三日目・夜 ナイトハンティング3
地面を蹴ってグラスホッパーラビットの前に飛び出した。
一足飛びにグラスホッパーラビットへと近づき、
「シッ」
腰に構えた鞘から小太刀を抜いて、その勢いのまま腕を振り上げる。
回避不可能の必殺の一撃。
そう確信できるほど、今の俺に出来る理想に近い動きだった。
肉を切り裂く確かな手ごたえ。
だが、その命を絶つまでには至らない。
思っていたよりもグラスホッパーラビットの毛皮が厚く、肉が硬かったからだ。
「ブモォォオォォォォォォォォオオオオオオオ!!」
痛みでグラスホッパーラビットが悲鳴を上げた。
俺は舌打ちをすると、すぐさまその場から離れようと地面を蹴った。
その時だった。
グラスホッパーラビットが地面を蹴って身体を回す。
回した身体に合わせて、長い脚が宙を舞う。
――これは、回し蹴り!?
そう思った時、その長い脚は遠心力を伴って俺の腹へと突き刺さっていた。
「ぐふっ」
息が詰まり、吹き飛ばされて地面を転がる。
だが、致命傷じゃない。まだ動くことは出来る。
早く態勢を立て直さないと!
焦る俺の背中に、ぞわりとした感覚が襲う。
その感覚が何か考えるよりも早く、俺は地面を蹴っていた。
――ドゴォン!
その瞬間、俺が今しがた居た場所に白い脚が地面へと突き刺さる。
それは、グラスホッパーラビットの放った踵落としだった。
「ッ!」
冷たい汗が頬を伝う。
……コイツ、他のモンスターよりもはるかに強い。
下手をすればホブゴブリンと同じか、それよりも少しだけ弱いぐらいだ。
(なるほど、だからコイツだけが縄張りとかを持たずに、街中のいたるところにいたのか)
これだけ強ければ縄張りなんか持つ必要がない。
他のモンスターも、縄張りにやってきたからといって追い出そうとはしない。
ホブゴブリンが居た頃はコイツが駅前に居なかったのも、唯一この街でコイツに対抗出来ていたのがホブゴブリンだったから。だから、あの時はこの場所に寄り付いていなかったのだろう。
「どうしたものかな」
そう口に出して、俺は小太刀を構えた。
グラスホッパーラビットの動きは速いが、目で追えない速度ではない。
その速度も、あの強靭な脚が地面を蹴ることで作り出しているものだ。
攻撃にしたってそうだ。
これまでの攻撃は全て、その長い脚によって繰り出されたもの。
もし仮に、グラスホッパーラビットが本気で地面を蹴って飛びでもしたら、俺には手の届かない高さまで飛ばれるに違いない。
「……よし」
頭の中で動きのイメージを行う。
大丈夫だ、強いが勝てない相手ではない。
生物としての格の違いも感じない。
だったら、あとは俺が覚悟を決めるだけ。
「行くぞ!」
声に出して、俺はグラスホッパーラビットへと近づいた。
「はっ」
短く息を吐いて、構えていた小太刀を横薙ぎに払う。
だが、その攻撃は当たらない。
「ブモォオオオオ!」
一度身体を斬られたことで、その攻撃を警戒していたのだろうか。
荒げた鳴き声を出すと、グラスホッパーラビットは地面を蹴って後ろへと飛んだ。
すぐさま俺も地面を蹴って、グラスホッパーラビットに追い打ちをかける。
再び小太刀を構えて袈裟斬りに振う。
――だが、それも当たらない。
「ォオオオオ!」
鳴き声を上げて、グラスホッパーラビットがさらに後ろへと飛んだ。
俺は舌打ちをすると、さらに地面を蹴って追い打ちをかける。
「ッらァ!」
袈裟斬りに振り下ろした刀を斬り返し、振り上げる。
今度はその切っ先がグラスホッパーラビットの毛皮を捉えた。
しかし、肉を絶つまでには至らない。
分厚いその毛皮の表面に、浅く筋を付けるだけだった。
「ふっ!」
その事実に、俺は内心で焦りを覚えながらもさらに追い打ちをかけるべく身体を回した。
グラスホッパーラビットが回し蹴りを放ったように、自らの身体を中心として足を、腰を、上半身を連動させて小太刀に遠心力を乗せる。
「――ッ!!」
回転した勢いそのままに、俺は横薙ぎに腕を振るった。
「ブォオオオオオオオ!」
さすがに、その攻撃を食らうのはマズいと判断したのか、荒い鳴き声を出すとグラスホッパーラビットは地面を蹴って飛んだ。
強靭な後ろ脚はグラスホッパーラビットの身体をビルの三階にまで相当する高さへと持ち上げる。
距離にすれば、地上から十五メートルほど。
普通のウサギには飛ぶことが出来ないその距離まで、グラスホッパーラビットはたった一回のジャンプで辿り着く。
「そうだ」
俺は唇を歪めた。
「それを待ってたんだよ」
言って、俺は足を開き、腰を落とす。
上半身を逸らして、小太刀を右手に構えた。
それは、いつしか失敗した投擲の構え。
あの時は失敗したその攻撃も、今のステータスなら出来る。
そんな気がしたのだ。
「――ふぅ」
息を吐いて、集中する。
ただ空に飛ぶソイツだけを見据える。
失敗は許されない。
確実にここで当てなければならない。
「――――」
まだだ、まだ集中力が足りない。
よく見ろ。観ろ。視ろ!
