西の怪物
ミコトが戻ったのは、それからすぐのことだった。
これまでずっとモンスターを狩り続けていたにも関わらず、疲れた表情ひとつ見せない彼女は、お土産のつもりなのだろう、背負ったバックパックの中から血に満たされたペットボトルを数本取り出すと、クロエへと手渡した。
「そろそろ夜になりますが、陽が落ちたらすぐにここを出ますか?」
その言葉に、クロエはペットボトルを受けとりながら頷く。
「そうじゃの。陽が落ちればここを出よう。ミコト、MPはどうじゃ?」
「多少減ってますね。おそらく、二時間も休めば全快するかと」
ミコトは、スマホを取り出し画面を見つめながらクロエの言葉に答えた。
クロエはミコトに向けて小さく頷くと、今度は私へと向けて視線を動かす。
「お主はどうじゃ? それで行けるか?」
「問題ありません。十分に休めました」
私は、身体を動かしながら頷いた。
これからまた、悪夢のような行軍が始まる。
だが、それが事前に分かってさえいれば、覚悟も決まるというものだ。
私は、移動前に食事を済ませておこうと、クロエから缶詰を貰うと――クロエが報酬で貰って、スマホの『倉庫』画面に眠り続けていたものだ――廃材の端に腰かけてその中身へと口を付けた。
それを見ていたクロエは、「人が食べているのを見ると、久しぶりに食べたくなるの」とそう言って、缶詰を取り出したかと思えばそれを肴にするかのように、ミコトから貰った真っ赤なペットボトルの中身をちびちびと飲み始める。
一方ミコトはと言えば、形式的な仕草で水のペットボトルに口を付けると、背中の翼へと手を伸ばしてその羽毛を繕い始めた。
そうして、私達が思い思いの時間を過ごして、しばらくの時間が経った頃。
無言で毛繕いをしていたミコトが、ふと思い出したかのように口を開いた。
「そう言えば、狩りの途中で生き残りのプレイヤーに会いました」
「……ほう? 野良か?」
焼き鳥缶の中身を口に運び、血で流し込んだクロエが口を開いた。
「ええ、そのようです。大阪――西の方から、こっちに逃げてきたと言っていました」
「西か……。我らの向かう先の方向じゃな。何か変わったことはあったか?」
「いえ、特別には何も。西も、この辺りとさほど変わらないようです。モンスターが居て、ボスが居て、辛うじて生き残ったプレイヤーが細々と生きている。ただ、気になることは言ってました」
「気になること?」
私は、口を付けていた缶詰から視線を動かし、ミコトを見た。
ミコトは、私の言葉に一つ頷くと言葉を続ける。
「ええ。曰く、西には怪物が居る、と」
「怪物、じゃと?」
その言葉に、クロエが眉間に皺を寄せた。
「ボスか?」
「いえ、プレイヤーだそうです」
「プレイヤーなのに、怪物なのか?」
「ただのプレイヤーじゃないんですよ。……なんでも、種族に心と身体の全てを乗っ取られているみたいで」
その言葉に、私はピクリと肩を揺らした。
その現象に、心当たりがあったからだ。
そしてそれは、クロエも同じだった。眉間に刻んだ皺をさらに深くすると、唇を歪めるようにして長い息を吐き出す。
「…………種族変化、か」
ミコトは、その言葉に頷いた。
「……ええ。話を聞く限り、間違いはないかと」
「種族は?」
「それが――――」
口に出して、ミコトは小さく瞳を揺らした。
それから、ゆっくりと息を吸い込むと、小さく残りの言葉を吐き出す。
「『人間』です」
「――――なんじゃと」
「――――なんですって!?」
ミコトの言葉に、クロエと私の声が重なった。
クロエは『人間』という種族に嫌悪感を出しながら、私は『人間』という言葉に驚きながら、それぞれの反応を、その言葉に示した。
「間違いないんじゃな?」
確認するように、クロエは言った。
「特徴を聞いた限り、間違いない情報です」
「そうか……。厄介じゃな」
クロエは、東京で種族変化をした『人間』がどうなるのかを見て、知っている。
それはミコトだって同じだ。
大阪という場所に居たプレイヤーがどうして逃げ出してきたのか理解出来ていたからこそ、ミコトは大きく息を吐いてたった一言、言葉を紡ぐ。
「ええ、本当に」
それから、二人はこれからのことをすぐに相談し始めた。
何せ、東京にいた『人間』以外にも、別の『人間』が暴走しているのだ。
その危険性を分かっているだけに、二人がその相談を始めるのは無理もないことだった。
