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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第三章 第五節
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136.木人

 メリダ商会頭取のゲイツは、“血槍”のグイード・アンソフがアルフェの対戦相手だろうと言った。今の口ぶりだと、フロイドもそう確信している。情報屋組合の元締めがそう言うのだから、ほぼ間違いない。


 ――でも、何か……。


 アルフェ自身もそう思うのだが、何か妙な予感がする。

 何と言ったら良いのだろう。そんな当たり前の手練れとは違う、もっと強い――というよりも、もっと厄介な何かが現れるような気がしてならないのだ。

 この町に冒険者は多い。アルフェたちが知らない実力者もいるはずだ。もしかしたら冒険者とは別の所に、思わぬ強者がいるかもしれない。妙な予感はそこから来るのだろうか。何か強大ものがこの町のどこかに潜んでいるような感覚が、頭の隅から消えなかった。


 ――どんな相手が来ても、私がやることは変わらないけれど……。


 そう、今更悩んでも仕方がないのは事実だ。とにかく準備は念入りにしておこう。


 ――そうだ、実力者と言えば……。


 次にアルフェは、先日の地下闘技場で見たオークのことを思い出した。あれもある意味、実力者であることは間違いない。

 事後に得た情報によると、あのオークは人間に捕らえられてから数年間、ああしてあの闘技場で見世物になっているという。所有者はメリダ商会だ。

 あれほど危険度の高い魔物を、農奴にすることはできない。だから見世物として消費する。そしてそうなった魔物は、ほとんどの場合すぐに死ぬ。だが、あのオークは何年ものあいだ、ああやって生き延びているというのだ。

 肉体的な強さは疑いようもない。しかしあの魔物は、フロイドの言うように、潔く命を絶つことは考えなかったのだろうか。やはり魔物にはそういった思考がないのだろうか。

 何のために、あの魔物は生き延びているのだろうか。


 ――あの目……。


 魔物の虚ろな目が、アルフェには妙に印象に残った。

 あんな虚ろな目をしていた人間が、昔どこかにいた気がする。


 どこにいただろうか。


 どこに……、そうだ、鏡の中だ。


 いつも窓の外を見ていた、部屋に閉じこもった娘。


 どうしてあの娘は、あんな抜け殻のような顔をしているのだろう。


 どうして……。


 ――【何も考えるな、その方が楽になれる】


「――っ!」


 眼の奥がひどく痛む。このことはもう、考えるのはやめよう。やめた方がいい。

 でも――


 ――【考えるな】


 そうだ、こんなことを考えても仕方がない。

 それよりもと、アルフェは座っていた木箱の横に置いてあった、作りかけの何かを床の上に立たせた。

 それは出来の悪い等身大の人形のようで、太い丸太に手足を思わせる細い棒が取り付けられている。彼女は無言でそれを眺め、時折腕の角度などを調整し始めた。

 これはコンラッドの道場の庭にあった木人を模したものだ。あの道場にはこのような、訓練用の色々な道具が置かれていた。


 ――いいだろう? 俺の手作りだ! ……こら、引いた顔をするな!


 この前補給のために行った道具屋で、アルフェはこんな物の材料まで買ってしまった。

 鍛錬のためという名目で、しかし本当は、思い出に浸るために。


「……」


 アルフェは指で木人の頭を小突いた。

 下らない、意味のないことをしていると自分で思う。でもたまに、無性にこういうことをしたくなる。


「……よし」


 最後に残った右腕を、木人に取り付けた。完成だ。

 アルフェが魔力を全開にすれば、こんな木人は触れる前に消し飛ぶ。しかしコンラッド曰く、魔力を使って動くだけでなく、逆に魔力をできるだけ抑え込んだ状態で、素の力だけで鍛錬を行うことも重要だ。


 ――そうしないと、本当の底力は付かん。魔力と体力、両方鍛えて初めて強くなれる。お前は魔力は一丁前だが、筋肉と体力は鶏以下だからな。


 あの時は、どうして鶏に例えるのですかと聞いた。

 とにかく、この木人は魔力を使わない状態で型を反復し、体力を高め身体の動作を確かめるためにある。師があの滅茶苦茶な強さを手に入れるためにも、そうした日々の地道な努力が土台にあったはずなのだ。

