四日目・昼 クロエという少女
ソイツは、自分の名前を『クロエ』と言って俺たちに自己紹介をした。
クロエは「腰を据えてじっくり話でもどうじゃ」と俺たちに声をかけると、大久保駅からさほど離れていない廃墟となった雑居ビルに俺たちを案内した。
四階建てのその雑居ビルは、屋上から三階までが崩落し、その崩落した場所から天高く大きな樹木が伸びて、その長い根っこが雑居ビル全体を覆っていた。その根っこで、おそらく雑居ビルの崩落が守られているのだろう。辛うじて崩壊を免れ、ビル全体が樹木の根っこで覆われたそのビルは〝植物に取り込まれかけている〟と表現してもおかしくはなかった。
聞けば、この雑居ビルはクロエが新宿で活動するにあたって拠点にしている場所だという。
日の光を遮るように、窓の前にうず高く積み上げられた瓦礫がある二階の小部屋に俺たちを案内すると、クロエはすぐさま腰を下ろした。
「なんじゃ、座らんのか」
「俺は遠慮する」
「私も、平気です」
と俺たちは揃って首を横に振った。
クロエが俺たちと同じプレイヤーだということは理解できたが、コイツ自身を信用したわけではない。
なにせ、コイツはプレイヤーでありながら声を出して食屍鬼を呼び寄せ、俺たちが必然的に戦うよう仕向けてきたのだ。
クロエは、そんな俺たちの様子に鼻を鳴らすと、瓦礫の陰に這って近づき、そこに隠されていたバックパックを取り出した。
「それは……」
思わず、俺は言葉を漏らす。
クロエが取り出したバックパックは、俺が背負っているものと同じだ。
バックパックは事前登録者だけが受けられる、チュートリアルクエストをクリアしたプレイヤーしか持っていない。
それを持っているということは、コイツは俺と同じトワイライト・ワールドの事前登録者プレイヤーだということだ。
俺がその事実に気が付いたことを察したのだろう。
クロエは喉を鳴らして小さく笑うと、バックパックの中からペットボトルを取り出した。
窓が瓦礫で塞がれているこの室内は、多少瓦礫の隙間から日の光が入り込んではいるが、それでも薄暗い。
普通ならばペットボトルの中身など分からない暗さだろうが、俺は【夜目】の効果ではっきりとソイツが手に持つペットボトルの中身を把握した。
ペットボトルの中に蓄えられたもの。
赤黒く揺れるそれは、決して水ではない。どちらかと言えば水ではなくもっと別の、直接的に言えば血によく似た水そのものだった。
クロエはそのペットボトルに口をつけると、その中身をゆっくりと飲んでいく。
「――ふぅ」
と息を吐いて、クロエがペットボトルから口を離すと、クロエの口からは赤黒い液体が垂れるのが見えた。
クロエは口元を拭いながらまた笑う。
「気になるか?」
「まあ、な」
俺は硬い表情で頷いた。
ミコトはクロエが何を飲んでいたのか気が付いていないようだ。
だが、それでも俺の異様な雰囲気を察したのか、心配そうに俺の服の裾を握ってきた。
「くふふ、まあそう警戒するでない。何もお主らを取って食おうなんぞ思わん。ただ、これが我のこの世界での種族でな。仕方がないのじゃ」
「種族?」
「そうじゃ。……ふむ。まあ、この暗さならば今の時間でも少しの間なら構うまい」
クロエはそう言うと、フードに手をかけてフードを下ろした。
真っ先に目を惹く白を通り越して青白い肌。薄い栗色の髪の毛は肩口で切り揃えられている。顔は小顔で、目鼻立ちがすっきりと通っている。ぷっくりとした唇は可愛らしく、目の前にいるこの少女がアジア人ではないことを、その赤い瞳が教えてくれていた。
肌が青白いことを除けば、可愛らしい少女だ。
いや、少女と呼ぶにはあまりに幼すぎる。
「お前……」
と俺は少女の顔を見てあまりの驚きで言葉を漏らす。
声質が幼いことで、ある程度は年齢の予想がついていた。
けれど、クロエの見た目はそれを下回る幼さだったのだ。
「なんじゃ? 我の可愛らしい顔を見て、心奪われたか」
とクロエが唇を歪めた。
「お前、何歳だ」
と俺はクロエの言葉を無視して問いかけた。
クロエは言葉を無視されたことに不満げな表情を見せたが、すぐに口を開いた。
「その質問になんの意味がある」
それから、呆れたようにため息をこれ見よがしについてみせた。
「この世界では力がすべてじゃ。我が何歳だろうと、お主が何歳だろうと関係ない。この世界では年齢を重ねることによって力が増すわけでも、強くなるわけでもないのだからな。ならば、年齢という情報は今、この場においてお主にとって本当に必要な情報か?」
「それは……」
俺はクロエの言葉に、何も言い返すことが出来なかった。
クロエの言うことはもっともだ。
