クロとシロ
「――――柊ミコト、クロエ・フォン・アルムホルトという二人の少女を知りませんか?」
私が告げたその名前に、一瞬にして空気が張り詰めたのが分かった。
「テメェ、なんでその名前を知ってるんだ?」
未だに姿を見せない宮森の後ろに控えている吉川という男が、感情を押し殺したような冷たい声を漏らす。
対する宮森もまた鋭い視線となって、私をじっくりと観察しながら言葉を吐き出した。
「……荻野君。君は、その名前をどこで聞いたのかな?」
たった一言でも答えを間違えれば、私の命が危うい。
そう思ってしまうほど、彼ら二人が醸し出す雰囲気は剣呑なものだった。
私は、背筋に嫌な汗が浮かぶのを感じながらも乾いた唇を一度舐めると、二人の様子を伺うようにしてゆっくりと口を開いた。
「……この名前は、僕が覚えている唯一の名前です。その二人が、僕の記憶を取り戻す鍵になるんじゃないかと……。そう、思ってます」
事前に話した記憶喪失という設定になぞらえた、それらしい理由を私は彼らに向けて言った。
「…………」
「…………」
私の言葉に、彼らは口を噤んだまま言葉を返さなかった。
息をするのさえも憚れるような、重たい沈黙が私たちの間に横たわる。
私は、じっとりと浮かぶ手のひらの汗をズボンで拭い、また口を開く。
「…………お二人は、彼女たちを知っているんですか?」
「………………そう、だね」
と、私の言葉に答えたのは宮森だった。
「知っているのか、知らないのかで言えば俺たちは彼女たちを『知っている』よ。何せ、俺たちの所属する『ギルド』のトップだ」
「――――『ギルド』、ですか?」
私は、宮森の言葉に微かに眉根を寄せた。
『ギルド』と言えば、アイオーンが作っていた『プレイヤーズギルド』という集団をどうしても思い出してしまう。どの世界軸においても、その集団に属したプレイヤー達は互いを助け合いながらも細々とこの黄昏の世界で生きて、やがて最後にはアイオーンによって弄ばれ、殺されていた。
(……この人の言う『ギルド』って、そのギルドなの?)
心の中で呟いたその疑問を解決するため、私は彼らに向けて問いかけてみた。
「……あの、『プレイヤーズギルド』とは何が違うんですか?」
「『プレイヤーズギルド』? 懐かしい名前だ。確か、随分前に壊滅した『ギルド』の名前だっけ? ……彼らはこの世界で生き残ることを目的に互いに寄り添っていたらしいけど、俺たちの『ギルド』はまた違う。俺たちの『ギルド』は、モンスターに乗っ取られた街や都市部を取り戻すために作られたものだ」
そう言って、宮森は一度言葉を区切ると私を見つめた。
「『プレイヤーズギルド』を知っている辺り、君は元々東京に居たのかな? ……ああ、だとしたら君が記憶を失っているってことも納得だ。東京は、随分と悲惨だったらしいね。彼女たち二人が言うには、まさに地獄そのものだったらしいじゃないか。君の記憶は、そこから抜け出す時に失くしたのかもしれない」
その言葉に、私は同意とも否定とも取れない曖昧な表情で頷くことしか出来なかった。
『プレイヤーズギルド』そのものがもうすでに無くなっていたことにも驚いたが、どうやら宮森の言葉を聞く限りでは、彼女たちの所属する『ギルド』というものはアイオーンの作った『プレイヤーズギルド』とはまた違うものらしい。
『プレイヤーズギルド』の名前を出したことで私の背景を勝手に想像したらしい宮森は、少しだけ警戒を解くように、その口元に小さな笑みを浮かべた。
「君が、彼女たちとどういう関係なのかは知らないけど。もし、君が東京の生き残りだって言うのなら、彼女たちの名前を知っていてもおかしくはないかな。彼女たちも君と同じく東京に居たらしいから、きっと、彼女たちの名前をどこかで聞いたんだろう」
私は宮森の言葉を聞き終えると、先ほどから感じていた疑問を口にするために、彼らに向けて小さく手を挙げた。
