本物
閉じられた廃墟ビルの一室に、滔々と語る私の言葉が響き渡る。
ミコトは壊れた窓枠に腰かけ、背中に広がる翼の毛を繕いながら。
クロエはヒビ割れたコンクリートの壁に背中を預け、懐から取り出した赤い液体の詰まったペットボトルを傾けながら。
二人はそれぞれ思い思いの体勢で私の言葉をただただ黙って聞き続けた。
私が全てを語り終えたのは、それからさらに夜が更けた頃だった。
「……………………」
私の言葉が途切れて、閉ざされた部屋の中を静寂が支配する。
私は語り続けてからからに乾いた喉を潤すように生唾を飲み込んで、彼女たちの顔をそっと覗き見た。
「……………………」
彼女たちは、それぞれが難しい顔で宙を睨んでいた。
彼女たちがその頭の中では何を考え込んでいるのか分からない。ただその皺の寄った眉根を見るからに、語られた私の言葉をどう受け止めて良いのか分からず悩んでいるようにも見えた。
それから私たちの間に広がる沈黙が破られたのは、私が語り終えて数分が経ってからだった。
大きな、大きなため息を吐き出して、ミコトが小さな声で絞り出すような言葉を吐き出す。
「…………全てが、俄かには信じられない話ばかりですね。あなたが、このトワイライト・ワールドを創り出した神様? でも、あなたとは別にこのトワイライト・ワールドを支配している神様がいる? ここが一種の箱庭の中で、私たちはその中に閉じ込められている? 挙句の果てには箱庭の中でさらに無数の世界軸が枝分かれしていて、ここはその無数に枝分かれした世界の一つに過ぎない、ですって? ――――馬鹿馬鹿しい。何ですか、そのくだらない妄想は」
ミコトは腰かけていた窓枠から立ち上がると、つかつかと私の元へと近づいて、勢いよく私の胸倉を掴み上げた。
「――――だったら。あなたがこの世界を創り出した神様だというんだったらッ!! 今すぐ、私たちをここから出しなさいッ!! 出してよッ!! ねぇッ!!」
激しい怒りを隠すことなく、ミコトは私に言葉を叩きつけた。
すると、そんなミコトを宥めるように、クロエが静かに声を掛けてくる。
「……落ち着け、ミコトよ。今のそ奴の話を聞く限り、その獣人にはもはや我らをここから出す力が残っとらん」
ミコトはその言葉にハッとした表情を見せると、壁際に佇むクロエへと視線を投げかける。
「――クロ、あなた、私の名前を…………」
「どうせ、そ奴には我らの本名がバレとるんじゃ。今さら偽ったところで意味はないじゃろ。それに、【気配感知】で見る限り周囲には我ら以外の気配はない。ならば、今この場でならニックネームは不要じゃ」
クロエはそう言って、手元で遊んでいた中身を飲み干した空のペットボトルを投げすてると、ゆっくりと私の元へと歩いてくる。
「――――じゃがの? ミコトが怒るのも無理もないこと。……この世界は、何もかもが壊れた終末世界じゃ。瓦礫の廃墟、植物に侵された廃都市。闊歩するモンスターと、塵ほどの軽さしかない我らプレイヤーの命。この世界で目覚めて、今日で二十一日が経過した。それまでに死んだプレイヤーは何十、いや何百――下手をすれば何千という数字にもなるじゃろ」
ピタリ、と。クロエが私の眼前で足を止める。
そして、ジッと。ミコトに胸倉を掴み上げられた私の目を、感情を抑え込んだ冷たい眼差しで覗き込む。
「今、この瞬間に生きとるプレイヤーは、それらの命の上に立っておる。生き残った我らには、この世界で死んでいったプレイヤーの無念を晴らし、報いねばならぬという責任があるんじゃ。……正直に言って、今しがた語ったお主の言葉が本物なのかどうか、今の我らには判断がつかん。だからこそ、今ここで、一度問いかけるぞ。――――――お主の先ほどの言葉は、生き残った我らに与えられた責任があることを理解しての発言だったか?」
その言葉と同時に、クロエの全身から溢れんばかりの殺気が漏れだした。
呼吸さえもままならず、私の意思とは関係なしに身体が震えはじめる。人の身に堕ちたこの身体が、眼前で睨むこの少女に臆しているのだ。
――――【威圧】の恩恵だ。