「……ふむ。それじゃあ、進路を変えるか」
「そうですね、それが無難です」
「大阪には足を運ばぬほうが良いとして――――」
と、クロエがそう口に出した時だ。
それまで事の成り行きを黙って聞いていた私は、さすがに我慢が出来ずに声を出した。
「――――あのッ!」
「なんじゃ?」
ちらりと、クロエが視線を向けてきた。
私はその視線を受け止めると、彼女の視線を正面に見据えて言葉を続ける。
「一度、オオサカという場所に、向かってほしいです」
「……どうしてですか? 言ったでしょう? その場所には、種族変化した『人間』が居るって。そこに向かえば、私達は――――」
「その、『人間』が私の探しているプレイヤー…………かもしれないんです」
言葉を遮り、呟かれた言葉に二人の視線が鋭くなった。
「…………どういう意味じゃ」
ゆっくりと、クロエが問いかけてくる。
静かな圧が含まれたその言葉に、私は一度、肩を小さく震わせると、固くなった唾を飲み込んで言葉を続けた。
「私が助けたい、彼の種族は……『人間』です。それも…………種族変化を、した『人間』なんです」
「――――なッ!?」
「――――え?」
私の告白に、二人は目を大きく見開いた。
「――マキナ、あなた、その言葉の意味が分かって!!」
最初に声を荒げたのは、ミコトだった。
「プレイヤーを助けるのを手伝ってほしいとは聞いてますけど、それが種族変化した『人間』だとは一言も聞いてませんよ!!」
「ごめんなさい……。隠していたわけじゃないんです。……ただ、二人が、暴走した『人間』に苦労をしたって聞いて、それで、なかなか言い出すタイミングが無くて…………」
「タイミングが無かった――それだけでは、到底聞き逃すことが出来ぬことじゃがの」
クロエは私の言葉に大きく息を吐き出した。
「お主、もしやこの事実を最後まで隠しておくつもりじゃったのか? 何も知らぬまま、我らをそのプレイヤーの前にまで連れて行こうとしてたのか?」
「いえ……。いつかは、この移動中に話そうと思ってました」
「直前で話して、もはや我らが逃げられぬようにか?」
唇を歪めて、クロエが笑う。
「違います! そんなつもりじゃ――――」
「そんなつもりが無くても、そう思われても仕方がないことじゃろ」
クロエは私の言葉を遮った。
もはや、彼女は私の言葉を聞くつもりがないようだった。
そそくさと荷物をまとめ上げると、それを背負って立ち上がる。
「ミコト、帰るぞ。こ奴の頼みに付き合ってられん。自分から死にに行くようなものじゃ」
「待って、待ってください!! 確かに、このことを黙っていたのは私に全面的に否があります!! 謝りますから!! だから…………」
必死に懇願する私を、クロエは静かに見つめた。
それから、大きなため息を吐き出すと、やがて唸るような声を出して、怒りを抑えるように天井を見上げる。
「はぁー…………。まったく、厄介なヤツの、厄介な頼み事を聞いたものじゃ」
そう言って、クロエは感情を落ち着かせるように瞳をぎゅっと閉じると、再びため息を吐き出して、私へと視線を向けた。
「分かった、分かったのじゃ。どっちにしろ、そ奴を助けねば、我らはこの世界から抜け出せんのじゃろ? お主が黙っておったことは腹が立ったが……まあ、良い。この際水に流そう。ただし――――」
クロエはそう言って、私の瞳を覗き込んだ。
「それだけ危険なことを頼むのじゃ。これが嘘だった場合……覚悟は出来ておるのじゃろうな?」
「分かってます」
私は、クロエの視線を正面から受け止めて頷いた。
クロエは小さく鼻を鳴らすと、血のペットボトルへと口を付けながら私へと視線を投げる。
「ならよい。……で? 種族変化した『人間』を救う手立てはあるんじゃろ? どうするんじゃ」
「それはまだ……試してみないとなんとも」
「――――まさか、その方法すらもあやふやか?」
私は、その言葉に無言で頷いた。
その言葉にクロエは、もはや吐き出すため息もないのか、ただただ唇の端を吊り上げて苦い笑みを浮かべていた。
「……のう、ミコト? 我ら、もしや……とんでもない願い事を引き受けたかもしれぬの」
「……そのようです」
頭痛を堪えるように、ミコトが額を抑えながら呟く。
「ひとまず、その方法とやらを聞きましょうか」
その言葉に私は小さく頷くと、二人に向けて考えていた方法を語ったのだった。




