二日目・夕 ~ 二日目・夜 失くしてはじめて気付くもの
薄暗闇に包まれ始めた崩壊した街を見て、俺は今日の行軍を断念した。
「ミコト、そろそろ寝る場所を探そう。夜が近い」
「分かりました。って言っても、ここじゃ屋根がある場所がなさそうですけど」
言いながら、ミコトが周囲を見渡した。
俺たちは今、都道七号線を東に向けて進んでいた。
周囲に見える建物は全て崩壊し、瓦礫となっている。
昨日のように、屋根がある廃墟など見当たらない。
比較的マシな、元は一軒家だったのであろう家の敷地内に俺たちは入り、崩壊した家屋の瓦礫をどかして丸型のスペースを作ると、そこを今日の寝床に決めた。
周囲から枯れ木と枯草を集めて、サバイバルセットから入手した火打ち石と打ち金で火をつける。
「……あれ」
何度も叩くが、火が点かない。
飛び散った火花が枯草に燃え移らないのだ。
何度も、何度も試して、ようやく火花が枯草に火花が燃え移った。
――が、今度はその火が大きくならない。
悪戦苦闘しながらも、俺とミコトで交互に火種へと息を吹き込んでいると、はじめは弱弱しい火種だったそれが次第に周囲の枯れ木へと燃え広がり、やがて焚火と呼んでも差し支えないぐらいには大きな火へとなった。
俺は周囲から瓦礫を集めると、その火が遠目から見えないように覆う。
そうして、野営の準備を終えた頃には周囲はどっぷりと暗くなっていた。
慣れない火おこしに時間が掛かってしまった。
俺はモンスターとの戦闘よりも、火おこしで疲れた体を休めようと、焚火の前に腰を下ろした。
「やっと点いた……」
ため息とともに言葉を吐き出し、バックパックの中から水と乾パン缶、缶詰を取り出した。
ついでに、出発前にミコトが飲んでいた水のペットボトルを取り出して、それをミコトに手渡す。
「夕飯にしよう。これ、ミコトの分」
言って、俺は乾パン缶と缶詰をミコトに渡した。
「いえ、お腹が空いてませんから」
「それでも、食えって言ってんだよ。ほら」
俺の言葉に、ミコトが小さく頬を膨らませた。
「どうしても、ユウマさんは私にご飯を食べてほしいようですね」
「何当たり前のこと言ってんだ」
この世界で生き残るためにはモンスターと戦う必要がある。
モンスターとの戦いは身体が資本だ。
食べられる時はしっかりと食べておかなければいけないだろう。
「――それじゃあ、缶詰だけいただきます」
不承不承とした表情でミコトは缶詰を受け取った。
俺は残った乾パン缶をバックパックに戻してから、両手を合わせる。
「それじゃ、いただきます」
「……いただきます」
挨拶を交わして、俺たちは缶詰を開ける。
俺が開けた缶詰は豆缶だった。ミックスビーンズが入ったもので、スープなんかにできれば良さそうなものだった。
もそもそと、俺が豆を咀嚼しているとミコトが缶を開けたまま、中を覗き込んで固まっていることに気が付く。
「どうした?」
「いえ、あの……。缶の中に、おでんが」
戸惑うようにミコトは言った。
見れば、ミコトの缶はおでん缶だったようで、中にはうずらの卵や大根、こんにゃく、ちくわなんかが入っているのが見える。これまで出てきた缶の中で一番まともで料理された缶詰だった。
「おでん缶じゃん」
と俺は言った。
「おでん缶じゃんって、これを知ってるんですか?」
「時々、自販機とかで売ってるよな。惣菜缶詰ってやつだよ。見るのは初めて?」
「うん……」
ミコトが頷いた。
えー、マジか。たまに見かけるよな? おでん缶。冬とかに思わず買ったりするよな?
「美味しいんですか? これ」
「不味くはない」
いわゆる、普通のおでんだ。缶詰だし、こんなもんかって感じの味。
ミコトはおでん缶の中身をジッと見つめると、指でうずらの卵をつまんだ。
「……冷たい」
「まあ、湯煎も何もしてないからな」
焚火もあるし、水もあるがそれを温める鍋を持っていない。
一応、これまで食べ終えた乾パン缶や缶詰の缶、飲み終えたペットボトルの一部はバックパックの中に取っておいてある。
食べ終えた缶を使えば鍋の代わりにお湯でも湧かせるかと思い、焚火の周りにコンロに見立てて瓦礫や石を並べてみたけれど、如何せん缶が小さすぎた。
缶に合わせて焚火を囲えば焚火の火は小さくなり弱弱しくなる。かといって囲みを大きくすると今度は焚火の上に缶を置くことが出来ない。
鉄網があればまた変わったのかもしれないが、そんなものこの世界で手に入りはしないだろう。
少しばかり肌寒い気温だから、白湯でも飲むことができれば良かったのだが、生憎とそれは出来そうになかった。
「それに、箸が欲しいです」
「贅沢言うな。食べ終わったら水使って手を洗っていいから」
「それこそ、贅沢ですよ」
小さく笑って、ミコトがうずらの卵を口に運ぶ。
「……おでん、です」
「そりゃ、おでん缶だし」
もそもそと乾パンを齧りながら俺は返事をした。
「不味くもないし、美味しくもないし。うん、普通のおでんって感じ」
言いながら、ミコトがおでん缶の中身を口に運ぶ。
久しぶりに料理らしい料理を口にしたからだろうか。
ミコトはあっという間におでん缶の中身を平らげると、自分の持っていたペットボトルの水で指先を洗った。
「……意外と、美味しかったです」
「だろ? たまにその味が食べたくなるんだよなー」
