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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第二節
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11.二人の騎士

 ――くっ……、私としたことが……!


 若き遍歴の騎士、テオドールは焦っていた。彼は荒い息を吐きながら、長剣を構えつつ周囲を索敵している。近くに例の敵の気配は無いが、混乱の中で友人とはぐれてしまった。魔物に不意をつかれて、我を忘れていたのだ。


 ――マキアスはどこだ? ……無事だといいが。


 テオドールは友人の騎士マキアスと共に、帝国南部の自由都市ベルダン付近の廃村に来ていた。近頃この廃村で、幽鬼レイスが出現したという情報があったからだ。

 幽鬼――。人間に対する敵意に満ちた、強力なアンデッドである。出現例は多くないが、放置すれば深刻な被害を招く。今回の個体は、この廃村の近隣にある死者の沼地の歪んだマナが、この地に漂う死霊に取り付いた結果実体化したものだと考えられた。

 ここは遺棄された開拓村であり、住民が去って久しい。しかしベルダンからのびる街道が、村の中央を走っているため、このレイスを見過ごすことは、間違いなく旅人や商隊の危険に繋がる。

それだけではない。これほど強力なアンデッドを放置しておけば、それはやがて力を増し、いずれは領邦の結界の中に侵入してくる可能性すらあった。


 都市ベルダンの市議会も、当然その危険性は認識している。遠からず、衛兵たちにより遠征隊が組織されるだろう。そして、市議会よりも素早い動きを見せていたのが冒険者組合だ。彼らはレイス出現の報を聞くやいなや、幽鬼に高額の賞金を掛けて、討伐志願者を募っていた。

 自分たちも騎士として、市民の苦境を見過ごすわけにはいかない。一刻も早く憎むべきアンデッドを打ち倒し、街道に平和を取り戻さなければならない。そう決意したテオドールは友人と二人、馬を走らせてこの廃村に駆けつけたのだ。


 ――しかし、噂には聞いていたが、まさかあれ程とは!


 ボロボロのドレスを着た、浮遊する女の霊。テオドールが初めて遭遇したレイスは、話に聞いていた以上に恐ろしい化け物だった。それは、廃村を捜索していたテオドールたちの背後の壁から現れ、突如として攻撃を仕掛けてきたのだ。

 後ろから、テオドールを抱きしめるように包み込むレイス。その手に触れられた彼の体からは、まるで凍りついたかのように感覚が失われた。隣にいたマキアスが、とっさにテオドールに体当たりをしなければ、彼はそのまま悪霊の腕の中で息絶えていたかもしれない。


 剣で斬り付けても一向に堪えた様子が無く、レイスは嘲笑うかの様に、二人の周りを回遊していた。狂気じみた女の笑い声が、廃村の中に響き、青年たちの背筋に悪寒が走った。

 態勢を立て直す必要があった。テオドールとマキアスは、お互いに目配せすると一目散に逃げ出した。おかげでどうやらレイスを振り切ることができたが、テオドールはその途中で、友人の騎士とはぐれてしまったのだ。


 ――我ながら情けない……。聖騎士としての訓練を忘れ、新兵の様にうろたえるなど……。


 悔しさのあまり、テオドールは歯噛みする。

 テオドールたちはただの騎士ではない。邪悪な魔術に対抗する訓練を受け、異端の魔術士を成敗する力を身につけた聖騎士だ。アンデッドは厳密に言うと彼らの専門外だが、それでも応分の準備はして来たつもりだった。しかし、若い二人には実戦経験が不足していた。そのため悪霊の突然の襲撃に慌て、不覚をとってしまったのだ。情けないことこの上ない。


 今、テオドールは廃村中央の広場にいた。ここならば周囲が見渡せるし、壁をすり抜ける幽鬼の奇襲にも対応できる。

 既に剣身には聖油を塗布してあった。聖なる力をエンチャントした今の状態ならば、レイスにも刃が通るだろう。


 ――……! 来たか……! 


 突然辺りの空気が冷え、太陽の光すらも弱くなったように感じる。視界から、色が失われていく感覚。黒いマナが、周囲を歪めているのだ。

 これは悪霊が出現する予兆である。忌まわしい幽鬼が近づいている。

 斜め前方の廃屋の扉をすり抜けて、レイスが出現した。乱れた長髪、牙の生えた口、ミイラの様に乾いた皮膚、黒い闇だけを宿す眼窩。その顔からは、生前の面影を読み取ることはできない。

 テオドールは無言で足を踏みしめ、鋼の長剣を正面に構えた。レイスは長い爪を振り回し、若き騎士の顔面を狙う。ぎゃりんという音を立て、テオドールの剣がレイスの爪を受け流した。


「――くッ!」


 幽鬼の腕は、枯れ枝のごとく細い。だがその攻撃には、聖騎士の過酷な訓練を耐え抜いたテオドールが、たたらを踏むほどの重さがあった。

 しかし、敵も無傷とはいかない。レイスの腕から一筋の白煙が上がり、あたりに死体を焼いたような異臭が漂う。聖なる光のマナの力を付与された剣は、触れるだけで不死者に損傷を与えることができるのだ。


「消え去れ、アンデッド!」


 ここぞとばかりに詰め寄ったテオドールが、渾身の力でレイスを袈裟切りにする。手ごたえがあった。レイスが苦痛の悲鳴を上げた。


「とどめだッ!」


 さらに返す刀で、下段から剣をすりあげる。十分な速度を持ったその斬撃は、レイスの脇腹を切り裂いた。


 ――完全に入った! ……いや、まだか!?


