五日目・深夜 悪夢の始まり3
目を向けると、俺とは別の場所に吹き飛ばされたクロエが、自分のスマホ画面を見てからゆっくりと起き上がるところだった。
腕が折れているのか、垂れ下がった右腕はあらぬ方向を向いている。
どうやら、クロエは当たり所が良かったらしい。
痛みで顔を顰めながらも、周囲を見渡すと俺の姿を見つけた。
『ユウ、マ』
クロエの唇が動き、俺の名前を呼ぶ。
だが、その声は俺の元には届かないほどか細い。
俺はクロエに向けて無事を知らせようと、立ち上がるべく身体に力を入れる。
「がふっ」
途端に、喉の奥から血が溢れて口元を濡らした。
身体に入れた力もすぐに抜けて、俺は無様に地面へと倒れ込む。
――身体に力が入らない。
早く、早く動かないと。ここで追撃されれば俺は死ぬ!
「く、ぉおおおおおおお!」
叫び、歯を食いしばり身体を動かす。
震える身体を動かして、柱の陰へと身を隠す。
「ぜぇ、ぜぇ、っ、ぜぇ、ぜぇ……」
荒く息を吐いて、柱の陰から広場へと目を向けた。
広場では、クロエがリッチに向けて接近するところだった。
どうやら、俺が逃げる時間を作ってくれたらしい。
【暗闇同化】を使いながら、リッチの目の前で突然姿を消して、攻撃の瞬間に姿を現しながら蹴りを加えてリッチの気を逸らしてくれている。
だが、それも長くは続かない。
【暗闇同化】は使用できる時間が限られたスキルだ。
使用時間を伸ばすには、クロエが血を飲む必要があるが、この戦闘中にそんな時間はない。
この時間稼ぎも、もって数十秒が限界だろう。
俺は視線を外すと、柱に頭を付けて息を吐いた。
「ふー……」
すると、俺の傍へと駆け寄ってくる足音が響く。
目を向けると、ミコトが柱の陰から飛び出してくるところだった。
「っ、【回復】!」
俺のもとに駆け寄ってくると、おそらく俺の状態が悪いことにすぐ気が付いたのだろう。ミコトは何も言うことなく【回復】をかけた。
光が身体を覆って、身体の中で渦巻く痛みが和らぐ。
だが、それでもまだ痛みは残存している。
「くっ」
痛みで声を漏らすと、ミコトも一度の【回復】で俺のHPがすべて回復していないことを悟ったのか、すぐにまた同じ言葉を繰り返した。
「【回復】!!」
再び、俺の身体を光が覆う。
そして、ようやく動けるようになったことを確認して、俺はミコトに頭を下げた。
「……助かった」
「大丈夫ですか?」
ミコトは心配そうな顔で言った。
「ああ、なんとかな」
言って、俺は立ち上がる。
ステータス画面を確認すると、【回復】後の俺のHPは72だった。
俺のHPの上限は88だから、今のHPは最大HPから16ほど足りていない。普段だったらそのまま【回復】も貰わず、また突っ込むところだが、相手が相手だ。
「ミコト、残りのMPはいくつだ?」
「えっと……」
ミコトはスマホを取り出して、素早く自分のステータス画面へと目を走らせる。
「……38です」
「……38か」
リッチと戦い始めてすでに【遅延】を十二秒、【回復】を二回使用している。
クロエと協力をして、先ほどの攻撃を繰り返せば確実にリッチは殺せるだろうが、その前にミコトがガス欠を起こすほうが早いだろう。
クロエも怪我をしていることを考えると、クロエにも【回復】は使ったほうがいい。
クロエのHPがどれほどか分からないが、仮に【回復】を二回使うとして、残りのミコトのMPは28。いざという時のために、【回復】を二回分は残しておきたい。
そうなると、ミコトが戦闘に割くことが出来るMPは残り18。
……あまり余裕がないな。
これ以上、【回復】を使ってHPを完全に回復させることはやめた方がいいだろう。
「分かった」
俺はミコトに向けて小さく頷いた。
「俺は今からクロエと交代して、リッチの相手をしてくる。ミコトはクロエが来たら、すぐにクロエのHPを回復させてくれ」
「――分かりました」
ミコトは自分に与えられた役割に、力強い頷きで応えた。
「頼んだぞ」
俺はミコトにそう呟くと、柱の陰から姿を出してリッチの元へと走る。
「ぅぉおおおおおおおおおおお!」
自らの存在を主張するように、クロエただ一人に向くその意識を俺へと向けるように、俺は出来る限りの声を張り上げる。
リッチはすぐさま俺の存在に気が付いた。
「カ、カカ、生キテいたカ」
リッチは口元を吊り上げながら嗤うと、手に持つ錫杖を振り上げる。そして、突っ込んでくる俺の頭蓋を叩き割るべく振り上げた錫杖は、豪速となって振り下ろされた。
「ッ!」
【視覚強化】によって強化された目が、振り下ろされた錫杖を捉える。
【集中強化】によって強化された集中力で、視覚から手に入れた情報をすぐさま身体へとフィードバックする。