言いながら俺は残りの豆を口の中に流し込むようにして食べきる。
口の中で素材本来の豆の味を楽しんで、俺は残りの乾パンを口の中に押し込むと水でそれを流し込んだ。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
手を合わせて、俺たちは夕食を終えた。
今日一日の疲れからか、自然と俺たちの間に会話が無くなる。
パチパチと火が爆ぜる音を聞きながら、俺たちはぼんやりと焚火の炎を見つめた。
焚火をぼんやりと見つめていると、ふいにミコトがクスッと笑った。
「なんだか、不思議ですね。こんな場所で、こんな風に焚火をしているなんて」
「……そうだな」
「私、誰かとこうして火を囲むのに憧れてたんです。できれば、キャンプ場みたいな場所でやりたかったですけど」
ミコトはそう言って笑うと、後ろへと仰向けに倒れた。
「うわぁー……」
夜空を見上げて、感嘆の声をミコトがあげる。
「ユウマさん、見てください。星が、あんなにたくさん……」
言われて、俺も空を見上げる。
雲一つない漆黒の夜空に、小さな宝石を溢したかのように、数えきれない多くの星がそこには瞬いていた。
これまでに、何度も東京の夜空を見上げてきたけど、これほどの星空は見たことがない。
まるで吸い込まれそうなほど美しいその光景に、俺は思わず言葉を失った。
「知ってました? 星って、明るいと見えないんですって」
ミコトが夜空を見上げながら言った。
「東京は街の灯りが明るすぎるから、星がきれいに見えないんだって聞きました。私たちの真上にある夜空はいつでも同じなのに、場所によって目に見える星の数が違うのはそのせいだって」
「ミコトは、星が好きなのか?」
「いえ、別に好きではなかったです」
でも、とミコトは言葉を続ける。
「今、好きになりました」
ミコトが夜空に手を伸ばす。
「……こんな世界に来なければ、知らなかった空ですね」
「そうだな」
確かにそこにあったはずなのに、失くなってから初めて気が付くものもある。
それは夜空だけじゃない。
俺たちが過ごしてきた日常も、普段の何気ない光景も、すべて。
失くしてから初めて尊いものだった、と理解できてしまう。
「…………あの」
ふいに遠慮がちな声が聞こえた。
目を向けると、ミコトが寝転がりながら俺を見つめていた。
「ユウマさんは怖くないんですか?」
「怖い?」
ミコトが小さく頷く。
「こんな世界に、わけが分からないうちにやってきて。命がけでモンスターと戦って。今日のユウマさんを見てると、この人怖くないのかなって思うことが多くて」
俺はミコトの言葉に苦笑した。
「別に、怖くないなんてことはないよ」
そう言ってから、俺は焚火の炎へと視線を向ける。
「モンスターと戦闘するのも、この世界で生きることも、何もかもが怖い。これから先、どうなるんだろうって不安はある。怖いし、不安しかないけど、それでも俺たちは生きなきゃいけない。死ぬわけにはいかない。どれだけ醜くても、必死で、足掻いて、出来る限りのことをやりたい、それだけだ」
パチッと焚火の中で枯れ木が爆ぜた。
俺は枯れ木を追加して口を開く。
「ただ、俺は生きることに必死なだけさ」
俺は視線をミコトへと移す。
「ミコトだって、死ぬならこんな崩壊した世界じゃなくて、自分のいた世界で死にたいだろ?」
「それは……。うん、そうですね」
ミコトは小さく笑った。
「そのためにも、まずはストーリークエストのクリア、ですね」
「だな。明日には吉祥寺に着けそうだな」
言いながら、俺は夕方に通り過ぎた廃墟――もとい駅を思い出す。
植物に飲みこまれた、と表現したほうが正しかったその駅は、かつて三鷹駅とよばれていた駅だった。
俺たちはJR中央線沿いにまっすぐ東に向けて足を進めている。
路線図で言えば、三鷹駅の隣が吉祥寺駅だ。
モンスターとの戦闘を繰り返しながら進んでいるとはいえ、隣駅なら明日の午前中にでも辿り着けそうだった。
「ストーリークエストって、何をするんでしょうか」
「さあ? でも、なんとなく想像はつくよ」
「本当ですか?」
「うん。多分だけど、モンスターの討伐だと思う」
「モンスターの討伐、ですか」
「チュートリアルクエストの時もそうだったし、ストーリークエストの名前は〝放浪する小鬼〟だろ? いかにも、そのモンスターを討伐しろだなんて言われそうじゃないか?」
「ああ、確かにそうですね」
ミコトは小さく頷いた。
「だとしたら、私、大丈夫でしょうか。今だって、まともにモンスターとの戦闘ができていないのに」
顔を曇らせながらミコトは言った。
俺は一度笑みを浮かべた。
「大丈夫。役に立ってるよ。ミコトのおかげで、モンスターとの戦闘も楽になった」
と言って、俺は「あっ」と声を出すとポケットの中からスマホを取り出した。
レベルが上がっていたかどうか確認しようとしていたことを思い出したのだ。
「どうかされましたか?」
ミコトが首を傾げてくる。
「いや、結構モンスターを倒したから、そろそろレベルが上がってるんじゃないかって考えてたんだ」
ミコトの言葉に答えながら俺はトワイライト・ワールドのゲームを起動して、自分のステータス画面を開く。
「おっ」
思わず声が出る。
思っていた通り、俺のレベルは上がっていた。




