??日目 私のクソゲー攻略
――――私が深い思案の海に沈んでいると、箱庭の中では事態が動き始めていた。
種族変化によって気を失っていた彼が目を覚ましたのだ。
ゆっくりと開かれる瞼の奥の彼の瞳は、黒色から『人間』の青色へと色を変えている。
彼が意識を取り戻したことをすぐに察したのか、堕天使の少年は『人間』が本格的に動き出す前に勝負を決めようと一気に動き出していた。
「ッ!」
少年は、指を開いた右手を『人間』へと向けて差し出す。そして、その顔に勝利の笑みを浮かべながらその身に宿した恩恵の名前を呟く。
「【ブラックホール】」
私の知らない言葉、その恩恵。
考えるまでもなくアイオーンの恩恵であるその力は、一瞬にして彼を真っ黒な球状の塊の中に押し込めた。
「――――――えっ?」
間の抜けたようなその言葉は、少年の口から漏れた言葉だった。
少年が恩恵の言葉を呟いたその瞬間。一気に動き出した彼は――『人間』は、少年へと向けて飛び掛かったのだ。
『人間』が踏み込んだ衝撃でバラバラに砕ける小舟。海面には大きな水しぶきが上がり、ドンッという重たい衝撃の音が周囲に響き渡る。
「――ッ!?」
眼前に向かってくる『人間』に少年が慌てて回避を試みようとするが、もう何もかもが遅い。
少年が信じている彼のステータスはそもそもが【隠蔽】によって偽られたもので、少年のステータスと彼の本当のステータスは大きな差があるのだ。
獲物を見つけた獣のように、空に浮かぶ少年へと向けて全力で飛び掛かる『人間』から逃れられるはずもなく、少年は『人間』にその背中の翼をガッチリと掴まれてしまった。
「――――僕を外に出してくれたのは、君だね?」
と、『人間』は少年に向けて言った。
翼が掴まれた少年は、空を飛ぶことが出来ず水面に向けて落下を始める。
「は、離せッ!」
慌てた少年が背中に張り付く『人間』を振るい落とそうと身を捩るが、少年のSTRで彼の身体が引き離せるはずもない。
『人間』は、少年の翼を手で掴んだまま、少年の耳元で声を出した。
「……いやあ、助かったよ。おかげで、僕は自由だ。コントローラーで身体を動かすのと、こうして実際に身体を動かすのとじゃ全然違うね。当たり前だけど、こっちの方が断然いい。君のおかげで、僕はこれから本当の意味で好きに動くことが出来る。ありがとう、野田君。……いいや、それとも『堕天使』、と呼んだ方が良いかな?」
「ッ!? いったい、何の――――」
「僕は騙されないよ。君、もうすでに種族変化しているでしょ? 君の種族、堕天使の命題は天使の命題のことを考えると……その反対。自己生命の尊重ってところかな? 自分が生き延びるため、どこまでも利己的に考え行動する命題のようだ。……だから、君はかつての友を種族変化させてまで、経験値を得ていた。……まあ、この身体の彼は、そのことに気がついていなかったようだけど。それに味をしめた君は、どうやら、この身体を種族変化させてまで、この世界で生き延びるために僕を殺してでも経験値を得ようとしたみたいだけど…………でも、残念だったね。たかが『人間』だと侮っていたんだろうけど、この身体のレベルは君よりも遥かに上だ。君じゃあ僕を殺すことは出来ないよ」
「っ、レベルが僕より上だと!? そんなデタラメ、信じられるかッ! この身体は、多くの変異体を殺してようやくレベル60台になろうとしている!! 誰よりも早いレベルアップだ!! ただの『人間』が僕を越えられるはずがない。運良く僕の翼を掴んだだけで、調子に乗るのも大概にしろッ!! 【暗夜の光――――」
「だから、もう無理だって」
少年――『堕天使』の言葉を『人間』が遮った。
