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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第三章 第一節
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113.Blank Memory

 冒険者組合で三人の新入りがまだ語り合っていたころ、同じ組合の建物を出た男が、足早に道を歩いている。渓谷の狭間に作られたこの町は、全体的に建物が密集しており道が狭い。夕暮れ時であるという理由以上に暗い通りを、ランタン一つ持たず、男は素早く曲がっていく。

 ここのところ雨の日が続いていたが、今日は珍しく晴れている。そういう意味では足を滑らせる心配は無さそうだった。


 男はある所で裏路地に入ると、並んでいる扉の一つの前に立ち、それを規則的に四、五回叩いた。中から反応はない。少し待って、彼は扉を押し開けた。

 家の中は外よりも更に暗い。漂っているほこりっぽい空気を吸い込んで、男は顔をしかめた。


「……居るなら返事をしてもらえると助かるんだがな」


「それに、いちいちこんな場所で落ち合わなくても、寝首を掻いたりはしないさ。いい加減、少しくらいは信用してもらいたいもんだが」


「……分かった。言われた事をやってろと言うんだろ?」


 もちろんこれは男の独り言ではない。家の中には、彼以外にもう一人居る。壁際にぼんやり見える影に向かって、彼は話しかけていた。


「情報屋組合の元締めは、確かにこの町にいる。だが、俺たちには会わんそうだ」

「……なぜ?」


 陰はようやく口を開いた。それは少女の――、男の雇い主である娘の声だ。それを聞いた男が苦笑を浮かべたことまでは、相手には見えなかっただろう。

 自分の新しい雇い主の声を聞くたび、男は自分の今の境遇に笑ってしまう。剣士として裏の世界を歩き、数多の汚れ仕事をこなしてきた自分が、今は十以上も歳の離れた娘に、顎で使われているのだ。

 彼が自分で望んだことではあるのだが、それにしてもというわけだ。


「……なぜですか」


 男がなかなか答えないので、娘はしびれを切らしたようだ。少し丁寧な口調になって、彼女は催促の言葉を投げかけてきた。


「決まってるだろ、怪しまれているからだ」


 暗殺ギルドとまではいかずとも、半分裏家業である情報屋組合のトップに、ぽっと出の冒険者がそう簡単に接触できるはずがない。そういう意味のことを男は喋った。


「……」


 男の目も、そろそろ闇に慣れてきた。壁際の木箱に腰掛けた娘の表情が見える。彼女は左手の親指の爪を軽く噛んで、考え込むような仕草をしていた。


「メリダ商会というのが、元締めの隠れ蓑になっているというのは?」

「多分間違いない。……おい、殴り込もうとか考えるのはやめとけよ。あんたなら制圧できるかもしれんが、あいつらも素人じゃない。その後が動きにくくなるぞ」

「分かっています」


 本当かねと男は思ったが、黙っていた。本人は否定するだろうが、この娘は自分に輪をかけた戦闘狂だ。どうせ似たようなことを考えていたに違いない。


「やはりもう少し、この町で仕事をこなしましょう」


 向こうが自分たちを“有用な人材”であると認めるまでと少女は言った。

 情報屋ギルドのマスターに接触してまで、自分の雇い主が何の情報を欲しがっているかは知らないが、そうするべきだろうと男も賛同した。


「明朝早速、町を出ます」

「魔物退治か?」


 少女は当たり前のようにうなずいた。この流れで行くと、多分またやっかいな魔物と戦わされることになるのだろう。彼は再び自分の境遇を思って笑みを浮かべた。


「明日、いつもの場所で」

「承知した」


 それで今夜の話は終わりという空気になった。娘の方に動く様子はない。男は扉の方に振り返ろうとしたが、その前に思い出したように口を開いた。


「そう言えば、新入りがあんたの話をしてたぜ、『銀狼』――おっと、睨むなよ。名前が売れるっていうのは狙い通りじゃないか。だろ?」

「……嫌いです。その呼び名は」

「俺は似合ってると思うがね」

「お前にそう言われても、嬉しくなどありません」


 にらみつけられて男は苦笑した。誰が初めに呼んだか知らないが、銀狼とはよく言ったものだ。この目、この気迫、そして暗闇の中ですら光る銀の髪。まさにぴったりじゃないかと。