 完成した木人を前に、アルフェは上着とスカートを脱ぎ棄てて、動きやすい格好になると全身をほぐした。


「……」


 それは気の迷いだったのだろう。少なくとも、言葉で言い表せない感情のため、としかアルフェには説明できない。

 さて鍛錬を始めようと思った時、アルフェは衝動的に、木人の背中に両手を回して、そっと抱きしめてしまった。


 ――何してるの、私……。


 彼女はすぐに木人から離れて、手のひらの付け根で目じりをぬぐった。

 その頬が少し、赤く染まっている。


「……お師匠様」


 会いたい。


 鍛錬を始めるまで、アルフェはしばらく立ち尽くしていた。



「死んだ?」


 一瞬、冒険者組合の受付の男に言われた言葉の意味が飲み込めず、フロイドは聞き返した。彼の顔には、確かに驚きの表情が浮かんでいる。


「ああ、あいつらなら間違いなく死んだよ」


 受付の男はもう一度、同じ言葉を繰り返した。


 フロイドはその日の夕方、もうすっかり習慣となったように冒険者組合を訪ねて、新しい情報が無いかどうかを聞いていた。雇い主に引きずられて、俺もすっかり冒険者らしくなったものだと思っていた所で、彼はふと尋ねてみたのだ。


 ――今日はあの三馬鹿の姿が無いな。


 最近はフロイドが来るたびにバカ騒ぎをしていた連中だ。特別関心があった訳ではないが、あまりににぎやかしいので嫌でも目についた。旦那旦那と呼びかけてくるので、顔も覚えた。

 その三人、フロイドが三馬鹿と呼んでいた三人の若い冒険者が、仕事の途中で死んだそうだ。


「そうか、そいつは仕方ないな」


 あっけらかんとフロイドは言った。

 奴らも冒険者だったのだ。魔物や盗賊相手の切った張ったを生業にしていれば、死ぬこともある。あっけないことだとは思うものの、それで心を痛める感性を彼は持ち合わせていない。いつどうやって、なぜ死んだかとも聞かずに、彼は受付との話を再開した。


「特に変わった話は?」

「川が落ち着いたから交易船が来るようになった。護衛の依頼は減るかもしれん」


 バルトムンクの人々を数か月悩ませていた長雨は、もうほとんど過ぎ去った。増水していた川の水量もほぼ元に戻り、帝都と南方都市を結ぶ交易船も往復を再開しているという。陸路よりも水路の方が襲撃に遭う危険性は低く、したがって行商人の護衛依頼は減少するだろうという話である。


「冒険者の動きはどうだ」

「いつも通りだ。死んだ分は新しい冒険者がやってきているしな。収支は合ってるよ」


 例の三人組がいなくなったからといって、冒険者組合にたむろしている冒険者の数が減ったようには見えない。普段通りに騒がしく、酒を飲んでいる者や仕事の相談をしている者たちであふれかえっていた。

 この中で何人が、あの若い三人のことを覚えているだろうか。


「分かった」


 言うとフロイドはカウンターを離れた。必要な情報は集めたからだ。


「ん? マキアスか」


 彼と入れ替わるようにして、一人の若い冒険者がカウンターに向かって来た。

 いや、この青年は冒険者なのかいまいち判然としない。しかし最近冒険者組合によく出入りしている。依頼を受ける様子はなく、ひたすら情報を収集しているようだ。特に都市への冒険者の出入りを気にしているあたり、誰か人でも探しているのかもしれない。


「あ、ああ。フロイド……さん」


 声をかけられて、青年は戸惑ったようにうなずいた。

 フロイドがそれほど話したことのないこの青年のことを覚えているのは、単純に見所があると思うからだ。今もそれなりに使えるようだし、まだまだ伸びる気配もある。


 ――俺が道を踏み外したのは、こいつくらいの歳だったな。


 フロイド自身も若いのに、ふとそんなことを考えた。

 この町にいる他の冒険者のように、どこかやさぐれた空気を纏っていることもなく、若者らしい溌剌とした雰囲気を、この青年は失っていない。汚れたフロイドの立場から言わせれば、きれいなのだ。まぶしすぎるほどに。

 やはりこいつは冒険者ではないのだろう。


「またな」


 そのまますれ違って、フロイドは組合の入り口の方に歩いた。

 さっさと雇い主の元に行って、今日得た情報を伝えるとしよう。


「――あいつらが死んだ!? ど、どうして!?」


 扉をくぐるフロイドの耳に、動揺するマキアスの声が聞こえた。



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