空っぽ
「………………」
耳に届く微かな物音に反応して、私はゆっくりと意識を覚醒させた。
見知らぬ場所だった。
彼女たちが、『ギルド』と呼称していたあの廃墟ビルの中ではない。
ホールのような広い空間。雑多に積み上げられ、床を割って伸びる草木や苔に覆われた錆付いた鉄材。一部が崩れ落ちた屋根と、そこから伸びる朱色の光。
私が身体を起こすと、その拍子に床に積もった埃が舞い上がり、細かな浮遊物が光の帯に照らされてまるで星屑のように視界を覆う。
「ゲホッ、ゲホッ……。ここは……」
舞い散る埃に咳き込んでいると、徐々に寝ぼけていた記憶がはっきりとしてくる。
――ああ、そうだ。昨夜、ようやく彼を助け出すため、彼女たちと一緒に動き出したんだ。
ミコトの翼が発する光に釣られ、次から次へと襲い掛かるモンスター達。
十メートルを進む間に三度の戦闘を行い、それらすべてを経験値に変えながら前に進むという行動を繰り返すこと数時間。
その、狂人的とも言える行軍は、夜の群青が朝焼けに染まり始めたことで終わりを告げた。
それも、朝になればクロエが満足に動くことが出来ないという理由で。
仕方ないとばかりにため息を吐き出す二人をよそに、数えきれないほどの戦闘によって心身疲労していた私は、ようやく訪れた安息に涙した。
そうして、身体を休めるために足を踏み入れたのがここ――工場の資材置場という大きな建物の中だった。
「いつの間に寝てたんだろ……」
休憩場所を決めて、二人から貰った缶詰を食べたことは覚えている。
しかし、そこからが思い出せない。
おそらく……。いや、きっと。そこからは気を失うように寝てしまったのだろう。
「んん……」
そんなことを考えていると、ふいに小さな声が聞こえた。
その声に反応するように、私は積み上げられた資材の奥――陽の光がそう簡単には届かないであろう暗闇となったその場所へと目を向ける。
すると、そこには頭から足の先まで、すっぽりとローブに覆われた謎の物体がもぞもぞと動いているのが目に入った。
……クロエだ。
満足に動くことの出来ない昼間は寝ることにでも決めていたのだろうか。
しばらくの間、私が見つめていると、やがて落ち着く体勢にでもなったのだろう。ゆっくりとした呼吸に合わせるかのように、その謎の物体が小さく上下に揺れ動き始める。
「………………」
私は、手元にあった水を飲み――疲れ果てて覚えていないが、おそらく寝る直前に二人から貰ったものの余りだろう――、それから欠伸を嚙み殺すとぼんやりと倉庫の中を見つめた。
――七日。今日で、私がこの世界に堕ちて七日目だ。
今頃、種族変化した彼がどうなっているのかなんて、もはや想像もつかない。
モンスター相手に戦っている?
種族変化した他プレイヤーを狙ってる?
制御の効かない力に自らの身体が壊され、動けなくなっている?
……どれもありえることだ。
自分の身を壊すことも厭わず、常に全力で、その身に宿った欲望を満たす今の彼は非常に危うい。
『人間』も、自害をするような真似をしてまで欲望を満たすことに躍起になるとは思えないが……。確信は出来ない。
「はぁ……」
小さく、私は息を吐く。
「彼に、【天恵】があって良かった……。もし、それが無ければ今頃――――」
五秒ごとにHP1の回復を与える、持続回復スキル。
その回復量は、今や彼にとっては微々たるものに過ぎないだろうけど、それでも確かに、彼の命を確実に繋ぎとめていることは確かだ。
「――――本当に、そのスキルがあって良かった」
と、私は呟く。
実のところ、私は【天恵】スキルのことをよく知らない。
少なくとも、私がトワイライト・ワールドのシステムを掌握していた時には無かったものだ。
であれば、アレは間違いなくアイオーンが組み込んだもの。
何を思ってあのスキルを組み込んだのかは分からないが、大方、あの破格とも言えるスキルの使用条件に、プレイヤーの人の子達が苦しむような制限を設けていたのだろう。
でなければ、一周目とも言うべきあの世界で、【天恵】を手にしたミコトが死の間際まで使わなかったのは不自然でしかない。
「…………」
相変わらずの性格の悪さに、考えるだけで気分が悪くなる。
