五日目・朝 ただそれだけの世界
第三章、開幕!
都議会議事堂内は、語られた俺の言葉によって静まり返っていた。
クロエも、ミコトも、俺の言葉がまるで何か固い食べ物であるかのように。それを上手く噛み砕くことが出来ないかのように、顔を歪めて考え込んでいる。
――――あれから。
ほどなくして目が覚めたミコトに、また無茶をしたことを怒られた俺は、話があると切り出した。
ミコトは俺の真剣な表情から何かを察したようで、何も言わずに小さく頷いてくれた。
一部が崩落して瓦礫となり変わった都議会議事堂の中へと侵入して、日の当たらない場所で俺たちは腰を落ち着ける。瓦礫を椅子にして腰かける二人に、俺はこの夜に自分が体験したことのすべてを――俺という種族と、ミコトの種族に関して知ったことのすべてを二人に語ったところだった。
「……えっと」
俺の言葉に、真っ先に口を開いたのはミコトだった。
「ユウマさんが何を言っているのか、理解ができないんですけど……。種族命題? 潜在意識で、私たちはその命題に沿って行動している?」
とミコトは戸惑いの表情を浮かべながら言った。
「しかも、このゲームを始める前に選択した種族によって、私たちの思考や感情が影響を受けて変わっているなんて……。信じられない情報が多すぎて、理解が追いつかないです」
口元を引きつるように持ち上げて笑いながら、ミコトは言った。
「つまり、ユウマさんが言っていることは……、私たちはこのゲームによって、いつの間にか操られている。そういうことですか?」
「……ああ、そうだ」
俺はミコトの言葉を肯定するように頷いた。
「嘘、ですよね?」
「…………」
ミコトの縋るようなその言葉に、俺は何も言えなかった。
その無言が、すべての内容を肯定してしまう。
ミコトは、そんな俺の様子に唇を震わせると、言葉を吐き出した。
「そんなの……。そんなの、信じられません!! 私の考えは……、この感情は! すべて私のものです! 他の誰でもない、私のものなんです!!」
「ああ、俺も最初はそう思ったよ。今だって、俺もそう思ってる。でもな、これまでこの世界で過ごしてきた現実が、時間が……。これまでの俺の行動のすべてが、アイツの言ったことが、あながち間違いじゃないって。そう、思ってしまうんだよ……」
俺の言葉に、ミコトが目を見開く。
瞳孔が揺れて、呆然とした顔でミコトは言葉を絞り出す。
「そんな。そんな、こと……。ありえません。それじゃあ本当に私は……。私は、種族によって、本当に操られていたの? 私の考えでユウマさんを救おうと思って、守りたいと思って……。これまで、一生懸命に行動してきて……」
ミコトは俯き、自らの両手を見ろしながら言葉を続けた。
「この壊れた世界で、私にできることが一つでもあるならって。必死に誰かを守りたいってそう思っていた、この考えも、感情も、全部……、全部この種族による影響だったの?」
自問するその言葉に。その様子に、俺は声が掛けられなかった。
「どうして」
とミコトは小さく言った。
それは、この現実を目の当たりにして、幾度となく俺たちプレイヤーが思い呟いた言葉だった。
どうして、こんな世界に。
どうして、自分がこんな目に。
どうして、ここにモンスターが。
どうして、どうして、どうして……。
それは、上げていけばキリがない疑問。戸惑い。困惑と怒り、そして絶望。
すべての感情を丸のみにして、最後には『どうして』とこの現実を否定する。
打ちひしがれたその様子に、俺の心が小さなさざ波を立てる。
小さなこの少女を、助け守られねばならないと思ってしまう。
……だが、その感情はすべて幻想だ。
俺は、そんなこと思っちゃいない。これは、種族による影響だ。本当の俺は、そんなこと思っちゃいない。
――――いや、でも。本当にそうなのか?
この感情は、本当に種族による影響なのか? 本当の俺の――古賀悠真の感情じゃないのか?