 確かに年頃の娘を表す二つ名としては雄々しすぎるきらいがあるが、この娘は今更そんな事を気にするようなタマではなかろう。そんな事を思っていると、少女は彼の名前を呼んだ。


「フロイド・セインヒル」

「ああ」

「信用されたいというなら、黙って言われた仕事をこなしなさい」

「ああ、分かっている。あんたは俺の雇い主だ。俺は、雇い主の命令には従うさ。アルフェ」



 フロイドが出て行ってからしばらくして、アルフェは彼との密談に使った家を出た。夜気にあたりながら周囲の気配を探り、近くに人間がいないことを確かめると、彼女は隣の家に入った。何のことはない、そこが彼女の今の仮宿だ。小さい家を一軒丸々借りてある。隣の部屋を警戒しなくて済む分、こちらの方が気楽でいい。


「ふー……」


 一人になるとため息をつくのはもう癖だ。それほどに、彼女は他人と居る時、常に気を張っている。数ヶ月前にエアハルト伯領から姿を消したアルフェは、この城塞都市バルトムンクに身を潜めていた。

 アルフェの目的は今も変わっていない。それは、彼女の最も大切な人を殺した“あの男”を八つ裂きにすることだ。


 あの男は、結界の秘蹟が行われるはずだった聖堂に現れ、そして去った。あの場に大量のアンデッドを召喚し、居合わせた数千の兵を虐殺させたのは間違いなくあの男と、その傍らにいたメルヴィナという死霊術士である。

 アルフェがあの男を追うためには、相変わらず情報が不足していた。しかし以前とは違って、わずかだが取っかかりがある。断片的にではあるが、あの秘蹟の夜に、アルフェはあの男とメルヴィナの会話を聞いたのだ。そしてその中には、いくつかの気になる単語があった。


 ――……クラウスから連絡があった。他の“遺物”を見つけたそうだ。


 “遺物”とは間違いなく、クルツとシンゼイが結界の秘蹟に使用したあれのことだろう。クルツたちはその“遺物”こそが、失われた結界の秘蹟を再現するために欠かせないのだと語っていた。それを探していたということは、あの男は結界の秘蹟に関心があったということなのだろうか。

 ただの灰にしか見えないひとつかみの粉。それがクルツたちの用いようとした遺物の正体であり、それは今、アルフェの荷物の中に収まっている。


 鑑定を生業とする店に持ち込んでみても首を傾げられるばかりで、これが何なのかは判明しなかった。

 特別な魔力を帯びている訳でもないこれを、シンゼイはどうしてああも恭しく扱っていたのだろうか。何か特別な手順を踏めば、これの真価が分かるのだろうか。それともひょっとしたら、あの夜の儀式に使われた事で、これは力を失ってしまったのだろうか。そんな推測を繰り返してみても、分かることは何も無かった。


 ただ、アルフェが小瓶に入れたその灰をじっと見ていると、何か嫌な気配を感じることがあった。それは“嫌な気配”としか例えようのない感覚であり、誰かに陰から見られているような、思わず背後を振り返りたくなるような、そんな不安な気分を呼び起こすものだった。

 とにかく、この遺物と似たような物や、結界の秘蹟に関わりそうなものを探す。それがアルフェの当面の方針になった。この町で彼女が、情報屋組合の元締めに接触しようとしているのもその一環である。


 そしてもう一つ、あの魔術士が口にしたクラウスという名前は、果たしてアルフェが知るクラウスと同一人物なのだろうか。

 クラウスは帝国ではよくある名前である。しかし、彼がアルフェの元に寄越したメルヴィナが、あの男に従っていたのだ。十中八九間違いない。間違いないと思えるが、これも今のところ確かめる方法が無い。


