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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第三章 第三節
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126.あなたに名前をあげましょう

 「水の魔女」と呼ばれる冒険者、ネレイア・ククリアータが、何やら依頼したいことがあるという。フロイドからそれを聞かされて、アルフェは彼と共に、ネレイアが指定する場所まで赴いた。

 そこは、ネレイアが滞在しているという宿の一室だ。凝った作りの外観、瀟洒な雰囲気の内装から、かなり高級な宿だということが分かる。バルトムンクの冒険者の間では、ネレイアはそこに夜な夜な若い男を連れ込んでいるという噂が流れているのだが、彼女の部屋に、そんな爛れた退廃的な空気は無かった。


「魔物退治……。それは別に、構いませんが」


 二人を部屋に上げたネレイアは、実は狩ってもらいたい魔物がいるのだと、アルフェたちへの依頼を口にした。


「しかし、それならあなたが、直接手を下せば良いのでは?」


 アルフェは即座に了承せず、そう質問した。この魔術士は一流の冒険者だ。ワーグやオークに手こずるような、その辺の駆け出しとは訳が違う。倒したい魔物がいるとして、どうして自分で戦おうとしないのか。依頼を受ける前に、少なくとも理由だけは聞いておきたかった。


「相性が悪いから……、私が、その魔物と」

「相性ですか」


 最近、どこかで聞いた話である。アルフェはそう思った。


「強力な魔物なのは間違いないんだろ。どんな奴なんだ」


 とにかく、それを教えてもらえなければ始まらないとフロイドは言った。

 アルフェは立ったままだが、フロイドは部屋の中央のソファに腰掛けてふんぞり返っている。その前のテーブルに置かれた菓子を、フロイドはかじった。


「……ルサールカって知ってる?」

「ルサールカ……。水妖ですね」

「そうよ」


 ルサールカとは、水辺に住む魔物の中でも水妖とか水精と呼ばれるものである。オークやゴブリンのような、どこにでも居るありふれた魔物ではなく、遭遇率の低い希少種だ。

 ルサールカは人間の女性に似た姿をしていて、居着いた水場に近づく人間を、水に引きずり込んで殺す。水に引きずり込む、というのは古典的なおとぎ話だが、実際のルサールカは豊富な魔力を有していて、水を利用した魔術を使いこなすのだという。

 確かに、「水の魔女」であるネレイアにとっては、同系統の魔術を得意とする魔物と正面から戦うのは、分が悪いのかもしれない。図鑑で得た知識を頭の中で引きながら、アルフェはあごに指を当てて考えた。


「私が倒したいのは、ルサールカの中でも、特に強力な個体よ。正直言って、私独りじゃ手も足も出ないの」

「それほどにか」


 バルトムンクにいる冒険者の中で、一、二を争う実力の彼女がそう言うからには、並の魔物であるはずが無いだろう。アルフェからは後頭部しか見えないが、フロイドの声には、ネレイアの語る魔物に対し、興味が湧いたという響きがある。


「もちろん、あなた達に任せっぱなしにはしないわ。相手の場所は分かっているから、そこまで案内する。討伐にかかる費用は全て出すし――、必要な物があるなら言ってちょうだい。すぐに揃えるわ。どうかしら、引き受けてもらえる?」

「至れり尽くせりだな。……どうする、アルフェ」


 ソファに上体を預けて、フロイドが首だけで振り返った。


「引き受けても構いません。ですが――」


 そう、引き受けるのは構わない。しかしそのためには、もう一つ確認しておかなければならないことがある。


「なぜ、その魔物を倒す必要があるのですか?」


 金のためであれ、名声のためであれ、冒険者が魔物と戦うには、それなりの理由が必要だ。 「相性が悪い」というのは、彼女が勝てないと考える理由であって、戦う理由ではない。納得できる答えを、アルフェは聞きたかった。

 ルサールカに、高額の報賞がかけられたという話は聞いていない。そこそこ金を持っているはずのネレイアが、勝てないかもしれない魔物とあえて戦う必要はない。彼女には冒険者としての名声もある。名声のためでもない。

 アルフェのそんな問いに対して、ネレイアはあらかじめ用意していたかのように、すぐに回答した。


「私の魔術を高めるために、そのルサールカを倒して、あるものを得る必要があるの」

「“あるもの”ってのは?」

「魔術的なものよ。詳しく説明して欲しい?」

「いいや、御免被る」


 フロイドは首を振って、またテーブルの上の菓子に手を付けている。


 ――何か、たくらんでいるということでは無いようですが……。


 ネレイアの話は、筋が通っているように感じられた。報酬も、最初に十分な額を提示されている。


「最後に」

「なあに?」

「なぜ私たちに?」

「実力があるから。……それに、他の冒険者は信用できないし」


 では、素性の知れない小娘と、それに雇われた人殺しは信用できるのか。自分の怪しさを自覚しているアルフェと同じようなことを、ソファで首を傾げているフロイドも考えているのだろう。


