四日目・早朝 思い込み
東の空に太陽が昇り、群青の空が白くなり始める。
あれから、結局のところモンスターの襲撃はなかった。
ぼんやりと昇る朝日を眺めていると、背後で衣擦れの音が聞こえて、振り向いた。
「ぁ、おふぁよう……ございまひゅ」
欠伸混じりにミコトが言った。
俺は小さく笑って挨拶を返した。
「おはよう。眠れた?」
「んー、まあ、はい。おかげ様で、すっかり元気です」
ミコトは笑顔を浮かべた。
その顔色も、昨夜に比べれば遥かにいい。
(やっぱり、睡眠をあまり必要としないとは言っても、ある程度は寝ておいた方がいいみたいだな)
背中に翼が生えているが、彼女も元は人間なのだ。
彼女もこの世界に随分と慣れてきたようだが、やはり、その事実だけは忘れさせないようにしなければならない。
そんなことを考えていると、ミコトが何かに気が付いたように自分の服の匂いを嗅ぎ始めた。
眉根を寄せると真剣な表情となって俺を見てくる。
「――ユウマさん」
「どうした?」
「お風呂、入りたいです。寝て起きて、まっさきに自分の身体の匂いが不快でした」
「それは……。俺もそうしたい」
ミコトの言葉に深い頷きを返す。
四日目という時間と、昨日のナイトハンティングで結構な汗を流したからか、身体からは酸っぱい匂いがしている。
そしてそれは――おそらくミコトも同じなのだろう。
ミコトは俺から少しだけ距離を置くと、
「今の私に近づかないでください。近づけば例えユウマさんと言えど――殴ります」
と至極真剣な表情で言った。
「俺は気にしないぞ?」
とミコトに向けて俺は言った。
こんな世界だ。例え多少、身体が臭おうがそれを気にしていても仕方がない。
そんなつもりで声を掛けたのだけど、ミコトは俺の言葉に軽くドン引きしていた。
「えっ? まさか……。ユウマさんって、そっちの趣味……?」
先ほどとは違った意味でミコトが俺から離れた。
「いや、いやいやいや! 違う、違うから!」
「ちょっ! こっちに来ないで下さい! 変態!」
慌てて弁解をしようと距離を詰めるとミコトがさらに俺から逃げる。
「違うって言ってるだろ!?」
「じゃあ、どうして距離を詰めてくるんですか!? そんなに私の匂いを嗅ぎたいんですか!? 変態ですね!」
「だから、違うって!! この世界で風呂なんかないから、仕方ないよなって話で――」
「だから女子高生の匂いを嗅ぎたいと! やはり、ユウマさんは変態ッ……!」
「元、だろ!」
「元でも女子高生は女子高生ですよ! それを言うならユウマさんは元大学生です。元大学生の男に、十六歳の少女が迫られてます!! お巡りさーん!!」
「いねぇよ!!」
というか、その悪意のある言い方やめろ!
ぎゃあぎゃあ声を出しながら俺たちが騒いでいたからだろうか。
視界の端に、俺たちの声に釣られたのか一匹のゴブリンがやってきたのが見えた。
けれど、そのことに気が付いたのは俺だけのようで、ミコトは俺を見据えたまま悔しそうな表情で言葉を続ける。
「くっ! そうでした……。となると、この世界でユウマさんを止められる人は存在しないことにッ!」
「いや、だから――。はぁ……」
話の通じないミコトに俺はため息を吐き出す。
……そういえば、初めて出会った時も俺の話しを聞かなかったなあ、この子。
元々が思い込みの激しい性格なのだろう。
とりあえず、しっかりと誤解を解くしかない。
俺は足元の石を拾い上げてゴブリンから視線を外すと、ミコトに向き合った。
「あのな……。この世界じゃ、風呂なんて贅沢品なんだよ。それはミコトもそれぐらい分かるだろ?」
「それは……。はい……」
説教じみた俺の言い方に、少しばかり冷静さを取り戻したのか、ミコトが気まずそうに俺から視線を外した。
そして、何かに気が付いたかのように目を大きく見開く。
俺は言葉を続けた。
「だから、風呂なんて入れないのが当たり前。風呂に入れないなら身体だって臭うだろ。もちろん、それは俺も例外じゃない。そもそも――」
「あの、ユウマさん」
「臭いが好きだって言うなら、とっくの前にその性癖を出してるはずだろ? だから――」
「ユウマさん、ゴブリンが近づいてきてます」
「ぐぎゃぁ!」
呼んだ? とばかりにゴブリンが声を上げた。
俺はその声を黙らせるために、手に持っていた石をゴブリンへと投げつける。
上昇したDEXによって、その石は真っすぐにゴブリンの額へと飛んでいき、ゴブリンの額を貫通した。
ぐるりと目を上転させてゴブリンが倒れる。すぐにその身体が色を失くしていき、空気へと溶けだすのを見て討伐を確認した。
俺は途切れた言葉を続けた。
「それがないってことは、俺にそんな性癖はないってことだ。分かったか?」
「…………」
呆気にとられた顔でミコトが俺を見つめた。
俺はミコトに向けて声をかける。
「ミコト。聞いてるのか?」
「え、ああ、はい。聞いています。……というか、今の出来事はユウマさんにとって、どうでもいいことなんですね」
そう言って、ミコトはため息を吐き出す。
「ユウマさんの言い分は分かりました。……私の方こそ、無駄に騒いですみませんでした。考えてみれば、ユウマさんが変態ではないことは分かるはずなのに」
ミコトは小さく頭を下げた。
けれど、その距離を決して詰めて来ようとしない。
俺は一歩足を踏み出して言う。
「だったら、そんなところに居ないでこっちに来いよ」
「だから、それとこれは話が別で――。ああ、もう!」
ミコトは俺が足を詰めた分だけ距離を取って、苛立つように前髪をかきあげた。
それからしばらくの間、頭を抱えるようにしていたが、やがてジトッとした非難めいた目を向けて口を開く。
「恥ずかしいんですよ。いい加減分かってください」
「あ――」
言葉を失って、俺はミコトの顔を見つめる。
失念していた。いくら俺が気にしないとは言っても。相手は思春期の女の子なのだ。
だから……。彼女はこうして俺から距離を取ろうとしていたのか。
ミコトは、前髪をかきあげていた手を下ろすと、俺に向けて小さく唇を突き出した。
「馬鹿……」
次回、水浴び回(非エロ)




