【幕間】予感 ※地図有り
エアハルトの地方貴族が、また一人処刑された。
罪状は伯に対する叛逆を企てた罪で、関係者の拘束から刑の執行まで、流れるような早さだった。郊外の処刑場で斬首されたその貴族の領地は、全て没収され、暫定的に伯の直轄ということになった。
ここの所、エアハルト伯領内ではそういった血なまぐさい話題が続いているが、民衆はむしろ歓迎している。貴族特権を笠に着てうまい汁を吸い、市民を虐げていた者が一人減ったのだ。新しい伯の英断を称える声の方が、明らかに大きかった。
そしてその処刑を命じた男、エアハルト伯ユリアンは、執務室で頬杖をつき、不機嫌そうな顔で目を閉じていた。
処刑された貴族が最後に吐いた呪いの言葉も、領外に追放した親類縁者の恨みの籠った視線も、彼は特に重たいと思ってはいない。為政者である以上、そんなものくらい背負えなければやっていけない。重たいというなら、民の安寧な暮らしの方が、はるかに重たいのだから。
伯に叛意を持つ勢力を糾合できる力のあった、地方貴族のヘルムート卿は、数ヶ月前に、ユリアンの弟クルツと共に荒野に消えた。それもあり、長年のさばってきた地方貴族の力を削ぎ、伯の下に領内の力を集約する、今が絶好の機会だと分かっていた。今を逃せば、ユリアンの望む改革は数年遅れる。
それでも人間である以上、疲れるのはやむを得ない。ユリアンの灰色がかった金髪は、整えられているように見えて、わずかに前髪が乱れている。
他領の状況に目を光らせながら、領内の粛正を実行する。それには、彼でさえも細い綱を渡るような精神的疲労を感じずにはいられない。
しかし領民の生活を預かる伯として、ユリアンに弱音を吐くことは許されないのだ。
「さあさあ、休憩は終了です。さっさと仕事を終わらせて下さいよ」
騒々しい男がやってきて、ユリアンの意識は覚醒した。彼の二日ぶりの仮眠は、それで終わった。
ノックもせずにずかずかと部屋に入り込んできた男は、ユリアンの執務机の前まで来ると、大げさに手を叩いた。
「誰かが片っ端から領主の首を引っこ抜くから、事務方は書類で溢れかえっているんですからね。寝てる暇なんか有りません」
そう言ったのは、ユリアンの秘書を務めるオスカー・フライケルだ。
「取りあえず、税の割り当ての見直しから始めましょうか」
「それは終わった」
目をつぶったまま、ユリアンは言った。事務官が作成した草案には、赤いインクでこれでもかと、ユリアンによる訂正が入っている。
オスカーはそれを確認すると、まあいいでしょうと肩をすくめた。
「じゃあ、ノイマルクからの流民対策について――」
「これだ」
「……ふむ。それなら治水工事の計画案を――」
「そこに置いてある」
「なるほど。なら――」
「済んでいる」
それからも、次々とオスカーが示した書類の決裁は、もうとっくに全て終わっていた。
「他にはあるか?」
「……ありませんね、今は」
オスカーでさえ舌を巻くほどの、驚異的な事務処理速度である。一体どんな手と頭をしているのだかと、彼が心中で苦笑いをしていると、ユリアンが目を開けた。
「人手が……足りないな」
最近ずっと考えていたことを、ユリアンは口走った。
改革を急ぎすぎているとは思わない。むしろここでやれることをやり切っておかなければ、将来にしこりを残すことになる。
しかし、そのためにはどうしても人材が不足している。粛正で重要な役を占めていた貴族たちの頭数を減らした分、新しい人間を見つけてこなければならない。
そのための人材を登用する仕組みは考えている。都市ごとに学問所を作り、教会が担っていた平民への教育を代替するという腹案もある。だが、人間は一朝一夕では育たない。
「仕方ないでしょう」
オスカーにも、それは分かっている。
例え優秀でも、下級貴族や平民を要職に就けることを快く思わない人間は、未だ多い。エアハルト伯領における完全なる血の入れ替えには、これからまだ何年もかかる。諸改革と並行して、これは根気強く取り組んでいくしかない課題だ。
しかし分かってはいても、現在のエアハルトには、即効性のある人材が必要なことも確かだった。
「お前のところに、誰かいないか」
お前のところと彼が言うのは、オスカーの管轄する魔術研究所のことだ。オスカーは首を傾げた。