私は頭を振って考えを切り替えると、それから今なお眠り続けるクロエに目を向けて、静かに立ち上がった。
「……ちょっと、周りを見て回ろう」
二人と過ごし始めて気が付いたことだが、いついかなる時でも、戦闘のことを考えて行動しておくといざというときに非常に楽だ。
中でも、周囲の地形を把握しておけばそれに応じて立ち回ることで戦闘のし易さはぐんと変わる。
身体を休めることも大事だが、今は周囲の地形を把握しよう。
そう思って、私は、念のためにと手に短剣を携えて、そろりと動いて資材置場の外に出る。
すると、また。
眠りから覚めるきっかけとなったあの、微かな物音が聞こえてきた。
「……?」
首を傾げて、私は一度鼻を鳴らす。
私の種族は『獣人』だ。その特徴として、嗅覚が他の種族よりも優れている。
さすがに【嗅覚強化】といった専用のスキルには及ばないが、少なくとも今、私の傍に居るのがモンスターなのかどうかは把握することぐらいは出来る。
「……これって」
微かな汗の匂いに混じる、もはや身体にこびり付いたのであろうモンスターから浴びた返り血の匂い。
目が覚める前まで共に行動していたからこそ分かる、嗅ぎなれたその匂いに、私は小さな言葉を漏らした。
「ミコト?」
間違いなく、その匂いの主はミコトだ。
さらに鼻を鳴らすと、彼女が外に積まれた廃材の陰にいるらしいことが分かった。
私は、ゆっくりとした歩調で彼女の元へと近づき、声を掛ける。
「……こんなところで、何をしてるの?」
彼女は、廃材の陰に座り込んで、その手にある何かを見つめていた。
ぼんやりと手の内を見ていたミコトは、私の声に気が付いてゆっくりと視線を向けてくる。
「ああ、起きたんですね」
「はい、つい今しがた。……あの、何をしているんですか?」
「ん? ああ……。コレですか?」
言って、ミコトはその手にあるものを私にも見えるようにして掲げて見せた。
「……箱?」
と、私は彼女の手にあるものを見て呟いた。
彼女の手に握られていたもの。
それは高さのない、薄い長方形の茶色い箱だった。
「つい先ほど見つけたんですが……。これ、中身はなんだと思います?」
その言葉に、私は改めて彼女の手に握られたものを見つめた。
どうやら、茶色に見えたのは錆が浮いているだけのようだ。となれば、あの箱の材質は鉄か何かだろう。トワイライト・ワールドの報酬ならばまだ新品であるはずだし、クエストの報酬品であることも考えにくい。
「分かりません」
と、私は正直に首を横に振った。
すると、ミコトは小さく笑って、その手に持った箱を地面にそっと置いた。
「ふふっ、まあ、私も中身は知らないんですけどね。モンスターを狩ってる途中に見つけたものを、試しに拾っただけなので」
言って、ミコトはちらりと傍に置かれた弓と矢筒に目を向けた。
……どうやら彼女は、私とクロエが眠っている間に、レベリングに勤しんでいたらしい。よくよく見れば、その身体はまだ乾き切っていない返り血で濡れているのが分かった。
「ミコト。また、狩りですか? 昨日からずっとじゃないですか。私、あなた達と行動するようになって、ミコトがまともに休んでいるところを見たことがないんですが…………」
私は、疑問と心配を同時に口にする。
彼女の種族である『天使』は、確かに不眠不食で動くことが出来る種族だ。しかし、だからと言って、疲労を感じないというわけではない。不眠不食は可能だが、不休は出来ないのだ。
するとミコトは、私の言葉に微かな笑みを浮かべて答えた。
「ええ、まあ。実際に、休憩という休憩をしてませんから。今みたいに、ちょっとだけ座ることはあっても、だいたいはモンスターを相手に動いてますからね」
「…………身体、壊れますよ」
「壊れませんよ。スキルで身体の疲労は取ってます。HPも減ってません。大丈夫です。それに――――」
と、ミコトはそこで一度言葉を区切り、言った。
「私、常に誰かを守っていないと、ダメなんです」
その言葉の意味を、私はすぐには理解出来なかった。
何度も、何度も彼女の言葉が頭の中を回って、そしてようやく彼女が何を言っているのか理解する。
「種族命題、ですか」
「……ええ。その通りです」
とミコトは笑った。
「私の種族命題を知ってますか?」
その言葉に、私は小さく頷いた。
