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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第四章 第一節
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162.女伯の笑み

「ようこそ、我がムルフスブルクへ! トーレス卿」


 満面の笑みを浮かべた真紅のドレスの女が、壇上から両手を拡げて、十ほどの騎馬の一隊を出迎えた。

 ここはトリール伯領の最大都市で、同伯の居館がある港湾都市ムルフスブルクである。城門には、冬だというのに色とりどりの花かざりが取り付けられ、軍人や役人たちが整列している横では、楽隊が華やかな音楽を奏でている。


「わ、わざわざのお出迎え、かたじけなく思います。ヨハンナ様」


 騎馬の先頭にいる男は、その穏和そうな顔を微妙に引きつらせてそう言った。

 四十手前くらいの男の横髪には、少し白いものが混じっている。祭司服と板金鎧とが一体となったような、特徴的な意匠の鎧を身につけたこの男こそ、大陸でその名を知られた神殿騎士団パラディンの第九席、エドガー・トーレス卿であった。


「おほほほ! トーレス卿ほどのお方に助力していただくのですから、このくらいは当然ですわ!」


 楽団の音に合わせて、真紅のドレスの女は大仰な手振りで声を張り上げた。

 彼女は当代のトリール伯、ヨハンナ・トリールだ。美しい事は美しいが、巧みな化粧のせいで、その正確な年の頃は分からない。しかし見た目は二十代前半でも通りそうな体型、肌の艶だ。

 壇上で高笑いしているヨハンナの足下まで寄ると、エドガーは声を潜めてささやいた


「あ、ありがとうございます。しかし、このように派手な式典はちょっと……」

「構いませんわ! 我がトリールの民も、トーレス卿の参陣をこれ程祝福しているということです!」


 基本的には非公式の訪問であるからして、こんな大っぴらに、大げさに出迎えてもらっては困る。エドガーの意図したところは、ヨハンナには伝わらなかったようだ。


「そ、そうですか……。それは、ありがとうございます……」


 そしてエドガーは、頭の後ろに手をやってぺこりと頭を下げた。

 ヨハンナは片手を腰に、もう一方の手を口元にやって、再び高笑いを始める。


「それではトーレス卿、私の館にお越しください! 戦場に出られる前に、旅の疲れを癒やしていただかないと!」

「そうですか……。そ、それはどうも……、参ったな……」


 女伯の前にすっかり気圧されてしまった様子のパラディンは、彼女の笑いにかき消されるような小さな声で返事をした。



「改めて、遠路はるばるのお越し、誠に有り難く思います。トーレス卿」


 エドガーの一隊は、パレードのようにして華々しくムルフスブルクの大通りを抜け、女伯の館にたどり着いた。広々とした会議室のような部屋に通されると、そこにはエドガーと女伯、そして若いメイドが一人だけになった。

 椅子に着き、改めて挨拶したヨハンナの声は、外にいた時とは調子が違う。


「卿もお疲れでしょうし、早速本題に入らせていただきますわね」


 長いまつげの下で、ヨハンナの緑色の瞳がエドガーを値踏みするように光っている。さっきまでとの落差に、エドガーはまた困惑している。


「トーレス卿はどのようなご命令を受けて、こちらにいらっしゃったのですか?」

「ど、どんな命令、とは?」

「腹芸はやめましょう。お互いに時間の無駄です。私が聞きたいのは、トーレス卿には前線に立っていただけるのか、ということです」


 しどけない恰好で椅子に座っているヨハンナは、赤く塗られた自分の爪で、黒檀のテーブルをコツコツと鳴らした。


「そのことですか……」


 エドガーの顔に緊張が走った。

 女伯がさっきのようにエドガーを歓迎するのは、もちろん彼女が支配するトリールと、南のノイマルクとの抗争が激化していることが背景にある。

 今のところ、両伯軍の戦力は拮抗している。その状況下でパラディンのエドガーがトリール側に立って参戦すれば、これはもう決定的なバランスの崩壊だ。トリールの勝利は約束されると言っても過言では無い。

 しかし実のところ、エドガーがここにいるのはトリール軍に加勢するためではなかった。少なくとも彼自身は、その命令を受けていない。


「神聖教会と神殿騎士団は、俗界権力の争いに対して厳正中立です。故に、私がどちらかの軍を手助けすることは、絶対にありません。トリールの民とノイマルクの民、どちらも平等に、神の信徒なのですから」