もっと、もっと、もっと!!
よく視て、集中しろ。耳に聞こえる音も、肌に感じる触感もすべてを切って、ただこの刀を当てることだけを考えろ!
「――――――」
全身で感じるすべての情報で、必要な情報以外を削ぎ落す。
一秒が何万秒にも引き延ばされているかのような感覚。
宙に浮かぶアイツが、地面へと落ちているはずのアイツが、止まって見える。
「――――――――――」
弓を引き絞るように、俺は上半身を限界まで逸らす。
「――ッ!」
そして、限界にまで逸らした身体をバネのようにしならせて、右手に持つ小太刀を投げた。
ヒュンッ、という風を切る音とともに、小太刀はグラスホッパーラビットに向けて飛ぶ。
俺の投げた小太刀は狙い違わずに、宙を飛ぶグラスホッパーラビットへと吸い込まれていく。
「――!?」
空中に浮かぶ奴の顔に驚愕の色が浮かんだ。
そして、次の瞬間。
小太刀は真っすぐにグラスホッパーラビットの首元へと深く突き刺さった。
「モォオオオオオ!」
痛みでグラスホッパーラビットが声を荒げた。
成す術もなくソイツは地面へと落ちてくる。
ソイツにとって、今の攻撃は間違いなく致命傷だろう。
だが、その命を奪うまでには至っていない。
ソイツを倒すには、もう一撃トドメを刺す必要があった。
「――まったく、無茶しすぎですよ」
声が聞こえた。
俺の横を小さな影が駆け抜けて、彼女の黒髪が闇に舞った。
「任せた」
「任されました」
俺たちは短く言葉を交わした。
風のようにミコトは駆けて、その手に持つ直槍を構える。
彼女はグラスホッパーラビットの落下地点へと素早く潜りこむと、夜空を睨んでタイミングを合わせて槍を突き出した。
「はぁっ!」
突き出された槍は、まっすぐにグラスホッパーラビットの額を貫く。
「ォオ……」
ビクン、とグラスホッパーラビットの身体が震える。
それから、ゆっくりとその身体は色を失うと空気へと溶けはじめた。
モンスターを討伐した合図だ。
「ふー……」
俺は止めていた息を吐き出して身体の力を抜いた。
やがて、グラスホッパーラビットの身体が空気へと溶けきると、残された小太刀が地面へと落ちて、カランと音を立てる。
ミコトは槍を振って血を払うと、地面に落ちた俺の小太刀を手に持ち俺の元へと歩いてきた。
「ユウマさん」
感情を押し殺したような声でミコトが俺の名前を呼んだ。
「な、なんだ?」
「武器は大切に扱いましょう」
そう言って、ミコトは小太刀を突き出してくる。
「大切な武器ですよね? それを投げるなんてどんな神経をしてるんですか?」
「いや、あの時はそれしかないと思ったんだよ」
小太刀を受け取りながら、俺は言い訳を口にした。
だが、それがいけなかったらしい。
ミコトは眉をピクンと跳ねさせると、目を吊り上げながら口を開いた。
「だとしても、武器は投げないでください! 外したら、せっかく手に入れた武器をさっそく失くしているところですよ!」
「……ごめん」
俺は素直に頭を下げた。
ミコトの言うことはもっともだった。
何も考えずに小太刀を投げていたけれど、なかなかに危ない戦いをしていたのだと反省する。
ミコトは何も言わなかった。
不機嫌そうに俺の顔を見ていたけれど、すぐに呆れた表情となると息を吐く。
「はぁ……。もういいです。いつもは慎重なユウマさんが、戦闘になれば無茶をするのは分かっていたことですし」
「いや、そんなに無茶はしてないつもりだけど」
「無茶しない人は、初見のモンスター相手に鎧も何もないシャツの姿で飛び出さないんですよ。そもそも、どんなモンスター相手でも真っ先に飛び出していくのはユウマさんじゃないですか」
「…………」
俺はミコトの言葉にぐうの音も出なかった。
確かに、実力が未知数であるモンスター相手に、鎧もないシャツ姿で突っ込むその姿は無茶に見えなくもない。
モンスターをやたらと狩りたがるミコトが一番好戦的だと思っていたけど、鎧もなしに飛び出していく俺のほうが実は好戦的だったりするのだろうか。
これでも慎重に戦っていたつもりなだけに、軽くショックな事実だ。
「それで、怪我したのはどこですか?」
「……腹だ」
「お腹ですね」
言って、ミコトが俺の腹へと手を翳す。
「【回復】」
ミコトが呟くと、ミコトの身体から光が溢れた。
光はミコトの手を伝って俺の腹へと広がると、グラスホッパーラビットに蹴られた場所を温かく照らした。
ズキズキとした鈍痛がゆっくりと消えていく。
やがて、光が収まると俺の腹に渦巻いていた痛みは全て消え去っていた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
言って、ミコトは小さく笑う。
「ユウマさん、まだ狩りは出来そうですか?」
「ああ、もちろん」
「それじゃあ、狩りの続きをしましょうか。ユウマさん、今度は無茶しないでくださいね」
「わ、分かった」
しっかりと釘を刺されて、俺は慌てて頷いた。




