種族:人間
悠真視点です。
そこは、例えていうなら俺一人だけに用意された専用の映画館のようだった。
真っ黒な空間には俺だけに用意された背もたれ付きの木組みの椅子が置かれていて、その椅子にはスポットライトが頭上から当てられている。
椅子の正面には大きな白地のスクリーンが宙に浮いていて、そのスクリーンには映画のワンシーンのように、凶悪なモンスターへと挑む男の視点が、音のない映像となって流れ続けていた。
俺は、その椅子に腰かけて正面のスクリーンを眺めている。
周囲を見渡すが誰もいない。
声を出そうにも、口から漏れた言葉は形作られることなく、音もないままこの空間に消えていく。
立ち上がろうにも、身体は椅子に縛られたように動かない。
先程まで、リッチと戦っていた自分がどうしてここにいる?
理解が出来ないその現状に、俺はさらに身体を動かそうと藻掻く。
「無駄だよ」
ふいに、その声がこの空間に響いた。
子供のように甲高いその声に、どこかで聞いたことがあるような既知感に襲われる。
「今の君は、もうすでにコントローラーを手放している。今は、僕の番だよ」
再び響くその声に、俺は眉根を寄せた。
やはり、知っている。俺は、その声を知っている。
……ただ、誰の声か思い出せない。
そう思っていると、唐突に俺の右隣りに気配を感じた。
驚いて目を向けると、そこには――白い髪と青い目を持った幼い男の子が、ゲームのコントローラーを両手に持って、正面のスクリーンへと向き合っていた。
「……うん、なかなか厳しいね。でも勝てない相手じゃない」
言いながら、その子はコントローラーのスティックを動かし、ボタンを叩き続ける。
そこで俺は、その子が持つコントローラーの動きと、スクリーンの男の動きが連動していることに気が付いた。
その子がスティックを動かせば、スクリーンの中の男は凶悪なモンスターへと接近し、その子がボタンを押せば、その男が手に持つ小太刀がそのモンスターへと振るわれる。
まるで、ゲームのキャラクターを操作するかのように、その子は画面の男を操作し続けていた。
そこまでスクリーンの映像を眺めて、俺はようやく気が付いた。
スクリーンに映っていたモンスターは、俺が先ほどまで相対していたリッチだ。
そのリッチへと迫る男の視界は、まさに俺が見ていた光景そのものだ。
(なん、だ。これは……)
声に出せない声を呟いて、俺は画面を食い入るように見つめる。
そのスクリーンの視点は間違いなく俺で、凶悪なモンスターであるリッチへと迫る俺は、常人には発揮できない力とスピードで、リッチとの戦闘を繰り広げていた。
この映像は、間違いなく俺の目が捉えた情報だ。
だが、肝心の俺はここにいる。
だとすれば、この映像はいったいなんなんだ?
そもそも、ここはいったいどこなんだ!?
「ここは、君の中だよ」
と俺の困惑と動揺に答えるかのように、その子は言った。
「ここは、君の意識の中だ。君の意識はトワイライト・ワールドによって隔離されて、僕という存在が、今は君の代わりに君の身体を操作している」
その子はそう呟くと、両手に持つコントローラーをカチャカチャと動かした。
途端に、スクリーンに映し出される俺は、リッチからの攻撃で致命傷だけを避けて、身体中に傷を作りながらも常人離れした速度でリッチへと近づいた。
頭か顔か、もしくは両方を怪我しているのか。
動いた拍子に見えた俺の胸元は血で真っ赤に染まり、今なお地面を赤く染めている。
流れる血も、限界を超えて悲鳴を上げ続ける身体も厭わず、ただひたすらに、目の前に存在するモンスターを狩るためだけに動くその姿は、化け物と呼んでも差し支えなかった。
自分の身体を壊しながら動く俺自身のその様子に、俺は思わず椅子の上で激しく身を捩った。
(それはダメだ! その動きは身体を壊す!! 一度、退くべきだ。クロエも言っていたじゃないか。状況が悪いと!!)
