彼女たちの関係
ミコトと別れた私は、当初の予定通りに周囲の地形を把握するために辺りを探索することにした。
残り火のように輝く夕陽が翳り、空はまた一段と夜に近づく。
探索中にモンスターと出会うことも想定していたが、その危険は全くなかった。
おそらく、ミコトが周囲のモンスター全てを殲滅していたのだろう。
私はしばらくの間、時間を潰してから資材置場の倉庫へと戻った。
すると、いつの間に起きていたのか、クロエが暗闇の中で膝を立てて座りこんでいることに気が付いた。
寝起きなのか、ぼんやりとした表情で彼女は手にした真っ赤なボトルの中身をちびちびと口にしていたが、私が戻ったことに気が付くと、その口元をニヤリと吊り上げて見せる。
「たった一人で外をうろつくのは危険じゃぞ?」
「すみません。でも、外には何もいませんでしたよ」
「……ああ、ミコトか」
私の言葉で、すぐに察したのだろう。
クロエは感情の読めない笑みをその口元に浮かべた。
「あ奴は、まだモンスターを狩っておるのか?」
「そう、だと思います。先ほど戻ってきてましたが、また出て行かれましたから」
その言葉に、クロエは大きく鼻から息を吐き出した。
それから、ぐびりとボトルの中身を呷ると一気にその中身を空にする。
「相変わらずじゃの。……まあよい。そろそろ完全に日も落ちるし、帰ってくるじゃろ」
呟き、クロエは手にした空のボトルを投げ捨てた。
その口ぶりからして、ミコトがその身を犠牲にして狩りを行っているのはいつものことなのだろう。
クロエは大きく伸びをすると、私へとその紅玉のような瞳を投げかけてくる。
「ミコトが戻り、休憩を終えたら今夜も進むぞ。今のうちに出来るだけ身体を休めておけ」
「…………あの、やっぱり今日も戦いながら進む……んですか?」
「当たり前じゃ」
恐る恐ると問いかけた私の言葉に、クロエは笑った。
「時間は無駄に出来ん。レベルアップに必要な経験値は溜める、移動もする。ついでにお主のレベルアップも行う。この世界で、十分なんて言葉はないものと思うがよい」
言いながら、クロエは傍に置いてあったバックパックを傍に寄せると、その中身へと手を突っ込んだ。どうやら、また新しいボトルを取り出すつもりのようだ。
けれど、その手はふいに止まった。
「……まいったの」
かと思えば、眉根を寄せてそんなことを独り言ちる。
「どうされましたか?」
「ああ、いや……何。ちょっと、な。飲み水の在庫が少なくての。最近、やたらと喉が渇くからあっという間に無くなってしまう」
言って、クロエはバックパックの中から一本のボトルを取り出した。
その中身が真っ赤な液体で満たされているのを見て、私はクロエがいつも飲んでいる血液の量が足りないのだとすぐに察した。
「……クロエ。今の同化率はいくつですか?」
「なんじゃ、藪から棒に」
「あなたの種族命題は〈吸血衝動〉だったはずです。同化率が増えれば、あなたのその衝動は制御が効かなくなる」
「…………お主に、その話をした覚えはないはずじゃが……。よく知っておるの」
クロエは私の言葉に笑った。
それから、少しだけ考えるような素振りを見せるとすぐにスマホを取り出して、その画面へと視線を落とした。
「今は42%と言ったところじゃの」
……思ったよりも同化率が高い。
それが、私が最初に抱いた感想だった。
私は少しだけ考えると、クロエへと向けて視線を向ける。
「基準値はいくつになってますか?」
「今はおおよそ、40%前後じゃな」
「……ミコトよりも少ないんですね」
とは言っても、比べる対象が高すぎるというだけだが。
クロエも、それ分かっているのだろう。
くっくっと、喉を鳴らすようにして笑うと口を開いた。
「まあ、我はミコトよりも種族スキルの獲得が少ないからの。……それよりも、お主。ミコトの同化率をよく知っておるな。それも、元神様だから……か?」
問いかけられるその言葉に、私は静かに首を横に振った。
「違います。つい先ほど、ミコトから聞きました。どうして、そこまでモンスターを狩り続けるのかを聞いたんです」
「……なるほどの」
とクロエは頷いた。
それから、クロエは一度ボトルの中身へと口を付けると、ゆっくりと息を吐いて口を開いた。
「お主に言っても仕方のないことなのかもしれんが…………。この世界で、我らが生き残るためには、この身にある人間性を捨てねばならん。種族スキルは強力で、我らプレイヤーがこの世界で生き残る術じゃ。そのスキルを取得するたびに我らは人の身を捨てて、身体も心も化け物へと変わっていく。……おかしな話じゃの? お主は、この世界へと来るために神という身を捨てて人の身体になったというのに、我らプレイヤーは人の身を捨てて化け物へと変わっておる。この世界に関わった人外は人になって、人は人外へとなっておるではないか」
くっくっくっ、とクロエは喉を鳴らした。
彼女は、ひとしきり喉を鳴らすようにして笑うと、私の目を見つめて言葉を吐き出す。
「同化率40%はつまり、我の約半分が吸血鬼に近いということじゃ。これまではただの吸血行為だったそれは、今では衝動に変わりつつある。今まではモンスターの血液で我慢できていたものの、最近ではモンスターの血液じゃ抑えられぬことが多い」
「…………人の、血じゃないと抑えられないと?」
その言葉に、クロエは小さく頷いた。
「ああ、そうじゃ。その時は仕方なくミコトに〝お願い〟をしておる」
――〝お願い〟。
その言葉が示す意味を、考えるまでも無かった。
それと同時に、私はこの世界での彼女たちの関係をようやく把握した。
クロエはその身に宿った〈吸血衝動〉を抑えるため、ミコトに血を分け与えて貰う。
ミコトはその身に宿った〈他者生命の尊重〉を満たすため、昼は無防備なクロエのために休む間もなく戦い、またはその身の血液を与えて、過剰ともいえる博愛を制御している。
まるで、狂った共依存だ。
壊れた関係だと言ってもいい。
――――けれど、その関係こそが彼女たちの在り方であり、この世界で〝自分〟という存在を出来る限り守るために編み出したものなのだ。
「……そう、ですか」
と私は小さく息を吐いた。
彼女たちの関係を間違っているなどと言うつもりは無かった。
そんな言葉を口にする資格を、私は持ち合わせちゃいなかった。
だから私は、小さな笑みを浮かべてクロエを見つめる。
そして、その真っ赤な瞳を見つめて口を開く。
「もしも、ミコトの血で我慢できなかった時は私に言ってください。この身体は、もはや人と同じです。あなたの〈吸血衝動〉を癒す手助けにはなるでしょう」
私の言葉を、クロエは想像していなかったのだろう。
ぽかん、と呆気にとられた表情を浮かべたかと思えば、彼女は喉を鳴らして笑い始める。
そして、ひとしきり笑ったかと思うと、その手元のボトルへと口を付けてから、
「……そうじゃの。天使の血に飽きた時には、元神様の血でも味わわせてもらうことにしよう」
そう言って、血に濡れた真っ赤な口元を拭ったのだった。