 きっぱりと言ったエドガーの目は、先ほどまでの、どこかおどおどしたものとは違う。彼の返答を受けて、ヨハンナの目も鋭くなった。


「……では、どうして卿はこちらに?」

「女伯は既にお聞き及びでしょうから申し上げます。先年、ノイマルク領内で私の同朋が殺害された件です」

「ああ……」


 ヨハンナがちらりと背後に目をやると、メイドがうなずいた。

 エドガーが口にしたのは、少し前にノイマルクでパラディンの一人が殺害された事件のことだ。

 パラディンが任務中に死ぬ。しかも魔物と戦って死んだのではなく、誰とも知れない人間に殺された。これ程センセーショナルな話題は中々無い。当然、神殿騎士団は極秘にしたがっているが、人の口に戸は立てられない。ヨハンナのように、知っている者は知っている。


「それで?」

「私は、その調査に派遣されたのです。イジウス……殺された男は、私の親友でもありましたし」

「調査……ですか」


 それにしては今さらだと、ヨハンナは思った。パラディン殺害は確かに大事件だが、一年以上も前の話を、どうして今さらと。

 つまり、エドガーがどう考えているにせよ、調査というのは単なる名目だ。教会と騎士団は俗界権力に対して厳正中立。そういう体裁を整え、諸侯の批判の目をかわすために、騎士団総長はその事件を口実に使ったのだろう。

 何しろ裏から密書を送り、この戦争に対する支援を持ちかけてきたのは騎士団の側なのだ。

 そこまで考えると、ヨハンナは艶然と微笑んだ。


「分かりました。ノイマルクを調査するという事でしたら、我々にできる協力はさせていただきましょう。……ちなみにノイマルク伯の方は、その事件について何と?」

「実は、ルゾルフ様は我々に対して、あまり協力的とは言えないのです。正直申し上げて、そのせいで前回の調査が不十分だった部分もあるのです」

「それはいけませんわね」


 そうだろうとヨハンナはほくそ笑んだ。今のノイマルク伯に、帝国全体の力関係を見渡して、教会に対しても配慮する能力など無い。あの下品な男は、単にその時の気分だけで動いている愚か者だ。


「我が総長からは、キルケル大聖堂に滞在し、事件調査の陣頭指揮をとるように言いつかっております」

「なるほど」


 キルケル。トリールとノイマルク一帯の結界を司っているのは、その大聖堂だ。そこはトリール領の最南部にあり、ノイマルク領にほど近い。

 

 ――と、いう事は。


 エドガー個人の意思など関係ない。この男のムルフスブルク入城をこれだけ大々的にアピールした上で、領境近くのキルケルに彼が移動すれば、ノイマルク伯は間違い無く、このパラディンが敵に回ったと認識するはずだ。

 エドガーの調査に対する協力も、これまで通りノイマルク伯はしないだろう。それどころか、あの男はより態度を硬化させ、パラディンの領内侵入を拒むに違いない。つまりキルケルにエドガーを配置するだけで、こちらは何ら手をかけずに、ノイマルクに計り知れない圧力を与えることができる。


 ――カール総長が考えているのは、こんな所かしら。


 教会側には教会側の、自由に動けない事情がある。その中での最大限の支援をもらったと考えて、ここは満足するべきだとヨハンナは思った。


 ――それに上手くすれば、あちらの方からキルケルを攻めさせて、神殿騎士団が大手を振って介入できる口実を作れるかも……。


 さすがにそれはヨハンナにとってもリスクの大きい賭けになるが、そういう方法も考えられるということだ。少なくとも、文官や筆頭将軍のベレン・ガリオに頼り切りのノイマルク伯ルゾルフよりは、自分はずっと外交的な優位に立っている。


「……全て了解いたしましたわ、トーレス卿」

「ご期待に添えず、申し訳ありません」

「いいえ、とんでもない。ご無理を言ったのは私のほうですもの。今、お食事を用意させております。お供の方々にも。キルケルに発つ前に、どうか召し上がっていらっしゃって」

「あ、お気遣いいただいて恐縮です」


 エドガーは、言葉通り恐縮そうに頭を下げた。その少し薄くなった頭頂を眺めながら、ヨハンナは考える。

 ノイマルクにやっている人間を増やし、大げさに喧伝しよう。パラディンがトリールに力を貸している。エドガー・トーレスはトリール伯の強力な味方だと。煽って煽って、ノイマルク伯が自分から手を出さずにはいられない状況にしてやる。

 パラディンにしては冴えない男だが、この男にも、せいぜい自分の手のひらで踊ってもらう。演技ではなく、本当に高笑いしたくなる気持ちを抑えてヨハンナは微笑んだ。

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