「…………あの。一つ、聞いてもいいですか?」
「ん? なんだい?」
「さっきから気になっていたんですけど、どうして彼女たち二人の名前を僕が知っていたことに驚いたんでしょうか。それに、さっきから話を聞いてると、まるで二人の名前が知られちゃいけない――――いや、隠されているかのように感じます」
そんな私の疑問に答えたのは、意外にも宮森ではなく吉川だった。
「……隠されてるんじゃない。隠してんだよ。…………なんでも、あの二人は東京に居た時にヤバい奴から目を付けられたらしいからな。身バレを防ぐためにも、今のあの二人は互いをニックネームで呼び合ってる。オレたち『ギルド』のメンバーも、それで互いに通じれば良しとしている。『ギルド』の中でも、二人の本来の名前を知っているプレイヤーなんざごく一部だ」
その言葉に、私は憎々しいあの男の顔が思い浮かんだ。
もしかして、この世界の二人はもうすでにあの男と接触していたりするのだろうか。
……ありえない話じゃない。どの世界軸においても、彼女たち二人は古賀ユウマと共にアイオーンの元へと辿り着いたプレイヤーだ。この世界に逃げ込み、私の手によって隠された古賀ユウマを表へと引きずり出すため、この世界で生きる彼女たち二人に何らかの形で被害を及ぼした可能性は否定できない。
「………………」
なるほど、と私は彼らの話に心の中で呟きため息を吐き出す。
この二人が、彼女たちの名前を出した途端に殺気だった理由がこれでよく分かった。
どうやら彼らは、本来ならば知り得ないはずの、彼女たち二人の名前を知っていた私を、その東京で目を付けられたヤバい奴の手先だと勘違いしたようだ。
けれど、それは本当に筋違いというもの。私が彼女たちを守ることはあっても、傷つけることなんて絶対にありえない。
「まあ、だからオレたちの『ギルド』のメンバーでもないテメェが、あの二人の名前を知っていたことにかなり驚いたが…………。テメェも東京の出身なら、話は別だな。悪かったな、疑ったりして」
と、そう吉川は言葉を続けた。
闇の向こうから伝わる謝罪の気配に、私は「いえ……」と呟いて首を振る。
多少の誤解が生じているようだが、その誤解のおかげで話が進むのならば否定するつもりもない。
私は、彼らの誤解をそのままに、もう一度話を切り出した。
「それで、二人に会いたいんですが……。二人に会うことは可能でしょうか?」
「ああ、『ギルド』に戻れば二人は居ると思う」
と、私の言葉に宮森が答えた。
「会いたいのかい?」
首を傾げて問われるその言葉に、私は小さな頷きを返した。
「ええ、ぜひ」
宮森は、首を縦に振る私の顔をジッと見つめた。
かと思えば、小さなため息を吐き出すと私に向けて真っすぐにその手を伸ばす。
「――――そうか。だったら、なおさら君を二人の元へと連れていくわけにはいかないな。――【睡魔】」
その言葉が告げられた瞬間、私の意識が一瞬にして奪われた。
(…………いったい、何が)
遠ざかる意識の中、私はぼんやりとそんなことを考える。
そうすると、私の耳に彼らの会話が聞こえてきた。
「……やっぱり、この獣人怪しいよな」
そう口火を切ったのは、吉川だった。
「〝クロ〟と〝シロ〟の本名を知ってるし、壊滅した『プレイヤーズギルド』の名前を出してたとはいえ、あの東京の生き残りだからな……。〝クロ〟と〝シロ〟を追いかけてきたプレイヤーで間違いないだろ」
「……ああ、とにかくコイツは『ギルド』に連れ帰ろう。コイツが本当に、〝クロ〟と〝シロ〟の知り合いかどうかは……本人たちに聞けば分かることだ」
吉川の言葉に、宮森がそう答えるのが聞こえた。
誰かが私の傍に歩いてきて、地面に横たわる私の身体を担ぎ上げる。
「――行くぞ」
と、宮森が呟いた。
その言葉を皮切りに、私はかすかに残る意識の欠片を手放したのだった。




