緑と灰色、そして青
緑と灰色の街を私は進む。
足の踏み場すらも危ういヒビ割れた舗装路や、崩れた高架橋の瓦礫を乗り越えていると、草木の匂いに混じって特徴のある別の匂いがふっと鼻腔をくすぐった。
「何だろう、この匂い」
すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いでみるが、よく分からない。
ただ胸いっぱいにむせ返るような草木の匂いとは違って、この匂いは鼻腔の奥を微かに刺激するような塩気が含まれている。
そしてその匂いは足を踏み出す度に強くなって、風が吹けばよりはっきりと周囲に漂った。
「こっち」
私は、風の流れに乗って届く匂いの元へと足を向けた。
それから数分ほど足を進めて、私はようやくその匂いの正体に気が付いた。
「…………これは」
瓦礫と植物の街を覆い隠すように、地平線から伸びる青い水面。その青の下に沈む壊れた舗装路や、そこから息継ぎをしているかのように顔を出す雑居ビル。
――――海だ。
この匂いの正体は、潮の匂いだったのだ。
――ということは、この場所は彼の居た呉という場所に近い場所なの?
そんなことを私は考えたが、すぐにその考えは否定された。
周囲を探索すると、朽ちながらも残る道路標識に『横須賀』や『みなとみらい』といった掠れた文字が残されているのを見つけたからだ。
『横須賀』や『みなとみらい』なんて文字を、私は彼が居た呉の近くで見たことがない。どうやら私は、彼の居た呉とは違う場所に居るようだ。
「……はぁ」
思わずため息が漏れ出る。
私以外のプレイヤーならば、この地名が記された道路標識を目にしただけである程度は自分がどこに居るのか察するのだろう。
しかし、人の子達が暮らす街のことなんて私には分からない。
見知らぬ世界、見知らぬ場所に放り込まれた状況に等しい私は、今現在の地名という情報をなんの役にも立てることがないまま、まずは他のプレイヤーに出会おうと廃都市の中を彷徨い始めた。
……けれど、この世界で足を進めれば確実にぶつかる壁がある。
――――モンスターだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ッ、あぁッ!!」
荒く吐き出す息の中で、私は気合の声と共に握り締めた木の枝を振るった。
振るわれた木の枝はレッドウルフ――赤い体毛に覆われた狼型のモンスターだ。発達した犬歯が特徴で、その長さは五十センチほどにもなる――の鼻先に命中した。
急所にもなるそこを殴られたからだろうか。レッドウルフは「キャインッ!」と悲鳴を上げると僅かに怯みを見せる。
「ッ!!」
すかさず、私は木の枝を翻しレッドウルフに向けて地面を蹴った。
肉迫するレッドウルフに向けて、両手に握り締めた木の枝を上段に構え――振り下ろす。
「ギャンッ!」
振り下ろされた木の枝はレッドウルフの額にぶつかった。その威力で木の枝が半ばからへし折れて、細かな木片を周囲に飛ばす。
普通の生き物ならば、その一撃で勝敗は決しただろう。しかし、相手はモンスターだ。星に住まう他の生き物を殲滅し、我が物顔で今や星の中を闊歩している化け物だ。
彼のような強さもない今の私の攻撃では、一撃でモンスターを葬ることは出来ない。
「くっ――」
そのことに私が強く唇を噛みしめると、怯みから素早く立ち直ったレッドウルフが鋭い視線を向けてきた。
「グルルル……。ガァッ!」
唸り、私に向けて飛び掛かる。
唾液に濡れたその鋭い牙が人の柔肌を突き破ろうと、日の光を反射してぬらりと光ったような気がした。
「――――ッ」
ぞわりと背中に広がる感覚。
鼓動が跳ねて、私の目が大きく開かれるのが自分自身でも分かった。
「――――、ッ!!」
肌がひりつく死の予感に私は呼吸を止めると、反射的に地面を蹴ってその場から跳び退った。
その直後、私の腕を掠めた牙の風圧が私の肌を鋭く撫でていく。
当たれば間違いなく致命傷の一撃だ。
その事実に、私は全身の毛が一気に逆立つのを感じた。
「ふっ!!」
けれど、だからと言って止まることは出来ない。
私は彼がそうしていたように、回避した身体の動きを止めず地面に足が付くと同時にまた地面を蹴って、レッドウルフに向けて飛び込んだ。
「っ!」
頭の中のイメージはいつでも彼の動き。
飛び込むと同時に身体を捻り、システムのDEXとAGIに任せて、私はレッドウルフの顔面に向けて右足を振り抜く。
「ガァァ!」
横っ面を蹴り飛ばされて、レッドウルフの動きが止まった。
その隙を私は見逃さなかった。
「あぁぁぁあああああああッ!!」
叫び、手に持ったへし折れた木の枝を全力で突き刺す。
木の枝は狙い違わずレッドウルフの眼球に沈み込んで、柔らかい何かを潰す感触と共に甲高い獣の悲鳴を周囲に響かせた。