「『天使』の種族命題は、――――他者生命の尊重」
「正解です。……まあ、いわゆる自己犠牲の博愛精神ってやつですね」
ミコトはそう言ってまた笑みを浮かべる。
「この命題、言ってしまえば私自身が犠牲になって誰かを守り助けることでも満たせるんです。この意味が分かりますか?」
「……だから、私達が休んでいる間にも、自分だけは休まずに私達の安全を守るため、周囲のモンスターを狩り続ける…………と?」
「正解です。……でも、私が狩りを行う理由はそれだけじゃない」
そう言って、ミコトは私から視線を外して空を見上げると、ぽつりと漏らすように言った。
「マキナ。あなたは…………。種族同化率という言葉も、分かりますか?」
もちろん、知っている。
それこそが、今、私と彼を苦しめている厄介事だ。
「……ええ、もちろん」
と、私は頷きを返した。
すると、私の様子を横目で見ていたミコトは小さく笑って、それから少しだけ困ったような表情となって息を吐き出す。
「……そうですか。では、アレは、トワイライト・ワールドを作ったというあなたが仕組んだこと?」
「いいえ、アレは……。前に話した、トワイライト・ワールドを乗っ取ったもう一人の神が仕組んだこと」
「ああ、そう言えばそんなことも言ってましたね」
ミコトはそう言って、口元だけで笑った。
「それじゃあ、種族同化率がある一定の数値になれば、種族に身体を乗っ取られることは?」
「知っていますよ。……あの、ミコト? 話が見えないのですが」
そう言って、私は少しだけ眉根を顰めて彼女の顔を見た。
するとミコトは、空を見上げたまま視線を動かさず、まるでその天気の話をしているかのように口を開いた。
「私、種族同化率が常に45%を超えてるんです」
何でもないことのように話されたその言葉に、私はすぐに反応出来なかった。
「なんで……? どうして、そんなに……」
思わず、私はそんなことを呟く。
けれど、同時に。
私はミコトの言葉を聞いて、やっぱりそうか、と納得もしていた。
種族スキルを獲得すればするほど、身体はその種族の姿へと近づいてしまう。
同時に、基準となる種族同化率は上昇し、種族スキルを取得すれば容易に種族同化を引き起こしやすくなってしまう。
今、ミコトの背中にある翼は大翼と表現してもいいぐらいには大きい。
それはつまり、獲得した種族スキルがそれだけ多いということを示している。
それを、ミコトも分かっているのだろう。
小さく肩をすくめて見せると、ミコトは感情の読めない表情で呟いた。
「今の私の種族スキルは八つ。翼もこれだけ大きくなりましたし、しょうがないですね」
そう言って、ミコトは小さな笑みを浮かべた。
『天使』の影響は翼だけじゃない。
感情すらも奪うその種族変化は、おそらくきっと。彼女の本当の笑顔すらも、もうとっくの昔に奪い取っているはずだ。
「まあ、そんなわけで。私、常に種族命題を満たさないとすぐに種族と同化してしまうんです。こうして常にモンスターを倒しているのも、レベルアップが目的だってこともありますけど……。私自身のことでもあるんですよ?」
ミコトはそう口にすると、大きく伸びをして立ち上がった。
「休憩しすぎました。そろそろ、狩りに戻ります。クロエはまだ起きないでしょうし、マキナもまだゆっくりと休んでてください。あなた方が安心して休めば休むほど、絶えず動く私は命題を満たすことが出来ますから」
言って、ミコトは小さく手を振ると、一気に駆け出し、あっという間にその姿を消してしまった。
「………………」
私は、彼女が消えた先を見つめてゆっくりと息を吐き出す。
それからふと、地面には薄い長方形の箱が置き去りにされているのを見つけた。
「……結局、コレの中身ってなんだったの」
言いながら、私はその箱に手を伸ばした。
「――――――」
手に取ると、その箱が異様に軽いことが分かった。
そして、それがどういうことなのか。私は、箱の中身を空けずとも理解してしまった。
「――――空っぽだ」
中身のない、ただの箱。
彼女が拾ってきて眺めていたものは、そう表現するしかないものだった。
次の更新、お待たせしております。
もう少々お待ちいただければと思います。
申し訳ございません。。。




