四日目・夕 極夜の街
スマホの時刻が午後5時58分を示した。
この世界に、夜の闇が訪れるまで残り数分。休憩を終えた俺たちは、それぞれ思い思いのことをして、ストーリークエストの開始を待っていた。
ミコトは直槍とスマホを握りしめながら、クロエはペットボトルの血を飲みながら、俺はスマホの画面を食い入るように見つめて。
誰も何も話さず、ただ静かな数分間。
瓦礫の隙間から部屋の中に差し込んでいた茜色は消えて、部屋の中が本当に黒く塗りつぶされたその時、沈黙は女性の機械音声にて破られた。
≫≫ストーリークエスト:極夜の街 の開始条件を確認しました。
ビクッとミコトの肩が飛び跳ねた。
≫≫ストーリークエスト:極夜の街 を開始します。
俺は固唾を飲んで、その言葉に耳を傾ける。
≫≫ストーリークエストの完了条件は、アンデッドモンスターによるスタンピードの鎮圧です。
「――始まったの」
クロエがそう呟くと同時に、雑居ビルの外でざわざわとした気配を感じた。
先ほどまでは何も感じなかったその気配に、俺とミコトは驚いて顔を見合わせる。
「ゆ、ユウマさん。これ……!」
「まさか!」
嫌な予感が頭をよぎる。
俺は慌てて窓際へと駆け寄ると、そこを覆っている瓦礫の一部を剥がして、雑居ビルの窓から外を見た。
かつて、眠らない街と揶揄された新宿の街は、真っ暗な闇に閉ざされたかのようだった。
電飾も、ビルの灯りも、電気もない。ただ、植物に覆われて亡霊のように佇むビル群がそこには広がっている。
多くの行き交う人々で溢れた通りには、元の世界のように人の姿はない。
その代わりと言わんばかりに、その通りには――ゾンビやスケルトン、食屍鬼といったモンスターを始め、全身が骨になっている犬や、全身を包帯で覆ったミイラ男など、俺たちがまだ戦ってもいないモンスターがうようよと存在していた。
「――――ッ」
思わず、言葉を失くす。
十や二十では足りない、数百……いや、下手をすれば千にまで届くのではないかと思えるような数だ。
(渋谷のハロウィンパーティーみたいだ……)
と俺は場違いにも、通りを埋め尽くすアンデットモンスターを見て、そんなことを思った。
「なに、これ……」
と俺の隣から外を覗き見たミコトが呆然と呟く。
どうやら、暗闇に弱いミコトでも通りに広がる光景の異常性に気が付いたらしい。
「これが、『極夜の街』じゃ」
とクロエが呆然と窓の外に広がる光景を見つめる俺たちに向けて、言葉を発した。
「ここ、新宿は夜になるとアンデッドモンスターのスタンピードが発生しとるようじゃ。スタンピードによって発生したモンスターは朝日と共に消え、夜になればまた湧きだす――らしい。この夜を終わらせるには、夜の間にスタンピードを鎮圧するしかないのじゃ」
「らしい? らしいって、どういうことだよ!」
俺はクロエの言葉に声を上げた。
クロエは俺へとちらりと視線を向けると、
「我も、この夜を体験したのは昨日が初めてじゃ。この街で夜になればスタンピードが発生しとるのも、朝になればそれが消えるのも、すべて我よりも先にこのクエストを受けていたプレイヤーから聞いた話にすぎん」
「……そのプレイヤーはどうなった?」
「言ったじゃろ? 我は一人じゃと」
クロエは俺の言葉に答えると、意味深な笑みを浮かべた。
俺は、その言葉に自分の顔から恐怖で血の気が無くなるのを感じた。
…………ああ、なるほど。そういうことか。
つまり、このクエストはそれだけ難易度が高いクエスト、だということだ。
「分かったようじゃの。このスタンピードを生き残るには、生半可の実力では無理じゃ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 先ほどから言ってる、スタンピードって何ですか!?」
クロエの言葉に、ミコトが慌てたように口を挟んだ。
「……モンスターの大量発生だよ」
と俺はそんなミコトに向けて言う。
暗闇でミコトは分からなかっただろうが、クロエは俺と同じ【夜目】のスキルでもあるのか、俺の顔色がよく見えていたようだ。
恐怖で顔を青くした俺に、クロエは小さな笑みを浮かべた。
「ユウマ、お主のその顔を見る限り、スタンピードのことを知っとるみたいじゃの」
俺はクロエに小さく頷きを返す。
「漫画やアニメ見てたら何度か出てくる言葉だからな」
スタンピード。元は家畜の集団暴走や人間の群衆事故を表す言葉だ。
けれど、それとは別の意味で漫画やアニメでは扱われることがある。