「ッ!!」
素早く、私はレッドウルフの鼻先を蹴り上げる。
立て続けに急所を狙われたレッドウルフは、
「ギャインッ!!」
と悲鳴を上げるとみっともなく地面に転がった。
ここまで来れば、もはや勝敗は決したようなものだ。
私はレッドウルフの元へと駆け寄ると、周囲に落ちていた手ごろな瓦礫を一つ掴んで、STR任せに一気にその頭へと振り下ろした。
――ゴッ、という鈍い音と共にレッドウルフが悲鳴を上げる。
――ゴッ、という激しい音にレッドウルフが藻掻き苦しむ。
――ゴッ、バキッという音が響いて頭蓋の骨にヒビが入る。
それを何度か繰り返すと、ゴチュッ、と何かが潰れる音と感触が伝わって、レッドウルフがぴくぴくと身体を震わせ始めた。
それでも私は、何度も、何度も瓦礫を打ち付ける。その存在が消え失せるまで、手に持つ瓦礫が血糊で滑り顔が返り血で汚れようとも、執拗にその一撃を繰り返した。
「ふぅ……」
レッドウルフが本当の意味で息絶えたのは、それから数分が経ってからだった。
血糊で真っ赤に染まった瓦礫を放り捨て、頬に飛び散った返り血を拭って私は息を吐き出す。
この世界に堕ちて、モンスターとの戦闘をしたのはこれが初めてではない。
他のプレイヤーを求めて街を彷徨う私は、あれから幾度とないモンスターとの戦闘を繰り返している。
初めはゴブリン一匹を相手に三十分以上も掛かっていたけれど、何度か戦う内に人の身体の動かし方にも慣れ、加えて『古賀ユウマ』という手本を見続けていた私は、彼の動きを参考にして少しずつではあるがこの世界にも慣れ始めていた。
「人になって、トワイライト・ワールドのシステムが働いたことで自分の手でモンスターを倒すことが出来るようになったのは良かったけど……。元々の力が使えないのは、やっぱりちょっと不便ね」
小さな声で私はぼやいた。
神という立場では手を下すことが出来なかったモンスターも、立場を半ば捨てた今ならばトワイライト・ワールドの力を借りて直接手を下すことが出来る。
けれど、その代償としてほんの僅かに残されていた神としての力を失い――繰り返される時間の牢獄の中で、手を触れず彼を投げ飛ばしたあの力だ――、さらには人の身に堕ちるため微かに残されていたトワイライト・ワールドのシステムへのアクセス権も放棄した今の私では、以前彼へと服を手渡した時のように、何かしらの物をシステムから引っ張り創り出すことさえも出来なくなってしまった。
結果として私は今、クエスト報酬のない他のプレイヤーと同じように、木の枝や石、瓦礫の欠片といった武器とも呼べない武器を拾い、モンスターとの戦闘を行っている。
この身体でも以前の力を使うにはまずアイオーンを倒し、元の力を取り戻さなければならないが――――。そのためにはまず、確実に彼の力が必要だ。
「……さて、と。レベルはどうかな」
彼を助けるためにも、私自身がこの世界で生き抜くためにも、この身体のレベルの上昇は必要不可欠だ。
今しがた倒したレッドウルフが、今の私のレベルよりも上のモンスターであるのは間違いない。
そんなモンスターを相手に私が辛くも勝利をしているのは、ゴブリンなどを倒してレベルが少なからず上昇していることと、レベルアップによって獲得したSPを全てAGIに割り振っているからだった。
確認のために、私は自分の成長度を見るためステータスを開く。
荻野 マキナ Lv:3 SP:0
HP:17/17
MP:0
STR:8
DEF:5
DEX:4
AGI:24
INT:2
VIT:4
LUK:3
所持スキル:幻想の獣
以前確認したステータスのまま、レベルの上昇はない。
分かってはいたが、彼の持つ【曙光】のような成長加速の恩恵がない私の成長は他のプレイヤーと同様にかなり遅めだ。
レッドウルフのように今の私にとっては格上であるモンスターをなんとか倒したとしても、それでもなお上昇しないレベルを見ていると、この壊れたトワイライト・ワールドがどれほど悲惨なもので、ここに生きる人の子達がどれほど深い絶望の中に居るのかを身をもって理解してしまう。
「はぁ…………」
吐き出すため息は重たかった。
私は硬く唇を噛みしめると、再びこの世界にいる誰かを求めて、緑と灰色の街を彷徨うのだった。
ひょろ様より素敵なレビューを頂きました。本当にありがとうございます!
また、ひょろ様のエッセイ内にてクソゲー攻略をオススメとしてご紹介していただきました。
重ねて、深い感謝の言葉を申し上げます。
レビューの他、読者のみなさまには感想や誤字脱字報告を頂き、本当にいつもありがとうございます。
みなさまのお言葉で、思考回路が単純な私はいつも舞い上がってます。
これからも『最高のクソゲー』をお届け出来るよう頑張ります。