「そうですねぇ。しかし何しろ、魔術以外には関心の薄い者が多くて……」
「そういう人間でも、何か仕事を割り当てれば、意外と適性を発揮することがある」
お前のようにな、とユリアンに言われて、それは光栄ですとオスカーは真顔で答えた。
「“割り当てる”というよりも、“押しつける”と表現した方が正しいでしょうけどね」
「で、誰かいないのか」
「さらりと無視しましたね。う~ん……」
オスカーは軽く腕を組んで唸っている。
ユリアンは座ったまま、背後にある窓から外の景色を眺めていた。そこから見える首都ウルムの街は、冬の寒さの中でも人々が活発に行き交っている。ここをやがて、帝都よりも大きくする。
「ああ、そうだ」
ユリアンが考えていると、やがてオスカーは、何かに思い当たったように人差し指を立てた。
「あの子はどうでしょうか」
「……あの子?」
「リーフ・チェスタートンです。知ってるでしょ」
「ああ……」
言われてユリアンは思い出した。魔術研究所でゴーレムに関する研究をしている、オスカーのお気に入りだ。他人との交流が少なく、それこそまさに、自分の研究にしか興味の無い人間だと聞いている。
「あの子は筋が良い。色々とやれそうな気がしますよ。魔術の方でも成果を見せていますが、それに留めるのはもったいない。視野を広げることで、研究にも良い効果があるかもしれないですし」
「なるほど……。確かに、昔のお前に似ているかもな」
「どこがですか?」
ほんの少し含み笑いをしたユリアンを、オスカーは不気味なものを見たような表情で、大げさに否定した。
「そうだな、簡単なところから、何かやらせてみるか」
「はい」
ユリアンの言葉に、オスカーは頷いた。
その後も四、五人、彼らの口から人材の名前が挙がった。中にはエアハルト伯領内ではなく、周辺の諸領邦に住む人間の名前もあった。それらを引き抜いたりする可能性について話し合ってから、彼らの人材に関する話題は終わった。
「それはそうと、教会の動向に変化はあったか?」
ユリアンの声色が、一段と低くなる。次の話題は、前のものよりずっと繊細な話のようだった。
「……騎士団総長カール・リンデンブルムが、各方面に親書をばらまいています。教会総主教も同じく。先日は、バルトムンクとトリールに、パラディンが自ら親書を運んだようです」
ユリアンの問いかけに対して、オスカーも人の良さそうな表情を引っ込めた。今の冷酷そうな顔の方が、どちらかというと彼の本性に近いようだ。
教会権力と俗界権力の綱引きは、どこの領邦でも昔から当たり前に行われている。教会権力の弱体化という課題は、エアハルトの領内改革を進める上で、地方貴族の専横の排除に次いで重要な案件だった。
数ヶ月前に、ユリアンの弟クルツと数千の兵を巻き込んで発生した大規模なアンデッド禍は、教会がクルツと組んで行った儀式が原因だったということは、ほぼ判明した。
ユリアンたちは、これを恰好の材料として、教会からの大幅な譲歩を引き出すために交渉した。そしてその交渉を進める中で、教会と神殿騎士団が妙な動きを見せているという事が判明したのだ。
彼らは、俗界の諸侯に対する働きかけを強めている。
「帝国元老院に対する働きかけも盛んです。……根回しは、かなり進んでいるようですね」
何の根回しか、オスカーはここでは明言しなかった。
親教会派の領邦を中心に、神聖教会と神殿騎士団が何らかの交渉を行っている。彼らも秘密裏に事を進めてはいるが、ユリアンたちから見れば、それは隠しきれないほど大規模な動きになっていた。
教会は、何か大きな事をしようとしている。それは間違い無い。問題はそれが何かということである。ユリアンにも一通りの想像は付いていたが、確証はまだ無かった。
「……こちらの根回しは?」
「滞りなく」
「よし」
教会が何を考えているにせよ、それは確実にユリアンの計画と対立する。
ユリアンにできることは、可能な限り速やかに改革を進め、「その時」に備えて力を蓄えることだ。
「オスカー」
「何ですか?」
「これから、もっと忙しくなるぞ」
近く、この帝国の歴史は大きく動く。動かすのは教会ではなく、自分たちだ。
笑みを浮かべてユリアンがつぶやくと、オスカーは恭しく辞儀をした。




