二人の少女
この生活に変化が起きたのは、その日の夜のことだった。
起きていたところでどうすることも出来ない私は、体力の消耗を減らすためにも部屋の隅でうとうとと頭を揺らしていた。
「…………ここですか。私たちを知っているという妙な獣人が居るという場所は」
ふいに聞こえたその言葉。
聞き間違えるはずのないその声に、微睡みに沈んでいた私の意識が一気に覚醒する。
「……みたいじゃの。まったく、クエストの遠征を終えて、ようやく一休み出来るかと思ったのに……。どうやら、あの二人が言うには猫人のようじゃが…………」
次いで聞こえる、先ほどとは違う別の若い女性の声。聞き間違えるはずのない独特のその口調の主が誰であるかなんて、考えるまでもなかった。
「――――っ!」
私は息を飲みこみ、声の出処を探る。
どうやら、二人の声は天井に空いた穴の向こう側から聞こえてくるようだ。
私はばたばたと身体を動かすと、穴の真下へと移動して空を見上げた。
ぽっかりと空いた崩落した天井の穴の向こうに、群青に染められた夜空が見えた。寝ている間に雨は止んだのか、夜空には分厚い雲が尾を引いてゆっくりと流れている。その雲間からは群青に散らばる無数の輝く星々が、穴の真下から覗き込む私の顔を見下ろしていた。
「――――こんばんは。気持ちのよい夜じゃの」
見上げていると、ふいにそんな声が聞こえて、その星々を背負うように小さな顔が横から出てきた。
赤い瞳。青白い肌。あどけなさが残る童顔と、彼女の口元から覗く鋭い犬歯がとても印象的な少女。
――クロエだ。
間違いない。彼女は、あの古賀ユウマと共にこの世界で行動を共にしていた、クロエ・フォン・アルムホルトだ。
「ッ!!」
であれば、もう一つ聞こえたその声が誰のものであるかなんて考えるまでもなかった。
「クロ、どんな方でしたか? 私たちを知っているという、その獣人は」
言って、彼女はクロエとは反対側から顔を出して、穴の底にいる私を見下ろした。
白い肌と黒い瞳。背中に生える翼は身の丈ほどと大きく、夜闇の中でもその姿をはっきりと主張するかのような淡い光に、私の瞳は否が応でも吸い込まれてしまう。
「――――柊、ミコト」
思わず漏らした私の言葉は、とてもか細く掠れていて、私以外の誰の耳にも止まらず消えていった。
この瞬間を、どれだけ待ち望んだことだろう。彼女たちに出会うため、どれだけこの時間を耐え忍んだことだろう。
……ようやく出会えた。ようやく出会うことが出来たッ!
その思いに急かされるように、私は彼女たちに声を掛けようと、大きく息を吸い込む。
「あ、あの――」
吐き出された声は、やはりというべきか掠れていた。
彼らに監禁されたこの二日で、声を張り上げるほどの力さえも奪われていたからだ。
それが、彼女たちにも伝わったのだろう。
彼女たちは、それぞれ顔を分かりやすく曇らせると、困惑とも怒りともつかない言葉を漏らす。
「……クロ。これは――――」
「…………ああ。あいつら、妙な獣人を捉えたとか言っておったが、こんな仕打ちをしておるとは聞いておらぬぞ」
「下に降ります。いいですよね?」
「構わんじゃろ。我も降りる」
言って、彼女たちは手ぶりで私に向けて横にズレるよう指示を出すと、空いたその場所へとスタッカートの音を響かせながら飛び降りてきた。
「大丈夫ですか?」
と、そう言って最初に声を掛けてきたのはミコトだった。
ミコトは、警戒する様子もなく私の傍へと近寄ってくると、私の無事を確かめるように全身を見渡した。
「……よかった。傷はないようですね」
「HPはどうじゃ?」
と、クロエがミコトに問いかける。
「ちょっと待ってくださいね。――――【解析】」
ミコトはクロエに向けてそう言うと、私の知らないその恩恵を使用した。その瞬間、私の全身にビリッとした小さな電流が走る。
そのことに私が驚いていると、私のことをジッと見つめていたミコトが小さく息を吐きだしたのが分かった。
「極度の疲労によってHPが少しだけ低下していますね……。おそらくは、この環境に長時間晒された影響でしょう。――――あの、クロ?」
ミコトはそう言ってクロエへと伺うように視線を向けた。
すると、クロエはミコトが何を言いたいのかすぐに察したのだろう。小さな頷きをもってその視線に答えた。
「ありがとうございます」
ミコトはクロエへと小さく笑いかけると、私へと向き直る。
「――【活力回復】」
ミコトが私へと手を伸ばし、その言葉を言った。
瞬間、ミコトの手から淡い光が溢れ出して、私の全身をゆっくりと包み込む。
――――【活力回復】。MPを10消費する代わりに、身体に蓄積された疲労を癒し、なおかつ失われた全体のHPの30%を回復する恩恵だ。
この恩恵は、私がトワイライト・ワールドというシステムを創り出した際にその中に組み込んだ、自己成長プログラムを受ける人の子達へと与えていた、数ある恩恵の内の一つだった。
(……温かい)
私は、全身に重たく圧し掛かっていた疲労が解けるように消えていくのを感じた。
光が明滅するたびに身体がすっと軽くなって、胸の奥底にぽかぽかとした熱が籠るのが分かる。
疲労で鈍っていた思考は回り出し、この目に映る視界が明るくなったような気さえもしてくる。
私は、私自身が与えた人の子への恩恵に自らが癒されながら、恩恵を受ける人の子達はこんな気分だったのかと思いを馳せた。