それが、俗に言われるモンスター・スタンピード。いわゆる、モンスターの異常的大量発生だ。
「モンスターの大量発生……。それの鎮圧って!! ま、まさか。そ、それを、全部倒すんで――むぐっ!?」
大きくなったミコトのその声に、俺は慌ててミコトの口を塞いだ。
そっと窓の外へと目を向けると、外に居たアンデッドたちには声が聞こえなかったらしい。俺は安堵の息を吐き出す。
「声が大きい」
そう言って、ミコトの口を塞いでいた手をどけると、
「す、すみません……」
とミコトが肩を落として頭を下げた。
だが、そのやり取りで幾分か冷静さを取り戻したのか、ミコトはクロエに目を向けると疑問を投げかけた。
「本当に……。本当に、このクエストをクリアするには、そのスタンピードを鎮圧しなくてはいけないんですか?」
クロエは、すべてを諦めたように、あるいは受け入れたように淡々と答える。
「お主らも聞いたじゃろ。『アンデッドモンスターのスタンピードを鎮圧すること』がクエストクリアの条件じゃと」
「いや、だからって……。一体何匹のモンスターが外にいると!」
「さあ、の。少なくとも、新宿全体で言えば百万はいると思うがの」
俺もミコトも、クロエの放ったその言葉に反応が出来なかった。
俺たちが、吉祥寺の街で行った狩りは、二時間で四十匹だ。その数千――いや、数万倍の数を狩りつくさないとこのクエストは終わらないと言うのか。
……無理だ。どう考えても出来るはずがない。
百万のモンスターを狩りつくすのに、何日、いや何カ月かかるというのか。下手をすれば、数年は掛かるであろう規模だ。
「くくっ」
そんな時だ。
俺たちの絶望を笑うかのように、クロエが笑い声をあげた。
「くくっ、くははははははは!」
クロエの笑い声は少しずつ大きくなり――けれど、外にまで響かないよう配慮をした声量で、クロエは絶望を感じる俺たちを笑う。
「何がおかしい」
俺は苛立ちを隠すことなくクロエに言った。
「くくっ、これが笑わずにいられるか。お主ら、なんじゃその顔は。まるで、これから戦争にでも行くような顔をして! くははははははは!!」
「戦争にでも行くような顔って――。あのな!」
さらに笑い声を上げるクロエに、俺は思わず食って掛かる。
すると、クロエは俺を静止させるように手のひらを突き出すと、ニヤリと笑って言葉を続けた。
「……我は言ったじゃろ? ストーリークエストは、その場所のボスモンスターが討伐されるまで発生しとる、と」
「なッ――!?」
クロエの言葉の意味。
クロエが何を言いたいのかがすぐに分かり、俺は驚きの声を出した。
クロエは、そんな俺に向けてまた唇を歪めると口を開いた。
「どのストーリークエストであろうと、これは間違いがないはずじゃ。つまり、このスタンピードには必ず原因が存在しておる。その原因こそが、このストーリークエスト『極夜の夜』の本当の討伐対象。……つまり、ボスモンスターじゃ。我らはそのボスだけを倒せばよい。そうすればきっと――」
「クエストがクリアされて、スタンピードはなくなる……?」
クロエは、ミコトの言葉に満足そうに頷いた。
「それに、お主らは忘れておるかもしれんが、我はもうすでにこのクエストの攻略に取り掛かっておるのじゃぞ? 我にとっては、今日の夜でこのクエストに挑むのは二回目じゃ。さらに言えば、我らよりも先に、このクエストに挑んでおったプレイヤーもおる。我は、そのプレイヤーと一回目の夜を経験した。もはや、ベテランと言っても過言ではないの」
なるほど、とクロエに頷きかけて、俺は今まで気が付いていなかったその言葉の違和感に、ようやく気が付く。
「…………ちょっと待て。今、二回目って言ったか? お前、俺たちと同じでこの世界に来て四日目だと言ったよな? しかも、もうすでにストーリークエストを一つクリアしてるって。何日目の夜からこのクエストをしてるんだ?」
「ん? 三日目じゃよ。初日でチュートリアルをクリアして、次の日の朝には最初のストーリークエストをクリアした。三日目にストーリークエストが届いて、その日の夜からずっと、このクエストにかかりきりじゃ」
クロエはそう言うと、ニッと歯を見せて笑った。
……なんだそのクリア速度。化け物かよ。
初日で、チュートリアルクエストをクリアしたまではまだいい。最初のストーリークエストを翌日の朝にはクリアした?
ストーリークエストのボスは強い、という話をしたばかりだよな?
