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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第三章 第七節
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148.強がり

 山を下り、ふもとで一晩野営すると、アルフェとフロイドは森の中を進んだ。

 前にこの森を訪れた時よりも、地面の落ち葉の量はひとかさ多くなっている。それを踏みしめながら歩いていると、森の隙間に丘が見えた。


「……この上ですね」


 球体が指す方向を何度か確認して、アルフェは言った。

 二人が追ってきたオークは、この丘の上にいるということだ。

 その丘はどこか人工的な形をしていて、草に覆われてはいるが、大きな木はほとんど生えていない。近づいてみると、丘のふもとに沿って地面が浅く陥没している。これは、堀なのだろうか。


「オークの集落跡か。かなり大きな部族が住んでたようだな」


 フロイドがつぶやき、アルフェは堀から目を外して丘の上を見上げた。

 フロイドが“跡”と表現したように、ここにはもう、ここを住み家としているオークたちはいないようだ。一つを除いて、特に魔物の気配は感じなかった。


「……」


 アルフェがざっと見た感じ、上りやすそうな階段やはしごといったものは付いていない。それも当然かと思い、フロイドに向けて口を開いた。


「ここから上りましょうか。他に道はなさそうです」

「草をかき分けて……か。ま、仕方ないな」


 がさがさと背の高い草をかき分けつつ、二人は丘の上を目指した。人間が草を揺らすたび、小さな昆虫などが驚いて飛び出してくる。露で服を濡らしながらも、そうやってしばらく草と格闘すると、二人は丘の頂上に出た。

 丘の上には、斜面に生えていたような草むらが生い茂っているが、何か所か、ならされたような砂地が広がっていた。その砂地の一つには、倒れた丸太が円状に配置されている。丸太に腰かけている灰色の肌をした魔物は、アルフェたちが追ってきたオークに間違い無い。


「何をしてるんだ? あいつは」


 フロイドは言った。オークは座ったまま、丘の上の風景を眺めているようだ。

 アルフェはフロイドの横から前に出て、そのオークの元に歩んでいく。少し遅れて、フロイドも歩き出した。アルフェたちのことを認識できていないはずが無いのに、オークは警戒した様子さえも見せなかった。


「……ここは、広場だったんだ」


 アルフェたちが近くまで寄ると、オークが口を開いた。オークの言葉を聞いたフロイドは目を見張る。だが、既に話したことのあるアルフェは驚かなかった。これは、あの牢から聞こえてきた声と同じだ。

 オークは軽く指でさしながら、アルフェに説明を始めた。


「その辺が黒いのは、焚き火の跡だな。……この木に座って、皆で飯を食うのだ。そこには見張り台が立っていた。あれが残骸だ」


 魔物とは思えない穏やかな口調。そもそも喋るオークなど、ほとんどの人が想像したことはないだろう。


「魔物が喋る……? 俺の頭がおかしくなったか」

「私は魔物じゃあない。オークだ」

「同じだろう」

「お前たちにとっては、そうだな」


 アルフェにオークの表情の変化はよく分からない。しかしそのオークは、牙の生えた傷だらけの顔で、笑ったように見えた。


「魔物と下らん問答をする気はないな。だが、喋れるなら答えてみろよ。――逃げるのはやめたのか?」

「私は逃げていない。帰って来たんだ」


 アルフェは丘の上を見まわした。

 このオークは、かつてこの集落に住んでいたのだろう。しかし人間との抗争に敗れ、集落は滅び、彼は捕まった。


「もう一度、ここに帰って来たかった」


 オークはかみしめるように言った。その手足を見れば、手かせと足かせの鎖はちぎれているが、手首と足首の金輪はまだ残っている。


「そのために、牢の中で生きていたのですか?」


 アルフェはオークに尋ねた。魔物とどういう口調で話せばよいか分からなかったので、彼女はいつもの通り、丁寧な言葉遣いをした。


「ん……? その声は、話したことがあるな。人間の声は区別しにくいが、その声は覚えている」

「……」

「そうか、前に話したな。あの時の女か」

「本当か? アルフェ」

「どうして死ななかったのですか?」


 フロイドを無視して、アルフェは言った。

 オークはアルフェを一瞥し、座ったまま丘の上を見回した。


「帰ってきたかったからだよ。あの牢屋で、時には同胞とも戦わせられたが、それでも私は死にたくなかった。それはやはり、もう一度この景色を見たかったからだな」


 オークはそう言いながらも、ずっと丘の上の風景を見ている。アルフェはもう一度、周囲を見渡した。紅葉した木々は美しいかもしれないが、彼女にとってはそれだけだ。しかしこの場所に思い入れを持っているこのオークにとっては、きっと違うのだろう。