沈んでいた気分が明るくなり、身体全体に活力が漲った頃、私の全身を包んでいた光は薄れて消えてしまった。
私の表情が明るくなったのを見たからだろう。ミコトは曇らせていたその顔に笑顔を浮かべると、安堵の息を吐き出した。
「うん、これでもう大丈夫です」
と、ミコトは晴れやかな顔で言った。
それは、胸の内にあるしこりが無くなったかのような、何かの取っ掛かりが無くなったかのような笑みだった。
その笑みを見て、私はどうして彼女がMPを消費する恩恵を使ってまで、彼女たちにとっては見ず知らずの私を癒したのか思い当たった。
――彼女の種族命題は〈他者生命の尊重〉だ。
自らを省みず他者の命を優先的に助けるその壊れた思想は、彼女の内側に巣くう天使によって影響を受けている。
私は、そっと彼女の背中に生える天翼へと目を向ける。
……古賀ユウマと別れる前よりも遥かに大きな翼だ。それだけ、今の彼女は疑似人格である天使により近いと言える。
きっと、この行動もその命題に突き動かされたものに違いない。
クロエもそれが分かっているのだろう。種族命題に突き動かされた彼女が私を癒す間、ジッと私たちを見つめていたが、そのやり取りが終わったことを確認するとようやく口を開いた。
「――――さて、と。これでようやく、お主と話が出来そうじゃの」
その言葉に、ミコトはそっと私の傍を離れるとクロエの横に並んだ。
「改めて、挨拶をしよう。我はクロ。そして隣のこ奴が」
「シロです」
クロエの言葉を引き継いだミコトが頭を下げた。
その挨拶は、どちらも偽名だった。クロエは元の名前と偽名がほぼ被ってはいるが、それでも本来の名前を明かすつもりがないようだ。
彼女たちは偽名を名乗ったまま、私との会話を始める。
「それで? お主、どうやら我らのことを探しておったようじゃが…………。生憎と、我はお主なんぞ知らん。シロはどうじゃ?」
「私も知らないです」
「……だ、そうじゃが?」
と、クロエは私を見つめた。
その言葉に、私はゆっくりと言葉を返した。
「……確かに、あなた達とは初対面です。ですが、僕はあなた達のことを知っています」
「ほう? なぜじゃ」
「…………ずっと、見ていたからです」
クロエは、私の言葉に怪訝な表情となると、思いっきり眉を顰めてみせた。
「ずっと? 意味が分からんの。ずっと見ていたなら、どうして我らを探す必要がある。そもそも、我らはお主を知らん。お主は誰じゃ。お主の名前は?」
「荻野マキナ、です」
と、私はクロエの言葉に答えた。
「知らない名前じゃの」
とクロエは私の名前を聞いてそう言った。
「以前、私たちのことをどこかで聞いたとか、そういうことでしょうか」
とミコトがクロエに向けて口を開く。
その言葉に、クロエは緩やかに首を振った。
「聞いた程度ならば、わざわざ『見ていた』なんて言わんじゃろ。わざわざそう口にするということは……、どこかで我らのことを見ていたってことじゃろ?」
「だとしたら、これまで彼の存在が【気配感知】に引っかかってないことが気になりますが……。【気配感知】を潜り抜ける、ステルス的なスキルがあるのでしょうか」
「まあ、我らの知らんスキルがあったとしてもおかしくはないが……」
そう言って、クロエは私へと視線を移した。
「しかし、聞いたところによると、こ奴のレベルは3じゃ。スキルも初期スキルしか持っていない獣人じゃと聞いておるぞ」
「…………そう、ですよね。となると、ますます意味が分からないんですが」
ミコトは、クロエの言葉に困ったようなため息を吐き出した。
クロエはしばしの間、何かを考え込んでいた。それから、ゆっくりと首を横に振ると再び私へと視線を向ける。
「…………まあ、こ奴が何者なのかはひとまず置いておいて。まずは、お主の用件を聞こうか。荻野マキナ、お主が我らを探していた用件はなんじゃ?」
その言葉に、私は二人の顔を見つめた。
スゥッと、私は知らず知らずのうちに早くなる胸の鼓動を落ち着かせるように、深く息を吸う。
これから口にする言葉を、二人が受け入れる保証は何一つない。けれど、この要求を二人には確実に聞いてもらわねばならない。
彼を――古賀ユウマを助けるためには、二人の力が確実に必要なのだ。
そのためにはまず、二人からの信用を得る必要がある。
二人にならば、私の――この世界の全てを話しても構わない。
「柊ミコト。クロエ・フォン・アルムホルト。あなた達二人に、助けてほしい人がいます」
その言葉に、二人は同時にピクリと身体を動かし、その視線をすっと細めて見せた。
言葉には出さない、明らかな警戒。そして、全身から発せられるその殺意。
一瞬にして隙が無くなる二人を見て、私は宮森と吉川のことを思い出して慌てるように言葉を続けた。
「安心してください。僕は――いえ、私は、あなた達の敵じゃありません。私があなた達のことを知っているその理由、私自身のこと、そして、この世界のこと。それを全てこれから話します。だからまずは、その殺気を抑えてください」
彼女たちは私の言葉の意味を考えるように、ジッと私のことを見つめていた。
それから二人は互いに目配せをして、どちらともなく小さく頷くと、その身体から発する殺意をようやく納めてくれた。
「――――分かりました。いろいろと聞きたいことがありますが、まずはあなたの話を聞きましょう」
と、呟かれるミコトの言葉に、私はようやく安堵の息を吐き出しながら頷いた。