≫≫システムエラー:トワイライト・ワールドにおける種族との同化率が50%を超えています。種族命題に反する行動は現在できません。
ふいに、そんな声がこの空間に響いた。
その言葉の意味を考えるよりも先に、隣でコントローラーを操作していたその子が、にこりと笑った。
「ダメだよ。今、いいところなんだから。それに今、君の身体を動かしてるのは僕なんだから。君には無理だよ」
(お前はさっきから何を言っている? 俺を操作しているのがお前? 今、俺の身体をお前が動かしている? …………意味が分からない。俺の身体は、俺の身体だ。お前のものじゃない)
そう言おうとしたはずなのに。
やはりと言うべきか。俺の口から出た言葉は形を作ることなく、音もなく暗闇の中へと消えていく。
「ううん、今は僕のものだよ」
だが、俺が言おうとした言葉を正確に察したのか、その子はスクリーンから視線を切ることなくそう言い返してきた。
「今の声、聞こえてたでしょ。種族同化率が50%を超えたって」
(だから、それがどうした)
もう一度、口に出そうとしたが何度試しても言葉を紡ぐことは出来なかった。
「別に、言おうとしなくてもいいよ。ここは、君の意識の中だ。僕は君だし、君は僕だ。だから、口を開かなくても頭で思うだけでいいんだよ」
(俺の意識の中? 俺がお前? ――本当に、お前はさっきから何を言ってるんだ。そもそも、お前は誰なんだ)
そう思って俺はその子の顔を見つめた。
すると、その男の子はニコリと笑って言う。
「僕? 僕はただの『人間』だよ」
……本当に、こいつは俺の考えを読み取るようだ。
あのクソゲーを始めてから、おかしなことが起こりすぎている。
このありえない出来事も、きっとあのクソゲーが原因だろう。
「そうだね、その通りだ。だったらもう分かるでしょ? これは夢じゃない。君の意識の中で、実際に起きてる現実だよ。僕らがこうして顔を見合わせているのは、トワイライト・ワールドの影響。僕としては顔を合わせるつもりがなかったんだけど、まあこればっかりは仕方ない」
俺の考えを再度読み取ったのか、その子は小さく肩をすくめた。
どうやら、本当に言葉がなくても俺の考えが伝わっているらしい。
だったら会話なんて不要だ。
俺は言葉を交わすことなく、頭で言葉を思い浮かべる。
(『人間』だと? 馬鹿にしてるのか。そんなの、見ればわかる。俺が聞いてるのは、お前が何者なのかってことだ)
「だから、『人間』なんだって。あー……、そうだね。君に分かりやすく言えば、トワイライト・ワールドっていうゲーム内にある種族だと言えばいいかな」
(種族? 種族だと? それは、ただゲーム内における役割みたいなものだろ)
「違うよ。君だって、知ってるでしょ? トワイライト・ワールドは、現実を侵食するゲームだよ。このゲームを始めた時点で、君の中にはもうすでに、僕という存在が入り込んでいるんだ」
そう言って、ソイツは――『人間』は、再びコントローラーを激しく動かした。
すると、スクリーンに映し出された映像の中では、俺が小太刀を構えて、リッチへと向けて刃を振るうところだった。
空気を切り裂くように振るわれたその一閃は、リッチの身体を袈裟懸けに切り裂いて黒い血を迸らせる。
怒りに燃えたリッチが何かを言っているが、音声がないこの映像からは何を言っているのか理解することが出来ない。
音のない映像の中で動く俺の姿を見ていると、その『人間』と名乗った男の子がふいに口を開く。
「……君は不思議に思ったことはないかい? なぜ、自分はこの世界に来てから誰かを無償で助けてるんだろう。なぜ、自分はストーリークエストのクリアを優先するんだろう。なぜ、モンスターに対してあんなに嫌悪感が湧くんだろう。なぜ強敵と分かっているボスを絶対に倒さないといけないと思うんだろう。……ってね」
『人間』はスクリーンを見つめたままそう言うと、にこりと笑う。
……コイツは今、何を言っている?
……その言い方はまるで、今までの俺の行動が、考えが、言葉がすべて、コイツによって誘導されていたかのようじゃないか。
「うん、その通りだよ」
と『人間』は笑った。
「この世界の種族はね、それぞれが命題ともいえる役割を抱えている。僕の役割は〈救世と幻想の否定〉だ」
(救世と幻想の否定……だと?)
「そうだよ」
と『人間』は俺の言葉に一度笑うと、言葉を続けた。
「君の選んだ種族:人間は、この世界ではお伽噺に出てくる英雄のように、見返りを求めることなく誰かを助けなければならない。ストーリークエストを何よりも優先して終わらせて、黄昏世界に囚われた他のプレイヤーを救わなければならない。この世界における幻想のすべてを否定しなければならない。――これは、大抵がモンスターの存在を否定する方向に働いているけどね。中でも、特に凶悪なモンスター……、言ってしまえばボスモンスターを無視することは『人間』種族のプレイヤーには出来ない」
そう言うと、スクリーンから一瞬だけ目を離して、俺を見た。
すぐにまたスクリーンへと視線を戻し、忙しそうに手元のコントローラーを触りながら、『人間』は言う。
「簡単に言うとね、『人間』種族に与えられたこの世界の役割は、ただひたすら人々を助けて、このゲームにおけるボスモンスターを倒して、倒して、倒して……。そして、モンスターに支配されたこの世界を救うこと。これが、種族:人間に与えられた命題。この世界における、絶対的なルール。弱きを助け強きを挫く。それが、君の選んだ『人間』という種族だ」