『人間』が『堕天使』の翼を掴んだまま、大きく身体を後ろに逸らす。『人間』の身体に与えられた桁違いのSTRによって『堕天使』の身体が成す術もなく引っ張られる。
「――――ふっ」
と息を吐いて、『人間』は『堕天使』を抱えたまま背面からくるりと宙で一回転するように回って、眼下に見える海面に向けてその身体を勢いよく投げ飛ばした。
轟音と共に空高く水しぶきが空高く舞い上がり、『堕天使』の身体が海中に沈み込む。
『人間』は『堕天使』を追うようにして海中へと飛び込むと、叩きつけられた衝撃で血を吐き出す『堕天使』の身体をそのまま捕まえた。
――ニヤリ、と。『人間』が嗤う。
右手に握られた拳に力を込めて、その腕がパンパンに膨れていくつもの筋が浮かび上がる。
――【身体強化】、【闘争本能】、【瞬間筋力増大】。
『人間』の口が動き、これまでに獲得した強化系の恩恵を全て発動させたのが分かった。
その発動に合わせて、『人間』が握り締めた腕や肩、背中の筋肉がさらに大きく、太く膨らむ。
「ッ!」
そして、『人間』の腕は振り抜かれた。
その行動に【撃発】の恩恵が重なり、致命的な一撃となっていたその威力をさらに増幅させて、『人間』による拳の一撃は必殺の一撃となり少年の腹部へと迫って――――。
――――瞬間、海が割れた。
まさに、人外とも言うべき一撃だった。
『人間』による拳の一撃は海水を割って巨大な水しぶきを打ち上げて、『堕天使』の身体に大きな風穴を空けていた。その反動は『人間』の身体を襲い、右腕の筋肉をも潰しその骨も砕けてぐちゃぐちゃになっていたが、『人間』はさしたる興味も見せないまま、その口元を歪めて嗤っていた。
「『堕天使』に憑りつかれた哀れな少年に、死による救いを」
海面に顔を出した『人間』が、波に揺られながらそう呟く。
自らの身体を壊しながら。
疑似人格に取って代わられた人間に、死による絶対の救いをもたらすというその信念のもとに。
『人間』は、使い物にならなくなった右腕を揺らしながら、自らの命題を果たしたその達成感に恍惚とした笑みを浮かべていた。
それからふいに『人間』は顔を見渡したかと思えば、次の獲物を見つけた獣のように歯を剥きだしにして獰猛な笑みを浮かべると、その方向へと向けて泳ぎ始めた。
……おそらく、クラーケンのところだ。『人間』は、その身に宿す狂気に本能のまま従い始めたのだ。
「っ、どうしようッ……」
その姿に、私は思わず言葉が漏れていた。
このまま、あの狂った疑似人格に彼の身体を使わせていれば、確実にその身を犠牲にしながらも、その人格に植え付けられた狂った二つの命題を成し遂げようと動き続ける。
私の存在意義は、この星の運命――その樹形図を絶やさないこと。
〈幻想の否定〉の具現化である『人間』に任せていれば、確かにモンスターの殲滅は可能だ。
けれどその方法は、その身の崩壊さえも顧みず、常に全力で暴れ続けるという自らの命題を達成するためにはどんな手段さえも問わないもの。
彼のように着実に、一歩ずつなんて堅実な方法じゃなくて、それこそ不眠不休でモンスターを根絶やしにするまで暴れ続ける『人間』のその方法は、この星のモンスターを、ひいてはアイオーンを倒すという目標に辿り着く前に、このままでは確実にその命を散らしてしまうだろう。
――――それだけは、絶対に防がないと。
「…………ッ」
でも、どうすれば……。どうすればいいの?
今の私に出来ることは、もうやりつくしている。彼をあの暗闇から救い出すのでさえも精一杯だった! その上で、救い出した彼がアイオーンに見つからないよう、私の残った力も全て使い切った!!