……分からない。自分自身が、分からなくなる。
どこまでが俺で、どこからが俺なんだろう。
「……ユウマさんは」
俺の思考を遮るように、静まり返った議事堂に声が響いた。
「ユウマさんは、本当はあの時――私を助けなければよかった、とそう思っていますか?」
ミコトは、俺の顔を見つめて静かに問いかけてくる。
その質問は、この話をミコトにすると決めた時からずっと、問いかけられるだろうと思っていた言葉だった。
俺はミコトの顔を見据えて、ゆっくりと口を開く。
「……正直に言って、分からない」
「…………分からない、ですか」
ミコトが俺の言葉を繰り返す。
「ああ。あの時もし、種族による影響がなかったとして。俺が、元の思考と感情を持っていたとして。あの時の俺は――古賀悠真は、ミコトを助けるのかどうか……。それは、今の俺には分からない」
「そう、ですか」
ミコトは、俺の言葉に表情を隠すように俯いた。
小さなその肩が何かに耐えるように、さらに小さくなったような気がする。
俺は、そんなミコトに向かってさらに言葉を続けた。
「でも……。あの時にミコトを助けて、一緒に行動をするようになって。この世界で過ごした四日間は、いろいろとあったけど悪くなかった。いや、正直に言えば楽しかった。きっかけは種族による影響だったかもしれないけど、今は正直……。ミコトを助けて良かったって、そう思うよ」
俺の言葉に、ミコトは何も言わなかった。
俺の言葉を聞いていたクロエも、何も言わなかった。
静かな時間が、俺たちの間を流れる。
そして、意外にも。一番に口を開いたのはクロエだった。
「我は……。我は、この世界に来てから嫌というほど人間の嫌な部分を目の当りにしてきた」
そう言って、クロエは語り出す。
これまで、自分が受けた裏切りと、非難と、恐怖と絶望を。
それらを語った上で、クロエは俺たちの顔を見る。
「だからこそ、我は一人で過ごしていた。何かを相談する相手がいない日々を――恐怖に押しつぶされそうな夜も、身体を焼く日の光が昇る昼間でも。我の身を守ってくれる誰かは存在しておらず、我は自分で自分の身を守らねばならぬ。眠りに落ちたとしても、いつも睡眠は浅い。ほんの小さな物音で目を覚ます。そんな数日じゃった」
そう言って、クロエは口元に寂しそうな笑みを浮かべた。
「じゃからな、我はこのクエストを通してお主らを見て、正直に羨ましいと思ったよ。何もかもが壊れたこの世界で、お互いを信頼したお主らの姿は、我が欲しくて、求めて、手に入れられなかったものじゃ。お主らの出会いが、この世界における種族の影響があったとしても。我が目にしたお主らの信頼と絆は、間違いがないものじゃと思っとる」
クロエは一度言葉を区切った。
それから、俺たちの顔をそれぞれ見渡してからまた、口を開く。
「種族による影響があろうとなかろうと。ユウマはユウマ、ミコトはミコトじゃろ。元の自分なら、とか。本来の自分なら、とかじゃない。今、ここにおるのは誰じゃ。『人間』か? 『天使』か? ……違うじゃろ。種族による影響があったとしても、ここにおるのは我らじゃ。人間であるプレイヤーじゃ。その思考と感情に――その心に、種族による影響があったとしても、それだけは絶対に揺るがない事実じゃ」
クロエは、そう言うと小さく笑った。
「ただ、この世界で必死に生きとる人間は――ほんの少しだけ、普通の人間と比べて、何かが壊れとる。種族同化現象というのは、そういうことじゃろ」
クロエが俺を見る。
「他者の救済という面倒な思想を与えられ、この世界で生きる誰よりもモンスターを嫌う人間と」
クロエがミコトへと目を向ける。
「自分以外の誰かの命を尊重し、助けるという厄介な思考を持つ人間と」
そして、クロエは自分自身の胸を指さした。
「自分の命題さえも分からぬ吸血鬼の人間が、存在しとる。……そんな世界じゃ。ここは、ただそれだけの世界なのじゃ」
クロエは俺たちの顔を見つめて、言葉を続けた。
「今のお主らは、我から見ても立派な仲間じゃ。そこに、種族の影響がどうとか関係がないと思うがの」
クロエの言葉に、ミコトは深く考え込んでいた。
やがて、躊躇うようにして、ミコトはゆっくりと口を開く。
「そう、ですよね。確かに、私たちの出会いも今の関係も、種族による影響が出ている歪なものかも知れませんけど。……それでも、私とユウマさんが過ごした時間は間違っていませんよね?」
「それを決めるのは、お主自身じゃ。少なくとも、ユウマは間違っていなかったとそう言っておったな」
とクロエは俺へと視線を向けてきた。
俺は、その視線に確かな頷きを返す。
ミコトは、俺の顔とクロエの顔を交互に見て、じっと何かを考えると――――やがて、自分の中で何か答えが出たのか。何かが吹っ切れたような顔で俺を見てきた。