「女の子同士、私たちなら上手くやれるわ」


 女の子という単語を聞いて、フロイドはまた首を傾げている。

 何かたくらんでいたとして、裏切ったら、その時はその時か。


「……分かりました。受けます」

「助かるわ」


 ほっとしたように、ネレイアは自分の豊満な胸に手を当て、息をついた。



「あの魔女の依頼、あんたはどう思った」


 ネレイアの宿を出ると、それを待っていたように、フロイドがアルフェに尋ねた。アルフェは、ネレイアの部屋がある辺りの窓を眺めながら、逆に男に聞き返した。


「あなたこそ、どう思ったのですか」

「全てを話していないという感じがする」

「……そうですね」


 アルフェが覚えた違和感は、アルフェだけのものではなかったようだ。

 特にどこがという訳ではない。しかし、ネレイアは所々、何かを隠して話をしていた。


「だが、俺たちに害意を持っているようには感じなかった」

「…………」

「あの魔女にも、何か“個人的な事情”があるんじゃないのか」


 あんたのようにな、とは、フロイドは言わなかった。しかしこの男がそう言いたかったのは、目を見て何となく読み取れた。


「しかし、それでよく引き受けたな」

「……私にも、個人的な事情があるからです」

「……これが、あんたの“目的”に関係があると?」

「いえ、違います」


 お金が無いからです。アルフェがそう言うと、フロイドはばったりと立ち止まった。


「置いていきますよ」

「ちょっと待て」

「待っているでしょう」

「違う、そうじゃない。金ならあるだろう。この前の賞金首や、トロルを倒した報賞だって――」

「全部使いました」

「何に」

「馬車やイコを買うためにです」


 その他にも、魔術のかかったカンテラなど、この前の遠征のために野営に有用な品を色々とそろえた。そしてそれらは全て、廃都市の近くに置いて逃げてきた。最低限、都市の拠点に置いておいた資金は、服や野営道具を買い直したことで消え失せた。

 アルフェの説明を聞いたフロイドは、立ち止まったまま目をつぶり、渋い顔で腕を組んでいる。


「仕方ありません。誰かが魔獣から逃げたせいです」

「だから、あれはあんたが気絶したから――。ん? “イコ”ってのは何だ? そんなもん買ったか?」

「…………」


 アルフェは、ふいと目を伏せた。「イコ」とは、何か人間の名前のようである。しかし当然、人間であるはずがない。しばらく考えて、フロイドはそれに思い当たったようだ。


「…………あの馬の名前か?」

「……そうです」

「ああ、そう……」


 フロイドは天を仰いだ。

 浮かれていると思われたのだろうかと、アルフェはこの男に馬の名前を教えたことを後悔した。だが、馬にだって名前が必要だし、いつまでも「彼」とか「あいつ」と呼んでいるのは、失礼だと思ったのだ。それに、かつてはテオドールやマキアスも、馬に名前を付けて可愛がっていた。


「森の中ではさすがだと思ったが、あんたは、意外に抜けたところがあるんだな」

「……嫌味を言いたければ言いなさい。どちらにしても、資金が無くなったのは事実です」

「あの魔女の依頼を引き受けたのは、それでか……」

「強い魔物と戦えるのは、修行にもなります。……そういう訳で、今の私にはあなたを雇い続けるお金もありません」


 去りたいなら好きにしなさい。そう言って、再びアルフェは歩き始めた。


「今の俺は丸腰だ。俺の剣を買う金は残ってるのか?」

「……それは、自分で調達しろと言ったでしょう」

「まあ、仕方ないな。今回も安物で済ませるか……」


 しかしこの男は、まだアルフェに付いてくるつもりのようだ。

 そしてフロイドが付いてくることに対して、アルフェは文句を言わなかった。



 翌日、ネレイアを加えて三人になったアルフェたちは、彼女の案内で、川辺を流れにさかのぼって歩いていた。


「ルサールカは水辺を好むわ。バルトムンクを通過しているレニ川には、この渓谷で何本も支流が合流しているの。その内の一本の上流に、“あれ”が棲みついていることは確認済みよ」

「じゃあ、また雨の中を山登りか」

「悪いけど、そうね」


 渓谷地帯には、今日も雨が降っている。


「でも、少しくらいの雨なら、私の魔術でどうとでもなるから」


 ネレイアの言葉通り、降る雨は一行の体に落ちかかってはこない。雨粒は彼らの頭上で、まるで透明な傘にはじかれているかのように、緩やかに軌道を逸れて地面に吸い込まれている。彼女の魔術によるものだ。


「戦闘まで、魔力は温存した方が良いのでは?」

「魔術具の補助もあるし、マナを上手に廻せば、このくらいは負担じゃないわ」


 アルフェの疑問に答えたネレイアの両腕には、いつもと同じく碧い宝玉がはまった魔術具が装備されている。それが放つ水色の光が強くなっているのは、彼女が魔術を作動させているからだろうか。


「でも、さすがに“その子”を範囲に入れるのは難しいから、それはごめんなさい」


 ネレイアが視線を向けた先には、アルフェの所有する黒馬がいる。フロイドに手綱を引かれて、首くらいまでは透明な傘の内側にいるが、首から下は濡れ放題だ。


「別に構わんさ。……それから、“この子”のことはぜひ名前で呼んでやってくれ」

「名前があるの?」

「ああ、イコ君だ」

「可愛い名前じゃない、よろしく、イコ君」

「全くだよ、本当に。実に可愛らしい名前だ。なあ、イコ君」


 会話の意味が通じているのかいないのか、馬はそこでぶるりと体を震わせた。

 名付け親の少女は後ろの二人の会話を無視して、無表情に先頭を歩いているように見える。


 だが、よくよく観察してみれば、彼らも少女の両耳の頭が、赤くなっていることに気が付いたかもしれない。

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