15日目 記憶の痛み
激しい頭痛を引きずりながら、足を東に向ける。
目的地である呉まで数百キロの道のりだが、今の俺が全力で走ればあっという間だ。日中は人目を気にして人並みに抑えていたその力を発揮すれば、いくら壊れた舗装路だろうが一足で飛び越えて、数分もすれば辿り着くことが出来る。
けれど、それが出来るのは無理をすればの話だ。
今や俺のトップスピードは【視覚強化】を使用しただけの常時の状態では自分自身でも処理しきれず、トップスピードでの移動をする際には【集中強化】を使用しなければ自分自身の速度に対応できなくなっている。
『人間』に身体を渡す前はその方法で移動をしようと思っていたのだが、激しい反動が身体を襲っている今、無理をすることは出来なくなってしまった。
仕方なく俺は、【視覚強化】でも対応が出来るギリギリの速度で――とは言っても、昼間のように人並みの速度じゃないが――佐賀から呉までの、およそ数百キロを一時間足らずで踏破した。
「……さて、と」
頭痛に顔を顰めながら、到着した呉市内を散策する。
これと言って特筆することのない街並み。他と違うのは、山と海に囲まれているからか植物の侵攻と錆で朽ちた部分がやけに目立つというところだろうか。潮風の匂いを嗅ぎながらも【気配感知】を使用しながら街を歩いていると、見慣れないモンスターと出くわした。
「ん?」
長く、乱れに乱れた薄気味悪い白髪と、燃えるような赤い瞳。顔はゴブリンを思わせるような醜悪さだが、俺を見て下卑た笑みを浮かべているその口元には鋭い歯が見えている。爪先は鋭く鉤爪のようになっていて、白髪の上には返り血で染まった赤黒い帽子が乗っかっていた。
低いその背丈と、その帽子だけを暗闇の中で見れば小さな老人のようだ。けれど、ソイツが老人ではないことは、俺に植え付けられた〈幻想の否定〉による嫌悪感が明確に教えてくれていた。
「……ゴブリン、じゃないよな。上位種か?」
「…………あれは、レッドキャップ」
俺の呟きに、マキナが反応した。
「レッドキャップ?」
だから俺はその言葉に声を返す。
「……詳しくは私も知らない。繰り返されるこの箱庭の中で、あなたがこのモンスターのことをそう呼んでいた」
「ということは、俺は戦ったことがあるんだな? 忘れているっていう一周目とかで出会ってるのか?」
「箱庭で、と言った。今のあなたじゃなくて、出会ったのは以前のあなた。そのあなたが、そう言っていたのを私は見て、知っていただけ」
「…………なるほどな」
マキナの言葉に俺は頷いた。
つまりは、今の俺じゃない俺が出会ったことのあるモンスターだってことだ。
「その俺は、この呉にも来ていたのか?」
「……違う。このモンスターが居たのは東京」
「東京か。あの繰り返しの中では出会わなかったな」
ということは、繰り返しの中では俺が足を踏み入れなかった場所にコイツは居たわけだ。
俺は匕首を引き抜き、眼前で構える。
レッドキャップは俺の敵意を感じ取ったのか、すぐに応戦体勢を整えると小さく嗤った。
「ぎひっ」
耳障りな声だった。
俺はゆっくりと息を吐き出すと、戦闘のスイッチを入れる。
「――【雷走】、三秒」
そして、そのスキルを呟き地面を駆けた。
【紫電】を使わなかったのは、『人間』がケルピーを相手にMPを使いすぎていたからだ。まだいくらか残りがあるとはいえ、ボスでもないモンスターを相手に【紫電】を使う必要はない。AGIの上昇率は【紫電】に比べれば落ちるが、それでも【雷走】で十分だろうという判断だった。
瞬く間に迫る俺に、レッドキャップが目を剥いた。
慌ててその鉤爪を振るおうとするが、それよりも俺の匕首が届くほうが速かった。
「――っ!」
気合を入れるよう短く息を吐いて、匕首をレッドキャップの胸に突き刺す。刃は抵抗もなくレッドキャップの胸に深く沈みこんだ。すぐさま、俺はその刃を引き抜く。
「っ、ぎ、ぃ!」
レッドキャップの胸から真っ赤な血が溢れて、レッドキャップから苦痛の言葉が漏れ出た。
レッドキャップは身体をよろめかせたが、ギリリと歯を食いしばり何とか膝をつくことに耐える。どうやら、ゴブリンとは違って少しは防御と耐久値があるらしい。
そのことに俺は僅かに眉根を動かしたが、すぐに刃を切り返すとその喉元に向けて二撃目を放った。
「――二つ目」
喉元に吸い込まれた刃は【急所突き】と【二突】によって威力が底上げされて、今度こそレッドキャップの息の根を止める。
「ぃ――――」
僅かな声とも言えない空気の漏れを口から吐き出して、レッドキャップは自分で作り出した血だまりの中にべちゃりと倒れ込んだ。
俺はレッドキャップの頭の帽子が自らの血でさらに赤く染め上がっていくのを見ながら、腕を振るって刃に付いた血を払う。そうしていると、やがてその身体が崩れて空気に溶けて消えていく。
「……コイツ、何人かプレイヤーを殺していやがったな」
ルナティックモードほどの強さではない。かといって、俺の一撃を受けてこれが通常の状態だとは考えられない。ボスやルナティックモード以外でモンスターが強化されるものと言えば、プレイヤー殺ししか考えられないだろう。
俺は腰の鞘に匕首を戻して、周囲に眼を向ける。
「…………ぐっ」
すると、思い出したかのように頭痛が襲ってきた。
