遭遇
箱庭に足を踏み入れて、初めての夜がやってきた。
今日は新月なのか、群青の夜空が黒く塗りつぶされている。
夜闇の中でも自由に視界の効く恩恵を持っていない私は、安全を期すために瓦礫の陰に隠れて夜明けを待つことにした。
いつモンスターに襲われるともしれない緊張感の中、睡魔と覚醒の狭間で頭をこくりこくりと揺らしていると、ふいに小さな物音が聞こえた。
「――っ!」
ビクリと身体を揺らして私は跳び起きる。
それからすぐに周囲へと目を向けて、暗闇の中で蠢く影を二つ見つける。
「…………」
モンスターだろうか。いや、モンスターにしてはやけに大きな人影だ。
今現在、私が活動するこの街で見かけたモンスターの種類は大きく分けて二つ。一つがゴブリンを筆頭とする弱くも厭らしい亜人型のモンスター、そしてもう一つがレッドウルフやジャイアントバット――大きさが人の頭ほどもある大型の蝙蝠――のような、いわゆる獣型のモンスター。この二つしか私は見かけていない。
…………もしかして、夜になって活動を始めるモンスターが近くにいた?
食屍鬼やゾンビ、スケルトンなどといった夜行性のモンスターが居ることを、私はよく知っている。これまで見かけなかったそれらのモンスターが、夜の帳が降りたことで活動を開始していたとしてもおかしくはない。
「……………っ」
ゆっくりと生唾を飲み込む。それから、私は傍に置いておいた木の枝をそろりと触り握り締めて、息を止めると暗闇を見据えた。
蠢く影はまだ私に気が付いていない。奇襲を仕掛けるのなら、今が絶好のチャンスだ。
(……いや、それはダメ。奇襲を仕掛けようにも、条件が悪い。今の私には、この暗闇の中で満足に動くことが出来ない。いくらAGIを上げていたとしても、視界が悪ければそれを活かすのは無理だ)
私は、直前の考えに対して自ら心の中でそう結論付けた。
「ふぅ…………」
小さく、私は息を吐く。それからギュッと、木の枝を握る手に力を込める。
奇襲はしない。これから逃げようにも、物音で必ず気付かれる。だとしたら、今の私に出来ることはただジッと息を潜めることだけ。私自身が闇に溶け込むように、ただこの気配を悟られないようにするだけだ。
「――――――」
出来るだけ細い呼吸をして、なおかつ襲われればいつでも対応できるように全身へと力を込めて、私はジッとその時間を耐え忍ぶ。
……そんな時間が、十分ほど過ぎただろうか。
私が瓦礫の陰から暗闇を睨み続けていると、闇の中で蠢く影の一つが不意に声を上げた。
「なあ、何かあったか?」
――――日本語。モンスターが発する歪んだ音ではなく、はっきりとした若い男の声だった。
「いいや、何も。やっぱり、この辺りにはもう何もないみたいだ」
その声に反応するもう一つの声も、やはりというべきかはっきりとした日本語で、同じく若い男の声だった。
「――――っ!」
思わず、私は小さく息を飲む。
――人だ! 探し求めていたプレイヤーだ!!
ようやく見つけたその存在に、ドクンと大きく跳ねた胸の鼓動の勢いのまま、私は瓦礫の陰から飛び出そうとしてピタリと動きを止めた。
声を聞く限り、彼ら二人がモンスターでないことは確かだ。けれど、彼らは本当にまともなプレイヤーなのか?
「………………」
頭の中で過る種族変化という言葉。
私が知る限り疑似人格に与えられた種族命題の中で、一番他者への攻撃性が高い種族は、サキュバスやガーゴイルなどといった、いわゆる悪魔的な種族を一括りにして呼ぶ『魔族』だ。
『魔族』の種族命題は〈殺人衝動〉という単純ながらも最も卑劣なもので、同化率の上昇に伴いこの衝動に犯される人の子の姿を、私は過去に何度も目にしてきた。
今、私の目の前にいる二人が種族変化した『魔族』ではないという保証はない。
彼らが『魔族』かどうかを見分けるには、『妖精』や『天使』が持つ羽や翼とも違う、特徴的な羽が背中にあるかどうかを見れば済むのだが……。この暗闇では、その特徴の有無を見極めることが出来そうになかった。
「どうしよう」
声を掛けるべきか、見送るべきか。
もしこの場で彼らを見送れば、次にプレイヤーを見つけるのはいつになるのか分からない。
私には種族変化に犯された彼を助けるという使命がある。
こう悩んでいる今でも、彼は自らの命を削りながら誰かを救い、モンスターを葬っていることだろう。
慎重に行動するべきだけど、正直なところ私には時間がないというのも確かなことだった。
「……………………っ!」
悩みに悩んで、私は結論を出した。
結局のところ、彼らが『魔族』なのかも、はたまた種族変化した『魔族』以外の種族を持つプレイヤーなのかどうかも、それとも何の害のないただのプレイヤーなのかどうかすらも、私が声を掛けてみるまで分からないのだ。
「すぅ……」
息を吸い込んで、私は覚悟を決める。
それから出来るだけ彼らを驚かさないよう、ゆっくりと静かに瓦礫の陰から這い出て、私は彼らの前へと姿を現した。




