目覚めの音
耳朶に響く微かな雨音に、私の意識は微睡みの中から覚醒した。
ゆっくりと身体を起こして周囲を見渡すと、崩落した天井の穴から雨粒が降り注いでいるのが目に入った。
私は身体を引きずるようにしてその穴へと近づくと、手を伸ばして両手いっぱいに雨水を溜めて喉を潤す。何度かそれを繰り返して私はお腹いっぱいに水を飲むと、今度はぱしゃぱしゃと顔を洗った。
「ふぅ……」
息を吐いて、私は元いた部屋の片隅へと近づくと、その隅に収まるようにして腰を下ろしてぼんやりと部屋の中を見渡した。
一部が崩壊し、中身の骨組みが見えるヒビ割れたコンクリートの壁。崩落し、ぽっかりと空いた天井の穴。窓ガラスもない壊れた窓枠と、その奥で眼下に広がる雨に濡れる廃都市。
何も変わらない、もはや見飽きた光景だ。けれどだからといって、ここから抜け出す術を私は持ち合わせていない。
「……はぁ」
漏れるため息はどこまでも重たく、誰の耳にも届くことなく室内に降り注ぐ雨音に掻き消される。
…………私が、宮森と吉川と名乗る彼らに捕まってから二日が経った。
あの日の夜、【睡魔】という恩恵で私を眠らせた彼らは、眠る私を担いでどこかの廃墟となった高層ビルの一室に閉じ込めた。
トワイライト・ワールドのシステムによって身体能力が強化されるプレイヤーは、普通ならばSTR任せに壁を壊し脱出することが可能なのだが、今の私のSTRでは壁を壊し抜け出すことが出来ない。
ならば天井の穴から抜け出せないかと一時は試していたりもしたが、やはりSTR不足である今の私の跳躍力では天井の穴から抜け出すことができなかった。
唯一の脱出口は壊れた窓枠になるが、閉じ込められた一室は高層ビルの最上階。遥か下に広がる廃都市の様子に、いくらトワイライト・ワールドのシステムで身体能力が強化されていたとしても、落ちれば間違いなく死ぬだろうということは考えなくても分かることだった。
それが、彼らにも分かっているのだろう。私をこの部屋へと放り込んだ彼らは、入口である扉の先をいくつもの瓦礫で塞ぐと、監視を付ける様子もなくさっさとどこかへと行ってしまった。
他のプレイヤーならば簡単にどかすことが出来る瓦礫で躊躇もなく入口を塞ぐあたり、きっと、彼らは私が眠っている間に私のスマホを操作してステータスを覗き見たに違いない。
「はぁ…………」
この部屋に閉じ込められてから、何度目になるか分からないため息が漏れる。
この世界のプレイヤーにとっての生命線とも言えるスマホは、私が寝ている間に奪われた。
トワイライト・ワールドの自己成長プログラムは、本人にしか操作が出来ないものだから勝手に私のステータスを弄られることは無いだろうが……。それでも、あの機器が手元にないと不安になるのは、私自身がこの世界のプレイヤーとしての自覚が芽生え始めた証拠だろうか。
AGIなんかに極振りするんじゃなかった。
そんなことを何度も考えたが、AGIに極振りをしていたことで今まで生き残っていたのも事実だ。
〝もし〟や〝たられば〟を考えたところでどうしようもないのは事実だが、こうも時間が有り余るとどうしても考えてしまう。
「…………」
それに、考えるのはこの状況のことだけではない。
時間が経てば経つほど、この世界のどこかに居る彼が壊れていく。
その事実に、私はどうすることも出来ない焦燥感と無力感に苛まされていた。
「…………っ、はぁ……。お腹も、空いた…………」
人の身になったからこそ、初めて味わう空腹。
ぎゅるぎゅると鳴き声を上げるお腹の虫を無視し続けるのはもう限界だった。
もはや立ち上がる気力さえも湧かず、私はぼんやりと部屋の隅に座り続けた。
……それからどれぐらいの時間が経ったのだろう。
ふと気が付くと、部屋の外――崩落した天井の穴の向こう側に人の気配を感じた。
――――見回りだ。
一日に何回かはこうして、彼らのうちのどちらかが穴の向こう側から私の様子を見に来ている。彼らはその時にいくつかの質問を繰り返し、その後に少しの食料と水を穴の向こう側からこちらへと投げ渡していた。
彼らから投げ掛けられる質問は、決まって同じ。
――お前はどこの所属なのか。
――なぜ〝クロ〟と〝シロ〟を知っているのか。
――〝クロ〟と〝シロ〟に会ってどうするつもりなのか。
そのほかにもいろいろと聞かれるが、だいたいがこの三つに関することだ。
〝クロ〟と〝シロ〟というのは、柊ミコトとクロエ・フォン・アルムホルトのことだ。どうやら、彼女たちは彼らにその名前で呼ばれているらしく、彼らは二人の本名を口にすることはなかった。
この日も、いつもと同じ質問だった。
だから私は、部屋の隅に座り続けたまま彼らの質問に同じ言葉を返す。
――お前はどこの所属なのか。
「所属なんてものを、僕は持っていない」
――なぜ〝クロ〟と〝シロ〟を知っているのか。
「彼女たちを知っているのは、僕がずっと彼女たちを見ていたからだ」
――見ていたとはどういうことだ。東京で見ていたということか。
「そういうことで構わない」
――〝クロ〟と〝シロ〟に会ってどうするつもりなのか。
「どうもしない。ただ、お願いをするだけだ。僕はただ、たった一人のプレイヤーを助けたいだけなんだ。彼を助けるには、彼女たちの力を借りなきゃいけない。だから、僕を彼女たちに会わせてくれ」
もはや決まった押し問答。なんの生産性もない会話。ただただ時間を浪費するだけの虚しい言葉の羅列。
まるで壊れたテープレコーダーのように同じ返答を繰り返す私に、彼らは呆れとも怒りとも困惑ともつかないため息を返して、無言で穴の中に片手の平いっぱいほどの乾パンと、コップ一杯ほどにも満たない少しの水が入れられたペットボトルを投げ渡すのだった。
「…………」
穴の向こう側の彼らが去ったことを確認して、私はのっそりと身体を起こして投げ入れられた乾パンとペットボトルを拾った。
それからまた部屋の隅へと戻り、拾った乾パンを口に運ぶ。
ボリボリと数少ない乾パンを齧り終える頃には口の中の水分が失くなっていて、私は投げ入れられたペットボトルに口を付けて喉をまた潤した。
「……はぁ」
中身の無くなったペットボトルを見つめて、私はまたため息を漏らす。
いったい、いつまでこんな生活を続ければいいのだろうか。
人の身の――それもたった十代半ばほどのこの身体の体力はもはや限界だった。