「ッ、あぁっ!」
俺は、半身を捻りながらその錫杖を躱す。
錫杖は広場のひび割れた石畳へと当たって、石畳に穴を空けながら石片を周囲へと飛び散らせた。
俺は飛び散る石片を叩き落として、リッチの元へと迫る。
リッチはさらに追い打ちをかけるように、振り下ろした錫杖を持ち上げると俺の身体を貫くように勢いよく突き出してきた。
「それは、やらせぬ!」
その言葉と同時に、暗闇から滲み出たクロエが突き出した錫杖を真上から叩いた。
突き出した錫杖は軌道を逸らされて、地面へと突き刺さりまた石片を飛び散らせる。
「クッ!」
狙いを外されたリッチが忌々しそうに言葉を漏らした。
すぐに錫杖を引き寄せようとするが、すかさずクロエが全身を使ってその錫杖を抑え込んだ。
「ユウマ、今じゃ!」
「ッ、ああ!」
小太刀の柄を両手で強く握りしめる。
息を吐き出しながら、意識を瞬時に刀を振るうことだけに集中させる。
ステータススキルである『模倣』を使って、頭の中のイメージ通りに小太刀を動かす。
どこまでも最適な動作を。どこまでも正確な太刀筋を。どこまでも完璧な体重移動を。
ただ、この一太刀に俺の全力を乗せる。
「――ッ!」
空気を割いて、銀閃が闇を切り裂くように煌めいた。
自分でも驚くほど、会心と言える一撃。
振り抜いた刃は真っすぐにリッチの首へと迫り、その皮膚を切り裂き肉へと沈む。
――――だが、刃はその首を落とすことなく、やはりと言うべきか十センチほど切り裂いたところでその勢いを止めた。
「グァアアアアアッッ!!」
この戦闘で初めて、リッチの顔が痛みで歪んだ。
真っ黒な墨を思わせる血を流しながら、リッチは首に刺さる小太刀を払い除けると、俺たちから逃げるように距離を取る。
ようやく出来たその距離に、俺はクロエへとすぐに声を掛けた。
「クロエ、一度下がってミコトから【回復】を受けるんだ!」
「ッ!? それだと、お主が一人になるじゃろ!!」
「いいから行けッ!! その折れた腕で、コイツに勝てるわけねぇだろ!!」
「――ッ」
クロエは俺の言葉に、言い返す言葉がなかったのだろう。開きかけた口を閉ざし、固く口を結んだ。
「お主、絶対に死ぬんじゃないぞ!」
呟くようにクロエはそう言って、離れた場所で控えているミコトへと駆けていく。
その後ろ姿へと俺はちらりと視線を送って、すぐに正面に相対するソイツへと視線を向ける。
「ふー……」
頬を伝う汗を拭って、息を吐く。
呼吸を落ち着けて、意識をリッチへと集中させる。
攻撃は効いていないわけじゃない。全力で、完璧とさえ思える太刀筋ならば傷をつけることは出来る。
ということは、繰り返し攻撃をすればいつかは必ず倒せるということだ。
……正直に言って、先ほどの攻撃は出来すぎなぐらい完璧な一撃だった。
同じ様な攻撃が何度も出来るとは思えないが……。それでも、やるしかない。
一回がダメなら十回、十回がダメなら百回、百回がダメなら千回。
何度も、何度でも刃を振うだけだ。
俺は――俺たちは、コイツに勝たなければ、本当の意味で朝を迎えることが出来ないのだから。
「よくモ、ヨクモ、よクも!! やっテくレタな、たダの人間風情ガ!!」
怒りに燃えたリッチが叫び声をあげた。
「もハヤ、貴様ニ容赦ハしナイ! 手を抜クのモもう終ワリダ!」
リッチはそう声を上げると、錫杖の石突部分を地面へと一度叩きつけて、口を開く。
「――我ガ声ニ応えヨ。我が同胞タチよ」
リッチの口から不協和音が飛び出し、夜の闇に響いた。
瞬間、全身の毛が逆立つ。
本能の警鐘が頭の中で鳴り響く。
――――マズい。あれはマズい。何をするつもりか知らないが、あれを止めなければ確実にマズいことになる!
「ッ、させ、るか!!」
全力で地面を蹴って、俺は前へと飛び出す。
「来タレ同胞ヨ。不死タル王はココニいる」
リッチの言葉は止まらない。
言葉が紡がれるたびに、リッチの周囲の空間が歪んでいく。
夜の闇が粘土のように形を変えて、人の姿を形作っていく。
「ッぁあああああああ!!」
小太刀を握る手に力を込めて、リッチの首へと刃を振り落とす。
「【召喚:――」
だが、俺の刃よりも早く、リッチはその言葉を世界へと告げる。
闇が蠢き、幻想が現実へと変わるように。
闇に生きるその住人たちが、この現実へと生れ落ちるように。
闇に生きる者が、その姿を現す。
「ガッ」
自らの王を守るように、刃とリッチの間に姿を現した数体の食屍鬼が、肉と骨を断たれて絶命する。
飛び散る血を浴びながら、リッチは口元を歪めて嗤いながらその言葉を完成させる。
「――不死者】」
――――その言葉と同時に、都民広場を覆う夜の闇が泡立つように蠢いた。