【曙光】というスキルを持っている俺でさえ、チュートリアルをクリアした翌日の朝に、ホブゴブリンを倒すことなんて不可能だ。
それだけ、コイツ自身のステータスが高いのだろう。加えて、やはり種族スキルの存在は強力なのだと、クロエのそのクリア速度を聞いて実感する。
「ここにもいましたよ、チート野郎が」
とミコトがクロエの言葉にため息を吐いていた。
……いや、自分は関係ないみたいな言い方してるけど、【回復】と【遅延】という強スキルを持ってるお前も大概だからな?
「まあ、我はこの世界で目が覚めたのが渋谷じゃからの。ストーリークエストが発生する位置も近かった。それに、我が選んだ吸血鬼という種族は、どうやら初期ステータスが他の種族に比べて多いらしくての。クエストのクリア速度が速いのは、そのおかげじゃ。あまり気にするでない」
とクロエは、くくっと喉を鳴らして笑った。
「まあ、そんなわけでの。今日でこのクエストに挑むのも二日目、さすがに我も、一日目を経験すればこのモンスターの大群の中、一人でボスを探すのは無理じゃと感じたのじゃ」
「……なるほど、だから俺たちと同盟を組もうと思ったのか」
クロエの目的がはっきりと分かり、俺は納得をした。
確かに、このモンスターが大量発生をした街の中から、たった一匹のボスモンスターを探し出すのは至難だろう。
だとすれば、新たな疑問が浮かぶ。
俺たちの他に、同じクエストを受けているプレイヤーを探さないのか、ということだ。
同じストーリークエストを受けているプレイヤーは、俺たちの他にまだいるはずだ。だったら、そのプレイヤーを集めて一緒にボスモンスターを探したほうが効率的なんじゃないだろうか。
俺は、そのことをクロエに問いかけてみることにした。
「同じクエストを受けている、他のプレイヤーを探さないのか?」
「居たが、そもそも食屍鬼に勝てぬプレイヤーばかりじゃ。お主らは普通に倒せていたが、食屍鬼はLv10のプレイヤーで、ようやく一撃も食らうことなく勝てる強さのモンスターじゃ。世界が変わってたった四日で、そこまでLvを上げておるプレイヤーはまだ少ない。Lvの低いプレイヤーと共にこのクエストを受ければ、確実にそのプレイヤーは死ぬ。……我だって、共に戦った人間が、死ぬ姿は見たくないからの」
クロエはそう口にすると、感情を隠すように、唇を持ち上げた。
……ああ、そうか。だから、コイツはあの時わざと食屍鬼を呼び寄せたのか。
この街の夜を知っていた。
夜の怖さを体験していた。
だからこそ、この街に足を踏み入れたプレイヤーが生き残ることが出来るのかを見極めようとしたのだ。
「お前の事情も、大方理解したよ」
と俺はため息を吐き出しながら言った。
理解したからこそ分かる。
コイツのこれまでの行動は全て、コイツなりの優しさだったのだ。
もし、あの時……。たった三匹の食屍鬼相手に俺たちが苦戦をしていたのであれば、コイツはあっという間に自分ひとりで食屍鬼を倒して、俺たちをこの街から追い出していたのだろう。
……本当に、不器用な優しさだ。
この街のことを、最初から俺たちに包み隠さず話していれば、クロエに対する不信感から俺たちが衝突をすることなんてなかったのに。
「約束するよ」
と俺はクロエに向けて言った。
「俺たちは死なない。必ず、この夜でこのクエストを終わらせる」
「わ、私だって頑張りますよ! 一緒に朝を迎えましょう!」
「お主ら……。まったく、大きく出たの。お主らに、この夜を終わらせることが出来ると言うのか?」
クロエが小さく笑いながら小首を傾げた。
俺は力強く頷きを返す。
「もちろんだ」
「そうか……」
クロエは俺の言葉に顔を俯かせた。
それから、しばらくそのまま俯いていたかと思うとすぐに顔を上げて俺の顔を見つめて笑った。
「ありがとう。礼を言うのじゃ」
その笑顔は、八歳の子供が浮かべる無垢な笑顔そのものだった。
口調もそうだが、コイツはきっとキャラを作っている。
吸血鬼という種族であることを考えてのことなのかは知らないが、見た目が幼いのであの笑い方は似合わない。
幼いなら幼い見た目なりに、その見た目に合わせた笑い方の方がずっといい。
「それじゃあ、この夜を終わらせに――。行くとするかの」
見た目が幼いその吸血鬼は言った。
「おぉ!」
「はい!」
と俺たちはそれぞれ返事をする。
『極夜の街』が終わる、日の出までこれから約十時間。
俺たちの長い夜が、ついに始まる。
これにて第二章の前半終了です。
次回より第二章の後半「薄明の街と狂う世界」です。 ストーリークエスト『極夜の街』開始となります。