 そこに転がっている木片すら、彼にとっては懐かしい。思い出が、全てを美しく、悲しく見せる。


 ――……思い出。


 オークと同じ方向を見つめながらアルフェが考えていると、オークが問いかけてきた。


「それで、どうするのだ。人間がここまで来たということは、私を追ってきたのだろう」

「当然、そうだ」


 フロイドは剣を抜いた。アルフェがこの男に与えた剣だ。その刀身が、ぬらりとした光を放っている。


「もう、戦うのは疲れた」

「抵抗しないのか。オークらしくないな」

「お前が、『オークらしさ』の何を理解する。……それに、今更オークの誇りのために戦おうにも、私は同胞を手に掛け過ぎた。ここ以外に、行くところも無い」

「じゃあ、そこで大人しく、俺に首を刎ねられるんだな」


 フロイドは剣を振り、アルフェの前に出ようとした。それをアルフェの手が、そっと制止する。自分の胸の辺りに添えられたアルフェの手を見て、フロイドは言った。


「何だ」

「……」

「あんたが殺ると?」

「……」

「……違うのか?」

「あなたは――」


 アルフェが口を開く。しかし彼女自身、自分がこの魔物に何を聞こうとしているのか、分かっていなかった。


「あなたは、死にたくないのですね」


 感情の勢いに任せて出てきた問いかけが、それだった。


「……もう、目的は果たしたからな。別にどうでもいいさ」

「生き残ったら、何をしますか」

「……分からない」


 オークは悄然とした様子で首を振る。

 フロイドは話が妙な方向に転がりつつあるのを見て、とげを含んだ声で言った。


「まさか、こいつにまで情けをかける気か。こいつは魔物だぞ、ネレイアの時とは違う。見つけた以上、殺さない理由が無い」


 フロイドの言う通りだ。

 このオークは、既に何人もの人の命を奪っている。今は気力を失っているようでも、いずれ仲間の死と、監禁された五年間の復讐を考えることだってあるだろう。


「依頼を投げる訳にはいかないと言ったろう。あんたはそんな甘ったれた考えの持ち主だったか。俺の見込み違いだったのか?」


 甘い。今自分が考えていることを言葉に表すと、まさにその単語になる。

 だが――


「……フロイド・セインヒル」

「何だ。黙れと言っても聞かんぞ」

「お願いです」

「うっ……」


 アルフェはフロイドを見上げ、その目を見た。


「……妙な人間だ」


 二人のやり取りを眺めていたオークは、呆れたように言った。


「ここまで追ってきた獲物が、目の前にいるのだ。その男の言う通り、ためらわずに殺せばいい」

「……抵抗しない者を、手に掛ける趣味はありません」

「ははは」


 今度こそオークは短く笑った。ただその笑いは、寂しげな、どこか乾いた笑いだった。


「好きにすればいい。私はもう少しここにいる。気が変わったら、いつでも来い」


 アルフェが踵を返すと、まだ不満げな顔をしていたフロイドは、乱暴に剣を鞘に納めた。

 それでも彼は、雇い主の命令に従うと決めたようだ。

 そして遠ざかる彼らの背中に、オークが声をかけた。


「アルフェといったな」


 アルフェが足を止める。フロイドはオークを見たが、アルフェは振り返らなかった。


「私はグラムだ。人間風に発音するならな。……感謝する」

「気まぐれです」

「それでも感謝する。……一つ誓おう。私はお前に、この恩を返す」

「別に、いりません」

「それでも返す。私にできることが……、オークが人間のためにできることがあるなら、何でもしよう」

「……」

「オークの誇りのためだ」


 アルフェはポケットから、オークを追うために使ってきた球体を取り出した。


「では、返してもらいます。近いうちに」

「ああ」


 アルフェが拳に力を込めると、球体は粉々になり、風に乗って散っていった。



「まだ不満ですか、フロイド」


 オークのいた丘が森に紛れて見えなくなった頃、アルフェが口を開いた。


「……いや、不満は無い。俺はあんたの決定に従う。そう決めたからな」

「私は、甘いですか?」

「……どうなのかな。俺には、あんたと言う人間が良く分からん」


 フロイドは首を振る。

 アルフェはうつむき立ち止まると、ぽつりとつぶやいた。


「…………私だって」

「ん?」

「……いえ」


 アルフェ自身、自分が何者なのかが分からないのだ。しかしそれをこの男に言ってもしょうが無い。

 強がり混じりで、アルフェは言った。


「ただで情けをかけた訳ではありません。あのオークは、恩を返すと言いました。返してもらえば良いだけです」

「何? ……まさか。おい」

「次に来る時は、あのオークが扱えそうな武器を用意してきます」

「本気か……」

「本気です。あの大聖堂の魔獣と戦う足しにはなるでしょう。仮に死んだところで、所詮は魔物ですし」

「いかれた女だ。あんたは」

「私は、あなたのような人でなしを使う化け物ですから」


 魔物くらい使ってもいいでしょうと、アルフェは冷ややかに笑った。

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