「……私に、種族による影響があったとしても。私は――、このゲームを始める前の私は、ユウマさんを助けて守ることを選ぶと思います。それだけ、私はユウマさんに救われたんです。ユウマさんが居たから、私はこんな世界でも今、生きているんです。ユウマさんを慕うこの感情は、この心は、何があっても変わらないと思います」
ミコトはそう口にすると、柔らかな笑みを浮かべる。
俺は、その言葉にすぐに反応が出来なかった。
いや、どちらかと言えば純粋に向けられたその好意に、上手く言葉が出なかった。
そんな俺の様子に、ミコトも自分が何を言ったのか気が付いたのだろう。
頬に朱色が差し込むと、ミコトは慌てて手を横に振った。
「あ、ちがっ! そんな意味じゃ!」
「何が違うんじゃ。今のはまるで――」
とクロエが口を挟む。
「違います! 違いますから!!」
とミコトは顔を赤くしながらクロエに言い返した。
「――――っ、ちょっと、外で気分を入れ替えてきます」
そして、一方的にそう言うとミコトは都民広場の方へと歩いて行った。
その後ろ姿を俺とクロエは揃って見送り、自然と俺たちは顔を見合わせる。
「初々しいの、ミコトは」
とクロエが言った。
「……まあ、あれで十六だからな。まだ子供だ。お前も、あんまりミコトをからかうなよ」
と俺はクロエに言う。
「さすがに、あれは言うじゃろ。……じゃが、そのおかげで湿っぽい空気もなくなったじゃろ?」
クロエはそう言うと、くくっと喉を鳴らして笑った。
どうやら、クロエなりに気を遣って空気を換えようとしたらしい。
俺はそんなクロエにため息を吐き出すと、ちらりと視線を向けた。
「お前は、平気なのか?」
「何がじゃ」
「いや。俺たちがこの世界の種族に影響を受けて、俺たちの心そのものが変わろうとしているのに、お前はある程度受け入れているみたいだから」
「ああ、なるほどの」
クロエは俺の言葉に小さく笑った。
「…………まあ、我は事前に種族同化現象については聞いておったからの。お主のあの姿を見てある程度、覚悟はしていた内容じゃった」
そう言うと、クロエは真剣な表情となって俺を見る。
「それよりも、気になることがある。お主、種族に身体を乗っ取られていた、とそう言ったな? じゃが、今のお主はここにいる。どうやって戻ってきたのじゃ」
「それは……。リッチを倒したことで、俺があの時に憑りつかれていていた『人間』の命題――〈救世と幻想の否定〉を達成したからだと思う」
「それはつまり、その種族に与えられた役割を終えたから戻ってきた、と。そういうことか?」
「あの『人間』の言葉を借りるなら、そうだ。あの時の俺は――言ってしまえば、ボスモンスターを倒さなければいけないという妄執に憑りつかれて――この現実に存在する、幻想を否定するためだけに行動していた。もちろん、ストーリークエストをクリアしなければならないという、言ってしまえば〈救世〉の行動も強く出ていたけど、どちらかと言えばあの時の俺は〈幻想の否定〉そのものに命を賭けていた。……そんな気がする」
ストーリークエストを今夜中にクリアをする。その思考は〈救世〉による影響だろう。
だが、あの時。一度撤退をするべき場面で撤退ができなかったのは、〈救世〉ではなく〈幻想の否定〉という役割がより強く、俺の思考そのものを縛っていた。
結果。その妄執に憑りつかれて、俺は種族との同化率を上昇させて――種族に、いや『人間』に、この身体を乗っ取られた。
俺を乗っ取った『人間』は、自らに与えられた役割を果たすために、俺の身体を限界にまで使い果たしてボスを倒した。
ボスモンスターが消失したことで、俺は〈幻想の否定〉から解放されて、ストーリークエストをクリアしたことで〈救世〉からも解放された。
――だから、上昇していた種族同化率も減少して、今の20%という数値に落ち着いたのだろう。
「……ということは、種族に身体を乗っ取られても、その時に囚われているその役割さえ果たしてしまえば、我らはまた我らとしてこの現実に戻ってこれる、というわけか」
クロエは唇に手を当てながら、考え込むようにしてそう言った。
「それなら……。その種族次第じゃが、同化率が仮に上昇したとしても、そう悲観することもないかもしれぬ。ひとまずは、その者が憑りつかれておる妄執を果たしてやればいいだけじゃ。そうすれば、そ奴がこの現実に戻ってこれるようじゃしの」
俺は、クロエの言葉に頷いた。
種族と同化しないことが一番だが、それでもこの世界で生きている限り何があるか分からない。
現状の解決策としては、それが一番妥当なところだろう。
お待たせしました。
出来る限り日刊で投稿していく予定です。
第三章もよろしくお願いいたします。