【集中強化】の反動がまだ癒えないのか、と思ったが様子が違う。あまりの痛みで瞼を下ろしたその先で、ノイズのように乱れた映像が浮かんできたのだ。
その映像は見たことも聞いたこともない景色や言葉を脳裏に映し出して、次第にまたノイズとなって消えていく。
数秒ほどすれば再び暗くなるその視界に、俺は今の映像が俺の失った記憶の映像だということに気が付いた。
「……最初の、あの時は痛みなんてなかったのに。記憶に掛かってる鍵ってやつを、アイオーンじゃなくてマキナが外したからか? 少しずつ思い出すってマキナは言ってたけど、時間や場所が関係ねぇのかよ」
これが、戦闘中でなくて良かった。
そのことに深いため息を吐き出して、俺は再び散策へと戻る。
しばらく散策を続けていると、一人のドワーフ種族の男性プレイヤーに出会った。造船のことを尋ねると、どうやら男性は造船に携わっているプレイヤーだったらしい。その低い背丈と筋骨隆々のその男性は、太い指を一つ動かすと海沿いの道を指し示す。
「造船をしてるのはこの先だよ。なんだ、あんたも海の支配者っていうクエストを受けたのか?」
「まあ、そんなところだ」
と、俺は彼の言葉に首を振る。
すると男性は、その太い首を下に向けると小さなため息を吐き出した。
「はぁ……、日を追うごとに同じクエストを受けてるって人が増えていくな。いつになればクエストに向かえるやら」
「……? どういうことだ?」
まるで、船はあるがクエストに向かえないとでも言いたそうな言葉だ。
男性は、俺の言葉に取り繕うような笑みを浮かべると言葉を続けた。
「ああ、いや違うんだ。船を作るのが面倒だっていう意味じゃない。……あんた、ここで船を作ってるって聞いてやって来たんだろ?」
その言葉に、俺は素直に頷いた。
「ああ、違うのか?」
「間違っちゃいねぇよ。ここで船を作ってるのは確かだ。だが、作ってるのは中型船や大型船じゃない。全部小舟だ。中型船や大型船を作ろうにも、こんな世界じゃ道具もないからな……。せいぜいが木を削り出して、船の形にしてするのがやっと。それでもちゃんと浮力が働くよう計算して削らなきゃあっという間に沈んじまう。そんな船を、俺たちは作ってる。……それも、クエストを受けてやってきたプレイヤー全員にな」
その言葉に、俺は僅かに眉を動かした。
「なに? どうして、そんな面倒なことを――」
その言葉の意味を、男はすぐに察したのだろう。ボリボリと頭の後ろを掻くと、眉根を下げて口を開く。
「まあな。あんたが言いたいことも分かるさ。確かに、来るプレイヤー全員に船を作っていたらいつまで経っても船づくりが終わらない。……でもな、ボス攻略は数が命だ。船を作る手間は増えるが、それで自分の命が救われるってんなら作るまでさ」
そう言って、ドワーフの彼は小さく肩をすくめた。
「って言っても、全員に船を作ってたら時間が足りないだろ。何人で作ってるんだ?」
「俺を含め、種族でドワーフを選んだ手先が器用な数人のプレイヤーと、造船知識があった元造船職人のプレイヤーの数人だな。それ以外のプレイヤーには、荷物運びとか木の切り出しを頼んでるよ。材料ならそこらに腐るほどあるからな」
ドワーフの彼は、そう言って俺の肩を一つ叩くとニカッとした笑みを浮かべた。
「あんた、その恰好を見る限りそこそこクエストをしてるんだろ? あんたの分の船も明日から作ってやるから、造船所に顔を出しなよ」
「あ、ああ。ありがとう。…………ちなみに、俺の分を含めた全部の船が出来るまでどのくらいかかるんだ?」
「今の調子なら三日か四日ってところだな」
「四日、か」
その言葉に、俺は深く考え込んだ。
一つのクエストを四日も放置したことは今までない。日を追うごとに強くなる〈幻想の否定〉と種族同化率が、果たして船の完成まで持つのか微妙なところだった。
「まあ、荷物運びとか木の切り出し以外にも、手先が器用なら造船も手伝ってもらうから。安心しなよ。それじゃあ、また明日な」
悩む俺を、ドワーフの彼は仕事の内容で悩んでいると勘違いしたようで、そう言ってまた俺の肩をバシッと叩くと笑って寝床があるのだろう、小道の先へと消えていった。
俺は叩かれた箇所を摩りながら、息を小さく吐く。
「……四日、待たされるぐらいなら泳ぐか?」
そう口にした途端。再び、激しい頭痛と共に瞼の裏でノイズ混じりの映像が流れた。
軽く呻き、よろよろと傍にあったへし折れた電柱に身体を預ける。
今度の映像はごく短いもので、十秒もすれば次第に薄れて消えていった。
きつく閉じていた瞼を持ち上げて、俺はゆっくりと息を吐き出す。
「これじゃあ、泳ぐどころか戦闘中も危ない、か」
雑魚ならまだしも、ボス戦でこの調子だといつ足元を掬われるか分からない。戦闘での一秒は十秒に等しく、一瞬の隙でも命とりだ。この、記憶のフラッシュバックは致命的とも言える隙になるだろう。
「……四日、か」
俺にとって、短くはない時間だ。けれど、その時間を使ってこの頭痛を――記憶が戻る際に発しているこの頭痛を、取り除いた方がいいのかもしれない。
「しばらくは、足止めだな」
ため息を吐き出して、俺は痛みの消えた頭を押さえて歩き出す。
この街で身体を休めるための廃墟を探して。
ただ、MPを回復させるためだけの、誰も訪れない静かな場所を求めて。