 そもそもクラウスという人間は、アルフェの故郷ラトリアの城にいた侍従の一人で、アルフェの姉付きの従者だった。アルフェが彼に対して持っていた印象は、とにかくいつも姉の近くにいる、頼りなさそうな青年というものだ。

 城の練兵場で、姉の剣の稽古に付き合わされた彼が、精根尽き果てた様子で倒れている様をよく目にした。

 城にいた時、アルフェが彼と直接言葉を交わしたことはあっただろうか。あったかもしれないが、少なくともアルフェの記憶には残っていない。

 どういう経緯があったのか、王国兵が城を襲撃したあの日、そのクラウスがアルフェを城から脱出させた。そしてその後一ヶ月ほどにわたって、アルフェは彼と逃避行を行い、そしてベルダンの町にたどり着いたのだ。


 アルフェがクラウスについて知っているのは、それが全てである。


 ――どうして私は、こんなに何も知らないのだろう。


 クラウスの事だけでなく、城にいた時のアルフェの記憶は全てが曖昧模糊としている。

 母の記憶、姉の記憶、身の回りにいた使用人の記憶、そういったものはあるが、逆に言うとそれ以外の思い出がほとんど無い。

 アルフェの記憶が明瞭になるのは、どこか分からない地下道を抜けて、クラウスと共に城を脱出してからだ。それ以前に、自分がどういう感情のもとで日々を送っていたのか、それすら彼女の頭の中では霞がかかったようになっている。


 ――それだけ私が、あの場所で何もしてこなかったということなのでしょうね。


 この事を思う度、その原因が自分の無為にあったと、アルフェはいつも己を恥じる気分になった。何しろ城が陥落する日まで、彼女は自分の部屋からすらまともに出たことが無かったのだ。知識や常識が不足しているのも仕方が――


 ――ではなぜ? なぜお前は部屋を出たことが無かったのだ?


「……え?」


 誰かに話しかけられたような気がして、沈思していたアルフェは思わず頭を上げた。しばらく視線をさまよわせて、最終的に彼女が顔を向けた先は、壁際に置かれた自分の荷物だ。


「……」


 遠くで犬の遠吠えが聞こえる。当然、部屋の中には彼女以外に誰もいない。

 空耳だったかと首を傾げ、アルフェは思考を再開した。


 とにかく誰を探すにしても、具体的な手がかりは例の“遺物”くらいだ。それと縁のありそうな場所を巡り、あとは情報屋組合の元締めが持っている情報に期待する。 それに加えてできることがもう一つ。


 ――もっと、強くならないと……。


 彼女が抱えているその思いは、ますます強くなっている。

 単純にアルフェがあの男より強ければ、余計なことを考えず、あの夜に奴をくびり殺すこともできたのだ。それができなかったのは、つまり彼女が弱かったからである。

 それをくり返したくなければ、強くならなければならないのだ。誰よりも強く。


 自分よりも桁外れに強かったコンラッドを殺した相手に、一朝一夕で届くはずがない。しかし、だからといって歩みを止めることはできない。

 そして強くなるために、実戦に勝る訓練は無い。彼女が強力な魔物を狩り、賞金首でも冒険者でも、手練れとされる人間と戦う機会を求めるのはそのためだ。そう言う意味でもこの町はアルフェにとって都合が良かった。


 どれだけの血溜まりを作っても、自分はいつかあの男に届き、そしてこの手で奴の首をねじ切る。アルフェは心の中でそう唱えると、夕食前の鍛錬のために上着を脱ぎ捨てた。

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[良い点] 読みやすくすんなり文字が頭に入ってきます 熱く寂しい物語で面白いです 色々なフラグも想像を掻き立てられて良いです [気になる点] 漫画になったらもっと面白そう からくりサーカスを思い…
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