と、私は真っ白になる思考の中でただそれだけを思った。
ガチガチと歯を鳴らして震えはじめる私を見つめながら、クロエはさらに言葉を続けた。
「――この世界に来てから、人間の醜さを知ったよ。目覚めたその日に騙され、次の日には種族の違いからくるステータス差を非難され、三日目には我の身体に欲情され襲われそうにもなった。壊れたこの世界には我らを守る法も権利も何もない。自分を守れるのは自分自身だけだと、そう思ってここまできた。この世界での生き死にの責任は全て自分にある。それがこの世界の、絶対の一つのルールじゃと、そう思っておる」
そう言い放つと、クロエはそこで一度言葉を区切った。
「…………じゃがな、そう思ってはいても、この世界で生き残った者に与えられる責任から逃れるのはまた別じゃと、そう考えてはおるのよ。生き残った我らに与えられる責任はただ一つ。何が何でも、この世界を終わらせクリアすること。この世界から脱出すること。それが、生き残った我らに与えられた責任じゃ。だからこそ我とミコトは、この『ギルド』を作り、トワイライト・ワールドの攻略に全力を傾けることにした」
そこまで言うと、クロエは私の目を見つめる。
「ここが箱庭で、何度も同じことが繰り返されておるのならば、この世界で死にゆくプレイヤーはただの犬死か? 死に間際で呟かれる無念や後悔の言葉は、何の意味もなさぬ戯言か? 何度も同じことを繰り返しておるのならば、この世界で流れた血や涙は全て偽物か?」
私は、その言葉にただ無言で首を横に振った。
――そんなこと、あるはずがない。
この箱庭がこれまで何度も繰り返されていたとしても、箱庭の中で無数に枝分かれした世界が存在していたとしても。
この箱庭の中に存在する世界の一つ一つはどれもが本物で――そこに生きる人の子達の命は、感情は、流れた血や汗や涙の数々は、何一つとして偽物なんか存在していない。
「違う」
と、私はクロエの【威圧】に屈する身体の震えを必死に抑えて、ゆっくりと言葉を吐き出す
「あなた達がこの世界で過ごした全ては、全部が本物。例えこの世界の他に、違う〝もしも〟の世界があったとしても、この世界とその世界に優劣なんて存在していない!」
吐き出される私自身のその言葉に、私の中の感情が徐々に昂ぶる。私らしくもない熱が、吐き出される言葉に籠り始める。
「だからこそ私は――――私はッ!! この現状が許せない。あの男に――アイオーンに、あなた達がただ弄ばれるだけのこの現状を、なんとかしたい!! 長い間あなた達を見てきて、やっと……やっと、この現状を抜け出せる希望が見えたのッ!!」
私はそう言葉を吐き出すと、私の胸倉を掴むミコトの腕をぎゅっと握り締めて、私を睨む二人の瞳へとそれぞれ目を向けた。
「あなた達が、これまでどんな思いをしてきたのか……。それは、正直に言って私には本当の意味で理解できない。…………だって、私はこれまでただの傍観者だったから。でも、それでも、私は知っている! あなた達が流した涙の数を、あなた達が吐露した苦悩の数々を、あなた達が流した血と汗の量を!! どんな時でもただ見守ることしか出来なかった、力もない神様だったからこそ、私はその全てを知っている!!」
私はそこで一度言葉を区切ると、唇を硬く噛みしめた。
「これまでは、この現状をどうにかして欲しいとただ願うだけの存在だった。でも、そんな時にようやく――――希望が見えたの。私の全てを賭けてもいいと思えるほどの希望が、ようやく現れたの!! だから、お願い。私の話を全て信じなくてもいい。嘘だって思ってもらっても構わない。でも、今この時だけ。……この時だけでいいから、私に力を貸して!! どの世界軸においても、アイオーンに迫るあなた達なら、きっと、彼を助け出せる。そう信じてる!!」
言葉を吐き出し、私はミコトの腕を振りほどいた。
ミコトは力を抜いていたのか、あっさりと解けたその手を放して、私は二人に向けて深く頭を下げる。
「――――お願いします。彼を助ける力を…………私に、貸してください」