 会心の一撃を与えたと確信したが、レイスの幽体は消え去らない。剣による損傷だけでは、このアンデッドを消滅させることはできないのか。

 しかし、悪霊の側も己の不利を感じたらしい。レイスはヒィィィという悲鳴を上げると、テオドールに背を向け、村奥にある屋敷の方へと撤退していった。


「……はぁ」


 ――何とかしのいだか……。


 悪霊が去り、周辺に熱が戻ってきた。テオドールが安堵の息を吐き、レイスの飛び去った方角を見据えていると、友人の騎士の声がした。


「テオドール! 無事だったか!」

「マキアス! 良かった、私の方こそ心配していたんだ」


 友人の無事を確認したテオドールの顔に、思わず笑みが浮かぶ。彼の方に駆け寄ってきたマキアスは、周囲をうかがう様子を見せた。その手には、テオドールと同じ意匠の長剣が握られている。


「それで? あのクソアンデッドはどうなった?」

「ああ、たった今交戦した」

「何! やったのか?」

「わからない。取り敢えずは退けたが……、完全には消え去っていない」


 テオドールは長剣を鞘に納め、村の奥を指差した。その方角には、塀に囲まれた一軒家――屋敷と言ってもいい大きさの建物がたたずんでいる。


「あの廃屋に飛んでいった……。恐らくあそこが、悪霊の巣なのだろう。とどめを刺さなくてはならないが、それには何か、足りないものがあるようだ」

「……? ……どういうことだ?」

「それは――」


 テオドールがマキアスに説明しようとしかけたとき、二人は視界の端に人影を感じた。


「誰だ!」


 マキアスが激しく誰何した。彼は同時に長剣を構え、応戦する姿勢を見せた。テオドールも剣の柄に手をかけている。


「娘……?」


 いつの間に現れたのか、村の入り口に、一人の少女が立っている。旅人だろうか。その銀髪の少女は、なぜか手に一振りの曲刀を抱えていた。


「なんだ? なんでこんなところに――」


 娘の正体を図りかねたマキアスは、その娘をにらみつけながら己の長剣を顔の横に引き上げた。相手の出方次第で、何時でも斬りかかれるようにだ。

 もしかすると、魔物の擬態かもしれない。状況的には当然の判断だ。


「……娘さん、どうされましたか? ここは危険です。今すぐに離れたほうがいい」


 しかしテオドールは、相手を案じる言葉を掛けながら、無防備に娘の方に寄ろうとしている。それを見て、マキアスは激しくうろたえた。


「待て! 不用意に近づくな!」


 マキアスは慌てて友人の肩をつかんで引き留める。少女に聞かれるのも構わずに、彼は大声で注意を促した。


「アンデッドの罠かもしれない。こんなところにガキなんかいるもんか! ……もう少し疑え!」


 そう言いながら、マキアスは再び娘に警戒の目を向ける。

 マキアスは、テオドールとは少年の頃からの長い付き合いだ。テオドールは騎士道を重んじる、尊敬できる親友だが、いつまでも馬鹿正直というか、疑うということを知らない。だからマキアスは、こんな時、友の代わりに進んで警戒してやるのが己の役目だと自認していた。


「見ろ! どう見ても普通の娘じゃないだろうが!」


 そう、見れば見るほど怪しい娘である。自分で言いながら、マキアスは改めて思った。

 ここは、町から遠く離れた廃村だ。結界の外も外、こんな場所では、いつ魔物に襲われてもおかしくない。にもかかわらず、目の前の少女は、どう見てもマキアスの妹ほどの年齢にしか見えなかった。こんな危険な領域に、その年の少女が独りでいるはずがないだろう。

 さらに、娘の不自然なまでの美しさが、マキアスの警戒をさらに加速させていた。あるいはこの娘は、その美しさで旅人を惑わす、悪霊か何かだろうかと。


「失礼なことを言うな、マキアス! この娘さんからは死の気配を感じない……。――ただの人間だ」

「だからただの人間が、どうしてこんなところにいるって言うんだよ!」

「こんなところだからこそ、我々が保護しなければ!」

「この分からず屋!」

「君こそ!」


 マキアスの声が段々と荒くなる。だが、テオドールも頑として譲ろうとしない。そんな二人のやり取りを、謎の少女は立ち尽くしたままじっと見ていた。

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