説得
「――――お願いします。彼を助ける力を…………私に、貸してください」
呟かれる私の言葉に、彼女たちの返事はなかった。
重たい沈黙が再び部屋の中に広がる。
誰もが言葉を発さず、身動き一つしない無音の時間が続く。
それでも私は、ただジッと頭を下げ続けた。そうすることしか、今の私には出来なかった。
彼女たちが私の言葉に答えたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
「…………もしも本当に、お主が神様じゃと言うのなら、そう簡単に頭を下げるでない」
そう呟かれる言葉はクロエのものだった。
「先ほども言ったが、我らにはお主の言葉の真偽は分からん。…………分からんが、お主の言葉を嘘だと断言することは、今の我らには出来んことじゃ。そうじゃろ? ミコト」
「……そう、ですね。荒唐無稽で、あまりにも信じられない話ですが…………。この話を否定する根拠が何もないのが現状です。それに、わざわざ私たちを探し出してまで、あなたがホラ話をするメリットが何もないように思えます」
「……うむ。しかし、かといってお主の言葉を丸きりそのまま信じろというのも無理な話じゃ。ありえぬことじゃと思うが……、もしかすればお主が、この世界の理不尽に耐え切れずに壊れた狂人である可能性もある」
「――――ッ、そんなこと!!」
クロエの言葉に、私は思わず頭を上げた。すると、頭を下げ続けていた私を見つめていたのであろう二つの視線と、私の瞳が正面からぶつかる。
そこで、私はようやく。彼女たちの瞳の奥で揺れ動く、か細い光の正体に気が付いた。
(……………ああ、そうか)
と私は心の中で呟く。
彼女たちは不安なのだ。
この壊れた世界で目覚めて、これまで必死に生きてきたからこそ、彼女たちの中にはこの世界における〝常識〟がある程度出来上がってしまっている。
それを根底から覆す私の話が――この世界が確かに存在する現実で、けれども彼女たちにとってはありえない幻想としか思えないこの真実が――もしも本当だとすれば、彼女たちにとって大きなターニングポイントになりえるからこそ、彼女たちは迷い、戸惑い、困惑し、そして不安になっている。
クロエは、顔を上げた私を見て、小さな子供に言い聞かせるように呟いた。
「じゃから、『もしかすれば』と言ったであろうが。お主が狂人ではないと、それを証明する方法がこの世界のどこにある? まさか、前の世界のように医者に診てもらって、この人は狂人ではありません、なんてわざわざ一筆認めてもらおうなんて思うまいな?」
ここがトワイライト・ワールドでなければ、その証明書があれば一定の信用が得られたのかもしれない。
けれどもし仮に、この世界でそんな証明書があったとして、それが一体なんの役に立つというのだろうか。
この人は狂人ではありません。なんて、たった一言が書かれた紙一枚で、この世界で必死に生きる彼女たちプレイヤーは納得するだろうか。
…………そんなの、考えるまでもないだろう。
「……それじゃあ、いったいどうしたら信じて貰えるの?」
「そんなの、我らが考えることではないわ」
クロエは、私の言葉に鼻で笑って答えた。
「言葉を鵜呑みにしてもらえる信用が欲しいのなら、行動で示せ。話を聞いてみれば、お主は未だ何の行動も起こしとらん。神の身を捨てて人としてこの世界にやって来た? そりゃ立派なことじゃ。立派じゃが、それだけで行動を起こした、などと勘違いをするなよ? これまでのお主のその行動は、床に張り付いていた重たい腰を上げただけ――――トワイライト・ワールドというゲームの、スタートボタンを押しただけじゃ」
クロエはそう言うと、私の瞳をジッと見つめる。
「お主が本当の神様じゃというのならば、その身を捨ててこの世界にやって来たと言うのならば、人として我らと同じ目線でこの世界で生き抜くというのならば。――――まずは、その言葉を信じて貰えるよう行動で示せ。この世界で目を覚ましたお主が起こした行動は何じゃ。言うてみよ」
その言葉に、私はただただ黙って唇を噛みしめることしか出来なかった。
厳しい言葉だが、クロエの言う通りだったからだ。
この箱庭に堕ちるまで、私は、私の中で大きな決断を下したつもりだった。
けれど、それはただ始まりの行動を起こしただけ。
彼がよく言っていた、人の子達の作り出したゲームで例えるのならば、今の私は、ようやくこの世界で生きるゲームキャラクターを作り終えただけに過ぎないのだ。
「………………そう、ね」
と私は呟く。
この世界に足を踏み入れて三日、その間に私が成し遂げたことは何一つとしてない。
けれど、この世界での彼女たちは目覚めてからずっと、必死で生きて、生きて、生き延びてきた。
私は彼女たちのことをずっと前から知ってはいたけれど、彼女たちは私のことを何一つとして知らない。
そんな状態で、私の言葉をただ無条件に信じろというのも、土台無理な話だった。
――――見通しが甘かった。
彼女たちに出会えれば、どうにかなると思っていた。
どんなに嘘みたいな話でも、彼女たちならば信じて貰えると思っていた。
でもそれは、私が勝手に抱いていた、とてつもなく甘い――――幻想だった。
「…………その通りね。クロエの言う通り、今の私には何もない。何もないの」
――――でも、だからと言って。
今の私に信用がないからと言って、私の話を信じて貰えないからと言って。
……そう、簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
「何もないけど、今の私には何も出来ないけど!! それでも、諦めるわけにはいかない。今でも苦しんでる彼のためにも、私はあなた達二人に私自身のことを信じて貰わなくちゃいけない。…………私が信用できないのも分かる。私の言葉が嘘みたいだって思うその気持ちも分かるッ! でも、今は信じて欲しいとしか言えないのッ! 今の私には、あなた達二人だけが頼りなの!!」
言葉を吐き出して、私はグッと力を込めて二人を見つめる。
「お願い。彼を助けるのに、力を貸して」
ゆっくりと、私は二人に向けてもう一度その言葉を言った。
すると、その言葉を聞いていたミコトがふいに口を開いた。
「…………どうして。どうして、あなたはそこまでして、その彼という人を助けたいんですか? そもそも、その彼とは一体何者ですか。彼は――――、あなたが、神様という立場を捨ててまで助けなきゃいけない人なんですか?」
私は、ミコトの言葉にはっきりとした頷きを返す。
「彼は……。さっきも言ったけど、この箱庭の希望なの。何もかもがリセットされるこの箱庭で、唯一そのリセットを抜け出したプレイヤー。今ここで彼を失えば、もう二度と、この箱庭を打ち破ることは出来なくなってしまう」
「それはつまり、その、彼が居なければ、この世界のクリアは不可能だと――――そういう、ことでしょうか?」
「不可能ではない…………けど、絶望的だと思う」
と、私はミコトの言葉にそう言った。
もしかすれば、今ここで彼が居なくても、この先また彼のように、自己成長プログラムを極限にまで成長させたプレイヤーが現れるかもしれない。
でもそれはきっと、夜空に散らばる星の数以上の低い確率での話だ。
彼という存在が出てくるまで、この箱庭はこれまで何千何万という世界を繰り返した。
幾度となくループするこの中で、奇跡的な確率で生まれたのが彼という希望だ。
だからこそ、今ここで彼が居なくなれば……。次の希望が生まれるまで、またあの無限に等しい箱庭のループを行わなくてはならない。
そして、次の希望が生まれた時には――――箱庭のループに該当しない、この私という存在は、もうどこにも居ないだろう。