今こうして、この場にいる私に出来ることは、これ以上もう何も…………。
「…………………………違う。まだ、ある。一つだけ、まだ試していないことがある」
私は、ふとその方法を思いついた。
けど、その方法は確実性がない。突拍子もない思いつきだ。
しかし、今の私に出来ることはコレ以外に方法がない。いや、コレしか今の私にはもう出来ることが無いのだ。
「…………っ」
唇が震える。
手足が震える。
声を出そうとしたはずの言葉が声にならず、みっともない呼吸に変わる。
人の子達のように、私に豊かな感情があれば、今の私は大きな恐怖を覚えているということになるのだろう。
――――だって、この方法をとってしまえば。もし、失敗でもしたらその時点で私という存在は本当の意味で消えてしまうのだから。
「っ、それ、でも!」
それでも、誰かが今の彼を守らないといけないのならば。
彼の命が散る前に、誰かが『人間』を止めなければならないと言うのならば。
――私は、今この場を降りて彼の元に向かおう。
あの箱庭の中にこの身を投じて、彼の元に本当の意味で駆けつけよう。
例えもし、この方法でアイオーンに私の存在が知られようとも。
その結果、アイオーンに狙われ、箱庭の中で死んでしまうことで巻き戻りすらも起こらず、私の存在そのものが消えてしまうことになろうとも。
このまま彼を見守って、緩やかに訪れる敗北を待つぐらいならば、私も全身全霊を持ってこの壊れたトワイライト・ワールドに挑もう!!
「ふー…………」
息を吐く。
震える身体を無理やりに落ち着かせる。
彼の言葉を借りるならば、今の私が出来る全力勝負。
これから行うのは私の、私だけの壊れたトワイライト・ワールド攻略だ。
「――――システム、トワイライト・ワールド。キャラクター・クリエイト」
トワイライト・ワールドのシステムルールを変えることは今の私はもう出来ない。
しかし、この身をあの箱庭に堕とすだけならば、力のない今の私でも十分に出来る。
「――――身体性別、男性を選択」
あの世界に入り込んだ時点でアイオーンには気付かれてしまう。
少しでも、今の私から遠い外見を選ばなければ。少しでも、アイオーンに見つからないようにしなければ……。
「外見設定、獣人。細分化設定――――猫人を選択」
トワイライト・ワールドの中で、比較的選択された種族が多い見た目を。
「身体年齢、十代」
そこに居てもおかしくない身体年齢の見た目を。
「プレイヤーネーム……」
吐き出した私の言葉は最後まで続かなかった。
……しまった。名前なんてものを考えていなかった。
一応、マキナという仮初の名前はあるけれど、人の子達の持つファミリーネームというものが無い名前は、それだけで目立つ存在になる。
「…………」
とは言っても、私にはファミリーネームの知識がない。
箱庭の繰り返しで数多くのプレイヤーを見てきたけれど、人の子達の名前にさほど興味を持っていなかったためによく覚えていないのだ。
……今、思い出せるのはごく最近に彼が出会った、荻と野田という二人のプレイヤーのファミリーネームぐらい。
「……仕方ない、か」
私は悩みに悩んで、その二人のファミリーネームを借り受けることにした。
「プレイヤーネーム……、荻野マキナ」
名前を告げて、私はトワイライト・ワールドにその身を登録する。
「ふぅー…………」
目を閉じて、息を吐く。
これからの私は、人の子と同じ存在だ。人の子のように食べ物を食べて、水を飲み、眠り身体を休めなければならない存在だ。
あの世界で死ねば、今の私のこの存在も全て消え失せる。
本当に、たった一度きりのトワイライト・ワールド攻略。
「…………よし、行きましょう」
最後に、私は口調を変えて。
彼を助けるために、あの黄昏の世界へと足を踏み出した。
ここで、「喪失世界の怪物と崩落の廃都市」の前半部分が終了です。
以前にも申し上げました通り、この章は前編と後編の二部立てです。
引き続き、後編もよろしくお願いします。