この世界ではレベルとステータス、そしてスキルがすべてだ。そこに、年齢による差など存在していない。
極論を言えば、例え首が据わったばかりの乳幼児であろうと、レベルとステータス、そしてスキルさえあればモンスターを殺すことは可能なのだ。
クロエはきっと、そのことを言いたかったのだろう。
言い淀む俺を見て鼻を鳴らすと、また口を開く。
「この世界では見た目で判断するのは愚か者のすることじゃ。…………だがまあ、さきほどのお主のその質問には答えよう。だが、その前に我の本当の姿を見せる必要がある。まあ、見ておれ」
ニヤリと、クロエは唇の端を吊り上げて笑うと再びローブのフードを被った。
それから小さな声で、
「――スキル解除」
とクロエはそう呟く。
その瞬間、信じられないことが起こった。
クロエの身体が、急成長し始めたのだ。
短く細かった腕や足はすらりとした長さへと伸びて、ミコトよりも細く小さかったその身体は女性らしい丸みを帯びていく。身に着けたローブの中で、女性特有のその膨らみが、窮屈そうにその存在を主張していく――。
「ふぅ……」
やがて身体の成長が終わったのか、クロエは一つ小さな息を吐いてローブのフードを下ろした。
先ほど見たクロエよりも、大人びた顔がそこにはあった。
青白い肌や、栗色の髪、赤色の瞳などの特徴は変わっていなかったが、目鼻立ちはさらにはっきりとして、顔つきもよりしっかりとしている。
先ほどのクロエはどこをどう見ても子供そのものだったが、目の前にいるクロエは明らかに大人の女性そのものだ。すらりとしたその見た目から、その身長は俺と同じか少し低いぐらいだろう。
見た目で言えば、ミコトよりも、俺よりも年上である可能性が高い。
「えっ、えっ!? ど、どういうことですか!?」
薄暗闇の中でも、クロエのその変化が分かったのだろう。
ミコトが慌てふためいた。
「さっき、明らかに小さかったのに、今は大きくなって……」
「くふふ、いいぞ、その反応。我が望んだとおりの反応じゃ」
クロエは、ミコトの反応に満足そうに笑みを漏らす。
それから、視線を俺に向けると呆れたようにため息を吐く。
「それに比べて、そこの男ときたら……。リアクション一つもないのか」
「いや、十分に驚いてるぞ……」
と俺は呆然と言った。
リアクションがなかったのは他でもない、驚きすぎて言葉が出なかったからだ。
「だとしても、普通は何かしら反応をするものじゃろ。見て固まるだけとは、つまらん男じゃ」
とクロエは鼻を鳴らした。
それから、胸元引っ張ると顔を思いっきり顰めて見せる。
身長や体形が変わった影響だろう。足の踝まで伸びていたローブの裾は、今や膝上でミニスカートのようになっているし、胸だってその豊かな膨らみを主張していて、いまやローブの前を閉じるボタンがはじけ飛びそうだった。
「やはりこの姿は服がキツイの」
クロエはそう言うと、おもむろにローブの前ボタンを二つ外した。途端に、そのローブの下には何も身に着けていなかったのか、豊かな谷間が現れる。
「…………」
俺は無言で目礼をした。
この世界に来て、まさかこんな光景を見れるとは思いませんでした。思いがけない眼福です。本当にありがとうございます。
「さて、これで分かったかの」
と胸元を開いたことで多少は楽になったのか、クロエがニヤリと笑って言った。
「……いや、さっぱり分からん」
と俺は言葉を返す。
分かったのは、大人になったクロエの胸がデカい、という事実だけだ。
「はぁ~~~~。勘の鈍いやつじゃの。さっき、本当の姿じゃと言ったじゃろ」
「――ということは、さっきの『スキル解除』って言葉は」
「そうじゃ。我のスキル【身体変化】を解いたのじゃよ」
とクロエはニヤリと笑った。
「【身体変化】」
と俺は言葉を繰り返す。
クロエが頷きながら言葉を続けた。
「まあ、言葉通り身体を変化させるスキルじゃ。それが我が選んだ、この世界の種族での種族の特徴での」
そう言って、クロエは俺たちの顔を見回した。
「我の手の内を一つ晒したところで、少しは我のことを信用してもらえたかの? ……それじゃあ、改めて。自己紹介をするとしよう」
クロエはそう言うと、また唇の端を吊り上げた。
「我の名前はクロエ・フォン・アルムホルト。さきほどの姿は、我のスキルによって身体を変化させたものじゃ。年齢で言うと……我が八歳の時の姿じゃな。本来の姿はこっちで、年齢は十九歳。この世界での種族は――吸血鬼、そういうことになっとる」
そう言ってクロエはそれを見せつけるように――唇を人差し指で持ち上げると、その奥にある牙を俺たちに見せつけて、喉を鳴らすように笑った。




